第7話 触手

文字数 3,401文字

「奥さん。痛みはもうだいぶ減りました」
「まだ。腫れが引いていないわよ。それにしても。まさかあなたを手術するとはね」

二階堂病院の特別室。製薬会社の鈴木。二階堂照代に弱みをつけ込み、ある人物の整形手術を依頼してきた。それはまさかの本人。照代は二階堂病院の訳あり外科医に内密にこの手術をさせていた。

鈴木は照代に新しい包帯を巻いてもらっていた。

「助かりましたよ。これで命が長らえます」
「どれだけ恨みを買っているよ。呆れるわ」

極秘の手術。早期に退院した彼。今は密かに通いで消毒に来ていた。経過は良好。元来、若く肌の綺麗な一重の涼しい顔であった鈴木。今回、二重にし、鼻筋を通した。さらにエラを削り、細い顔にした。彼はとても気に入っていた。

今回の整形手術。美しくするためではなく、顔を変えるためのもの。せっかくだから美麗にして欲しいという願い。照代は叶えてやった。

「ですが奥様も。この手術で借りを返せるなら、安いでしょう」
「あなたに言われたくないわ」
「まあ、そう言わずに」

悪い二人。新薬をどんどん患者に販売していた。院長の毅。長男一郎がこれの中毒になっていると知り、大変衝撃を受けた。これを抜くため、密かに精神病棟に入院させ、必死の治療をしていた。

これを強く後悔した毅。この薬の処方を止めたかった。しかし、経営は火の車。彼は断腸の思いで、病の痛みに苦しむ人や、難病で治らない人、さらには老人など、死を前に苦しむ人に、安楽として使用していた。

虚しいことに。この新薬は重篤患者やその家族に大変感謝された。治療方法のない患者。痛みに耐えるしかない毎日。彼は心を必死に抑え、常に戦いながら慎重にこの薬を使用していたが、皮肉なことに評判を呼び遠くから患者が来るようになっていた。


しかし。ある時から、少しづつ患者が減っていた。

「午前の患者がこれだけか」
「はい先生」
「私は医局にいる。何かあったら呼べ」

外科医の彼。内科は風邪の患者がそれなりだった。看護師や医師がいる部屋に顔を出すと、一瞬、部屋の空気が変わったような気がした。

「ん。どうした?私の悪口か」

真面目な毅の冗談。部下は慌てて立ち上がった。

「いいえ?ただの噂話ですよ」
「そうです」
「どんな話だ?」

医薬新聞を読みながら毅は話を聞いた。それは隣町の噂だった。

「民間療法」
「はい。隣町には医者がいないので、うちの病院に患者が来ていたんですが。最近、そこに民間療法の女がいるようなんですよ」

薬剤師の男は噂話を説明した。毅は新聞を読みながら聞いた。

「今まではですね。何でもかんでもうちの病院に来てましたよね?でも、その女は、病院に行くまで、家庭で治してしまうみたいです」
「医師でもないのに?違法じゃないか」
「そうじゃないみたいですよ」

今度は看護婦が毅にコーヒーを入れた。

「先生どうぞ。この前、うちに来た患者さん。頭痛がするって人で、毅先生は頭痛薬を出して。それでも何度も来ていた中年の派手な女性の患者さんを覚えていませんか?」
「ああ。金歯の患者だろう。来なくなったが、あれがどうした」
「私、この前。その患者さんにメガネ屋さんで会ったんです」

看護婦は気まずそうに話した。

「先生、気を悪くしないでくださいね。その人、民間療法の人に言われて、メガネを作り直して頭痛が治ったそうです」
「メガネ?」

毅は思い返していた。

「そうか。確かにメガネをしていたな。ではあの頭痛は、メガネの度が合わないせいか」
「さあ?私は先生のお薬のおかげと思いますけど。とにかくメガネを変えて治ったと、本人は言っていました」

あ!と若い内科医は何かを思い出していた。

「そういえば。私のところに来た患者さんで。胃が痛いというので胃薬を出していたんです。でも、治らなければ次回、レントゲンで検査しようとしてたんですが」
「初めて聞く話だな。そして?」
「はい。その患者さん、翌日すぐ来て、心臓を診てくれって。だから毅先生に回したんです」
「あの若い心臓の患者か。あれは君の見立てじゃなかったのか」
「すいません。忙しくて」

外科医の毅。心臓の雑音から心臓弁膜の病を見抜き、その患者は大学病院に入院をさせていた。

「君は胃と心臓を間違えたのか」
「というか。患者さんが胃だって自分で言ったんですよ。でも、その人、民間療法の人に話をしたら、痛みのある場所は心臓だから、すぐに診てもらえって言われたそうです」

もう医療新聞を置いていた毅。若手の医師にため息をついた。

「君。胃と心臓は近いが、痛みは違う。そこは確認しないといけないぞ。それに聴診器で音がわかるはずだ。胃と言われても全体を見ないとダメだぞ」
「はい」

ここでベテラン老内科医が笑った。

「まあまあ。よくありますよ。そこは見抜いた民間人がすごいんですよ」
「まあ、私にすれば常識の範囲ですがね」

親が医師。母が看護婦の毅。それくらいは常識だろうと思っていた。しかし、老医師に笑われてしまった。

「毅先生はそうかもしれませんが、一般人にはできませんよ」
「一般人、ですか」

ふと毅は机に飾ってある家族写真を見た。

……文子なら。それくらいはできるであろうな。まあ、あの娘は特別か。

細かいことに気がきく娘。一度言ったことは覚えている娘。毅は自分がそうであったので、これは当然と思っていた。しかし、こうして離れてみると文子は優秀な娘である。

文子が少女の頃。近所の犬が怪我をしたので診て欲しいと、幼い子供飼い主に駆け込まれたことがあった。人間の医師の毅。プライドで動物など診ないと返してしまった。

しかし。見かねた文子。祖母の指示で足の骨折の治療をし、器用に当て木をし、結局、治してしまったことがあった。

生前の母は、文子のことを高く評価していたことを思い出していた。

……今頃どこにおるのだ。行く宛もないのに。

祖母の死去、年上男性への縁談。そして大金の持ち出し。これを理由に家出をしたと思っている毅。二階堂家が崩壊寸前の状況。今はただ、純粋に、娘に会いたかった。


◇◇◇

「民間療法の女ですか」
「はい、あの鈴木さって。本当に鈴木さんですよね?」

隣町の違法薬局。顔を包帯で隠した鈴木に薬剤師は二度見した。

「はい。ちょっと顔に怪我をしまして」
「それは失礼しました。話の続きです」

違法薬局。賭博で金に困り、鈴木の新薬を勝手市で販売していたが、最近売れなくなっているとこぼした。

「民間療法の女がいるんですが。その女の薬草とかお茶が流行してるんですよ」
「それは。医薬品とか何かですか」
「いいえ?女が山で採ったただの薬草ですよ。でも、美味しいって評判なんです」
「……そっちが人気なんですね。そうですか」

薬剤師はそのお茶を取り出した。

「どうぞ。淹れたので飲んで見てください。ただのお茶ですけど」
「いただきます」

医薬に詳しい鈴木にはわかった。これは西洋の香草のハーブ。香りが高く、清涼感があった。

「ただの香りが高いお茶ですね」
「そうです。本人も効能を言っているわけじゃないんですけど。売ってる女が美人で。他の野菜とか珍しいジャムなどを売っているんですよ」
「美人か。それは曲者だ」

寂れた薬局。商店街の窓の外は落ち葉。鈴木は包帯の顔で店のカレンダーを見た。

「今度のその勝手市はいつですか」
「三週間後ですね。その時に、その女も来ると思いますが」

……警察も動いているし。その市では問題だな。

悪党鈴木。民間療法の女の居場所を発見し、そこで片付けようと考えた。
薬剤師から女の情報を聞き出した鈴木。手下の男達のアジトに足を運んだ。

「女は大森村の奥から来ているらしい」
「大森村?あんなど田舎じゃ。女の居場所がすぐわかりますぜ」

息巻く男達。しかし、鈴木は女に興味があった。

「いいか。締め上げる前に俺が出向く。もしかすると、仲間にすれば戦力だ」
「じゃあ。俺たちは居場所を探せばいいんですな」
「ああ。頼むよ」


鈴木はそう言って新薬を置いた。男達は嬉しそうにこれを受け取った。

「あまり使いすぎるなよ。じゃあな」

そう言っている間。男達は奪うように喧嘩をしていた。鈴木は微笑んでアジトを後にした。

駅までの道。彼はポケットから紙に包まれた乾燥果実を取り出した。食べた。

「うん?これはイチジクか……なるほど。これはうまい」

街路樹が少し黄色く染まった駅までの道。鈴木は帽子を深く被った。コートを着た彼、口の中の甘いイチジクを噛みしめながら明日の事を考えていた。


『触手』 完

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