③
文字数 1,178文字
御者が馬車から飛び下り、ピクウィック卿を下ろした。すると、偉大なる会長の到着をハラハラしながら待ちわびていたタップマン卿、スノッドグラス卿、ウィンクル卿が、彼を迎えに駆け寄って来た。
「はい、運賃です」
ピクウィック卿は御者にシリング銀貨を手渡して言った。
だが驚いたことに、御者はその銀貨を歩道に投げ捨て、金の代わりに一発勝負させろと言わんばかりの素振りを示したではないか。
「狂ってる」と、スノッドグラス卿。
「あるいは酔ってる」と、ウィンクル卿。
「もしくはその両方」と、タップマン卿。
「来い!」御者はリズミカルに拳を突き出して肩慣らしをしながら言う「来いよ、テメエら」
「喧嘩だ」数名の貸馬車屋が叫び「サム、もっとやれ!」と歓声を上げて辺りを取り囲んだ。
「何の喧嘩だ、サム」
黒いキャラコの袖の男が尋ねる。
「喧嘩は喧嘩さ!」
御者は応えた。
「何のために俺の番号を書きとめたんだ」
「私は番号なんて書いてませんよお」
ピクウィック卿はオロオロしながら言う。
「何のために」
「書いてませんってば」
ピクウィック卿は憤然として言った。
「信じられるか?」御者は人垣に向かって続ける「スパイが馬車を乗り回して、番号を盗むだけじゃ飽き足らず、俺が話した言葉を一言一句その宝物に書き付けやがったんだ」(ノートのことか、とピクウィック卿はピンと来た)
「この旦那が?」
貸馬車屋が尋ねる。
「おうよ。それも俺が痺れを切らして攻撃するところを見計らって、証人を3人も用意してやがった。半年牢屋にブチ込まれても構わねえ、コイツに一発食らわせてやる。そら!」
そう言うと御者は帽子を地面に振り落として荷物も放置したまま走り出し、ピクウィック卿の眼鏡を叩き落とした。
それからまずは彼の鼻に一発。胸に二発目。三発目はスノッドグラス卿の目に。ヒラリと身を翻してタップマン卿の懐を襲い、一旦馬車道に躍り出たかと思うと歩道に戻る。最後はウィンクル卿に向かって走り寄り、一時的にではあるが彼の息の根を止めてしまった。この間、ほんの5、6秒だった。
「警察はどこでしょう」
スノッドグラス卿が言う。
「奴らをケチョンケチョンに叩きのめせ」
パイ売りがけしかけた。
「そんなことをしても良いことはありませんよ」
ピクウィック卿は息を切らしながら言う。
「スパイめ!」
観衆から野次が飛ぶ。
「来いよ」
御者が叫ぶ。彼は途切れることなく拳を突き出している。
それまで傍観者の立場を決め込んでいた群衆も、ピクウィック卿のスパイ疑惑が広がるにつれて、血気盛んなパイ売りの提案を実行することの正当性に感化されて色めき立ってきた。
新たな人物の予想外な出現が無ければ、彼らがどんな罪を犯していたか分かったものではない。
「何のお祭りかな」
緑色の上着を着た、随分と長身で細身の若者が、操車場の方から突然やって来たのだった。
「はい、運賃です」
ピクウィック卿は御者にシリング銀貨を手渡して言った。
だが驚いたことに、御者はその銀貨を歩道に投げ捨て、金の代わりに一発勝負させろと言わんばかりの素振りを示したではないか。
「狂ってる」と、スノッドグラス卿。
「あるいは酔ってる」と、ウィンクル卿。
「もしくはその両方」と、タップマン卿。
「来い!」御者はリズミカルに拳を突き出して肩慣らしをしながら言う「来いよ、テメエら」
「喧嘩だ」数名の貸馬車屋が叫び「サム、もっとやれ!」と歓声を上げて辺りを取り囲んだ。
「何の喧嘩だ、サム」
黒いキャラコの袖の男が尋ねる。
「喧嘩は喧嘩さ!」
御者は応えた。
「何のために俺の番号を書きとめたんだ」
「私は番号なんて書いてませんよお」
ピクウィック卿はオロオロしながら言う。
「何のために」
「書いてませんってば」
ピクウィック卿は憤然として言った。
「信じられるか?」御者は人垣に向かって続ける「スパイが馬車を乗り回して、番号を盗むだけじゃ飽き足らず、俺が話した言葉を一言一句その宝物に書き付けやがったんだ」(ノートのことか、とピクウィック卿はピンと来た)
「この旦那が?」
貸馬車屋が尋ねる。
「おうよ。それも俺が痺れを切らして攻撃するところを見計らって、証人を3人も用意してやがった。半年牢屋にブチ込まれても構わねえ、コイツに一発食らわせてやる。そら!」
そう言うと御者は帽子を地面に振り落として荷物も放置したまま走り出し、ピクウィック卿の眼鏡を叩き落とした。
それからまずは彼の鼻に一発。胸に二発目。三発目はスノッドグラス卿の目に。ヒラリと身を翻してタップマン卿の懐を襲い、一旦馬車道に躍り出たかと思うと歩道に戻る。最後はウィンクル卿に向かって走り寄り、一時的にではあるが彼の息の根を止めてしまった。この間、ほんの5、6秒だった。
「警察はどこでしょう」
スノッドグラス卿が言う。
「奴らをケチョンケチョンに叩きのめせ」
パイ売りがけしかけた。
「そんなことをしても良いことはありませんよ」
ピクウィック卿は息を切らしながら言う。
「スパイめ!」
観衆から野次が飛ぶ。
「来いよ」
御者が叫ぶ。彼は途切れることなく拳を突き出している。
それまで傍観者の立場を決め込んでいた群衆も、ピクウィック卿のスパイ疑惑が広がるにつれて、血気盛んなパイ売りの提案を実行することの正当性に感化されて色めき立ってきた。
新たな人物の予想外な出現が無ければ、彼らがどんな罪を犯していたか分かったものではない。
「何のお祭りかな」
緑色の上着を着た、随分と長身で細身の若者が、操車場の方から突然やって来たのだった。