第12話 房総 鯛の浦遊覧船

文字数 2,403文字

今晩は旅館で宴会がある。
何か自分にも会話ができそうな気がしてきた。
「オシッコたかしぃ」が看板になるかもしれない。
か・・・・軽い話  
い・・・・色々な出来事  
わ・・・・笑える話
これで覚えておこうと何回か頭の中で繰り返した。
メモ用紙の片隅に書いておいた。どうも勉強癖がこんな時でも出てしまう。

今夜の宴会が待ち遠しくなってきた。
休憩後バスは房総半島のいくつかの観光地を巡った。
どこもこれといって思い出に残るような所はなかった。
この日の最後の休憩所は海辺の休憩所だった。
「鯛の浦遊覧船」の看板があった。看板には“日蓮上人生誕の地”とも書いてあった。
“鯛の浦の鯛は日蓮聖人の化身であります”と添え書きがあった。
昔の人はこういうことを真面目な顔で看板に掲げる。
信じる人はいないだろうが、な~るほどと楽しめる。

それぞれがゾロゾロとバスから降りた。
トイレに急いでいく。人タバコを吸い始める人。休憩所の食堂に入っていく人。
市原は目と顔が真っ赤になっている。
「おお、ここはどこだ、船はまだか」
訳のわからない事を言っている。

食堂の目の前には太平洋があった。海は壮大だった。波は静かだった。
広い海の上に浮かぶ白い雲が、青い空の中で形を変えながらゆっくり流れている。
食堂に入ると、すでに昼食の席が用意されていた。
刺身等の磯料理の定食だった。伊藤さんや篠原さんはそこでもビールを頼んでいる。

ダジャレの篠原さんがネタを見つけたようだ。
食堂の壁には、新鮮な魚介類の定食のメニューが載っていた。
「平目(ひらめ) の煮魚定食とあった。
「平日(へいじつ)の煮魚定食」だって」と篠原さんがダジャレを一発。
「今日は祝日なので、煮魚定食はありません!」と続けた。
全員が大笑い。お店のご主人も訳がわからずに笑っていた。
篠原さんは見たもの聞いたものどんなものでもネタにしている。
たった一文字でも笑いのネタにできる。篠原さんを見て羨ましくなってきた。
誰にでも気軽に声をかける人。いつでも話かけ易い人。そばにいても緊張しない人。
利巧に見える人よりも、一見馬鹿に見える人になりたいと感じた。
本当に利巧な人は、利巧に見える必要はない。

食事が終わりかけた頃、港に小型の遊覧船が近づいてきた。
「船が来たぞ~~~!! 」と篠原さんが騒ぎはじめた。
その声に合わせ、それぞれがゾロゾロと遊覧船に乗り込んで出発した。 

ガイドさんが鯛の浦の島々の事や、船から見える景色を説明してくれた。
海からはいくつかの島と小さな山が見えた。
山の頂上にある日蓮聖人を祭った誕生寺のことも説明してくれた。
この辺は日本史の試験に出そうもない。

海はきれいだった。宮原さんが船の甲板で海を見ていた。
遠い海の果てを見る宮原さんの横顔がきれいに見えた。
バスの中で聴いた歌謡曲が頭の中に浮かんできた。
不思議に一度聴いただけでも覚えているものだ。
都合のいいフレーズだけが頭に浮かんでくる。
宮原さんの横顔見ながら心の中で口ずさんだ。


♪♪海はすてきだな 恋してるからさ
♪♪誰も知らない 真赤な恋を
♪♪海がてれてるぜ 白いしぶきあげて
♪♪君はきれいな 海の恋人
♪♪やさしく抱かれて 夢をごらんよ
青い海原を見てロマンチックな気分になってきた。
さっき諦めたのにまた宮原さんが愛おしくなってきた。

「ションベンたかしぃ!何しているんだよ、たそがれちゃってさ」
また、篠原さんだ。
「ここだったら、いっぱいオシッコしてもいいぞ」
「オシッコたかしぃ」が「ションベンたかしぃ」に格下げされている。
「もうさっき、してきました」
「おまえ、宮原さんが好きなんだろ~」
「そんな事ないです」
「さっき、ずっと横顔を見ていたろ」
「いいえ、海を見ていたんです」
「うそいうな、このションベン小僧」
また、さらに「ションベン小僧」に格下げされている。

「俺が宮原さんに言ってやろうか」
「やめて下さいよ、恥ずかしいから」
「だめだったら、そんな気持ちはションベンみたいに海に流しちゃえよ」
「それが、言いたかったんでしょ」
篠原さんは宮原さんに近づいて何か話している。
宮原さんがこっちを見てウフフって笑っている。
女のウフフは意味がわからない。どんなときでもみんなウフフで済ましてしまう。

「早川、宮原さんがお前の事好きだってよ」
「冗談やめてくださいよ」
「ばれたか、宮原さん“あんなションベン小僧”って言ってたぞ」
「ほんとですか、いいですよ、あんな地下鉄娘」
「地下鉄ってなんだよ」
「メが、トロっとしているでしょう、メトロは地下鉄ですよ」
「ああ、それ言ってこよう、いい事聞いた、それ頂き!」
「やめてください、嘘ですよ」
篠原さんはまた宮原さんのところへ行った。

宮原さんがこっちを見ている。口を尖らして近づいてくる。
「早川君って、やな感じ!」
「すいません、うそです冗談です」
もう取り返しがつかない。いったん口から出ると言葉だけが独り歩きしてしまう。
シマッタ!また篠原さんの笑いのネタを作ってしまった。

海を見ていたら気持ちが悪くなってきた。船室に戻って椅子に座った。
船室では市原や伊藤さんはまた酒を飲んでいる。
これから旅館に戻って宴会だというのにあきれてしまう。
もうここは世界が違う。酔っ払いの住む天国だった。

田舎の父ちゃんは酒を飲まない。お正月には1本だけ2合瓶を買ってくる。
コップに半分くらい注いで砂糖を入れて飲んでいた。
10分もすると顔が真っ赤になり横になって寝てしまう。
酒は睡眠薬のようなものだと思っていた。私の家では酒を飲む習慣がない。

初めて見た太平洋は広くて大きかった。
♪♪ 海は広いな 大きいな 月がのぼるし 日が沈む
♪♪ 海は大波 青い波 ゆれてどこまで続くやら
♪♪ 海にお舟を浮かばして 行ってみたいな よその国

仲間ってこんなにも親切なのか、今まで経験したことのない人の優しさだった。
今晩は新入社員歓迎の宴会がある。どんなことが起きるのか楽しくなってきた。
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