第2話 悪魔の子

文字数 6,227文字

秘境、大森村。今から二十年前。この村で雨が降らず、作物が取れない夏があった。そこで村人は神社に祈祷を迫った。

「神主さん。どう言うことだ?あんたはちゃんと祈祷してくれているんじゃないのか」
「もちろんです。みなさん、落ち着いて」

血走った目。暴動寸前の村人。怒りの矛先は神社の神主に向けられていた。
村人の供物で暮らしていた大森神社。この時、何としてもこの危機に力を発揮せねば生きていけない危険な状況。

食べる物がなく暴徒と化した村人の手前の極限状況。殺される寸前の神主。家族を守るため、生まれたばかりの息子、源之丞(げんのじょう)を捧げ、生贄の儀式をした。

彼らの気持ちを納得させるために形だけの儀式。殺すつもりは毛頭なかった。この祈祷にて村人は落ち着けば良いと思っていた。

そんな神主の長い長い祈祷。そして、その時。稲光がし、雨が降った。

「おお。さすが神主じゃ」
「これで、作物が実るぞ」

この祈りが通じた奇跡。神主一家もほっとしたのも束の間。しかし、その雨は降り止まず、大雨となった。


またしても村人は神社に押しかけた。

「神主!この雨を止めてくれ」
「みなさん、落ち着いて。まずは避難です」
「そんなことを言っていられるか!」

精神的に追い詰められた村人達。しかし神主はこの高台にある神社に避難を呼びかけた。冷静な者は従ったが、一部、心を乱した者がいた。

「この赤ん坊のせいだ。この子供のせいで」
「何をするんですか?やめて下さい」

母は必死に赤ん坊を庇った。

「うるせえ!こいつのせいで、村が滅茶苦茶に」
「殺してやる」
「やめて!」

庇う母、しかし男は松明の火を母子に押し当てた。

「きゃあああ」
「ぎゃあ、ぎゃあ」
「止めるんだ!何をする!?」

周囲の者が止めたが、母と子供は火傷を負った。そして、やがて、雨が止んだ。


雨が引いたこの後。最初に神主一家に迫った村人の家が、裏山の崖崩れで潰れ、その一家は亡くなった。そして、他の村人も増水した川に落ちて死亡などが続いた。

その悲劇の最後、母子を火傷をさせた男の家は火事で焼失した。
これ以降、村人は大森神社を恐れるようになった。


その後。神主の職を続けていた両親は老齢で亡くなった。残った源之丞。檀家で神主と懇意だった清吉(せいきち)とだけ交友があり、神社の裏庭にて野菜を作り、山で獣を獲るなど、一人で暮らしていた。

この源之丞。村人からは腫れ物扱い。禍の元とされて誰も彼に近づかない。彼とて人嫌い。奥山で悠々と暮らしていた。

年は二十歳になる青年。顔に火傷痕のあるため人が来るときはいつも狐の面をつけていた。

そんな若者の元にやってきた娘。彼は困惑していた。

「なあ。清吉よ。俺はどうすれば良いのだ」
「さあ?手紙には恩を返すように書いてありますが。それは(げん)様、次第」
「俺に決めろと申すのか」

囲炉裏の前。膝を立てる青年。離れの部屋を忌々しい目で見ていた。
髭が伸びているがその右顔には赤い火傷痕。少し引き攣っているが遠目には赤いだけである。しかし、これは呪いの印。人に見せるのを彼は嫌っていた。

「だが。治らねば話もできぬな」
「左様ですな。でははい、これで看病を」
「ん?何だこれは」

タライには冷たい水。清吉は彼にサラシの布を彼に渡した。

「ドクダミのお茶はそれで。頭でも冷やしてやりなされ」
「俺がするのか?」
「源様のご先祖ですぞ。バチが当たります」
「……」

爺に促された源之丞。渋々娘の部屋にやってきた。面をつけた彼は苦しそうに寝ている娘を見た。

……年頃の娘御。なんとか細いことよ。

こんな近くで娘を見たのは初めてだった。異性というよりも、未知なるものに触れるように彼は恐る恐る頭に濡らしたサラシを乗せてやった。

「ごめんなさい」
「ん?なんだ……寝言か」

熱でうなされる彼女。その目からはとめどなく涙が出てくる。拭いても拭いても出てくる。源之丞はそのたび、優しく拭った。

……俺が優しくしておるのに。夢の中で悲しい目に遭っておるとは?ええい!鎮まれ。この!……

彼は見えない敵と必死に戦うように涙を拭き取っていたが、イライラしてきた。現実の自分の方が頑張っていることを彼女に伝えようとした。

「おい。しっかりいたせ。この俺がついておるぞ」
「……お婆さま」

彼女が伸ばした手。彼は思わず掴んだ。そして彼はまるで犬を可愛がるように優しく彼女の頭を撫でてやった。彼女はだんだん少し気持ちよさそうな顔をした。

……やった!夢に勝ったぞ。が、なぜ俺がこんなことを?

そう思いながらも。彼は彼女の手当てをしていた。





そして翌朝。文子は目覚めた。

……寝てしまったのね。今は、いつだろう。

頭に乗ったサラシの布。熱でうなされる中、狐面の彼のことを思い出した。
昨夜もお茶を飲ませてくれた彼。文子は世話になったことを思い出していた。

ここに足早の音がした。さっと襖が開いた。

「起きたか」
「はい……お世話になりました」

狐面の男。有無を言わさずスッと文子の額に手を当てた。この温もり。この手。目を瞑った文子。彼の看護を思い返していた。

……下がった。下がった。今度は飯だ。

「……あの?旦那様」

すると彼は黙って立ち上がり、部屋を出ていった。そして走って戻ってきた。そしてお盆の粥。彼は文子の布団の横に置いた。

「食え」
「でも、私」
「俺の粥が食えぬと申すのか」

怒る彼。しかし文子はおずおずと彼を見つめた。

「あの。箸が」

……あ?ない。

すると彼はまた立ち上がり、走って箸を取ってきた。

「ん」

差し出す彼。文子は受け取った。

「はい。ありがとうございます」

そして彼は文子の横にあぐらをかいた。そして腕を組み、文子をじっと見ていた。

「あの」
「いいから食え」

……もしかして。心配しているのかな。

文子はいただきますと言ってこれを食べた。煮込んだ薄い味。それは優しい味だった。

「美味しい……美味しいです」
「そうか」

久しぶりの食べ物の味。なぜか文子は泣けてきた。これを彼は見ていた。

……なぜ泣くのだ。家に帰りたいのか。それとも粗末な粥でがっかりしておるのか。

女心が一切わからない彼。涙の娘に苛立ってきた。食べている娘を見た彼、怒りを抑え黙って部屋を去っていった。


その後。食べ終えた文子。片付けをしようと立ち上がった。少しよろめくが、いつまでも甘えてはいられない。それに動くと幾分、頭がスッキリしてきた。

外は晴れ。朝だった。森にかこまれた空気は新鮮。文子はお盆を持ち、台所に向かった。

そこで椀を洗った文子。だんだん調子が戻ってきた。そして見ると、台所の脇に洗濯物が溜まっていた。そこには自分の汗を拭いたであろう、手ぬぐいもあった。

……出て行く前に。お洗濯しなくちゃ。

彼の下着もあったが、どうせ一緒。台所の勝手口から出るとそこには山に清水が流れていた。そばには大きなタライと洗濯板と石鹸。文子はここで洗濯をした。

晴天の良き日。洗い終えた文子。清々しい気分でそばにあった竿に洗濯物を干した。

「そこで何をしておる」
「あ」

狐の男。下駄の姿で立っていた。病み上りなのに仕事をしていた彼女に、正直びっくりしていた。

「そんなことをしても。ここに置いてやらぬぞ」

先祖の手紙を理解をした源之丞。しかし、文子の涙が全く理解できずにいた。さらにこのひどい住まい。彼女がこれに幻滅しているのだと思っていた。

すると彼女は凛とした顔で彼を向き、頭を下げた。

「はい。本当に申し訳ありませんでした。私、これで出て行きます」
「……そ、そうか」
「お布団を干して行きますね。それで、出て行きます」
「あ、ああ」

まだ病み上がりのはず。しかし彼女は使用した部屋を片付け、雑巾掛けまでしていた。

「娘。もうよい」
「はい。あの、バスの時刻をご存知ですか」


彼が指した部屋の壁。そこにバスに時刻表が貼ってあった。文子は時間を確認した。
そして持参した風呂敷包みを脇に置き、彼に三つ指をついた。

「旦那様。本当にお世話になりました。ご迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なかったです」
「……この文は、いかが致す」

彼が差し出した手紙。文子は目を瞬かせた。

「それは。その」

彼女は一瞬、息を呑んだ。

……そうか。この手紙を気にしているんだわ。でも、この方にはこれ以上、甘えられないわ。

心優しい狐の面の男。しかしそれは人嫌いを意味していた。そんな彼に、これ以上甘えるのは良くないと文子は思った。

「その手紙には確かに『恩を返す』とありましたが、私は旦那様に助けていただきました。なので、もう。それはお返しします」

納得したのか手を下ろした源之丞。面の下でなぜか唇を噛んでいた。

「ではこれで。バスの時間があるので」

文子は頭を下げた。そして風呂敷包みをよいしょとかついだ。源之丞が憮然と立っている姿に、再度頭を下げた。そして神社を出て行った。


……これでよい。帰りたいのであろう。

彼は部屋に戻った。囲炉裏の前。かけてある鍋をかき混ぜた。いつもより多めの昼飯の量。彼女の分も作ってあった。

……そうだ。俺は助けたのだ。あいつの看病をしたのだから。

混ぜながら思うこと。熱にうなされた娘の辛そうな声だった。「やめて」「ごめんなさい」という言葉。娘の今までの暮らしを思っていた。

……爺様の古い手紙を持って、こんな田舎の神社にくるとは。あの娘、他に行き場が無いのではなかろうか。

窓の外。干された洗濯物を見ていた。するとパラパラと音がした。

……雨か。娘が洗ってくれた俺の(ふんどし)

せっかくの娘が洗ってくれた物。彼は必死に取り込んだ。見上げた空、真っ黒であった。面をつけた彼はいつの間にか走り出していた。


つづく

……あ。雨だわ。

境内の階段を降りていた文子。この雨に大きなカシの木の下で雨宿りをしていた。しかし、バスの時間がある。いつまでもここにはいられない。そろそろ動こうとしていた。

最後の手段で行こうとしているのは亡き母の実家。噂では火事で焼失し、祖父母も亡くなったと聞いているが、とにかくその住所に行ってみようと思っていた。

その時。下駄でカンカンと階段を勢いよく走る音がしてきた。その人物は脇に座る文子に気づかず、どんどん下へ走って行ってしまった。

……旦那様だわ。あんなに急いで。

雨で何かあったのか。文子は不思議に思いつつ、道脇に生えていたフキを取り、その大葉を傘にし雨の道を歩き出した。しばらく歩くと、前方から狐面の彼が走って戻ってきた。

「はあ、はあ。お前、どこにいた」
「そこで。雨宿りを」
「……あのな。バスは来ない」
「え」

彼は文子をじっと見つめた。彼は拳を握り彼女を見据えていた。

「来ない。こんな雨の日は」

静かな声。文子は彼を見つめた。

「来ないって。バスがですか?」
「そんなに嫌か。俺の家が」

……もしかして。私があの神社が嫌いだと思っているのかしら。

損傷が激しい神社。彼があの神社について劣等感を抱いていることに気がついた。確かにひどく傷んでいた神社である。しかしそれに勝る優しさに包まれた神社であった。

「いいえ。そんなことはありません」
「古くて。貧しいから。お前、嫌なんだろう」

この時、二人に雨がザザと降ってきた。文子は思わずフキの傘を彼に差し掛けた。

「濡れますよ。旦那様」
「お前」

とっくにずぶ濡れの彼。自分も濡れている文子。こんな小さな葉の傘。それを寄り添ってくれた彼女は彼を見上げていた。彼の心は決まった。

「あの、私はお屋敷については、その」
「帰るぞ。それ」
「うわ」

フキの傘が飛んだ大雨の中。源之丞はまたしても文子を背負い、神社に帰ってきた。


「着ろ。それを」
「良いのですか」

古い木綿の浴衣。しかし綺麗に洗ってあった。

「俺の母のだ。我慢しろ」
「我慢だなんて。お借りしますね」

結局戻った部屋。朝顔の模様の着物。文子は着替えた。そして居間に顔を出した。彼は囲炉裏にかけた鍋を混ぜていた。濡れたままだった。

「旦那様。着替えは?」
「いい。俺は平気だ……へ、ヘックション!」
「ふふふ」

すると彼はスッと立ち上がり無言で自室に消えて行った。

……笑ったりして。失礼だったかな。

戸惑う文子。それでも鍋をかき混ぜた。おいそうな匂いだった。ここに彼が戻ってきた。見ると着替えをした彼、しかし、面をつけていなかった。

……顎に火傷の跡。さぞかし痛かったでしょうね。

実家が医者の文子。ひどい怪我の病人を何人も見てきた。長い黒髪を束ねた彼、顎髭であまり見えないが、顔半分が赤くなっていた。彼が面をつけている理由はこれと悟った文子。しかし、これに気にせず囲炉裏を囲んでいた。

それよりも思ったよりも若い好青年。粗暴な雰囲気に年配者だと思っていた文子。彼に今更ドキドキしていた。

「これは最後にネギを入れるんだ。それ」
「美味しそう。旦那様はお料理が上手なんですね」

二人で囲む囲炉裏。やがて完成となり、文子がお椀に盛った。

「はい。どうぞ」
「ああ。お前も食え」
「はい。いただきます」

こうして食べ始めた時。彼は急にハッとなった。

「あれ?俺、面を」
「……旦那様はさっきから付けていませんよ」
「何?」

驚く彼。文子を見つめた。文子の方こそ、首をかしげた。

「何か?」
「お前、俺の顔が、恐ろしくないのか」

この村では誰もが逃げ出す顔。しかし目の前の娘は静かにその箇所を見ていた。

「火傷の跡ですよね?それは子供の頃ですか?相当、痛かったですよね」

怖がるどころか、心配する顔。源之丞は目をパチクリさせていた。

「旦那様?」
「ああ。なんでもない。いいから、食うぞ」
「はい」

空腹だった二人。たくさん食べた。

「ああ。美味かった」
「はい。おネギがおいしかったです」
「そうか」

優しい顔。文子はほっとした。そして囲炉裏で湯を沸かし、お茶でも飲もうとしていた。

「ところで。お前の話を聞かせてくれ。なぜこんなところに参ったのだ」
「はい。私はですね」

彼女は身の上話をした。前妻の娘の自分、祖母の介護が終わり居場所のない家を出てきた話だった。

「医者の娘なのに。なぜだ」
「義母は私が嫌いなんです。それに後継は弟達もいるし」
「では金持ちに嫁に行けば良い」

彼は湯気をじっと見ていた。文子も思わず見ていた。

「そんな縁談もありましたけど、一回り上の方で、後妻なんです。だから、私、一人で仕事を見つけて、生きて行こうって」
「金よりも自由か」

彼はスッと立ち上がった。障子を開けると星空が光っていた。

「俺はな。こんな顔だから、村中の嫌われ者だ。だから爺しかここへは来ぬ」

背を向けて話す彼。その姿、寂しそうだった。

「しかし。お前が持ってきた手紙を読んだ。俺は子孫として、お前を助けなくてはならぬ」
「旦那様。本当に、そこまでは」

彼は振り向いた。その背景は星で光っていた。

「うるさい!聞け。ここにいたければいれば良い。ここで仕事を考えろ」
「いいんですか。私がここにいて」

彼はむすとした顔で定位置に座った。

「良いと申しておる。早く、茶にしろ。飲みたいのだ」
「はい……ただいま、淹れます」

一見、傲慢のようだが、優しい態度。お茶を淹れながら文子は泣いていた。

……また泣いた?俺は何かしたのか。

不安な源之丞。文子に尋ねた。

「なぜ泣く。帰りたいのか」
「いいえ。旦那様が、優しいので、つい」

この答え。安心した彼。ずっと知りたかったことを聞いた。

「……娘。お前の名は?」

まだ名乗っていなかった文子。ここで彼に向いた。

「ごめんなさい。私、文子です」
「文子。か。俺は源之丞だ。源で良い」
「はい。源様」

二人は静かにお茶を飲んだ。夏の始まり。雨上がりの夜空。輝く星は優しく瞬いていた。


二話 完
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