第22話 落葉
文字数 5,414文字
紅葉で染まる山の秋。文子は冬支度のため食料の貯蔵。源之丞は大きな猪を捕獲しようと諦めずに罠を仕掛けていた。
「今日こそ罠に入っておればいいのだが」
「きっと入っていますよ。そんなに頑張っているんですもの、はい。これお昼のおにぎりです」
昼飯用のお握り。狐面の源之丞、すっと手を出した。文子はその手に乗せた。
「中身はね、こっちが『しそ味噌』で。そっちは」
「申すな!楽しみなのだ!」
彼は奪うように受け取ると懐に大事にしまった。
「では。参る」
「はい!お気をつけて」
彼を見送った文子。仕事がたくさんあった。何せ今年の冬は二人分の支度が必要。雪が降ると言われさらに支度に追われていた。しかし、それは楽しい仕事だった。
……ここにおいてもらえるだけで。それでいいわ。
居候のままで良い。純粋無垢な源之丞のそばにいたい。文子はただそう思っていた。
この日。今年最後の勝手市の品を作っていた文子。そこに伝助がやってきた。
「姉さん。あのね」
「どうしたの」
「知らない男にね、姉さんのことを聞かれたんだ」
村に住む伝助。勝手市場の文子の商品が欲しいと見知らぬ男に聞かれたと話した。
「姉さんの薬草茶が欲しいから。どこに行けば買えるだってその人言ってた」
「まあ、勝手市場かこの神社の七日の無人販売になるわね」
そんなに欲しければ分ける気持ちの文子。しかし伝助は真顔を向けた。
「……俺もそう教えようと思ったんだけど。その人さ。姉さんのイチジクを見せてくれたけど。すごく薬の匂いがしたんだ……」
伝助は石を拾い、遠くへ投げた。
「それに。女だか男だかわからない顔だったんだ。俺、怖くてさ。今度の勝手市場まで待ってくれって言ったよ」
「薬の匂い……そう。怖い思いをさせてしまったわね」
先日の勝手市場の妨害をしてきた男たち。文子はそれを思い出し伝助を抱きしめた。
「ごめんね。その返事でいいわよ」
「そう?」
「ええ。今度、怖い思いをしたら逃げていいわよ」
ようやく安心した顔の伝助。元気よく家に帰っていった。
胸騒ぎがした文子。次回の勝手市場は取りやめてもいいかと考えていた。
その夜。源之丞はたくさんの薪を作り帰ってきた。しかし、その手に猪はなく、彼は苛立っていた。
文子は風呂を進めてから夕食にした。囲炉裏の鍋、おかゆに大きな栗が入っていた。源之丞。狐面を外してむしゃむしゃ食べていた。
「どうしてだ?なぜ罠に入らぬのだ」
「文子は仕掛けを知りませんが。餌など置くのですか?」
「俺の仕掛けは、獣道に置くものじゃ」
今まではそれでうまく行っていたが、今回の猪は手強い。そこで源之丞は文子の提案で餌を使うことにした。
「餌か……何が良いか」
「今は秋ですよね。美味しいものがたくさんあるから。猪は普通の餌では見向きもしませんよね」
「まあな。あいつらはご馳走好きなのじゃ」」
「……源様。それは文子に作らせてください」
「お前が?っというか。お代わり!」
元気な源之丞。少しは役に立ちたい文子。この夜、猪の餌をじっくり考えて作った。
翌朝。二人は一緒に猪の罠までやってきた。
「ここじゃ。気をつけよ」
「罠を草で隠してあるのね……源様。これです!」
「李 ではないか?良いのか」
うんと文子はうなづいた。
「それは。お酒にしようとして漬けておいて、残った実の部分なの。匂いがすごいでしょう?」
「ああ……甘い匂いがする。これは効きそうじゃ!」
すでに虫が寄ってくる甘い香り。二人は楽しみに仕掛けにこれを置き、現場を離れた。
この日は仲良く森の中。クリを拾い、キノコを取った。
「あった!これも松茸」
「お前、本当に初めてか?」
「はい……あ?源様、足の先。そこ。もっと右にありますよ」
「ここ?……おお?本当だ」
思わぬ文子の才能。源之丞は笑顔で一緒に山で過ごした。一緒におにぎりを食べ、落ち葉に寝転んだ。
「源様。冬は何をしているんですか」
「寒いから寝ておる……まあ、冬眠じゃな」
「冬眠?」
しかし。文子はそんなことをしていられない。何かすることを考えなくては退屈してしまう。
……何か仕事を考えないと。着物でも縫おうかな。
すると源之丞。ガバと起き上がった。
「匂う」
「何がですか」
さっと面を外した源之丞。険しい顔をした。
「……今までにない匂いじゃ……こっちか」
「待ってください」
急足の源之丞。文子は必死についていった。そこは猪の罠の場所だった。
「源様……きゃ?血だわ」
「見ろ。仕掛けが壊されておる」
獲物はなく血だけ。しかも仕掛けが壊されていた。
「これは獣ではない。人だ」
「人?こんな山奥に?」
「……匂う……臭い。薬の匂いだ」
「薬の、匂い……あ」
文子の頭には伝助の言葉が思い出された。源之丞は文子を見た。
「いかがした?何か知っておるのか」
「怪しい男が、私を探しているようで」
「男。それが薬の匂いか」
罠の跡の血。おそらく足を負傷しているのは文子にも明らかであった。
「しかし。こんな獣道を通るのはなぜだ?お前に用事があるなら、境内に来れば良いものを」
「そう、ですね」
文子への妨害の男達の可能性。文子は心配するので源之丞には話してなかった。しかし、この状況。話す必要があった。
「まずは帰るぞ。日が暮れる」
「はい」
……帰ったから話そう。源様には正直に話そう。
秋の日は鶴瓶落とし。楽しい時間はあっという間に過ぎた。二人は母家に帰ってきた。
「ああ。疲れたぞ。腹が減った」
「朝の雑炊にキノコを足しましょうね」
「ああ」
囲炉裏そばで寝転んだ源之丞。これを見届けた文子。台所にやってきた。
……ん?何か違和感がある……
何がどうとは言えない。しかし、何かが変わっていた。文子はそっと作りかけの栗の砂糖漬けの鍋を開けた。様子に異変はない。胸をドキドキさせながら、水回りを確認した。その違和感を見つけた。
台所は土間。土のままで文子は草履で動いている。ここの土間、いつもよりも綺麗なのである。何かを拭き取った形跡を発見した。
……ここだけ土が白い。源様はこんなことしない。清吉さんが何かをこぼして、拭き取ったのかな。いや?そんなことはしない……
この時。囲炉裏の部屋から叫び声がした。
「ぎゃああああ!こいつ!この」
「源様!?」
文子が慌てて入ると、そこには大暴れしている源之丞がいた。手には何かを掴んでいた。文子は悲鳴を上げた。
「きゃあああ?源様!」
「離れておれ!この」
やがて。それは源之丞が火搔きで叩き、逃げていった。
「ううう」
「……これは、蛇?ど、どうしてこんなところに」
「噛まれた、足。腕も」
「源様!」
咄嗟にサラシの布で箇所を縛った文子。その足を心臓よりも高くした。毒が回らないように、必死に動いていた。
「へ、平気じゃ」
「でも。でも」
「ごめん下さい」
二人が動揺している時、外から怪しい声がした。
つづく
「ごめん下さい。薬草茶が欲しいのですが」
男の声。こんな緊急事態。文子は断ろうと玄関に出た。
「すいません。今はありません。お引き取りを!」
「おやおやこれは」
黒いスーツの男。そっと帽子を取った。綺麗な顔。男か女か。わからぬ顔だった。
「二階堂のお嬢様ではありませんか」
嬉しそうな男。文子は知らない顔。ゾッとした。
「違います。とにかくお帰りください」
「……これはヤマカガシという毒蛇です」
男はバサと蛇を文子の足元に投げ捨てた。三匹だった。
「猛毒で。しかも三匹分です。今は平気ですが。早く血清を打たねば死んでしまいますよ」
「あ、あなたは誰なんですか」
男はニヤリと微笑み、名刺を出した。
「製薬会社の者です。あなたの勝手市場の商品が気に入りましてね。取引をしたいんです」
「取引」
背後では苦しむ源之丞の声。文子は背中に汗をかいていた。
「そうです。あなたは薬草の知識がある。そこでこの森で大麻を作ってくれませんか」
「そ、そんなこと、できるはずありません!」
すると。男は黒いカバンから小瓶を取り出した。耳の横でこれをかざした。
「ここに。毒蛇の血清があります。私と契約してくださるなら、これをお渡ししましょう」
「血清」
ヤマカガシは一番の猛毒。しかも三匹なら血清を打たねば源之丞とて命が危ない。文子は目の前が真っ暗になった。
「どうして。こんなひどいことをするんですか?」
「……私も交渉に来たんですが。ちょっと許せないことがありまして」
彼はズボンとスッとあげた。そこは包帯が巻かれていた。
「まさか?あなたがあの罠に?」
「村の小僧を後をつけて。森に潜んでいたんですが。甘い匂いに誘われましてね」
猪の罠で怪我をした男。ここで恐ろしい顔になった。
「おい!なんてことをしてくれたんだ!?ええ?死にたいのか。俺の足に傷をつけやがって!」
文子の着物を掴んだ男。打たれると思った瞬間。相手の男が倒れされた。
「源様?」
「はあ、はあ。俺の娘御に触れるな……」
「へえ?まだ動けるんですね」
口の血を拭う男。ゆっくりと立ち上がった。息も絶え絶えの源之丞。男に叫んだ。
「帰れ。立ち去れ」
「源様!薬がないと」
「……ふふふ。はっは」
倒れた男。立ち上がった。
「今ので、ほら。割れてしまった」
「そんな……」
「お前のような者の……薬など、要らぬ……この悪魔め。立ち去れ!去れ」
文子に肩を持たれる源之丞。立っているのがやっと。体も熱くなってきた。
男は体の泥を払い、スッと帽子を被った。
「非常に残念です。では、お嬢様。お達者で」
男はそう言って去っていった。
「うう」
「源様!?家に入りましょう」
泣くのは後。文子はまず彼を寝かせた。そして噛まれた箇所を確認した。足が二箇所。腕が一箇所だった。
熱で唸る額の汗。震える体は悪寒の証拠。額など冷やしても無意味。体に毒が回っている。
「だ、だいじょうぶだ……そんな顔するな」
「源様」
そんなはずはない。ひどい頭痛がするはずなのは医者の娘の文子は知っていた。
……血清を早く打たねば……死んでしまうわ。
明日など待てない文子。夜の神社を提灯を片手に飛び出した。途中にあの男にある危険も忘れた文子。夜の清吉の家にやってきた。そして事情を説明した。
「では。源様を二階堂病院に運ぶのですか」
「はい。二階堂には毒蛇の血清が揃っています。二階堂にしかないんです!」
この時、寝巻き姿のトメが口を開いた。
「ですが。そんなことをしたら。文子さんは、家に帰らんとならんぞ」
「今はそんなことを言っていられません!源様の命を助けないと」
文子の切迫した状況。とにかく清吉は文子と一緒に夜の神社に来てくれた。
そこで大汗で苦しむ源之丞を見た。清吉も二階堂に行くことを承知した。
真夜中の神社の階段は危険。二人は夜明け前に静かに源之丞を担ぎ下ろした。
神社の下に来ると、トメが村の者に頼み、古い人力車があった。これに源之丞を乗せた村人。今度は川にやってきた。
「文子さん。二階堂病院なら船が早い。さあ、足元に気をつけてくだされ」
「私は大丈夫です。源様を落とさないように」
すでに意識朦朧の源之丞。彼を乗せた小型舟。船頭はいつも町まで荷物を運んでいるベテラン。村人が心配そうに手を降る朝靄の中、大森村から三人は町へ向かった。
渋滞のない川。遠回りであるが、文子が驚くほど二階堂病院のそばに降り立った。そこからはタクシーを使い、文子は実家に帰ってきた。
「お父様!文子です」
病院の受付。これ無視して文子は父がいる医局にやってきた。この日は外科の診察が少なかった毅。部屋に入ってきた娘に驚いた。
「お前……今までどこに行っておったのだ」
「今はそんなことを言っていられないの!お願い、源様を助けて」
涙目の汚れた娘。腕を引く待合室には重篤な男が床に寝ていた。
「文子。これはどうした」
「毒蛇よ。ヤマガラシって言っていたわ。蛇はそこよ」
清吉がカゴに入れていた蛇の亡骸。毅は確かにヤマガラシと認めた。
「話は向こうで聞く。おい、急患だ。部屋に運べ」
外科医の顔に戻った毅。源之丞を担架に乗せ治療室へと運んでいった。文子は説明しようと付き添っていった。
毅の適切な治療にて。源之丞の命は救われた。
◇◇◇
源之丞の病室には清吉が一緒に入り、横で寝ていた。その間、文子は父親と今までの話をしていた。
祖母の話で家出をしたこと。祖母の手紙の大森神社を頼ったこと。その神社で優しくしてもらっていたと打ち明けた。
家にいた時の文子。色白でどこか病弱であった。しかし、今は薄汚れているが、健康的で体も強くなっていた。話を聴きながら彼はそんなことを思っていた。
「話はわかった。しかしだね。金のことだ。あれは母さんが病院の金を使い込んでいたと聞いている」
「お婆様が?信じられません」
「そうか?お前は知っていて、持ち逃げしたのではないか」
疑心暗鬼の毅。娘をじっと見た。文子は悲しい涙を流した。
「……お父様は。私をそんな風に思っていたんですか」
ハラハラ流す涙。これを信じたい毅。しかし照代の言葉が頭を回っていた。
「とにかく。お前は逃げたんだ。そう思われても仕方がないだろう」
文子。着物の胸から祖母から預かった通帳と印鑑を取り出し、父に渡した。
「私には不要です。お父様にお返しします」
「……そもそもお前のものではない。私が相続するものだ」
「はい」
文子は床に座り、父に土下座をした。
「申し訳ありませんでした……どうか、源様には、何も言わず村に帰してあげてください」
「もちろんだ。だがお前はここでしばらく謹慎だ」
「はい……お父様。文子はもう、それでいいです」
顔をあげた娘。悲しい涙。毅はその顔を見れずにいた。
「落葉」完
「今日こそ罠に入っておればいいのだが」
「きっと入っていますよ。そんなに頑張っているんですもの、はい。これお昼のおにぎりです」
昼飯用のお握り。狐面の源之丞、すっと手を出した。文子はその手に乗せた。
「中身はね、こっちが『しそ味噌』で。そっちは」
「申すな!楽しみなのだ!」
彼は奪うように受け取ると懐に大事にしまった。
「では。参る」
「はい!お気をつけて」
彼を見送った文子。仕事がたくさんあった。何せ今年の冬は二人分の支度が必要。雪が降ると言われさらに支度に追われていた。しかし、それは楽しい仕事だった。
……ここにおいてもらえるだけで。それでいいわ。
居候のままで良い。純粋無垢な源之丞のそばにいたい。文子はただそう思っていた。
この日。今年最後の勝手市の品を作っていた文子。そこに伝助がやってきた。
「姉さん。あのね」
「どうしたの」
「知らない男にね、姉さんのことを聞かれたんだ」
村に住む伝助。勝手市場の文子の商品が欲しいと見知らぬ男に聞かれたと話した。
「姉さんの薬草茶が欲しいから。どこに行けば買えるだってその人言ってた」
「まあ、勝手市場かこの神社の七日の無人販売になるわね」
そんなに欲しければ分ける気持ちの文子。しかし伝助は真顔を向けた。
「……俺もそう教えようと思ったんだけど。その人さ。姉さんのイチジクを見せてくれたけど。すごく薬の匂いがしたんだ……」
伝助は石を拾い、遠くへ投げた。
「それに。女だか男だかわからない顔だったんだ。俺、怖くてさ。今度の勝手市場まで待ってくれって言ったよ」
「薬の匂い……そう。怖い思いをさせてしまったわね」
先日の勝手市場の妨害をしてきた男たち。文子はそれを思い出し伝助を抱きしめた。
「ごめんね。その返事でいいわよ」
「そう?」
「ええ。今度、怖い思いをしたら逃げていいわよ」
ようやく安心した顔の伝助。元気よく家に帰っていった。
胸騒ぎがした文子。次回の勝手市場は取りやめてもいいかと考えていた。
その夜。源之丞はたくさんの薪を作り帰ってきた。しかし、その手に猪はなく、彼は苛立っていた。
文子は風呂を進めてから夕食にした。囲炉裏の鍋、おかゆに大きな栗が入っていた。源之丞。狐面を外してむしゃむしゃ食べていた。
「どうしてだ?なぜ罠に入らぬのだ」
「文子は仕掛けを知りませんが。餌など置くのですか?」
「俺の仕掛けは、獣道に置くものじゃ」
今まではそれでうまく行っていたが、今回の猪は手強い。そこで源之丞は文子の提案で餌を使うことにした。
「餌か……何が良いか」
「今は秋ですよね。美味しいものがたくさんあるから。猪は普通の餌では見向きもしませんよね」
「まあな。あいつらはご馳走好きなのじゃ」」
「……源様。それは文子に作らせてください」
「お前が?っというか。お代わり!」
元気な源之丞。少しは役に立ちたい文子。この夜、猪の餌をじっくり考えて作った。
翌朝。二人は一緒に猪の罠までやってきた。
「ここじゃ。気をつけよ」
「罠を草で隠してあるのね……源様。これです!」
「
うんと文子はうなづいた。
「それは。お酒にしようとして漬けておいて、残った実の部分なの。匂いがすごいでしょう?」
「ああ……甘い匂いがする。これは効きそうじゃ!」
すでに虫が寄ってくる甘い香り。二人は楽しみに仕掛けにこれを置き、現場を離れた。
この日は仲良く森の中。クリを拾い、キノコを取った。
「あった!これも松茸」
「お前、本当に初めてか?」
「はい……あ?源様、足の先。そこ。もっと右にありますよ」
「ここ?……おお?本当だ」
思わぬ文子の才能。源之丞は笑顔で一緒に山で過ごした。一緒におにぎりを食べ、落ち葉に寝転んだ。
「源様。冬は何をしているんですか」
「寒いから寝ておる……まあ、冬眠じゃな」
「冬眠?」
しかし。文子はそんなことをしていられない。何かすることを考えなくては退屈してしまう。
……何か仕事を考えないと。着物でも縫おうかな。
すると源之丞。ガバと起き上がった。
「匂う」
「何がですか」
さっと面を外した源之丞。険しい顔をした。
「……今までにない匂いじゃ……こっちか」
「待ってください」
急足の源之丞。文子は必死についていった。そこは猪の罠の場所だった。
「源様……きゃ?血だわ」
「見ろ。仕掛けが壊されておる」
獲物はなく血だけ。しかも仕掛けが壊されていた。
「これは獣ではない。人だ」
「人?こんな山奥に?」
「……匂う……臭い。薬の匂いだ」
「薬の、匂い……あ」
文子の頭には伝助の言葉が思い出された。源之丞は文子を見た。
「いかがした?何か知っておるのか」
「怪しい男が、私を探しているようで」
「男。それが薬の匂いか」
罠の跡の血。おそらく足を負傷しているのは文子にも明らかであった。
「しかし。こんな獣道を通るのはなぜだ?お前に用事があるなら、境内に来れば良いものを」
「そう、ですね」
文子への妨害の男達の可能性。文子は心配するので源之丞には話してなかった。しかし、この状況。話す必要があった。
「まずは帰るぞ。日が暮れる」
「はい」
……帰ったから話そう。源様には正直に話そう。
秋の日は鶴瓶落とし。楽しい時間はあっという間に過ぎた。二人は母家に帰ってきた。
「ああ。疲れたぞ。腹が減った」
「朝の雑炊にキノコを足しましょうね」
「ああ」
囲炉裏そばで寝転んだ源之丞。これを見届けた文子。台所にやってきた。
……ん?何か違和感がある……
何がどうとは言えない。しかし、何かが変わっていた。文子はそっと作りかけの栗の砂糖漬けの鍋を開けた。様子に異変はない。胸をドキドキさせながら、水回りを確認した。その違和感を見つけた。
台所は土間。土のままで文子は草履で動いている。ここの土間、いつもよりも綺麗なのである。何かを拭き取った形跡を発見した。
……ここだけ土が白い。源様はこんなことしない。清吉さんが何かをこぼして、拭き取ったのかな。いや?そんなことはしない……
この時。囲炉裏の部屋から叫び声がした。
「ぎゃああああ!こいつ!この」
「源様!?」
文子が慌てて入ると、そこには大暴れしている源之丞がいた。手には何かを掴んでいた。文子は悲鳴を上げた。
「きゃあああ?源様!」
「離れておれ!この」
やがて。それは源之丞が火搔きで叩き、逃げていった。
「ううう」
「……これは、蛇?ど、どうしてこんなところに」
「噛まれた、足。腕も」
「源様!」
咄嗟にサラシの布で箇所を縛った文子。その足を心臓よりも高くした。毒が回らないように、必死に動いていた。
「へ、平気じゃ」
「でも。でも」
「ごめん下さい」
二人が動揺している時、外から怪しい声がした。
つづく
「ごめん下さい。薬草茶が欲しいのですが」
男の声。こんな緊急事態。文子は断ろうと玄関に出た。
「すいません。今はありません。お引き取りを!」
「おやおやこれは」
黒いスーツの男。そっと帽子を取った。綺麗な顔。男か女か。わからぬ顔だった。
「二階堂のお嬢様ではありませんか」
嬉しそうな男。文子は知らない顔。ゾッとした。
「違います。とにかくお帰りください」
「……これはヤマカガシという毒蛇です」
男はバサと蛇を文子の足元に投げ捨てた。三匹だった。
「猛毒で。しかも三匹分です。今は平気ですが。早く血清を打たねば死んでしまいますよ」
「あ、あなたは誰なんですか」
男はニヤリと微笑み、名刺を出した。
「製薬会社の者です。あなたの勝手市場の商品が気に入りましてね。取引をしたいんです」
「取引」
背後では苦しむ源之丞の声。文子は背中に汗をかいていた。
「そうです。あなたは薬草の知識がある。そこでこの森で大麻を作ってくれませんか」
「そ、そんなこと、できるはずありません!」
すると。男は黒いカバンから小瓶を取り出した。耳の横でこれをかざした。
「ここに。毒蛇の血清があります。私と契約してくださるなら、これをお渡ししましょう」
「血清」
ヤマカガシは一番の猛毒。しかも三匹なら血清を打たねば源之丞とて命が危ない。文子は目の前が真っ暗になった。
「どうして。こんなひどいことをするんですか?」
「……私も交渉に来たんですが。ちょっと許せないことがありまして」
彼はズボンとスッとあげた。そこは包帯が巻かれていた。
「まさか?あなたがあの罠に?」
「村の小僧を後をつけて。森に潜んでいたんですが。甘い匂いに誘われましてね」
猪の罠で怪我をした男。ここで恐ろしい顔になった。
「おい!なんてことをしてくれたんだ!?ええ?死にたいのか。俺の足に傷をつけやがって!」
文子の着物を掴んだ男。打たれると思った瞬間。相手の男が倒れされた。
「源様?」
「はあ、はあ。俺の娘御に触れるな……」
「へえ?まだ動けるんですね」
口の血を拭う男。ゆっくりと立ち上がった。息も絶え絶えの源之丞。男に叫んだ。
「帰れ。立ち去れ」
「源様!薬がないと」
「……ふふふ。はっは」
倒れた男。立ち上がった。
「今ので、ほら。割れてしまった」
「そんな……」
「お前のような者の……薬など、要らぬ……この悪魔め。立ち去れ!去れ」
文子に肩を持たれる源之丞。立っているのがやっと。体も熱くなってきた。
男は体の泥を払い、スッと帽子を被った。
「非常に残念です。では、お嬢様。お達者で」
男はそう言って去っていった。
「うう」
「源様!?家に入りましょう」
泣くのは後。文子はまず彼を寝かせた。そして噛まれた箇所を確認した。足が二箇所。腕が一箇所だった。
熱で唸る額の汗。震える体は悪寒の証拠。額など冷やしても無意味。体に毒が回っている。
「だ、だいじょうぶだ……そんな顔するな」
「源様」
そんなはずはない。ひどい頭痛がするはずなのは医者の娘の文子は知っていた。
……血清を早く打たねば……死んでしまうわ。
明日など待てない文子。夜の神社を提灯を片手に飛び出した。途中にあの男にある危険も忘れた文子。夜の清吉の家にやってきた。そして事情を説明した。
「では。源様を二階堂病院に運ぶのですか」
「はい。二階堂には毒蛇の血清が揃っています。二階堂にしかないんです!」
この時、寝巻き姿のトメが口を開いた。
「ですが。そんなことをしたら。文子さんは、家に帰らんとならんぞ」
「今はそんなことを言っていられません!源様の命を助けないと」
文子の切迫した状況。とにかく清吉は文子と一緒に夜の神社に来てくれた。
そこで大汗で苦しむ源之丞を見た。清吉も二階堂に行くことを承知した。
真夜中の神社の階段は危険。二人は夜明け前に静かに源之丞を担ぎ下ろした。
神社の下に来ると、トメが村の者に頼み、古い人力車があった。これに源之丞を乗せた村人。今度は川にやってきた。
「文子さん。二階堂病院なら船が早い。さあ、足元に気をつけてくだされ」
「私は大丈夫です。源様を落とさないように」
すでに意識朦朧の源之丞。彼を乗せた小型舟。船頭はいつも町まで荷物を運んでいるベテラン。村人が心配そうに手を降る朝靄の中、大森村から三人は町へ向かった。
渋滞のない川。遠回りであるが、文子が驚くほど二階堂病院のそばに降り立った。そこからはタクシーを使い、文子は実家に帰ってきた。
「お父様!文子です」
病院の受付。これ無視して文子は父がいる医局にやってきた。この日は外科の診察が少なかった毅。部屋に入ってきた娘に驚いた。
「お前……今までどこに行っておったのだ」
「今はそんなことを言っていられないの!お願い、源様を助けて」
涙目の汚れた娘。腕を引く待合室には重篤な男が床に寝ていた。
「文子。これはどうした」
「毒蛇よ。ヤマガラシって言っていたわ。蛇はそこよ」
清吉がカゴに入れていた蛇の亡骸。毅は確かにヤマガラシと認めた。
「話は向こうで聞く。おい、急患だ。部屋に運べ」
外科医の顔に戻った毅。源之丞を担架に乗せ治療室へと運んでいった。文子は説明しようと付き添っていった。
毅の適切な治療にて。源之丞の命は救われた。
◇◇◇
源之丞の病室には清吉が一緒に入り、横で寝ていた。その間、文子は父親と今までの話をしていた。
祖母の話で家出をしたこと。祖母の手紙の大森神社を頼ったこと。その神社で優しくしてもらっていたと打ち明けた。
家にいた時の文子。色白でどこか病弱であった。しかし、今は薄汚れているが、健康的で体も強くなっていた。話を聴きながら彼はそんなことを思っていた。
「話はわかった。しかしだね。金のことだ。あれは母さんが病院の金を使い込んでいたと聞いている」
「お婆様が?信じられません」
「そうか?お前は知っていて、持ち逃げしたのではないか」
疑心暗鬼の毅。娘をじっと見た。文子は悲しい涙を流した。
「……お父様は。私をそんな風に思っていたんですか」
ハラハラ流す涙。これを信じたい毅。しかし照代の言葉が頭を回っていた。
「とにかく。お前は逃げたんだ。そう思われても仕方がないだろう」
文子。着物の胸から祖母から預かった通帳と印鑑を取り出し、父に渡した。
「私には不要です。お父様にお返しします」
「……そもそもお前のものではない。私が相続するものだ」
「はい」
文子は床に座り、父に土下座をした。
「申し訳ありませんでした……どうか、源様には、何も言わず村に帰してあげてください」
「もちろんだ。だがお前はここでしばらく謹慎だ」
「はい……お父様。文子はもう、それでいいです」
顔をあげた娘。悲しい涙。毅はその顔を見れずにいた。
「落葉」完