第5話

文字数 1,749文字



   二


「岡本、大学頭、久明……、か」

 久明は義堯の居室を辞して自室に戻り、臥所に横になってからも、新たにもらった名乗りや自分の運命を考えていた。

(我ながら奇妙なことになった。未来にいる妻や、学校の生徒たちはどうしているだろうか。私がこんなところにいて、これから侍になると知ったら、びっくりするだろうな)

 久明たちは、事故に遭遇してそのまま行方不明になった、と思われているはずである。

 おそらく激しく傷つき大破したステップワゴンは、ほどなく崖下から発見されただろうが、車内に人影はなく、シートベルトを外してドアを開け、外に脱出した、という形跡もないことから、謎の失踪ということになっているだろう。三人が事故の拍子に戦国時代にタイムスリップして侍になったなどとは、よほど豊かな想像力の持ち主でも考えつかないに違いない。

(この時代の華といえばやはり合戦か。しかし物語では格好よく脚色されているが、人が殺しあう戦争に変わりがない。いくら大名の側近として仕えても、いつ何時戦死するかは知れたものではない──)

 あんな大事故に遭遇して死んだも同然の身である。その上首を刎ねられてもおかしくない状況だったのに、こうやって生かされている。死ぬこと自体には、すでに大して恐怖心を抱かなくなった。

 しかしこの時代に骨を埋めることになるとは不思議なものだ、と臥所の中で思いながら横を向くと、隼人も何事かを考えているらしく、目を見開いて闇に包まれた天井を睨んでいる。久太郎は既に高いびきだ。

(ふん、相変わらず平和な奴だ)

 久明は久太郎の寝顔を眺めながら、心の中で鼻を鳴らした。

 久太郎はあくまでも楽観的にできているらしい。運命に流されるままに生きていれば、そのうちに何か良いことがある、ということなのであろう。

(過去にタイムスリップするにしても、平和な江戸時代だったらどれだけ良かったか……)

 そう思って、久明はすぐに打ち消した。江戸時代の人々は、よそ者の流入に対して意外なほどに排他的である。彼らは恐らくエイリアンのような久明たちを受け入れたりはせず、荒縄で縛り上げて、

「曲者を捕まえましてござりまする──」

 と、奉行所なり代官所なりに突き出すであろう。その後は不可思議な弁明を重ねる痴れ者と決めつけられて、良くて幽閉、下手をすれば処刑されてどこかに埋められるに違いない。少なくとも義堯のように面白がって自分の配下にすることはあり得ない。

(この時代に来て侍になったのも、何か見えないものの意思なのだろうか。思えばたまたま動乱が小康状態になっている今だから生かされているだけで、合戦のさなかにタイムスリップしていたら、問答無用で殺されていたかもしれない。……もしかしたら神は我々に歴史を塗り替える使命を与えた、ということだろうか。しかしSFの世界では、過去にタイムトラベルした人間は歴史を改変することはできないことになっているそうだが。ただ、パラレルワールドという考え方もあるな、現実とフィクションの世界ではどのような違いがあるのだろう……)

 久明たちが縦横無尽の活躍をすれば、もしかしたら歴史は思わぬ方向に派生するかもしれない。今の久明は、それが可能な立場にある。

(それも面白いか。久太郎なら手に唾して、一丁やってやるか、とでも言うんだろうな)

 久明は息子を見倣い、努めて楽観的であろうとした。

(でも、やはり久太郎のようにはなれないな。私は歴史を知っている。むろん後世に伝わっている史実は、後の世に脚色されて書かれた戦記物に影響されていて、必ずしも真実とは限らないだろうが、知識を基にすれば最善の行動が起こしやすくなるのは確かであろう。里見家をより適切な方向に導くのは、我々を拾ってくれたお屋形さまへの恩返しであり、もしかしたら歴史に対する義務なのかもしれない……)

 隼人を見ると、目は閉じたようだが、まだ何か考え事をしているらしく、眠りに落ちた気配はない。この少年は外見に似合わずいささか繊細すぎるようだ。

(お屋形さまとはどのような人物なのだろう。生涯のほとんどを反北條で貫いて戦い続けた割には、あまり猛将には見えないが。むしろ若殿の方がそう見えるな)

 闇の中であれやこれやと夢想しているうちに、久明は眠りに落ちた。


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