第19話 一帝二后
文字数 557文字
長宝元年(999年)11月7日、定子様が、帝の第一皇子をお産みになる。喜ばしいことだが、定子様は尼となった身。この皇子が後に帝位を継ぐことができるであろうか。
彰子様は、まだ幼く、お子はまだ先のことになるであろう。しかし、このままでは不都合だ。定子様は、表立って中宮としてのつとめが果たせない。わたくしは、帝に彰子様を中宮になさるようにとの親書を奉った。これも前例のないことであったが、道長の権勢も女院としてのわたくしの権威も強く、帝もお認めになり、長宝2年2月25日、彰子様は中宮となられる。
これで、晴れて道長は中宮の父となった。わたくしは、帝の母、国母であり、お二人の中宮は、姪で我が義理の娘である。故父君兼家も、故母時姫も、わたくしを誇りに思ってくださるであろう。
(しかし、道長の政権を支える故姉君の産まれた東宮様、故長兄の娘定子様は、そのまま政敵ともなりうる。何とも言えない状況であることだ。)
ところが、それから一年もたたない長宝2年12月、定子様は、3人目のお子をお産みになる際に、難産でお亡くなりになってしまう。三人のお子達は幼くして母のない子になってしまわれた。なんとおいたわしい。この時お生まれになった姫君はわたくしが引き取り、一宮は彰子様が引き取られ、女一宮は宮中で育てられることとなった。
彰子様は、まだ幼く、お子はまだ先のことになるであろう。しかし、このままでは不都合だ。定子様は、表立って中宮としてのつとめが果たせない。わたくしは、帝に彰子様を中宮になさるようにとの親書を奉った。これも前例のないことであったが、道長の権勢も女院としてのわたくしの権威も強く、帝もお認めになり、長宝2年2月25日、彰子様は中宮となられる。
これで、晴れて道長は中宮の父となった。わたくしは、帝の母、国母であり、お二人の中宮は、姪で我が義理の娘である。故父君兼家も、故母時姫も、わたくしを誇りに思ってくださるであろう。
(しかし、道長の政権を支える故姉君の産まれた東宮様、故長兄の娘定子様は、そのまま政敵ともなりうる。何とも言えない状況であることだ。)
ところが、それから一年もたたない長宝2年12月、定子様は、3人目のお子をお産みになる際に、難産でお亡くなりになってしまう。三人のお子達は幼くして母のない子になってしまわれた。なんとおいたわしい。この時お生まれになった姫君はわたくしが引き取り、一宮は彰子様が引き取られ、女一宮は宮中で育てられることとなった。