#10

文字数 1,722文字

タッタッ
 必死に走る。足を動かす。立ち止まってはいけない。
ハッハッ
 前を向いて走る。走らなければ捕まってしまう。
 僕の横で共に息を荒げて逃げているのは、茶がかった金髪をたなびかせる少女。
 後ろからは追っ手が迫ってきている。何度も何度も角を曲がり、彼らを巻こうとする。
 しかし、大人の足はそう簡単に振り切れるものではない。どんどん速度は落ち、彼らとの距離が縮まっていく。
 僕も彼女も限界が近づいていた。
 何個目かわからない角を曲がり、僕はしまったと心の中で叫んだ。
 そこは行き止まりだった。奥には薄暗くて汚く、冷たい水が流れる水路だけ。右にも左にも道はない。水路に飛び込んでも助かるかはわからない。それに大人の足なら水路に飛び込んだ僕たちを捕まえるのは容易だろう。
 僕は立ち止まって後ろを振り向く。そこには手持ちサイズののナイフをそれぞれ右手に構えた体格のいい男が二人立っている。
 どうしよう。どうすればいいだろう。
 追い詰められて思考がまとまらない。
 とりあえず、後ろにいる少女だけでも守らなければと考えるものの、いいアイデアは思いつかない。
 万事休す。
 諦めて投降しようとしたところで、前に立ちはだかっている追跡者たちが目を見開いて固まっていることに気づいた。
 何が起きたかわからず呆然としていると少女が僕の手を引き、水路に飛び込んだ。
 水路を彼女についていくために前を見る。
 そして僕は追跡者を固まらせたものの正体を知った。
 それは彼女の羽だった。彼女の羽は見たことがないほど黒かったのだ。
 おそらく僕の後ろで羽織っていたボロボロのマント代わりの布を取ったのだろう。
 よほど驚いたのか追跡者たちが追ってくる気配はなかった。
 でもそんなことに安心している暇はない。水路を流れる水はとても冷たいのだ。しかも水位は僕の腰ほどもあり、悪臭を放っている。一刻も早く抜け出さなくては体温を奪われて死んでしまう。
 そう無我夢中で黙々と進んでいくうち、トンネルに入り先の方に出口が見えた。
 トンネルを出たところですぐに陸に上がる。いっときも長く水路にいたくはなかった。
 追跡者は未だ追いかけて来る気配がない。
 水路にはいくつもの分岐があった。おそらく追跡者たちにこの位置がバレることはないだろう。
 しかし、困ったことがあった。
 ここがどこか全くわからないのだ。
 とりあえず貧民街の一角ではあるはずだ。さっきの場所と同じで建物はボロく、あたりは薄暗い。でも貧民街はとても広いのだ。ここがどこかわからなければ住んでいる場所に帰れない。
 そうはいっているが僕は実際のところあまり困っていなかった。
 そもそも住んでいる場所は仮初の住居であり特に思い入れはない。せっかく見つけた場所なので放棄するのは勿体無い気がするがそれだけだ。
 僕には帰る場所も帰りたい場所もない。
 それでもどうしようかと迷っていた。一応、土地勘のある安全な(結構はてなマークはつくが)場所なので。離れるのは惜しいのだ。
 でもそんなことの前に、彼女に礼を述べなければならない。僕をあの窮地から助けてくれたのは彼女なのだから。
 それに比べたら僕の今の悩みなど、ほぼどうでも良い。

「ありがとう。助けてくれて」

 ぼくの言葉に返ってきたのは見た目にそぐわないほど明るい声と笑顔だった。

「困った時はお互い様だよ」

 そう言ってきみは静かに笑った。

「でも、お互い様って言われたら迷惑だよね。ごめん」

 そう申し訳なさそうにするきみはとても寂しそうな顔をしている。
 僕も黒い羽が不幸を呼ぶと言うことは聞いていたので少し困惑していた。

「やっぱり私は不幸を呼ぶと考えるんでしょう」

 彼女は消え入りそうな声でそう呟いた。
 僕に聞かせるつもりはなかったのだろうが、耳に届いてしまった。

「そんなことない」

「黒い羽を持っていても君は君だ。羽の色だけで君自身が決めつけられることなんてない」

 咄嗟に出た言葉だった。まるで聖人が放つような、完璧で、しかし意味のない答え。
 彼女の寂しそうな表情につられたのかもしれない。恩を返さなければと思ったのかもしれない。
 でもその言葉に彼女は驚いていた。僕の出した意味を持たないただの振動に。
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