第5話 二人は七夕

文字数 4,149文字

祭り朝。暑い日。文子は早朝から支度をしていた。
森奥の花畑から収穫した薬草。これをお茶にしたもの。他には香草。果実を乾燥させたりジャムにした加工品。他にも源之丞が収穫した山の幸を用意していた。

「おい。飯は」
「おはようございます。鍋にできてます」
「お前は食べないのか」
「私のことはいいので。源様は支度をしてください」

夢中になっている文子。全然構ってくれない源之丞は寂しく朝食を食べた。
外を見ると行ったり来たりしている彼女。昔の母を思い出していた。

……そんなに販売がしたいのか。まあ、米も欲しいしな。

欲のない源之丞。自分の収穫物に執着がなかった。それよりも文子が頑張っているので応援したい思い。彼は食事を済ませると彼女の手伝いをしようとそばにやってきた。

「おい。俺は何を」
「源様。ここはいいので。ご自分の支度をなさってください」
「ないぞ?そんなものは」

大昔は盛大にやっていた祭り。このように寂れた今は、そこまで予定していなかった。
せめて新調した鳥居のしめ縄。夜に灯す予定の提灯。文子が作ったおみくじ。お賽銭の箱はさすがに源之丞が修理を終えていた。

「おはようございます」
「ああ、爺。早いの」
「ええ。私は向こうを手伝っております。ああ。村のみんなも来たか。本尊を頼む」

久しぶりの神社の祭り。いつの間にか村人は楽しみにしていた。源之丞がふと見ると階段下には出店の支度が見えた。そこには人々がわいわいやっていた。

……ここに。人が来る……

祭りの許可はしたが、彼は急にここが自分の場所ではないような焦燥感にかられてしまった。狐面の源之丞。誰にも気が付かれず、静かに静かに森の奥へ消えていった。

その頃。神社の境内は人々が集まり本尊など手入れを済ませていた。

「おお。あんたが薬草の研究をしている娘さんか」
「え、ええ」
「わしは先日。勝手市であんたのお茶を買ったんだよ」

美味しいと男は笑った。文子は嬉しくなった。

「この後、販売します。よろしくお願いします……あ?イネさん……源様はどこかしら」
「え?源ちゃんかい?その辺にいるんじゃないのかな」
「……そう」

一通り用意を終えた文子。あたりを見渡しても源之丞はいなかった。
清吉も気になっていたと話した。

「そろそろ始まるのに」
「まあ。放っておけば出てくるでしょう」

祭りに夢中な村人達。文子と源之丞の気持ちを待てぬように。始めて行った。

「文子ちゃん。早速お客さんが来ているよ」
「うん」

源之丞が気になるが。文子は目の前の客に販売をしていった。今日はまず開催告知が目的。値段よりも毎月七日に実施することを客に話をしていた。

「へえ?肉もそうなのかい?」
「源様に相談してみますね」

今までも欲しかったが、源之丞と会いにくく困っていたと村人は話した。

「私はこのキノコが欲しいわ。源之丞のは美味しいのよ」
「ありがとうございます」

飛ぶように売れる品。文子はここからイネと伝助に断りを入れて任せ、源之丞を探しに行った。



◇◇◇

「源様!源様――、ここにはいない、か」

昼下がりの花畑。返事はない。文子は他を探そうと、周囲を歩こうとした。

「おい。帰れないぞ」
「……そこにいたんですか」

木の上にいた源之丞。文子は見上げた。

「みんな心配してますよ。戻りましょう」
「嫌じゃ」
「そんなこと言っても。源様はこの神社の神主ですよ」
「……」

彼は黙って木を降り、文子に背を向けザザザと草影に入って行った。

「待って!源様」
「来るな!来るな」

しかし文子はその寂しい背を追いかけた。

「はあ。はあ、どこ?」

あっという間に源之丞は消えてしまった。草むらの中の文子。完全に彼を見失った。

……探さないと。きっと落ち込んでいるんだわ。

意を決した文子。そばにあった倒木に乗った。そしてそこから足をかけて近くの木に登った。
しかし、その木。細かった。

「きゃあああ」

ドサと草むらに落ちた文子。

「痛たた……でも。もう一度」

文子はまた倒木の上に登った。そして辺りを見た。でも彼が見えなかった。

ここで泣いたり、彼の名を叫ぶのは甘えであると思った文子。意地でも自力で彼を探そうとした。一帯は草。しかし、よく見ると、折れているのがあった。

……人が通った後だわ。こっちで、向こうだわ。

見れば泥に足跡。文子は慎重に跡をつけた。どれくらい時が過ぎたであろう。道は急に開けて、そこは川になっていた。

「あ。いた」
「お前?なぜここに」

驚き顔の源之丞。川に仕掛けた罠から魚を取り、焼いて食べていた。
泥で汚れた文子。それを肩で息をしながら見ていた。

「お。俺は悪くない。祭りなど知らぬ」
「……」
「勝手にすれば良い!俺は行かぬ」
「そう。ですね」

ふうとため息をついた文子。やっと川べりの石の上に座った。

「はああ。疲れました」
「怒っておらぬのか」

狐面は恐る恐る文子に首を傾げた。草や泥で汚れた文子は微笑んだ。

「怒っていません。ああ、よかった。心配した」

不貞腐れて自暴自棄になっていたのではないかと思っていた文子。安心した。

……嫌なのに。無理をさせた私が悪いんだもの。源様はここにいてもらおう。

「おい?」
「いいんですよ。ご無事なら。お祭りはみんながそれぞれ楽しんでいますから」

二人がいなくても楽しんでいるはず。村人たちの笑顔を思い出した文子。源之丞に笑った。

「さて。文子は先に戻っています。源様はここでゆっくりしてください」
「お前だけで戻るのか?」
「はい。川を伝って行きます」

そう言って文子は歩き出した。川べりの石は歩きにくかった。文子は草履を脱いで裸足になった。そして水の中に足を入れゆっくり川の流れのまま、歩き出した。

「おい。本当に帰るのか」
「ここを行けば帰れますよね。いいんです。源様はここでお過ごしくださいね」

そう言って文子は神社がある下流へ戻り出した。これを源之丞は歯がゆい思いで見ていた。

……なぜ。そこまで。くそ!

源之丞はスッと文子の前に走ってきた。

「やい!お前も俺がいなくても良いのか」
「え」

……もしかして。寂しかったのかしら。

主人公のはずなのに。出番がなかった源之丞。文子はここで彼の気持ちにようやく気がついた。

「そんなことないです」
「いやいや。おらぬでも祭りができておるではないか」
「源様……」

文子はつい彼の手を握った。

「源様。このお祭りは、村の人の楽しみだったんですよ」
「楽しみ」
「ええ。源様がみんなにその楽しみをあげたんですよ」
「俺が?」

対面する足が水に入った二人。清水の音が囁くように流れていた。

「そうです。それが源様のお役目。他の人にはできぬこと。おかげで皆さん、とても楽しそうです」
「俺は楽しくない」
「文子は楽しいですよ。源様の採ってきた野菜があんなに売れて。皆さん喜んで、嬉しいです」
「……お前は嬉しいのか」
「はい」

文子は彼のもう一方の手を握った。

「こうして。一緒にいられるだけで。嬉しいし。幸せです」
「俺だって。お前がいればそれで良いのだ」

どこか不貞腐れている狐の面の彼。文子の手を引いたまま、水から上がった。

「お前、最近、優しくない」
「まあ」
「自分でなんでも決めるのは良いが。俺は寂しい」
「源様」

じっと見ている狐面。文子はその胸に飛び込んだ。

「反省してます。でも文子は源様のことしか考えてないです」
「嘘じゃ。お前は品を売ることばかりしか考えておらぬ」

図星。しかし、それは二人のためだった。どうすれば想いが通じるであろう。

「源様。文子はこれからのために」
「口先ばかりじゃ。俺は怒っているのだ」
「源様……」
「証拠を見せよ。俺だけを思っている証拠を」

不機嫌になった源之丞。文子はスッと狐面を外した。

「おい。何を?」

文子は彼の肩に両手を乗せた。そして目を瞑り、そっと彼に口づけをした。初めてだった。

「……源様。文子は源様が好きです」

そう言って彼の胸に顔を埋めた。

「お前?……」

彼女を胸に抱きしめた源之丞。その顔には火傷の跡が残っていたが、それ以上に真っ赤になっていた。

……悔しい。実に悔しい。しかし、なんと愛しいのか。

文子もまた恥ずかしそうに頬を染めていた。自分の胸に頬寄せる娘。互いの鼓動がうるさい源之丞、どうして良いかわからなかった。

「本当にごめんなさい」
「まあ。良い。さあ、帰るか」

神社までの帰り道。彼の進む道は近道だった。もっと一緒にいたい二人。悲しくもあっとういう間に境内に現れた。

「あ。いた?」
「もう。心配したんだよ」

販売を終えた伝助とイネ。二人を見て駆け寄ってきた。

「ごめんなさい?ちょっと二人で息抜きを」
「ああ。魚を食べておった。うまかったぞ」

夕刻。見ると境内の人は減っていた。村人は神社の下に降り、出店に集まっているのが見えた。夜の境内。灯る提灯。参拝を終えた人はどんどん帰っていく様子だった。すると背後から声がした。

「源様」
「うわ?びっくりしたトメか」
「ええ。文子さんも。こんなに売れましたよ」

お金係だったトメ。二人の商品は好調だったとホクホクだった。

「次回は来月の七日に販売しましょうね。私の漬物も一緒に売らせてもらおうかね」
「どうぞ。たくさんあった方が、買う人は楽しいですものね」

トメの話に笑顔の文子。源之丞は文子の着物の袖をつんと引いた。

「ほれ!また夢中だ?俺を忘れてる」
「源様。文子は源様が一番好きです」
「聞き飽きたな。それ」
「本気です!」

耳をほじる源之丞のあまりの甘い話。イネは咄嗟に伝助の耳を塞いでいた。トメは呆れていた。

「やれやれ……ドッと疲れが出たわい」

嫌味のつもり。しかし源之丞はトメを心配した。

「そうか。では何か手伝うか」

今日は何もしてない源之丞。さすがに悪いと思っていた。

「では源之丞様。トメに笛を吹いてくだされ」
「おう、任せておけ」

彼は横笛を取り出し吹き始めた。その調べ。神社下の村人にも聞こえていた。
それを聞いていた伝助。文子に笑顔を向けた。

「姉さん。よかったね」
「伝助君。ありがとう。イネさんも」

源之丞と仲睦まじい様子。友人のイネもまた安心した。

「いいんだよ。それにしても、よかったね……本当に」

夜の境内。ぼんやりと提灯、月に怪しく光る白石の道。鳥居の朱。夏の終わりの調べは、優しく村に響いていた。その音色は、鎮魂、豊穣、神への祈りか。聞く人にはそれぞれに心に入っていた。文子にはただ、愛の言葉に聞こえていた。


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