腐れ縁
文字数 1,828文字
「はあ……」
誰にも聞かれないように、息をつめて、小さなため息をつく。僕はいつからこんな息の仕方をするようになっていたのだろう。そんなことを自問自答する。
職員室の空気というものにはいつまで経っても慣れない。教室にいるときとは別種の緊張感のようなものが満ちている。あるいは、それを感じているのは自分だけのなのかもしれない。自分の席に座る教師たちは我が物顔だ。彼らにはここは自分の城だという意識があるのだろう。僕にはそれがない。だから、こんなにも息苦しく感じるのかもしれない。
「一個聞いてもいいか?」
そんな教師たちとは違った調子であっても、この空気の中で平然と息をするものも居る。
「今年の新入生の中で一番かわいい女子って、祐介は誰だと思う?」
こいつはきっと国会議事堂の中だろうと、王宮の中だろうと平然としているのだろうな。僕はへらへらと笑う小林翼を見ながら、そんなことを考える。
僕にとって小林翼とはどういう人物かを説明するとすれば、「腐れ縁」という言葉以上に適切な文言は存在しないだろう。よく言えば天真爛漫。悪く言うなら軽佻浮薄。どちらにせよ、僕自身の性向とはおおよそ真逆と言っても良いこの男と今現在に至るまで交友関係が続いているのは、ひとえに環境がそうさせたというほかない。小学生の頃に出会い、同じ高校に進学した辺りで僕たちの縁は簡単にはほどけないレベルで絡み合ってしまったようだった。
「……職員室だぞ」
僕だって彼の冗談一つ分からないほどの堅物ではないが、さすがに職員室で女子生徒の品定めをするほど豪胆ではない。
「まあ、固いこと言うなって」
そう言って翼はにへらと口元を緩める。
「まあ、A組の柏木とB組の山本あたりかね……」
脳内では女子生徒一人一人の顔を思い浮かべているのだろうか。翼は指折り数えながら言う。
「ああ、もちろん、美鳴ちゃんもかわいいと思うぞ」
「それがフォローか何かだと思っているのなら、俺はおまえの感性を本気で疑う」
美鳴というのは、今年うちの学校に入学した僕の従妹の鈴谷美鳴のことだ。小学生の頃からうちの家族と交友のある翼は従妹でうちによく遊びに来る美鳴とも面識があった。美鳴の方も「つば兄」などと呼んでなついている。
「もちろん、変な意味じゃないぞ。美鳴ちゃんは俺にとっても妹みたいなもんだし」
「ならいいが……」
さすがに幼馴染の従妹に本気で手を出そうとしているのだとしたら、僕はこの男との腐った縁を本気で断ち切りにかかる必要があるだろう。
「まあ、でもなんて言っても本命に――」
そのときだった。
僕はこちらに目を向けた翼から何かを読み取ってしまう。それは予感とでも呼ぶ他に名前を付けられないものだ。僕はなぜだか、彼が今から何を言おうとしているのか、彼が口を開く前に気が付いてしまった。
「水城は外せないよな」
そう言って、翼は僕の目をじっと見つめた。
僕は黙って彼の視線を受け止める。
真冬のような凍てついた風が吹いた。そんな気分になる。
なんだよ。何が言いたいんだよ。
僕はよっぽどそう言ってやろうかと思った。
そのときだった。
「あら、職員室で楽しそうなお話をしていますね」
「あっ! 森中先生! えっと、これはですね……」
翼はあからさまに動揺している。話に夢中になっていた翼は後ろに立つ森中先生に気が付いていなかったのだろう。
森中先生はいつも通りの微笑みを崩さないまま、翼に向かって言う。
「冗談を言うのは結構ですけど、職員室でしていい類いの話かどうかは考えてくださいね」
その笑みには何とも言い知れない凄みのようなものが感じられる。直接指導されているわけではない僕ですらそう感じるのだから、当人の翼は言わずもがなだろう。
「肝に銘じます!」
翼は大げさにも軍隊の敬礼のような姿勢をとる。
「では、その反省の意味も込めて、二人には今朝言っておいた資料整理の仕事をお願いしますね」
そもそも、僕が職員室に来ていた理由は、今朝がた、森中先生に呼び出されたからだ。そうでなければ、わざわざ職員室に来たりなどしない。
「はい、では頑張らせていただきます」
などと言って、翼はへらへらと笑う。
そんな彼の笑みを横目で見ながら考える。
こいつは本当は何も考えていないお気楽な人間ではないんだ。ふと、改めてそんなことを思う。
そういうところも僕らは正反対だ。
誰にも聞かれないように、息をつめて、小さなため息をつく。僕はいつからこんな息の仕方をするようになっていたのだろう。そんなことを自問自答する。
職員室の空気というものにはいつまで経っても慣れない。教室にいるときとは別種の緊張感のようなものが満ちている。あるいは、それを感じているのは自分だけのなのかもしれない。自分の席に座る教師たちは我が物顔だ。彼らにはここは自分の城だという意識があるのだろう。僕にはそれがない。だから、こんなにも息苦しく感じるのかもしれない。
「一個聞いてもいいか?」
そんな教師たちとは違った調子であっても、この空気の中で平然と息をするものも居る。
「今年の新入生の中で一番かわいい女子って、祐介は誰だと思う?」
こいつはきっと国会議事堂の中だろうと、王宮の中だろうと平然としているのだろうな。僕はへらへらと笑う小林翼を見ながら、そんなことを考える。
僕にとって小林翼とはどういう人物かを説明するとすれば、「腐れ縁」という言葉以上に適切な文言は存在しないだろう。よく言えば天真爛漫。悪く言うなら軽佻浮薄。どちらにせよ、僕自身の性向とはおおよそ真逆と言っても良いこの男と今現在に至るまで交友関係が続いているのは、ひとえに環境がそうさせたというほかない。小学生の頃に出会い、同じ高校に進学した辺りで僕たちの縁は簡単にはほどけないレベルで絡み合ってしまったようだった。
「……職員室だぞ」
僕だって彼の冗談一つ分からないほどの堅物ではないが、さすがに職員室で女子生徒の品定めをするほど豪胆ではない。
「まあ、固いこと言うなって」
そう言って翼はにへらと口元を緩める。
「まあ、A組の柏木とB組の山本あたりかね……」
脳内では女子生徒一人一人の顔を思い浮かべているのだろうか。翼は指折り数えながら言う。
「ああ、もちろん、美鳴ちゃんもかわいいと思うぞ」
「それがフォローか何かだと思っているのなら、俺はおまえの感性を本気で疑う」
美鳴というのは、今年うちの学校に入学した僕の従妹の鈴谷美鳴のことだ。小学生の頃からうちの家族と交友のある翼は従妹でうちによく遊びに来る美鳴とも面識があった。美鳴の方も「つば兄」などと呼んでなついている。
「もちろん、変な意味じゃないぞ。美鳴ちゃんは俺にとっても妹みたいなもんだし」
「ならいいが……」
さすがに幼馴染の従妹に本気で手を出そうとしているのだとしたら、僕はこの男との腐った縁を本気で断ち切りにかかる必要があるだろう。
「まあ、でもなんて言っても本命に――」
そのときだった。
僕はこちらに目を向けた翼から何かを読み取ってしまう。それは予感とでも呼ぶ他に名前を付けられないものだ。僕はなぜだか、彼が今から何を言おうとしているのか、彼が口を開く前に気が付いてしまった。
「水城は外せないよな」
そう言って、翼は僕の目をじっと見つめた。
僕は黙って彼の視線を受け止める。
真冬のような凍てついた風が吹いた。そんな気分になる。
なんだよ。何が言いたいんだよ。
僕はよっぽどそう言ってやろうかと思った。
そのときだった。
「あら、職員室で楽しそうなお話をしていますね」
「あっ! 森中先生! えっと、これはですね……」
翼はあからさまに動揺している。話に夢中になっていた翼は後ろに立つ森中先生に気が付いていなかったのだろう。
森中先生はいつも通りの微笑みを崩さないまま、翼に向かって言う。
「冗談を言うのは結構ですけど、職員室でしていい類いの話かどうかは考えてくださいね」
その笑みには何とも言い知れない凄みのようなものが感じられる。直接指導されているわけではない僕ですらそう感じるのだから、当人の翼は言わずもがなだろう。
「肝に銘じます!」
翼は大げさにも軍隊の敬礼のような姿勢をとる。
「では、その反省の意味も込めて、二人には今朝言っておいた資料整理の仕事をお願いしますね」
そもそも、僕が職員室に来ていた理由は、今朝がた、森中先生に呼び出されたからだ。そうでなければ、わざわざ職員室に来たりなどしない。
「はい、では頑張らせていただきます」
などと言って、翼はへらへらと笑う。
そんな彼の笑みを横目で見ながら考える。
こいつは本当は何も考えていないお気楽な人間ではないんだ。ふと、改めてそんなことを思う。
そういうところも僕らは正反対だ。