部室にて
文字数 1,255文字
「ねえ、ことりくんは何の本を読んでいるの?」
水城はそう言って、僕が持っていた文庫本をのぞき込んだ。
僕は彼女の言葉を無視して、ページをめくる。
「あー、無視するの? すごい感じ悪いよ、それ」
「………………」
僕はまたも彼女の言葉を聞き流し、ページをめくった。
ここは文芸部の部室。僕は学校で教室に居るとき以外はたいていこの場所で過ごしている。ここは旧校舎の端にあり、職員室からも他の教室からも遠い。ここに誰かがやってくることはほとんどない。
唯一の例外が水城だ。四月の入学以来、こいつは何かと僕に付きまとってくる。
「ねえ、ことりくん――」
「――その呼び方はやめろと言ったはずだ」
僕は彼女の言葉を遮り、口を開く。
そこでようやく僕はめくっていた文庫本から顔を上げる。
彼女の整った顔がすぐ目の前にあった。
僕は意図的に彼女から距離を取りながら話す。
「俺は『ことりくん』とやらではないから返事をしなかった。ただ、それだけの話だ」
「むう、お得意の屁理屈だ」
「これが屁理屈なもんかよ……」
人が拒絶しているあだ名を使い続けるような奴には言われたくないセリフだった。
「おまえがそんなバカみたいな呼び名で俺を呼んでいるせいで真似する奴らが現れている」
実際、彼女以外の女子生徒の中にも僕を「ことりくん」という珍妙なあだ名で呼ぶものが現れ始めている。その様子を見た森中先生もさすがに苦笑いをして彼女たちをたしなめていたが、そもそもの元凶であるこいつを抑えなければ意味はないだろう。
「ともかく、やめろ。話はそれからだ」
「で、結局、何の本読んでるの?」
「………………」
「ねーえ」
「……坂口安吾だよ」
結局、折れたのは僕の方だった。面倒になった僕は読んでいた本の作者を答える。
「えー、誰それ?」
「知らんのか……文豪だぞ」
「あー、夏目漱石的なやつね」
水城は軽い調子で笑って言う。
「雑然とした表現だな……夏目漱石しか文豪を知らんのか」
「知ってるよ。太宰なんとかとか」
こいつは坂口安吾が夏目漱石の作品を批判的に捉えていたなどと説明しても理解できないだろうなと考える。
「だいたいなんでおまえは文芸部に入ったんだ?」
文豪の本を読めとか、文学史を学べとか偉そうなことを言うつもりはまったくない。
だが、正直、この娘が文学に興味があるとは到底思えなかった。
すると、彼女は僕の問いに答えて言った。
「ことりくんが居たからだよ」
「………………」
「ことりくんが居たから、文芸部に入ったの」
僕は文庫本を閉じて、机の上に置く。
「……誤解を招くような言い回しはやめろ」
「誤解って?」
彼女はどこか得意げな顔で笑った。
「――もういい」
僕は立ち上がる。
僕は彼女のそんな笑顔がなぜだか気に入らなかった。
理由は不明瞭。
だが、ともかく気に入らない。
僕は部室を出て、ため息をつく。
彼女といると、ため息の隠し方が解らなくなる。そんなことを考えた。
水城はそう言って、僕が持っていた文庫本をのぞき込んだ。
僕は彼女の言葉を無視して、ページをめくる。
「あー、無視するの? すごい感じ悪いよ、それ」
「………………」
僕はまたも彼女の言葉を聞き流し、ページをめくった。
ここは文芸部の部室。僕は学校で教室に居るとき以外はたいていこの場所で過ごしている。ここは旧校舎の端にあり、職員室からも他の教室からも遠い。ここに誰かがやってくることはほとんどない。
唯一の例外が水城だ。四月の入学以来、こいつは何かと僕に付きまとってくる。
「ねえ、ことりくん――」
「――その呼び方はやめろと言ったはずだ」
僕は彼女の言葉を遮り、口を開く。
そこでようやく僕はめくっていた文庫本から顔を上げる。
彼女の整った顔がすぐ目の前にあった。
僕は意図的に彼女から距離を取りながら話す。
「俺は『ことりくん』とやらではないから返事をしなかった。ただ、それだけの話だ」
「むう、お得意の屁理屈だ」
「これが屁理屈なもんかよ……」
人が拒絶しているあだ名を使い続けるような奴には言われたくないセリフだった。
「おまえがそんなバカみたいな呼び名で俺を呼んでいるせいで真似する奴らが現れている」
実際、彼女以外の女子生徒の中にも僕を「ことりくん」という珍妙なあだ名で呼ぶものが現れ始めている。その様子を見た森中先生もさすがに苦笑いをして彼女たちをたしなめていたが、そもそもの元凶であるこいつを抑えなければ意味はないだろう。
「ともかく、やめろ。話はそれからだ」
「で、結局、何の本読んでるの?」
「………………」
「ねーえ」
「……坂口安吾だよ」
結局、折れたのは僕の方だった。面倒になった僕は読んでいた本の作者を答える。
「えー、誰それ?」
「知らんのか……文豪だぞ」
「あー、夏目漱石的なやつね」
水城は軽い調子で笑って言う。
「雑然とした表現だな……夏目漱石しか文豪を知らんのか」
「知ってるよ。太宰なんとかとか」
こいつは坂口安吾が夏目漱石の作品を批判的に捉えていたなどと説明しても理解できないだろうなと考える。
「だいたいなんでおまえは文芸部に入ったんだ?」
文豪の本を読めとか、文学史を学べとか偉そうなことを言うつもりはまったくない。
だが、正直、この娘が文学に興味があるとは到底思えなかった。
すると、彼女は僕の問いに答えて言った。
「ことりくんが居たからだよ」
「………………」
「ことりくんが居たから、文芸部に入ったの」
僕は文庫本を閉じて、机の上に置く。
「……誤解を招くような言い回しはやめろ」
「誤解って?」
彼女はどこか得意げな顔で笑った。
「――もういい」
僕は立ち上がる。
僕は彼女のそんな笑顔がなぜだか気に入らなかった。
理由は不明瞭。
だが、ともかく気に入らない。
僕は部室を出て、ため息をつく。
彼女といると、ため息の隠し方が解らなくなる。そんなことを考えた。