平穏な日々

文字数 1,071文字

 ブローチをつけた私は、部屋の姿見の前に立った。
左の襟元にブローチが光る。
「やっぱり綺麗。お洒落な服だったら、もっと映えてたかもしれないのに……ごめんね、トンボさん」
『普段使いにもできるものを、と選んでくれたんだ。どんな服にも似合うだろう』
私は、一旦ブローチをはずし、少しのアクセサリーが入っているケースにいれた。
みづきさんは“くれる”つもりでいるけれど、私は“借りて”いることにした。
家族さんにでも婚約者さんにでも、返せる方法がみつかるまで。
 
 ふとみづきさんが口をひらいた。
『それにしても、

?』
「え?どういうことです?」
『わたしは事件後も、この世にとどまっている。いわゆる成仏できていないわけだ』
「あ、そういえば」
前にみづきさん言ってたもんね。
幽体で自由な身のはずなのに、山からはなぜか出られなかったって。
『それなら、きっと心残りを解消すれば成仏とやらができるかと思って、ダメもとでブローチを探してもらったんだ。最後に考えたのが、ブローチの行方だったから』
「そのブローチは見つかったのになぜ成仏できない、ということですか?」
『ああ』
「まだ、心残り?なことがあるんじゃないですか?ご家族のこととか、婚約者さんのこととか」
『心残りは心残りだが。それならば山から出られなかったことの理由がわからない』
「ほんとだ。なんでだろ?でも、別にいいんじゃないですか?成仏しなきゃいけないって決まりもないし」
『成仏できなければ、ずっとおまえの中にいることになるんだぞ?困らないのか?』
「困る……特に、困ることはないですよ。そりゃ最初はビックリしたけど。なんか慣れちゃいました」
 
 みづきさんは私の言葉に逆に困惑したようだった。
なにせ世間一般的にいう“得体のしれないなにか”が頭の中に同居しているのに、それが気にならないと言われるのだから。
「わたし、みづきさんとこうやって話してるの、楽しいですよ。なんだかお姉ちゃんができたみたいだし」
『しかし』
「それに、みづきさんは私の命の恩人でもあるんだし。恩返ししなくちゃ」
私の言葉に、みづきさんは不承不承ながら納得してくれたらしい。
“成仏云々”のことは言わなくなった。
私は改めてバイトを探し、みづきさんの助けを借りながら仕事をこなしていった。
みづきさんのアドバイスは的確でわかりやすく、すごく助けられた。
バイトが休みの日には、みづきさんが行ってみたがるところに行った。
“変わっていない”と懐かしがる場所だったり、“ここは以前は”と昔の話をしてくれたり、楽しくて平穏な日々が過ぎていった。
 



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