第4話 二階堂家
文字数 3,462文字
「文子がいない?それは、どういうことだ」
「これを見てください。あの娘、家出をしたんです」
一日の診察を終えた二階堂毅。妻の金切声に顔を顰めた。娘、文子の美文字。じっと読んだ。
「これによると。文子は母を偲んでおるようだな。だが、どこに行くというのだ」
「わかりません。親戚や友人にも聞きましたが。行きそうなところにはどこにもいませんわ」
一日の診療で疲労困憊、仕事で手一杯の毅。この手紙を妻に突き返した。
「お前がしっかりしておらぬから、こういうことになるのだ」
叱責を受けた照代。自室にさった夫に頭を下げて部屋に座った。気を落ち着けようと、キセルに火を入れ吸っていた。
……それにしても。どこに行ったというのだろう。お金もないはずなのに。
学校も行かせず友人もいないはず。翌朝、照代は文子と仲が良かった若い看護師を呼び、聞いてみた。
「奥様。私は何も聞いていません」
「なんでもいいのよ。気になることがあったら」
怖いくらいの笑み。若い看護婦は最後に文子に会った時のことを話した。
「そう、ですね」
彼女はゆっくりと思い出していた。
「文子さんは、大奥様が亡くなって、それは気落ちしてました。奥座敷であんなに写経をして。思い詰めているようで。私、心配です」
……自殺でもしているのかと思っているのね。優しいこと。それなら大歓迎なのに。
恐ろしい心を隠した照代。看護婦の手をぎゅうと握った。
「ありがとう心配してくれて。あなたは仕事に戻っていいわよ」
彼女を退席させた照代。いなくなる前の文子を思い出していた。
……そうね。やけに写経をしていたわね。
喪に服す意味で不自然ではない。しかし、照代は気になった。
……奥座敷。もしかして、もしかして!?
照代は思い立ち、すぐに奥座敷に向かった。亡き姑の部屋。箪笥を片っ端から開けた。
「あった。指輪に、着物の帯留め……バッグに、ネックレス」
高価な品。文子が盗ったと思った照代。貴重品が残っていたことに安堵した。
他にも腕時計や真珠のイヤリング。宝石、鼈甲 のかんざし。珊瑚の首飾り。フランス人形。義母の大事にしているものが残っていた。
「あ。現金が隠してあったわ?なんて愚かなお義母様?。ほほほ」」
亡き祖母は文子を逃すためにあえて残した高価な遺品。それに気付かない照代。嬉しさのあまり文子のことなど忘れていた。
◇◇◇
二階堂病院は院長の毅以外にも医者が多くいた。地域の中病院。入院患者も扱う総合病院である。毅は外科医。その腕を買われて大学病院の手術を手伝うなど信用されていた。
最初に結婚した妻は見合いの娘。色白の美人で両親も大変気に入っていた娘だった。聡明な彼女は事務を取り仕切り、毅は安心して医療に取り組んでいたが、彼女は病で亡くなってしまった。
後妻に選んだのは看護婦だった女。家を任せられると思い籍を入れた。世継ぎの男子も二人産んでくれた彼女。が、これに気が大きくなり、最近では傲慢になり文子を蔑ろにし、金遣いが荒くなっていた。
しかし。毅は仕事中心。家のことは全て照代に任せていた。
「二階堂君。お袋さんの件、ご愁傷様だったな」
「これはどうも」
大学病院の学会の帰りの食事会。毅は同じ医者の先輩と話になった。彼は弔問にきてくれた人物。毅はお礼を言った。
「おかげさまで。やっと落ち着いてきました」
「そうか。ところで、あの時、受付にいたのは娘さんか?」
「文子ですね。何か粗相 でもありましたか?」
「いや、そうではない。綺麗な娘さんだなと評判だったんだぞ」
多数の人が来た葬儀の席。親族を労い、弔問客に挨拶している様子がとても好評だったと彼は酒を飲んだ。
「嫁の行き先は決まっているのか?わしの甥っ子が歯科医をしておるが、まだ独身でな。お前さんの所へ婿でも良いぞ。二階堂病院にまだ歯医者は無かろう」
「そう、ですね」
文子がいない事実。毅はそれを酒で流し込んだ。
「なんだ!その顔は。さては大事な一人娘なので、貴様。出し惜しみをしているな?」
「まあ、そんな所ですかね。ささ、先輩もどうぞ」
誤魔化すように進めた酒の席。他の者にも文子のことを聞かれた毅。この夜は歯痒い思いで自宅に帰った。
「おかえりなさいませ」
疲れた顔の照代。彼の着替えを手伝った。浴衣姿の毅。居間にやってきた彼。ふと、息子たちのことが気になった。
「そうだ。最近、一郎の成績はどうなんだ」
医学生の自慢の息子。後継者の息子の成績は重要だった。
「……実は。進級が難しいようです」
「どういうことだ」
グラスにウィスキーを出した照代。苦しそうに話した。
「悪い友達ができたようで。その、成績も良くないようで」
「またか」
金を持っている一郎。遊びと称して友人たちに高 られていた。それは何度言っても通じなかった。真面目に大学を出た毅には、全く理解できないことだった。
「次郎は。大学は受かるんだろうな」
「それが」
「今度は何だ」
照代は苦しそうに椅子に崩れるように座った。
「どうやら。女がいるようなんです」
「女?まだ学生の身分で」
「……入れ上げていて。年上の水商売の女のようで」
「別れさせろ!手切金でも払え」
「そのつもりです」
毅は煽るように酒を飲んだ。
「お前がしっかりしないから。このようなことになるのだ」
「また私のせいですか?あなたが息子たちに何も言ってくださらないから」
「うるさい!」
毅は照代の頬を打った。
「文子の件もそうだ。お前があんなに責めるから。出て行ってしまったではないか」
「それも私のせいですか?」
「当然だ。良いか?一郎も次郎も、必ず医者にしろ!そして、文子も探し出せ!」
毅はそう怒鳴り、部屋に行ってしまった。夜の部屋、照代は一人泣くだけだった。
◇◇◇
数日後。照代は一郎を呼び出した。
「なんですか、お母さん」
「一郎。お前の成績をお父様は知っているのよ?どうするつもりなの」
「……別に。これからやれば間に合いますよ」
「いつもいつもそういうけど。このままでは進級できないでしょう!」
帰宅後の一郎。酒の匂いをさせ面倒くさそうにソファに座った。
「お母さん。ある教授が、お金で単位をくれるんだよ。それなら進級できるんだ。ねえ、なんとかならないかな」
「お前はいつもそんなことを言って」
大学は実習をする場。実際は国家試験で医師免許を取れば良いと一郎はいつも母を誤魔化していた。照代は今回も息子に負けて、金を支度すると言ってしまった。
それが終わった照代。次郎を呼び出した。
「何ですか?お母さん」
「次郎。あの女はやめておきなさいと言ったでしょう」
「バレていたのか。ねえ、母さん、頼みがあるんだ」
次郎はスッとタバコに火をつけた。
「彼女が妊娠しているんだ。うちの病院で何とかならないかな」
「妊娠って。お前……」
呆れるよりも絶望。しかも相手は口止め料を求めていると次郎は言った。
「それは本当にお前の子なのかい」
「向こうはそう言ってるけど」
「……お金で解決するならそうするしかないね」
母が尻拭いする話に次郎は笑みを浮かべた。
「それなら俺も勉強してやるよ」
「約束だよ。私だって、大変なんだから」
疲れ切った母の顔。それを見て次郎はハハハと笑った。
「何を言っているんだよ?母さん。母さんなんか何もしてないじゃないか」
「え」
優しかった息子。冷たい目で自分を見ていた。
「俺たちに勉強させて。息子を医者にしたいだけじゃないか?母さんは、姉さんがいないと、何もできないし」
「お、お前」
次郎はタバコの火をふうと吐いた。
「本当は姉さんが跡取りになればよかったんだよ。父さんに似て、俺たちよりも頭が良くて、優しくて美人で」
「お黙り!それ以上はいくらお前でも許さないよ」
母の怒りの真っ赤な目。次郎は肩をすくめた。
「おお怖?じゃ、そういうわけで」
部屋を出て行った次郎。照代は怒りに震えていた。
……全部、あの子のせいよ。
嫁に来た時、丁寧に挨拶ができた女の子。美しい黒髪の色白の顔。優しい性格、一度言えば覚える有能さ。幼い頃から文子は賢い娘だった。
姑には前妻と自分を比べられ、息子達と文子も比較された。気にするなという夫の言葉も届かないほど、照代は傷ついていた。その怒りの矛先は、一番弱い文子に向かっていた。
髪を乱した照代。夜の一人部屋。ウィスキーを飲んだ。その足で仏壇に手を合わせた。
「お義母様……あなたの可愛い文子ですけど」
照代はちらと遺影を見た。
「必ず見つけてあげますよ。ここから逃げて、幸せになんかしませんから」
仏間の義母の写真は何も言わなかった。しかし照代は微笑んで寝室に向かった。文子が去った二階堂家は、嵐が吹き荒れていた。
「二階堂家」 完
「これを見てください。あの娘、家出をしたんです」
一日の診察を終えた二階堂毅。妻の金切声に顔を顰めた。娘、文子の美文字。じっと読んだ。
「これによると。文子は母を偲んでおるようだな。だが、どこに行くというのだ」
「わかりません。親戚や友人にも聞きましたが。行きそうなところにはどこにもいませんわ」
一日の診療で疲労困憊、仕事で手一杯の毅。この手紙を妻に突き返した。
「お前がしっかりしておらぬから、こういうことになるのだ」
叱責を受けた照代。自室にさった夫に頭を下げて部屋に座った。気を落ち着けようと、キセルに火を入れ吸っていた。
……それにしても。どこに行ったというのだろう。お金もないはずなのに。
学校も行かせず友人もいないはず。翌朝、照代は文子と仲が良かった若い看護師を呼び、聞いてみた。
「奥様。私は何も聞いていません」
「なんでもいいのよ。気になることがあったら」
怖いくらいの笑み。若い看護婦は最後に文子に会った時のことを話した。
「そう、ですね」
彼女はゆっくりと思い出していた。
「文子さんは、大奥様が亡くなって、それは気落ちしてました。奥座敷であんなに写経をして。思い詰めているようで。私、心配です」
……自殺でもしているのかと思っているのね。優しいこと。それなら大歓迎なのに。
恐ろしい心を隠した照代。看護婦の手をぎゅうと握った。
「ありがとう心配してくれて。あなたは仕事に戻っていいわよ」
彼女を退席させた照代。いなくなる前の文子を思い出していた。
……そうね。やけに写経をしていたわね。
喪に服す意味で不自然ではない。しかし、照代は気になった。
……奥座敷。もしかして、もしかして!?
照代は思い立ち、すぐに奥座敷に向かった。亡き姑の部屋。箪笥を片っ端から開けた。
「あった。指輪に、着物の帯留め……バッグに、ネックレス」
高価な品。文子が盗ったと思った照代。貴重品が残っていたことに安堵した。
他にも腕時計や真珠のイヤリング。宝石、
「あ。現金が隠してあったわ?なんて愚かなお義母様?。ほほほ」」
亡き祖母は文子を逃すためにあえて残した高価な遺品。それに気付かない照代。嬉しさのあまり文子のことなど忘れていた。
◇◇◇
二階堂病院は院長の毅以外にも医者が多くいた。地域の中病院。入院患者も扱う総合病院である。毅は外科医。その腕を買われて大学病院の手術を手伝うなど信用されていた。
最初に結婚した妻は見合いの娘。色白の美人で両親も大変気に入っていた娘だった。聡明な彼女は事務を取り仕切り、毅は安心して医療に取り組んでいたが、彼女は病で亡くなってしまった。
後妻に選んだのは看護婦だった女。家を任せられると思い籍を入れた。世継ぎの男子も二人産んでくれた彼女。が、これに気が大きくなり、最近では傲慢になり文子を蔑ろにし、金遣いが荒くなっていた。
しかし。毅は仕事中心。家のことは全て照代に任せていた。
「二階堂君。お袋さんの件、ご愁傷様だったな」
「これはどうも」
大学病院の学会の帰りの食事会。毅は同じ医者の先輩と話になった。彼は弔問にきてくれた人物。毅はお礼を言った。
「おかげさまで。やっと落ち着いてきました」
「そうか。ところで、あの時、受付にいたのは娘さんか?」
「文子ですね。何か
「いや、そうではない。綺麗な娘さんだなと評判だったんだぞ」
多数の人が来た葬儀の席。親族を労い、弔問客に挨拶している様子がとても好評だったと彼は酒を飲んだ。
「嫁の行き先は決まっているのか?わしの甥っ子が歯科医をしておるが、まだ独身でな。お前さんの所へ婿でも良いぞ。二階堂病院にまだ歯医者は無かろう」
「そう、ですね」
文子がいない事実。毅はそれを酒で流し込んだ。
「なんだ!その顔は。さては大事な一人娘なので、貴様。出し惜しみをしているな?」
「まあ、そんな所ですかね。ささ、先輩もどうぞ」
誤魔化すように進めた酒の席。他の者にも文子のことを聞かれた毅。この夜は歯痒い思いで自宅に帰った。
「おかえりなさいませ」
疲れた顔の照代。彼の着替えを手伝った。浴衣姿の毅。居間にやってきた彼。ふと、息子たちのことが気になった。
「そうだ。最近、一郎の成績はどうなんだ」
医学生の自慢の息子。後継者の息子の成績は重要だった。
「……実は。進級が難しいようです」
「どういうことだ」
グラスにウィスキーを出した照代。苦しそうに話した。
「悪い友達ができたようで。その、成績も良くないようで」
「またか」
金を持っている一郎。遊びと称して友人たちに
「次郎は。大学は受かるんだろうな」
「それが」
「今度は何だ」
照代は苦しそうに椅子に崩れるように座った。
「どうやら。女がいるようなんです」
「女?まだ学生の身分で」
「……入れ上げていて。年上の水商売の女のようで」
「別れさせろ!手切金でも払え」
「そのつもりです」
毅は煽るように酒を飲んだ。
「お前がしっかりしないから。このようなことになるのだ」
「また私のせいですか?あなたが息子たちに何も言ってくださらないから」
「うるさい!」
毅は照代の頬を打った。
「文子の件もそうだ。お前があんなに責めるから。出て行ってしまったではないか」
「それも私のせいですか?」
「当然だ。良いか?一郎も次郎も、必ず医者にしろ!そして、文子も探し出せ!」
毅はそう怒鳴り、部屋に行ってしまった。夜の部屋、照代は一人泣くだけだった。
◇◇◇
数日後。照代は一郎を呼び出した。
「なんですか、お母さん」
「一郎。お前の成績をお父様は知っているのよ?どうするつもりなの」
「……別に。これからやれば間に合いますよ」
「いつもいつもそういうけど。このままでは進級できないでしょう!」
帰宅後の一郎。酒の匂いをさせ面倒くさそうにソファに座った。
「お母さん。ある教授が、お金で単位をくれるんだよ。それなら進級できるんだ。ねえ、なんとかならないかな」
「お前はいつもそんなことを言って」
大学は実習をする場。実際は国家試験で医師免許を取れば良いと一郎はいつも母を誤魔化していた。照代は今回も息子に負けて、金を支度すると言ってしまった。
それが終わった照代。次郎を呼び出した。
「何ですか?お母さん」
「次郎。あの女はやめておきなさいと言ったでしょう」
「バレていたのか。ねえ、母さん、頼みがあるんだ」
次郎はスッとタバコに火をつけた。
「彼女が妊娠しているんだ。うちの病院で何とかならないかな」
「妊娠って。お前……」
呆れるよりも絶望。しかも相手は口止め料を求めていると次郎は言った。
「それは本当にお前の子なのかい」
「向こうはそう言ってるけど」
「……お金で解決するならそうするしかないね」
母が尻拭いする話に次郎は笑みを浮かべた。
「それなら俺も勉強してやるよ」
「約束だよ。私だって、大変なんだから」
疲れ切った母の顔。それを見て次郎はハハハと笑った。
「何を言っているんだよ?母さん。母さんなんか何もしてないじゃないか」
「え」
優しかった息子。冷たい目で自分を見ていた。
「俺たちに勉強させて。息子を医者にしたいだけじゃないか?母さんは、姉さんがいないと、何もできないし」
「お、お前」
次郎はタバコの火をふうと吐いた。
「本当は姉さんが跡取りになればよかったんだよ。父さんに似て、俺たちよりも頭が良くて、優しくて美人で」
「お黙り!それ以上はいくらお前でも許さないよ」
母の怒りの真っ赤な目。次郎は肩をすくめた。
「おお怖?じゃ、そういうわけで」
部屋を出て行った次郎。照代は怒りに震えていた。
……全部、あの子のせいよ。
嫁に来た時、丁寧に挨拶ができた女の子。美しい黒髪の色白の顔。優しい性格、一度言えば覚える有能さ。幼い頃から文子は賢い娘だった。
姑には前妻と自分を比べられ、息子達と文子も比較された。気にするなという夫の言葉も届かないほど、照代は傷ついていた。その怒りの矛先は、一番弱い文子に向かっていた。
髪を乱した照代。夜の一人部屋。ウィスキーを飲んだ。その足で仏壇に手を合わせた。
「お義母様……あなたの可愛い文子ですけど」
照代はちらと遺影を見た。
「必ず見つけてあげますよ。ここから逃げて、幸せになんかしませんから」
仏間の義母の写真は何も言わなかった。しかし照代は微笑んで寝室に向かった。文子が去った二階堂家は、嵐が吹き荒れていた。
「二階堂家」 完