第4話
文字数 2,407文字
二
久明と隼人も立ち上がり、久太郎の後を追って歩き始めた。
埃っぽい一本道をしばらく黙々と歩いていくと、左側の森がにわかに途切れて、ほぼ垂直に切り立った断崖になった。
眼下には大きく蛇行して流れる川が見える。その向こうの対岸は小平野になっていて、田んぼが作られている。その先は、低い丘陵地帯がうねっている。耕作地があるということは、近くに集落があってしかるべきだが、この位置からは見えない。
「多分あれは小櫃川だな。向こうが下流だから、やはりこの先が久留里のようだ」
久明は小櫃川が刻んだ浸食崖の上から川を覗き込んで言った。その流れは浅いが水量は多く、ところどころ荒瀬になっている。意外なほど水は澄んでいて、淵を泳ぐ魚が見て取れる。
「ふーん。ずいぶんきれいな水だね。あれ、なんて魚?」
久太郎と隼人も流れを見下ろした。久太郎が道にある小石を投げ落とすと、魚の群れは一目散に物陰に隠れて、一匹も見えなくなった。
「ハヤのようだったな、かなりの大物だ」
「いいな、釣りしたいな」
「お前はこんな状況でも、まだ釣りのことを考えるのか。呆れた奴め」
久明は渋い顔をして、久太郎の涼しい横顔を見た。
「方角は間違いない。このまま歩けばそのうちに久留里の街までたどり着くだろう。しかし変だな。やけに川の蛇行がきついし、流れも急な気がする。それになんでJRの線路が見えないのだろう」
三人は崖から離れた。柵のないその崖は、うっかりしていると足を滑らせて下に落ちてしまいそうな気がする。
「また少し歩いてみよう」
久明は違和感のある風景に首を傾げながら二人に言った。この田舎道が久留里の街まで通じていれば、徒歩でもあと一時間とかからずに行きつくはずだ。
「あれ、父ちゃん、向こうから歩いてくる人がいる!」
再び先頭を歩きはじめた久太郎が、突然素っ頓狂な声を上げた。見ると確かに人影がこちらに歩いてくるのが見える。その人物も久太郎たちに気づいたらしく躊躇して立ち止まったが、じきに意を決したかのように歩み寄ってきた。
「おじさん、すみません……」
久太郎は、近づいてきたしょいかごを背負ったその男に小走りで近寄り、声をかけようとして、足を止めその異様な風体に息を呑んだ。
その男は、頭に色褪せた紺色の手拭いを巻いて、その上からぼろぼろの菅笠をかぶり、継ぎはぎだらけでよれよれにくたびれた、袖がちぎれた灰色っぽい浴衣のような衣服をまとっている。腰には細めの縄を二重に巻いているが、これは帯の代わりであろう。衣服の短い裾はたくし上げて、その帯縄に挟んでいる。薄汚れて茶色っぽくなったふんどしから延びる脚には、埃まみれの表皮を通してもよく分かる、逞しく発達した筋肉が付いている。履物ははいておらず、裸足である。
顔に張り付く赤錆色の皮膚には深い皺が無数に刻まれ、頬骨や低く小さい鼻の周りにはほくろのようなしみが大量に散らばっている。年齢は六十歳前後と思われるが、案外もっと若いのかもしれない。背は低く、一メートル六十センチの隼人よりもよほど低く見える。
男も訝しそうな表情で久太郎たち三人を見た。遠慮会釈なしに、頭のいただきからつま先までを舐め回すように観察している。
やがて三人から目を離すと、男は亡霊でも見たかのように顔を引きつらせて、無言でもと来た道を走り去っていった。
「あのおじさん、なんなんだろう。気味悪いし、絶対おかしいよね」
久太郎は走り去っていく男の後ろ姿を眺めながら、不審を口にした。
久明も意外な人物の出現に驚き、唖然とした表情を浮かべている。
「うーん、今どきあんな格好の人なんかいるかな。いや、格好で判断してはいけないのだろうが、風変りに過ぎる」
「なんだか時代劇に出てくる、お百姓の人みたい……」
隼人はボソリと言って、両手で目をこすった。
「ひょっとして、時代劇のロケでもやってるんじゃない?」
久太郎は合点がいったかのように明るい表情で言った。
その言葉に隼人は、
「まさか──」
とかぶりを振り、周りを見渡して、
「ああいうのってさ、スタッフとか大勢いるんでしょ、でも誰もいないよ。カメラとかマイクとかもないし」
「それじゃあ、どっかのテレビ局の何とかモニタリングていう番組のロケとか? リアリティー出すために、どっかから隠し撮りしてるんじゃないの?」
「こんなところで? めったに人が来そうにない所でそんなことするかなあ」
「しないかな?」
「しないよ、多分。だって僕たちのほかに誰もいないし、誰も来なかったら番組作れないじゃん」
「でもオレたちがきたよ」
「ううん、僕たちが来たのはすっごくたまたまじゃない。むしろ誰も来ない可能性の方が高くない?」
「そうかな」
「そうだよ」
「そうかなあ……」
久太郎は口を突き出し、首を捻った。
「それじゃあ、実はあのおじさん、歴史系ユーチューバーで、何かを撮影してたんだけど、オレたちが来たから逃げちゃったとか?」
「違うでしょ」
隼人は苦笑交じりに断言した。
「とにかく、目覚めてからというもの、奇怪なことだらけだ」
久明は首を振り、前頭部を拳で軽く叩いた。打撲したところがジーン、と響いた。
「何がどうなっているのか、さっぱり分からん」
久明と隼人は歩く気力を失った。二人は道端に転がっている岩に腰を降ろした。
「あのさ、ジャイアン。ちょっとオレの頬っぺたつねってくれない? オレはお前のをつねる」
久太郎も隼人の横に坐り、自分の頬を指差して言った。
「なんで?」
「だって、これってテレビのビックリ企画かユーチューバーのいたずらじゃなかったら、きっと夢だよ。夢の中ならつねっても痛くないはずだろ」
「……なるほど」
「いち、にの、さん、で一斉につねるんだぞ。いち……、にい……の……」
久太郎と隼人は右腕を伸ばし、互いの頬をつねった。
「痛ってー! ジャイアン本気でつねったな!」
久太郎は飛び上がりながら叫んだ。