第8話 小さき参拝者
文字数 7,009文字
「源様。お粥ができました」
「……ん?なんだこれは。花か」
「はい。食べられるんですよ」
二人の朝食。山の薬草畑。そこから採ってきた食用の菊。酢の物にした料理。源之丞は寄り目にしながら食べた。
「うまい!花って食えるのか?」
「ふふ。この花は特別です。さあ。お粥もどうぞ」
今朝は源之丞が採ってきた小魚が入った鍋。囲炉裏端、味噌で仕立てた文子。狐面を外し食べる源之丞を心配そうに見ていた。
「どうですか」
「……お代わり」
「もう?」
食べるのに夢中な源之丞。文子を見ずにガツガツ食べた。そして食後。彼女が出したお茶を飲んでいた。
「おかしい、これはおかしい」
「どうしたんですか」
欠けた湯呑みを見ながら。彼はぽつと言い出した。
「……なぜお前が作ると美味いのだ?お前は何か入れているのか?」
最高の褒め言葉。しかし。彼は大変気にしている様子。文子はちょっと考えた。
「何も入れていませんよ。一緒に食べるから美味しいのではないですか」
「一緒……」
それにしても不思議顔。こんな源之丞であったが、お茶を飲んだ。今朝も文子はやることがいっぱい。そんな文子は朝食時にお昼の握り飯を作った。笹の葉にくるんだ握り飯。漬物も入った包み。源之丞の横に置いた。
「はい。これです。昨日のように早くに食べてはなりませんよ」
「二個か?三個か?」
「大きいのが二個です」
「……大きいのが三個が良いのに」
不服そうな源之丞。文子もそうだと思った。
……あんなに森の中を動いているんですもの。お腹も空くわね。
そんな思いも知らず彼はスッと立ち上った。そして狐面を付けた。
「行ってくる」
「はい。あ?そうだわ。源様。お砂糖を使っていいですか」
「良い。好きにいたせ」
彼はそう言って今朝も出かけていった。
「さあ!始めましょう」
文子も早速支度に取り掛かった。
大森神社の保存庫。ここには清吉が村人と物々交換してくれた食べ物があった。野菜と肉は源之丞が自分で採るが、米はもらっている状態。
源之丞の動きから見て、もっと米が欲しいところであった。居候の文子。清吉に任されてこの在庫を見て、自分は米を口にせず、芋や豆を食べていた。
……もっと、お腹いっぱい食べさせてあげたいわ。
ここで文子は、森で収穫した李をジャムにしようとしていた。他にも杏子 を乾燥させた菓子や、梅干しの梅など。多くを加工していた。
医者の娘の文子。実家にいた時から家事をこなしていた。祖母の教えで果実を貯蔵する術。食べ物を大切にする思いで、源之丞が収穫してくる食べ物を加工していた。
これを清吉に物々交換して貰えば。もっと源之丞に米を食べさせてやれるのではないかと考えた文子。早速、ジャムを作っていた。
……美味しい。でも色が綺麗にでないわ。
実家ではレモンを使って鮮やかな色にする。しかし、ここは山の中。そんな西洋の果実はない。ジャムを冷ましている間、文子は庭に出て何気に神社の木々を眺めていた。
……あれは。酢橘 かしら?青いけど。
届く箇所の果実。取ってみた。レモンの代わりに絞ってみようと文子は台所に帰ろうとした。
「うわあ!?人がいる?」
「きゃあああ」
大森神社の境内。井戸のそば。そこには少年が立っていた。文子を見てびっくり。文子もびっくりしていた。
「お前は誰だ!ここは、あいつしかいないはずだ」
「私は、その、居候で」
「居候?」
うす汚れた着物の少年。手には竹製の水入れを持っていた。井戸のそばにいた少年。文子は水を汲みにきたのかと思った。
「水汲み?」
「……う、うるさい!」
彼はそう言って走って帰っていった。水を汲まずに去った少年。文子はその背を境内の上から見ていた。
その日の夜。少年のことを文子は源之丞に話した。素顔の彼は焼き魚をむしゃむしゃ食べながら話した。
「そいつは我が神社の水を汲みにきたのであろう。あの水は病を治すとされておるのでな」
「では。あの子の家族で、具合の悪い人がいるんでしょうか」
「さあな。俺には関係のないことだ。おい、お代わり!」
「はい。どうぞ」
文子の料理がうまい源之丞。今日も野良仕事に精をだし、腹が空いていた。しかし、なぜか文子はあまり食べていない様子だった。
「おい。なぜ食わぬ」
「食べてますよ」
「……先ほどから、汁ばかり。腹が減っておらぬのか」
この神社にあるのは源之丞の米。文子の分まではない。彼女は彼に心配かけたくなかった。
「味見をしたので。そんなに減ってないんです。さあ。源様はどうぞ」
「お。おお」
白い米に目を光らせる源之丞。文子はそれで十分だった。
翌朝。源之丞を送り出した文子。ジャムを完成させた。しかし悩みがあった。
「容器がないわ。ガラス瓶がいいのだけど」
清潔に入れたいが、その器がない。これに文子は頭を抱えていた。そんな時、昨日の少年がやはりやってきた。
……昨日は遠慮して。水を汲まなかったのよね。私はいない方がいいわ。
台所からそっと見ると。少年は必死に水を汲んでいた。そしてその足で、神社の祭壇にやってきた。
……お参りしているわ。きっと家族に病で重い人がいるのね。
気の毒になった文子。少年の悲しそうな顔に、自分の胸も苦しくなっていた。
翌日。水を汲みにきた少年に。思い切って話しかけてみた。
「うるさい!女のお前にわかるもんか」
「私は少し薬草の心得があるの。何があったの?」
すると少年はポツポツ話しだした。
「……母さんが、母さんが」
たった一人の肉親。熱でうなされて寝込んでいるという。原因は不明であるが、母親はもう何日も食べ物を口にしていないと少年はこぼした。
「そう……あのね。このジャムなんだけど」
「ジャム?」
少年の竹筒をみた文子は、竹を切ってジャムを入れてみた。これを少年に持たせた。
「その井戸の水を沸かして。これを溶かして飲んでみて?喉の痛みが楽になるわ。それと、これもどうぞ」
「卵?いいのかい」
「ええ。お母さんを大切にね」
痩せている少年。これを抱えて帰る様子。文子は見送った。この夜、この話をすると源之丞は怒り出した。
「あの卵、せっかく食おうとしたのに」
「源様の分はございますよ。ほら。ゆで卵、お塩をかけましょうね」
そう言ってくれた白い玉。源之丞はぱくと食べた。そのうまさ。目を丸くしていた。そしてニンマリ笑っていた。
……よかった。二個しかないから。源様に食べていただいて。
こうして彼に夕食を食べさせた文子。ジャムを入れる容器をつくろうと、囲炉裏の隅で切った竹を形を整え、容器を作っていた。
「それは何ができるのだ」
「ジャムや乾燥果物を入れて、お米と交換するんですよ」
「これが米に………へえ」
文子は何をしているのかわからない源之丞。眠いと言って寝てしまった。
月明かり、虫の音の森の中。文子は静かに仕事をしていた。
……いつまでも源様に甘えていられないわ。
自分の仕事を見つけようと、文子は必死に働いていた。
その翌日。神社には少年がやってきた。
「これ。返す」
「ジャムの容れ物ね。お母さんのお熱は下がったの」
「うん……」
何かいいたそうな少年。文子をモジモジみていた。
「そのジャムって。何なの?母さんはうまいって」
「李の砂糖漬けよ。あ?そうだ。あなたも卵を食べる?」
源之丞がまた見つけてきた卵。ゆで卵にした文子。少年にご馳走した。
「お塩を振るわよ?どう」
「うまい?!お前は、いつもこんなうまいものを食べているのか」
正直。文子の口には入ってないもの。彼女はこれには答えなかった。そして二人では神社に参拝した。
「姉さん。姉さんはどうしてここにいるの」
「少しの間。厄介になっているの」
「ふーん……あ?帰ってきた!」
風のように帰ってきた源之丞。文子の背に隠れた少年を見据えた。怯える少年。文子は庇うように挨拶した。
「おかえりなさいませ」
「やい!そこにいるの誰だ!ここは人が来るところではない!」
「……源様。この子はお母さんのために水を汲みにきただけで」
「ならぬ!帰れ!二度ど顔を出すな」
すると少年はピューと走って逃げていった。
「まあ」
「ふん!飯にしてくれ!腹が空いた」
……あそこまで言わなくてもいいのに。
人嫌いなのは理解しているつもり。しかし、少年への態度は冷たすぎると思った。
「おい。ネギがないぞ!ネギ」
「はい。どうぞ」
「……今日のは味が薄いぞ」
「すいません」
落ち込んでいる文子。食べながら源之丞は内心ドキドキしていた。そんな彼女は今夜もほとんど食べずに下がってしまった。
……なぜこのように。胸がモヤモヤするのであろうか。
自室に寝そべった源之丞。ボロの屋根の隙間から星を見ていた。
毎日、食べ物を持ってきているので、娘が困ることはないはず。なのに彼女は何か必死に作っている。それに、見知らぬ子供を庇っていた。
……俺の食べ物よりも。他がいいのか。それに、あの子供を庇うなど。
まだモヤモヤする源之丞。頭にきて夜の部屋を出た。そして文子を探した。
「やい!何をしておる」
「え?明日、清吉さんにこの品を売ろうと思って」
「こんなにか?」
台所の床。そこにはジャムや乾燥梅。食べられる菊。他にも珍しい食べ物が並べてあった。
「今はそのキノコをきれいにしていて」
「泥を取ったのか……お前、なぜここまでするのだ」
この時。文子のお腹がぐうーとなった。
つづく
「なんだ?お前、食べてないのか」
「いいえ?いいえ」
「お前……あ!」
ここで源之丞。夜の所蔵庫を蝋燭を手に確認した。確かに米が少なかった。
「そうか。最近は肉があまり取れぬで、米がないと爺が言っていたな」
「源様。大丈夫ですよ。この品で、なんとかお米が貰えますよ」
……この娘。俺の分しかないから。もしかして食べてなかったのか。
自分で作っておきながら。口にしてなかった娘。確かに痩せていた。源之丞は悔しさで拳を作った。その気持ちを知らず、文子は彼を励ました。
「源様。明日、私、清吉さんと村に行ってきます。そんなに心配しないで」
「俺はもう寝る!朝飯は要らぬ!」
怒って寝てしまった彼。文子は傷つけてしまったと思った。でも、明日のため、早く寝た。
翌朝。売るための品。カゴに入れた文子はよいしょと背負った。朝霧の神社の境内。空気が冷たい夏の朝だった。そこに彼が立っていた。
「おはようございます。握り飯は置いてあるので。食べてくださいね」
「……もう食った。それを持てば良いのか」
「え。でも」
狐面の彼。奪うように荷物を背負った。文子は彼を見上げた。
「源様。これから人に会うかもしれないですよ?だから、私が参ります」
しかし。彼は返事をせず黙って境内の階段を降り始めた。文子はその背を追った。
「旦那様。あの」
「お前は嘘つきだ」
「え」
源之丞はぽつりと話し出した。
「腹が減っているのにそれを俺に言わない。それは俺が嫌いだからだろう」
「違います?そうではありません」
「ではなぜ言わぬのだ」
寂しそうな背。文子は静かに語った。
「だって。私は押しかけでこうしていさせていただいて。源様のために何もしてないんですもの」
「……そうだな」
「だから。お役に立ちたいんです」
聞いていた源之丞。突然、階段に止まった。
「では。これが売れたら、お前は飯を食うのか」
やはり心配していた源之丞。文子は彼の気持ちに胸が熱くなり彼の着物の袖を掴んだ。
「源様。文子はちゃんと食べています」
すると彼は文子をふわと抱きしめた。
「また嘘を申した……お前は会った時よりも身が細い。俺はお前の腹の音など聞きとうない」
彼女の耳元に唸るような声。彼の胸の中、文子は目を瞑った。
「ごめんなさい。心配をかけて。でも、私。本当にそれを売ってみたいんです」
「……」
「源様。これは私の仕事です。やってみたいんです」
……こいつは仕事を探しておった。そうか。なら、仕方あるまい。
「わかった、許そう」
「はい」
「だがな」
彼はまだぎゅっ抱きしめた。
「帰って来れるな?神社はそこだぞ?」
優しく囁く源之丞。文子は優しさに溺れそうになった。
「はい。帰れます」
「……では。参るか」
どんどん降る神社の階段。やがて村に降りてきた。二人が歩く様子。田んぼにいた村人達が物珍しそうに振り返っていた。源之丞はここまで送ってくれた。
この日、清吉と文子は村の市場にこれを売りに出かけた。月に一度の集まりの市場。駅前にてそれぞれが勝手に売り始めてのがきっかけの、勝手市 というものだった。
「すごい活気?野菜や、家具まで」
「えええ。わしはいつもあの角でやっておるんですよ」
暗黙の場所があるといい、清吉と文子はその定位置に陣取った。そして早速にを広げた。しかし、少々で遅れた感もあり、今回はなかなか客が来てくれなかった。
「どうしましょう。もっと声を掛けましょうか」
「そうですね。今回は、みんな規模が大きいようですな」
そこに。例の少年が顔を出した。
「姉さん。売れないのかい」
「ええ。困っているの」
「ふーん……」
すると少年は大きな声を出した。
「うわ?美味そうだな。それに、こんなの見た事ないや!」
周囲に聞こえるように話す少年。文子の商品を紹介し出した。
「俺の母さんが、これで元気になったんだ。これは効くよ。それにここにしか売ってない上物だよ!」
「そんなにか?じゃ、一つ買ってみるか」
「私もください」
「俺も!」
たくさんの人だかり。ここで商品は飛ぶように売れた。特に薬草は喜ばれた。
客から予約注文までもらった二人。早めに店じまいをした。そして売れたお金でお米などを買った。
「やった!こんなに売れるなんて」
「……私の野菜も売れましたが。文子さんの商品の評判が気になりますね」
ホクホク顔の帰り道。そこに少年がピョコと飛び出してきた。
「あ。あの時の。ありがとうね。ええと……」
飴を買った文子。少年にあげた。
「お駄賃よ。ありがとうね」
「へへ。いいんだ。母ちゃんが世話になったし」
「坊主……お前は石川さんちの子か」
米を背負う清吉に、少年はああとうなづいた。
「俺。伝助 って言うんだ。姉さんは?」
正体を知られると面倒。清吉は言葉を選んだ。
「……伝助よ。この方は文子さんだ。あの神社で、薬草の勉強をしているんだ」
「へえ?あの狐と一緒に住んでいるの」
「そうよ」
「ふーん」
村人が嫌う源之丞。近づくなと教えられた伝助は、目の前の清らかで優しい文子が彼と一緒とは、まだ信じられなかった。
そんな三人の夕暮れの道。町外れ田舎の土の香りの風。虫の音がうるさい夏の田んぼが大海原のように揺れていた。その一本道の先、清吉は微笑んだ。
「さて、お出ましだ。よほど心配だったのですな」
「源様?迎えに来てくれたんですか」
カンカンと一本下駄で走ってきた彼。まっすぐ文子を見ていた。
「お前はすぐ迷子になるのでな」
「ほほほ。これは大変じゃ」
溺愛振りに清吉は微笑んだ。文子は恥ずかしそうに誤魔化した。
「それよりも源様。これを見てください?お米がこんなに買えましたよ」
「おお?」
驚く源之丞を近くで伝助が見ていた。清吉は米をよいしょと道におろした。
「清吉の分は?」
「うちの分はわしが持っております。それは文子さんが売った分じゃ」
「あれが……米になったのか」
しみじみ話す源之丞。よいしょと米を担いだ。
「帰るぞ。清吉、世話になったな」
急かす源之丞。文子は慌てて挨拶をした。
「では。今日はありがとうございました。伝助君も、気をつけてね」
「ああ」
「……姉さん!飴、ありがとう」
源之丞と文子。神社まで歩いて帰っていた。
「しかし。こんなに米になるとは」
「だって。あの李、美味しいですもの。そうだ!今度、山椒の木があれば教えてくださいね。他には、そうだな。百合の花も咲いてないかな」
「……」
商品のアイディアが浮かぶ文子。ぐるぐる考えていた。
「あとは、また竹を切らないと。器がないもの」
気がつくと。階段の途中で源之丞が振り返っていた。怒っている様子だった。
「どうしたんですか」
「……ふん!」
やはり怒って階段を進む彼。その背を文子は見ていた。
……そうか。心配していたんだわ。
自分のことばかり考えていた文子。彼に悪いことをしたことに気がついた。
迎えに来てくれた彼。その広い背を見つめていた。
「源様」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「ふん。そんな礼は要らぬ。勝手にすれば良い」
……おへそが曲がってしまったわ?どうしよう。
カンカンと登っていく様。文子は必死に階段を追いかけた。
「待って。源様!……あれ、いない?」
登り上がった境内。しかし、源之丞が消えていた。
「源様!どこですか、どこ?」
僅かな光の母屋。文子はそこに急いだ。すると暗闇から手が伸び、彼女を背後から抱き留めた。
「ひや」
「……俺がこんなに心配しておったのに。お前はなぜそんなに楽しいのだ」
「だって、お米を」
「そんなに早く出て行きたいのか、ここを」
苦しそうな声。耳元の切ない思い。文子は目を瞑った。
「……いいえ。そうではありません」
「ではなぜ?」
「一緒に。一緒に食べたいからですよ」
「一緒に」
闇に紛れて抱き合う二人。互いの鼓動が聞こえていた。
「そうです。だって、美味しいですものね」
「……今宵はもう、俺が作った。卵を入れた」
そう言って彼は文子を解いた。そんな二人は手を繋いで母屋に向かった。
……どうして。こんなに優しいのかしら。本当に恩を返そうとしてるだけなのかな。それとも。
狐の面で見えぬ顔の彼、その彼に抱かずにはいられない思い。文子は必死に初恋を胸に押し沈めてていた。
夏の夜風、森の匂い。二人の夏は始まったばかりであった。
「小さき参拝者」完
「……ん?なんだこれは。花か」
「はい。食べられるんですよ」
二人の朝食。山の薬草畑。そこから採ってきた食用の菊。酢の物にした料理。源之丞は寄り目にしながら食べた。
「うまい!花って食えるのか?」
「ふふ。この花は特別です。さあ。お粥もどうぞ」
今朝は源之丞が採ってきた小魚が入った鍋。囲炉裏端、味噌で仕立てた文子。狐面を外し食べる源之丞を心配そうに見ていた。
「どうですか」
「……お代わり」
「もう?」
食べるのに夢中な源之丞。文子を見ずにガツガツ食べた。そして食後。彼女が出したお茶を飲んでいた。
「おかしい、これはおかしい」
「どうしたんですか」
欠けた湯呑みを見ながら。彼はぽつと言い出した。
「……なぜお前が作ると美味いのだ?お前は何か入れているのか?」
最高の褒め言葉。しかし。彼は大変気にしている様子。文子はちょっと考えた。
「何も入れていませんよ。一緒に食べるから美味しいのではないですか」
「一緒……」
それにしても不思議顔。こんな源之丞であったが、お茶を飲んだ。今朝も文子はやることがいっぱい。そんな文子は朝食時にお昼の握り飯を作った。笹の葉にくるんだ握り飯。漬物も入った包み。源之丞の横に置いた。
「はい。これです。昨日のように早くに食べてはなりませんよ」
「二個か?三個か?」
「大きいのが二個です」
「……大きいのが三個が良いのに」
不服そうな源之丞。文子もそうだと思った。
……あんなに森の中を動いているんですもの。お腹も空くわね。
そんな思いも知らず彼はスッと立ち上った。そして狐面を付けた。
「行ってくる」
「はい。あ?そうだわ。源様。お砂糖を使っていいですか」
「良い。好きにいたせ」
彼はそう言って今朝も出かけていった。
「さあ!始めましょう」
文子も早速支度に取り掛かった。
大森神社の保存庫。ここには清吉が村人と物々交換してくれた食べ物があった。野菜と肉は源之丞が自分で採るが、米はもらっている状態。
源之丞の動きから見て、もっと米が欲しいところであった。居候の文子。清吉に任されてこの在庫を見て、自分は米を口にせず、芋や豆を食べていた。
……もっと、お腹いっぱい食べさせてあげたいわ。
ここで文子は、森で収穫した李をジャムにしようとしていた。他にも
医者の娘の文子。実家にいた時から家事をこなしていた。祖母の教えで果実を貯蔵する術。食べ物を大切にする思いで、源之丞が収穫してくる食べ物を加工していた。
これを清吉に物々交換して貰えば。もっと源之丞に米を食べさせてやれるのではないかと考えた文子。早速、ジャムを作っていた。
……美味しい。でも色が綺麗にでないわ。
実家ではレモンを使って鮮やかな色にする。しかし、ここは山の中。そんな西洋の果実はない。ジャムを冷ましている間、文子は庭に出て何気に神社の木々を眺めていた。
……あれは。
届く箇所の果実。取ってみた。レモンの代わりに絞ってみようと文子は台所に帰ろうとした。
「うわあ!?人がいる?」
「きゃあああ」
大森神社の境内。井戸のそば。そこには少年が立っていた。文子を見てびっくり。文子もびっくりしていた。
「お前は誰だ!ここは、あいつしかいないはずだ」
「私は、その、居候で」
「居候?」
うす汚れた着物の少年。手には竹製の水入れを持っていた。井戸のそばにいた少年。文子は水を汲みにきたのかと思った。
「水汲み?」
「……う、うるさい!」
彼はそう言って走って帰っていった。水を汲まずに去った少年。文子はその背を境内の上から見ていた。
その日の夜。少年のことを文子は源之丞に話した。素顔の彼は焼き魚をむしゃむしゃ食べながら話した。
「そいつは我が神社の水を汲みにきたのであろう。あの水は病を治すとされておるのでな」
「では。あの子の家族で、具合の悪い人がいるんでしょうか」
「さあな。俺には関係のないことだ。おい、お代わり!」
「はい。どうぞ」
文子の料理がうまい源之丞。今日も野良仕事に精をだし、腹が空いていた。しかし、なぜか文子はあまり食べていない様子だった。
「おい。なぜ食わぬ」
「食べてますよ」
「……先ほどから、汁ばかり。腹が減っておらぬのか」
この神社にあるのは源之丞の米。文子の分まではない。彼女は彼に心配かけたくなかった。
「味見をしたので。そんなに減ってないんです。さあ。源様はどうぞ」
「お。おお」
白い米に目を光らせる源之丞。文子はそれで十分だった。
翌朝。源之丞を送り出した文子。ジャムを完成させた。しかし悩みがあった。
「容器がないわ。ガラス瓶がいいのだけど」
清潔に入れたいが、その器がない。これに文子は頭を抱えていた。そんな時、昨日の少年がやはりやってきた。
……昨日は遠慮して。水を汲まなかったのよね。私はいない方がいいわ。
台所からそっと見ると。少年は必死に水を汲んでいた。そしてその足で、神社の祭壇にやってきた。
……お参りしているわ。きっと家族に病で重い人がいるのね。
気の毒になった文子。少年の悲しそうな顔に、自分の胸も苦しくなっていた。
翌日。水を汲みにきた少年に。思い切って話しかけてみた。
「うるさい!女のお前にわかるもんか」
「私は少し薬草の心得があるの。何があったの?」
すると少年はポツポツ話しだした。
「……母さんが、母さんが」
たった一人の肉親。熱でうなされて寝込んでいるという。原因は不明であるが、母親はもう何日も食べ物を口にしていないと少年はこぼした。
「そう……あのね。このジャムなんだけど」
「ジャム?」
少年の竹筒をみた文子は、竹を切ってジャムを入れてみた。これを少年に持たせた。
「その井戸の水を沸かして。これを溶かして飲んでみて?喉の痛みが楽になるわ。それと、これもどうぞ」
「卵?いいのかい」
「ええ。お母さんを大切にね」
痩せている少年。これを抱えて帰る様子。文子は見送った。この夜、この話をすると源之丞は怒り出した。
「あの卵、せっかく食おうとしたのに」
「源様の分はございますよ。ほら。ゆで卵、お塩をかけましょうね」
そう言ってくれた白い玉。源之丞はぱくと食べた。そのうまさ。目を丸くしていた。そしてニンマリ笑っていた。
……よかった。二個しかないから。源様に食べていただいて。
こうして彼に夕食を食べさせた文子。ジャムを入れる容器をつくろうと、囲炉裏の隅で切った竹を形を整え、容器を作っていた。
「それは何ができるのだ」
「ジャムや乾燥果物を入れて、お米と交換するんですよ」
「これが米に………へえ」
文子は何をしているのかわからない源之丞。眠いと言って寝てしまった。
月明かり、虫の音の森の中。文子は静かに仕事をしていた。
……いつまでも源様に甘えていられないわ。
自分の仕事を見つけようと、文子は必死に働いていた。
その翌日。神社には少年がやってきた。
「これ。返す」
「ジャムの容れ物ね。お母さんのお熱は下がったの」
「うん……」
何かいいたそうな少年。文子をモジモジみていた。
「そのジャムって。何なの?母さんはうまいって」
「李の砂糖漬けよ。あ?そうだ。あなたも卵を食べる?」
源之丞がまた見つけてきた卵。ゆで卵にした文子。少年にご馳走した。
「お塩を振るわよ?どう」
「うまい?!お前は、いつもこんなうまいものを食べているのか」
正直。文子の口には入ってないもの。彼女はこれには答えなかった。そして二人では神社に参拝した。
「姉さん。姉さんはどうしてここにいるの」
「少しの間。厄介になっているの」
「ふーん……あ?帰ってきた!」
風のように帰ってきた源之丞。文子の背に隠れた少年を見据えた。怯える少年。文子は庇うように挨拶した。
「おかえりなさいませ」
「やい!そこにいるの誰だ!ここは人が来るところではない!」
「……源様。この子はお母さんのために水を汲みにきただけで」
「ならぬ!帰れ!二度ど顔を出すな」
すると少年はピューと走って逃げていった。
「まあ」
「ふん!飯にしてくれ!腹が空いた」
……あそこまで言わなくてもいいのに。
人嫌いなのは理解しているつもり。しかし、少年への態度は冷たすぎると思った。
「おい。ネギがないぞ!ネギ」
「はい。どうぞ」
「……今日のは味が薄いぞ」
「すいません」
落ち込んでいる文子。食べながら源之丞は内心ドキドキしていた。そんな彼女は今夜もほとんど食べずに下がってしまった。
……なぜこのように。胸がモヤモヤするのであろうか。
自室に寝そべった源之丞。ボロの屋根の隙間から星を見ていた。
毎日、食べ物を持ってきているので、娘が困ることはないはず。なのに彼女は何か必死に作っている。それに、見知らぬ子供を庇っていた。
……俺の食べ物よりも。他がいいのか。それに、あの子供を庇うなど。
まだモヤモヤする源之丞。頭にきて夜の部屋を出た。そして文子を探した。
「やい!何をしておる」
「え?明日、清吉さんにこの品を売ろうと思って」
「こんなにか?」
台所の床。そこにはジャムや乾燥梅。食べられる菊。他にも珍しい食べ物が並べてあった。
「今はそのキノコをきれいにしていて」
「泥を取ったのか……お前、なぜここまでするのだ」
この時。文子のお腹がぐうーとなった。
つづく
「なんだ?お前、食べてないのか」
「いいえ?いいえ」
「お前……あ!」
ここで源之丞。夜の所蔵庫を蝋燭を手に確認した。確かに米が少なかった。
「そうか。最近は肉があまり取れぬで、米がないと爺が言っていたな」
「源様。大丈夫ですよ。この品で、なんとかお米が貰えますよ」
……この娘。俺の分しかないから。もしかして食べてなかったのか。
自分で作っておきながら。口にしてなかった娘。確かに痩せていた。源之丞は悔しさで拳を作った。その気持ちを知らず、文子は彼を励ました。
「源様。明日、私、清吉さんと村に行ってきます。そんなに心配しないで」
「俺はもう寝る!朝飯は要らぬ!」
怒って寝てしまった彼。文子は傷つけてしまったと思った。でも、明日のため、早く寝た。
翌朝。売るための品。カゴに入れた文子はよいしょと背負った。朝霧の神社の境内。空気が冷たい夏の朝だった。そこに彼が立っていた。
「おはようございます。握り飯は置いてあるので。食べてくださいね」
「……もう食った。それを持てば良いのか」
「え。でも」
狐面の彼。奪うように荷物を背負った。文子は彼を見上げた。
「源様。これから人に会うかもしれないですよ?だから、私が参ります」
しかし。彼は返事をせず黙って境内の階段を降り始めた。文子はその背を追った。
「旦那様。あの」
「お前は嘘つきだ」
「え」
源之丞はぽつりと話し出した。
「腹が減っているのにそれを俺に言わない。それは俺が嫌いだからだろう」
「違います?そうではありません」
「ではなぜ言わぬのだ」
寂しそうな背。文子は静かに語った。
「だって。私は押しかけでこうしていさせていただいて。源様のために何もしてないんですもの」
「……そうだな」
「だから。お役に立ちたいんです」
聞いていた源之丞。突然、階段に止まった。
「では。これが売れたら、お前は飯を食うのか」
やはり心配していた源之丞。文子は彼の気持ちに胸が熱くなり彼の着物の袖を掴んだ。
「源様。文子はちゃんと食べています」
すると彼は文子をふわと抱きしめた。
「また嘘を申した……お前は会った時よりも身が細い。俺はお前の腹の音など聞きとうない」
彼女の耳元に唸るような声。彼の胸の中、文子は目を瞑った。
「ごめんなさい。心配をかけて。でも、私。本当にそれを売ってみたいんです」
「……」
「源様。これは私の仕事です。やってみたいんです」
……こいつは仕事を探しておった。そうか。なら、仕方あるまい。
「わかった、許そう」
「はい」
「だがな」
彼はまだぎゅっ抱きしめた。
「帰って来れるな?神社はそこだぞ?」
優しく囁く源之丞。文子は優しさに溺れそうになった。
「はい。帰れます」
「……では。参るか」
どんどん降る神社の階段。やがて村に降りてきた。二人が歩く様子。田んぼにいた村人達が物珍しそうに振り返っていた。源之丞はここまで送ってくれた。
この日、清吉と文子は村の市場にこれを売りに出かけた。月に一度の集まりの市場。駅前にてそれぞれが勝手に売り始めてのがきっかけの、
「すごい活気?野菜や、家具まで」
「えええ。わしはいつもあの角でやっておるんですよ」
暗黙の場所があるといい、清吉と文子はその定位置に陣取った。そして早速にを広げた。しかし、少々で遅れた感もあり、今回はなかなか客が来てくれなかった。
「どうしましょう。もっと声を掛けましょうか」
「そうですね。今回は、みんな規模が大きいようですな」
そこに。例の少年が顔を出した。
「姉さん。売れないのかい」
「ええ。困っているの」
「ふーん……」
すると少年は大きな声を出した。
「うわ?美味そうだな。それに、こんなの見た事ないや!」
周囲に聞こえるように話す少年。文子の商品を紹介し出した。
「俺の母さんが、これで元気になったんだ。これは効くよ。それにここにしか売ってない上物だよ!」
「そんなにか?じゃ、一つ買ってみるか」
「私もください」
「俺も!」
たくさんの人だかり。ここで商品は飛ぶように売れた。特に薬草は喜ばれた。
客から予約注文までもらった二人。早めに店じまいをした。そして売れたお金でお米などを買った。
「やった!こんなに売れるなんて」
「……私の野菜も売れましたが。文子さんの商品の評判が気になりますね」
ホクホク顔の帰り道。そこに少年がピョコと飛び出してきた。
「あ。あの時の。ありがとうね。ええと……」
飴を買った文子。少年にあげた。
「お駄賃よ。ありがとうね」
「へへ。いいんだ。母ちゃんが世話になったし」
「坊主……お前は石川さんちの子か」
米を背負う清吉に、少年はああとうなづいた。
「俺。
正体を知られると面倒。清吉は言葉を選んだ。
「……伝助よ。この方は文子さんだ。あの神社で、薬草の勉強をしているんだ」
「へえ?あの狐と一緒に住んでいるの」
「そうよ」
「ふーん」
村人が嫌う源之丞。近づくなと教えられた伝助は、目の前の清らかで優しい文子が彼と一緒とは、まだ信じられなかった。
そんな三人の夕暮れの道。町外れ田舎の土の香りの風。虫の音がうるさい夏の田んぼが大海原のように揺れていた。その一本道の先、清吉は微笑んだ。
「さて、お出ましだ。よほど心配だったのですな」
「源様?迎えに来てくれたんですか」
カンカンと一本下駄で走ってきた彼。まっすぐ文子を見ていた。
「お前はすぐ迷子になるのでな」
「ほほほ。これは大変じゃ」
溺愛振りに清吉は微笑んだ。文子は恥ずかしそうに誤魔化した。
「それよりも源様。これを見てください?お米がこんなに買えましたよ」
「おお?」
驚く源之丞を近くで伝助が見ていた。清吉は米をよいしょと道におろした。
「清吉の分は?」
「うちの分はわしが持っております。それは文子さんが売った分じゃ」
「あれが……米になったのか」
しみじみ話す源之丞。よいしょと米を担いだ。
「帰るぞ。清吉、世話になったな」
急かす源之丞。文子は慌てて挨拶をした。
「では。今日はありがとうございました。伝助君も、気をつけてね」
「ああ」
「……姉さん!飴、ありがとう」
源之丞と文子。神社まで歩いて帰っていた。
「しかし。こんなに米になるとは」
「だって。あの李、美味しいですもの。そうだ!今度、山椒の木があれば教えてくださいね。他には、そうだな。百合の花も咲いてないかな」
「……」
商品のアイディアが浮かぶ文子。ぐるぐる考えていた。
「あとは、また竹を切らないと。器がないもの」
気がつくと。階段の途中で源之丞が振り返っていた。怒っている様子だった。
「どうしたんですか」
「……ふん!」
やはり怒って階段を進む彼。その背を文子は見ていた。
……そうか。心配していたんだわ。
自分のことばかり考えていた文子。彼に悪いことをしたことに気がついた。
迎えに来てくれた彼。その広い背を見つめていた。
「源様」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「ふん。そんな礼は要らぬ。勝手にすれば良い」
……おへそが曲がってしまったわ?どうしよう。
カンカンと登っていく様。文子は必死に階段を追いかけた。
「待って。源様!……あれ、いない?」
登り上がった境内。しかし、源之丞が消えていた。
「源様!どこですか、どこ?」
僅かな光の母屋。文子はそこに急いだ。すると暗闇から手が伸び、彼女を背後から抱き留めた。
「ひや」
「……俺がこんなに心配しておったのに。お前はなぜそんなに楽しいのだ」
「だって、お米を」
「そんなに早く出て行きたいのか、ここを」
苦しそうな声。耳元の切ない思い。文子は目を瞑った。
「……いいえ。そうではありません」
「ではなぜ?」
「一緒に。一緒に食べたいからですよ」
「一緒に」
闇に紛れて抱き合う二人。互いの鼓動が聞こえていた。
「そうです。だって、美味しいですものね」
「……今宵はもう、俺が作った。卵を入れた」
そう言って彼は文子を解いた。そんな二人は手を繋いで母屋に向かった。
……どうして。こんなに優しいのかしら。本当に恩を返そうとしてるだけなのかな。それとも。
狐の面で見えぬ顔の彼、その彼に抱かずにはいられない思い。文子は必死に初恋を胸に押し沈めてていた。
夏の夜風、森の匂い。二人の夏は始まったばかりであった。
「小さき参拝者」完