彼の名前は

文字数 1,376文字

「おはよう、『ことりあそび』くん」
 翌朝、私は自分の席で英単語帳をめくっている彼に声をかけていた。
 私に挨拶された彼は、まるで苦い野菜でも食べているかのような表情を見せる。
 何だ? なんでそんな表情をされるのだろう。
「おまえ、それは何の冗談だ?」
「へ?」
「俺は『ことりあそび』じゃねえ」
「あ、やっぱり?」
 さすがに『ことりあそび』ではないだろうと、さすがの私も気が付いていた。
「そうだよねえ」
「当たり前だろうが」
 彼は心底バカを見るような蔑んだ瞳で私を睨んでいる。
 いかんいかん。これ以上、バカだと思われるわけにはいかない……。
「『しょうちょうゆう』だよね」
「わかった。おまえ、さてはバカだな?」
「バカって言われた?!」
 くっ……確かに、私はバカだけど……。よくこの高校に受かったなって自分でも思う。それこそ受験の時はこの高校に進学できなければ死ぬと、文字通りの意味で死に物狂いになって勉強していたからなんとかなっただけなのだ。
「『たかなし』」
「へ?」
 私は彼が言っている言葉の意味が解らない。
「だから、『たかなし』……。『小鳥遊』って書いて『たかなし』って読むんだよ」
「えー、なんでよ!」
 『小』という字に、『たか』なんて読みはなかったはずだ。
 彼はまたため息をついてから答える。
「当て字だよ。『鷹』……『鷹』は解るな。でかい鳥だ」
「わかるわかる」
「『鷹』は肉食。小鳥なんて余裕で食ってしまう。だから、『鷹』が居たら小鳥は遊んでなんて居られない。逆に小鳥が遊んでられるってことは『鷹』が居ないってことだ」
「だから、『小鳥遊』で『たかなし』ってこと……?」
「そういうこったな」
 彼の説明を聞いて、私は言う。
「はあ! 何それ納得いかない! 駄洒落じゃん!」
「……知るかよ」
「おかしいよ、そんなの! 読めるわけないじゃん!」
 私は彼に抗議する。
「うるせえ女だ……別に俺が決めたわけじゃねえんだ……文句があるならタイムマシン作って、『小鳥遊』を『たかなし』って読みだしたやつに言ってこい」
「むー……」
 確かに、彼の言う通りではある。だが、それを素直に納得して受け入れるかどうかは話が別だ。
「じゃあ、『ことり』くんだ」
「は?」
 彼はまた嫌いな何かを咀嚼しているときのように顔をしかめて、私を見る。
「『たかなし』なんて変な苗字より、そっちの方が似合うよ」
 「ことりくん」。目つきが悪く、口も悪いけれど、彼にはなぜか憎めない愛嬌のようなものがあった。そんな彼には「ことりくん」という可愛らしい呼び名がちょうどいい。私はそんなことを考える。
「ふざけた女だ……」
 彼は眉をひそめて私を見る。。
 そのとき、チャイムが鳴る。始業を告げる鐘の音だ。
「ちっ」
 その音を聞いた彼は、舌打ちをして、私を睨みながら、渋々といった様子で自分の席についた。
 私の席は、彼の斜め後ろ。私は自分の席につきながら、彼の背中をじっと見つめる。
 しゃんと伸びた背筋だ。固い肉のついた男の子の背中。何人もの男の身体は見てきたけれど、そういえば、背中というのはあまり見た記憶がない。男はいつも私のこの胸に縋りついているからだろうか。
 私はそんなことを考えながら、授業の間、ずっと彼の背を見つめ続けた。
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登場人物紹介

小鳥遊祐介

真面目な優等生だが、少し斜に構えたところがある。ややプライドが高く、自分の周囲の人間を見下す嫌いがある。

眼鏡をかけている。結衣曰く「眼鏡を取るとイケメン」。


結衣からの呼び方を不服に思っており、事あるごとに呼び名を改めるように言う。

水城結衣

明るい性格で、誰にでも話しかけ、仲良くなるタイプだが、その実、心に闇を抱えている。

援助交際をしている。


祐介のことを「『小鳥遊』って書いて『たかなし』と読むなんて変」という理由で「ことりくん」と呼ぶ。

小林翼

祐介の友人で腐れ縁。

お調子者で軽いが、その実、仲間思いの善人。

鈴谷美鳴

裕介の従妹。裕介のことを「ゆう兄」と呼ぶ元気な少女。

翼のことは幼い頃から知っており「つば兄」と呼ぶ。

学校でも裕介と翼をあだ名で呼ぶので、裕介からはよく窘められるが、直る気配はない。

森中葉月

国語科教師。祐介と結衣の担任。おっとりとした性格。

社会人三年目であり、まだどこか頼りないところがある。

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