#14

文字数 1,666文字

 ああ、もう何度聞いただろう。あの日から彼女は毎日のようにに消えたいと呟くようになっていた。
 でも僕は何も返さなかった。適当な言葉が見つからなかったのだ。
 橋の下に帰り、彼女が口を開いて出てくる始めの言葉はいつも「消えたい」だった。
 食料を集める過程で多くの人の悪意にさらされたのだろう。
 以前は少し恥ずかしそうに言っていたのを、平気で「消えたい」と口にするようになっていた。
 彼女は危うかった。今にも壊れてしまいそうなくらいに。
 でも僕は彼女の言葉に返事を返せなかった。傷つけてしまうのが怖くて、それの引き金になるのが怖くて。
 ただ悔しさだけが虚しく募った。
 僕は心配になって彼女と一緒に食料を探しにいくことにした。別れた方が効率は良かったが彼女の方が大切だ。
 彼女についていくと、少しは安心したのか表情が柔らかくなっていった。
 僕に微笑みかけてくれることが増えた。その笑顔を見て僕は随分と安心したのだ。


 そんな矢先、それは起こった。その出来事は彼女の消えぬ傷となる。

 その日も僕はアスセナとともに食料を探して貧民街を歩き回っていた。
コン
 なんだと思って横を振り向くとアスセナが手を頭に当てて固まっている。その横には小さく丸い石が転がっていた。
コン コン
 続いて二発。僕にも当たった。振り向くと十歳くらいの子供が五人、それぞれ手に石を握っている。
コン コン
コン コン コン

「待てぇ」

「不幸を呼ぶ黒い羽を持つ悪魔が」

「僕たちを不幸にした魔女め」

 どこからアスセナの羽が黒いことを知ったのかはわからない。だが、多くの人が彼女を嫌って攻撃しているのは明らかだった。
 すぐにここから逃げようとアスセナの手を引っ張るが、そんな僕と彼女に容赦なく石が浴びせかかる。
 命中率は低かったが当たらなかった石ころも子供達のことばと共に僕の心に穴を開ける。
 ふと上に目を向けた。
 そこには深緑の羽があった。ゼレナー・ニウがいた。
 恨めしそうな表情でこちらをねめつけている。以前はあんなにやさしかったのに。すっかり変わってしまっていた。
 ただそんな彼女を見つけただけでは何にもならない。すぐに目線を下ろしてアスセナの手を引っ張る。しかし彼女は動けない。座り込んだまま顔を手で覆っていた。
 その間にも容赦なく石は降りかかる。
 仕方なく僕は彼女を抱えて路地を後にした。
 少年たちは追っては来なかった。
 橋の下には向かえない。もし追っ手がいたら、大切な拠点を知られてしまう。僕はとにかく人に見つからない場所を探してたどり着いた暗い路地で寝ることにした。
 抱っこしていたアスセナを降ろすと彼女は僕にしがみつき、泣いた。

「消えたい」

 彼女は何度も涙声でそう言う。
 今日の事件は彼女の心にあった誰にも言うことができなかった気持ちを溜め込んでいた扉を壊したのだ。
 彼女の悲しみは限界まで溜められていたのだろう。その扉は最も簡単に壊れ彼女の涙は止まらなくなった。
 それはいいことだったのか。
 そんなわけはない。
 いくら口に出すとすっきりするからといって、誰かに聞いてもらえることが救いになる方と言って、その原因が悲しいことではいけないのだ。
 彼女の言葉は僕が引き出すべきものだった。決して強引に扉を壊されて放出されるべきものじゃない。そうすればダムの崩壊のように周囲に甚大な被害をもたらしてしまう。
 今の、彼女のようになる。

「消えたい。消えたい。きえたい。きえたいきえたいきえたいきえたイ…」

 涙を流しながら声をからして彼女はそう言い続ける。叫び続ける。
 彼女の叫びは暗く青い空に充満する。
 そんなアセスナの叫びに僕は耐えられなかった。
 ゼレナーに対する憎悪の気持ちが湧き上がってくる。でも、それよりもどうしようもない自分の無力さに腹が立った。

「違うよ。消えるべきは君なんかじゃないっ。その漆黒の羽の方だろ」

 咄嗟にそう言った僕はどんな顔をしていたのだろう。
 彼女はいつも通りの泣き出しそうな顔をしていた。なんの変わりもなかった。

 その日、僕は夢を見た。僕の両親の夢だ。
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