第22話 落葉

文字数 5,414文字

紅葉で染まる山の秋。文子は冬支度のため食料の貯蔵。源之丞は大きな猪を捕獲しようと諦めずに罠を仕掛けていた。

「今日こそ罠に入っておればいいのだが」
「きっと入っていますよ。そんなに頑張っているんですもの、はい。これお昼のおにぎりです」

昼飯用のお握り。狐面の源之丞、すっと手を出した。文子はその手に乗せた。

「中身はね、こっちが『しそ味噌』で。そっちは」
「申すな!楽しみなのだ!」

彼は奪うように受け取ると懐に大事にしまった。

「では。参る」
「はい!お気をつけて」

彼を見送った文子。仕事がたくさんあった。何せ今年の冬は二人分の支度が必要。雪が降ると言われさらに支度に追われていた。しかし、それは楽しい仕事だった。

……ここにおいてもらえるだけで。それでいいわ。

居候のままで良い。純粋無垢な源之丞のそばにいたい。文子はただそう思っていた。

この日。今年最後の勝手市の品を作っていた文子。そこに伝助がやってきた。

「姉さん。あのね」
「どうしたの」
「知らない男にね、姉さんのことを聞かれたんだ」

村に住む伝助。勝手市場の文子の商品が欲しいと見知らぬ男に聞かれたと話した。

「姉さんの薬草茶が欲しいから。どこに行けば買えるだってその人言ってた」
「まあ、勝手市場かこの神社の七日の無人販売になるわね」

そんなに欲しければ分ける気持ちの文子。しかし伝助は真顔を向けた。

「……俺もそう教えようと思ったんだけど。その人さ。姉さんのイチジクを見せてくれたけど。すごく薬の匂いがしたんだ……」

伝助は石を拾い、遠くへ投げた。

「それに。女だか男だかわからない顔だったんだ。俺、怖くてさ。今度の勝手市場まで待ってくれって言ったよ」
「薬の匂い……そう。怖い思いをさせてしまったわね」

先日の勝手市場の妨害をしてきた男たち。文子はそれを思い出し伝助を抱きしめた。

「ごめんね。その返事でいいわよ」
「そう?」
「ええ。今度、怖い思いをしたら逃げていいわよ」

ようやく安心した顔の伝助。元気よく家に帰っていった。
胸騒ぎがした文子。次回の勝手市場は取りやめてもいいかと考えていた。

その夜。源之丞はたくさんの薪を作り帰ってきた。しかし、その手に猪はなく、彼は苛立っていた。

文子は風呂を進めてから夕食にした。囲炉裏の鍋、おかゆに大きな栗が入っていた。源之丞。狐面を外してむしゃむしゃ食べていた。

「どうしてだ?なぜ罠に入らぬのだ」
「文子は仕掛けを知りませんが。餌など置くのですか?」
「俺の仕掛けは、獣道に置くものじゃ」

今まではそれでうまく行っていたが、今回の猪は手強い。そこで源之丞は文子の提案で餌を使うことにした。

「餌か……何が良いか」
「今は秋ですよね。美味しいものがたくさんあるから。猪は普通の餌では見向きもしませんよね」
「まあな。あいつらはご馳走好きなのじゃ」」
「……源様。それは文子に作らせてください」
「お前が?っというか。お代わり!」

元気な源之丞。少しは役に立ちたい文子。この夜、猪の餌をじっくり考えて作った。

翌朝。二人は一緒に猪の罠までやってきた。

「ここじゃ。気をつけよ」
「罠を草で隠してあるのね……源様。これです!」
(すもも)ではないか?良いのか」

うんと文子はうなづいた。

「それは。お酒にしようとして漬けておいて、残った実の部分なの。匂いがすごいでしょう?」
「ああ……甘い匂いがする。これは効きそうじゃ!」

すでに虫が寄ってくる甘い香り。二人は楽しみに仕掛けにこれを置き、現場を離れた。

この日は仲良く森の中。クリを拾い、キノコを取った。

「あった!これも松茸」
「お前、本当に初めてか?」
「はい……あ?源様、足の先。そこ。もっと右にありますよ」
「ここ?……おお?本当だ」

思わぬ文子の才能。源之丞は笑顔で一緒に山で過ごした。一緒におにぎりを食べ、落ち葉に寝転んだ。

「源様。冬は何をしているんですか」
「寒いから寝ておる……まあ、冬眠じゃな」
「冬眠?」

しかし。文子はそんなことをしていられない。何かすることを考えなくては退屈してしまう。

……何か仕事を考えないと。着物でも縫おうかな。

すると源之丞。ガバと起き上がった。

「匂う」
「何がですか」

さっと面を外した源之丞。険しい顔をした。

「……今までにない匂いじゃ……こっちか」
「待ってください」

急足の源之丞。文子は必死についていった。そこは猪の罠の場所だった。

「源様……きゃ?血だわ」
「見ろ。仕掛けが壊されておる」

獲物はなく血だけ。しかも仕掛けが壊されていた。

「これは獣ではない。人だ」
「人?こんな山奥に?」
「……匂う……臭い。薬の匂いだ」
「薬の、匂い……あ」

文子の頭には伝助の言葉が思い出された。源之丞は文子を見た。

「いかがした?何か知っておるのか」
「怪しい男が、私を探しているようで」
「男。それが薬の匂いか」

罠の跡の血。おそらく足を負傷しているのは文子にも明らかであった。

「しかし。こんな獣道を通るのはなぜだ?お前に用事があるなら、境内に来れば良いものを」
「そう、ですね」

文子への妨害の男達の可能性。文子は心配するので源之丞には話してなかった。しかし、この状況。話す必要があった。

「まずは帰るぞ。日が暮れる」
「はい」

……帰ったから話そう。源様には正直に話そう。

秋の日は鶴瓶落とし。楽しい時間はあっという間に過ぎた。二人は母家に帰ってきた。

「ああ。疲れたぞ。腹が減った」
「朝の雑炊にキノコを足しましょうね」
「ああ」

囲炉裏そばで寝転んだ源之丞。これを見届けた文子。台所にやってきた。

……ん?何か違和感がある……

何がどうとは言えない。しかし、何かが変わっていた。文子はそっと作りかけの栗の砂糖漬けの鍋を開けた。様子に異変はない。胸をドキドキさせながら、水回りを確認した。その違和感を見つけた。

台所は土間。土のままで文子は草履で動いている。ここの土間、いつもよりも綺麗なのである。何かを拭き取った形跡を発見した。

……ここだけ土が白い。源様はこんなことしない。清吉さんが何かをこぼして、拭き取ったのかな。いや?そんなことはしない……

この時。囲炉裏の部屋から叫び声がした。

「ぎゃああああ!こいつ!この」
「源様!?」

文子が慌てて入ると、そこには大暴れしている源之丞がいた。手には何かを掴んでいた。文子は悲鳴を上げた。

「きゃあああ?源様!」
「離れておれ!この」

やがて。それは源之丞が火搔きで叩き、逃げていった。

「ううう」
「……これは、蛇?ど、どうしてこんなところに」
「噛まれた、足。腕も」
「源様!」

咄嗟にサラシの布で箇所を縛った文子。その足を心臓よりも高くした。毒が回らないように、必死に動いていた。

「へ、平気じゃ」
「でも。でも」
「ごめん下さい」

二人が動揺している時、外から怪しい声がした。


つづく

「ごめん下さい。薬草茶が欲しいのですが」

男の声。こんな緊急事態。文子は断ろうと玄関に出た。


「すいません。今はありません。お引き取りを!」
「おやおやこれは」

黒いスーツの男。そっと帽子を取った。綺麗な顔。男か女か。わからぬ顔だった。

「二階堂のお嬢様ではありませんか」

嬉しそうな男。文子は知らない顔。ゾッとした。

「違います。とにかくお帰りください」
「……これはヤマカガシという毒蛇です」

男はバサと蛇を文子の足元に投げ捨てた。三匹だった。

「猛毒で。しかも三匹分です。今は平気ですが。早く血清を打たねば死んでしまいますよ」
「あ、あなたは誰なんですか」

男はニヤリと微笑み、名刺を出した。

「製薬会社の者です。あなたの勝手市場の商品が気に入りましてね。取引をしたいんです」
「取引」

背後では苦しむ源之丞の声。文子は背中に汗をかいていた。

「そうです。あなたは薬草の知識がある。そこでこの森で大麻を作ってくれませんか」
「そ、そんなこと、できるはずありません!」

すると。男は黒いカバンから小瓶を取り出した。耳の横でこれをかざした。

「ここに。毒蛇の血清があります。私と契約してくださるなら、これをお渡ししましょう」
「血清」

ヤマカガシは一番の猛毒。しかも三匹なら血清を打たねば源之丞とて命が危ない。文子は目の前が真っ暗になった。

「どうして。こんなひどいことをするんですか?」
「……私も交渉に来たんですが。ちょっと許せないことがありまして」

彼はズボンとスッとあげた。そこは包帯が巻かれていた。

「まさか?あなたがあの罠に?」
「村の小僧を後をつけて。森に潜んでいたんですが。甘い匂いに誘われましてね」

猪の罠で怪我をした男。ここで恐ろしい顔になった。

「おい!なんてことをしてくれたんだ!?ええ?死にたいのか。俺の足に傷をつけやがって!」

文子の着物を掴んだ男。打たれると思った瞬間。相手の男が倒れされた。

「源様?」
「はあ、はあ。俺の娘御に触れるな……」
「へえ?まだ動けるんですね」

口の血を拭う男。ゆっくりと立ち上がった。息も絶え絶えの源之丞。男に叫んだ。

「帰れ。立ち去れ」
「源様!薬がないと」
「……ふふふ。はっは」

倒れた男。立ち上がった。

「今ので、ほら。割れてしまった」
「そんな……」
「お前のような者の……薬など、要らぬ……この悪魔め。立ち去れ!去れ」

文子に肩を持たれる源之丞。立っているのがやっと。体も熱くなってきた。
男は体の泥を払い、スッと帽子を被った。

「非常に残念です。では、お嬢様。お達者で」

男はそう言って去っていった。


「うう」
「源様!?家に入りましょう」

泣くのは後。文子はまず彼を寝かせた。そして噛まれた箇所を確認した。足が二箇所。腕が一箇所だった。

熱で唸る額の汗。震える体は悪寒の証拠。額など冷やしても無意味。体に毒が回っている。

「だ、だいじょうぶだ……そんな顔するな」
「源様」

そんなはずはない。ひどい頭痛がするはずなのは医者の娘の文子は知っていた。


……血清を早く打たねば……死んでしまうわ。

明日など待てない文子。夜の神社を提灯を片手に飛び出した。途中にあの男にある危険も忘れた文子。夜の清吉の家にやってきた。そして事情を説明した。

「では。源様を二階堂病院に運ぶのですか」
「はい。二階堂には毒蛇の血清が揃っています。二階堂にしかないんです!」

この時、寝巻き姿のトメが口を開いた。

「ですが。そんなことをしたら。文子さんは、家に帰らんとならんぞ」
「今はそんなことを言っていられません!源様の命を助けないと」

文子の切迫した状況。とにかく清吉は文子と一緒に夜の神社に来てくれた。
そこで大汗で苦しむ源之丞を見た。清吉も二階堂に行くことを承知した。

真夜中の神社の階段は危険。二人は夜明け前に静かに源之丞を担ぎ下ろした。

神社の下に来ると、トメが村の者に頼み、古い人力車があった。これに源之丞を乗せた村人。今度は川にやってきた。

「文子さん。二階堂病院なら船が早い。さあ、足元に気をつけてくだされ」
「私は大丈夫です。源様を落とさないように」

すでに意識朦朧の源之丞。彼を乗せた小型舟。船頭はいつも町まで荷物を運んでいるベテラン。村人が心配そうに手を降る朝靄の中、大森村から三人は町へ向かった。


渋滞のない川。遠回りであるが、文子が驚くほど二階堂病院のそばに降り立った。そこからはタクシーを使い、文子は実家に帰ってきた。

「お父様!文子です」

病院の受付。これ無視して文子は父がいる医局にやってきた。この日は外科の診察が少なかった毅。部屋に入ってきた娘に驚いた。

「お前……今までどこに行っておったのだ」
「今はそんなことを言っていられないの!お願い、源様を助けて」

涙目の汚れた娘。腕を引く待合室には重篤な男が床に寝ていた。

「文子。これはどうした」
「毒蛇よ。ヤマガラシって言っていたわ。蛇はそこよ」

清吉がカゴに入れていた蛇の亡骸。毅は確かにヤマガラシと認めた。

「話は向こうで聞く。おい、急患だ。部屋に運べ」

外科医の顔に戻った毅。源之丞を担架に乗せ治療室へと運んでいった。文子は説明しようと付き添っていった。

毅の適切な治療にて。源之丞の命は救われた。



◇◇◇

源之丞の病室には清吉が一緒に入り、横で寝ていた。その間、文子は父親と今までの話をしていた。

祖母の話で家出をしたこと。祖母の手紙の大森神社を頼ったこと。その神社で優しくしてもらっていたと打ち明けた。

家にいた時の文子。色白でどこか病弱であった。しかし、今は薄汚れているが、健康的で体も強くなっていた。話を聴きながら彼はそんなことを思っていた。

「話はわかった。しかしだね。金のことだ。あれは母さんが病院の金を使い込んでいたと聞いている」
「お婆様が?信じられません」
「そうか?お前は知っていて、持ち逃げしたのではないか」

疑心暗鬼の毅。娘をじっと見た。文子は悲しい涙を流した。

「……お父様は。私をそんな風に思っていたんですか」

ハラハラ流す涙。これを信じたい毅。しかし照代の言葉が頭を回っていた。

「とにかく。お前は逃げたんだ。そう思われても仕方がないだろう」

文子。着物の胸から祖母から預かった通帳と印鑑を取り出し、父に渡した。

「私には不要です。お父様にお返しします」
「……そもそもお前のものではない。私が相続するものだ」
「はい」

文子は床に座り、父に土下座をした。

「申し訳ありませんでした……どうか、源様には、何も言わず村に帰してあげてください」
「もちろんだ。だがお前はここでしばらく謹慎だ」
「はい……お父様。文子はもう、それでいいです」

顔をあげた娘。悲しい涙。毅はその顔を見れずにいた。


「落葉」完






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