第6話

文字数 2,751文字



 先頭に鎧を着けた騎馬武者、次に六尺棒を手にして袴をはいた徒士侍三人と久明、久太郎、隼人が続き、そのあとに六尺棒を担いだ袴なしの六人、しんがりに例の農夫を伴った奇妙な行列は、久留里の方に向かって行進した。

「おじさん、これから僕たちはどうなるんでしょう」

 隼人は意外すぎる事の成り行きに不安を隠せないでいる。

「おじさんにも分からないよ。でも縄で縛られていないから、今すぐ殺されることはなさそうだ」

「僕たち、本当にタイムスリップしちゃったんでしょうか」

「ちょっと考えられないよね。でもこの状況を見れば、そう考えるのが一番理に適っているようだね」

「ここはいつの時代でしょう」

「侍の恰好から見て確実に言えるのは、室町時代以降で、明治時代以前だな。南蛮云々って言ってたようだから、江戸時代前期よりも前かな」

「江戸時代……? 嘘だ、こんなこと絶対ありえない……」

 隼人は歩きながら首を激しく振った。

「おじさんにも信じられないよ」

 久明は、陽気に鼻歌を歌っている久太郎の視線を感じながら苦笑した。

 今歩いている道は久留里街道のようである。

 山河の風景は令和時代とはいささか異なっているようにも見えるが、房総半島は相模トラフの辺りで発生する大地震の度に隆起を繰り返し、この地の地盤である軟らかい堆積岩は速やかに浸食されるからであろう。房総半島は、武士が活躍していた時代以降も令和に至るまでに数回、大きな隆起を伴う地震に見舞われている。

「もしもし」

 久明はふと思いついて、目の前を歩いている徒士侍に声を掛けた。

「なんじゃ」

 ギョロ目の徒士侍は、前を向いたまま答えた。

「今日は何日ですか?」

 ギョロ目は、

(なぜそのようなことを訊く)

 と、思ったらしい。立ち止まり、後ろを振り返ってチラリと久明を見てから、

「七日。六月七日じゃ」

「六月……? ……年は?」

「永禄二年」

「え!? 永禄二年……!」

 永禄二年といったら、あの桶狭間の戦いの前年ではないか──。武士の時代に来てしまったのはこの状況からして明白ではあったが、久明はさすがに絶句した。

「父ちゃん、えいろく二年っていつ?」

 久太郎は久明に訊いた。

「西暦にすると一五五九年だ」

「てことは、えーと……、オレたちがいたのは二〇×△年だったから、二〇×△引く一五五九は……」

 久太郎は両手の指を折って数を数え、

「今から四百……、◇……、□……、四百◇□年前かあ!」

 と言って口笛を吹いた。

「変な言い方だな。今が一五五九年で、我々は四百◇□年後の二〇×△年から来たんだぞ」

「え? ……ああ、なるほど。で、何で六月なの? こんな真夏なのに」

「この時代は、我々が未来で使っているグレゴリオ暦とは違う暦を使っているだからだ。これは月の運行を基にした太陰太陽暦で、新月の日を朔日(ついたち)にして、一月(いちがつ)に立春の日が含まれるように暦を作るから、グレゴリオ暦よりだいたいひと月からひと月半程度遅くなっていることが多いんだ」

「ふーん、変なの」

「我々がタイムスリップしたのは、どうやら間違いないらしい。参ったな」

「一五五九年って戦国時代ですね」

 隼人は前を歩く侍たちの後ろ姿を眺めながら久明に言った。

「そう、戦国時代の真っ只中だね。隼人君なら織田信長という大名を聞いたことがあるだろう」

「はい、初めて天下人になった人……」

「そう。その織田信長が今川義元という大大名を、愛知県の田楽狭間という所でやぶって、一躍天下取りのレースに参戦するのが来年だ。……変な言い方だけど」

 一行は、大きな藍色の風呂敷包みを背負った行商人風の男とすれ違った。彼は風変わりな行列に一瞬目を移したが、大して興味を示さずに足早に去って行った。

 相変わらず聞こえてくる音は蝉時雨と小鳥のさえずり、それに一行の足音だけである。

「ふーん、戦国時代かぁ。それにしてはずいぶん平和っぽいね」

 久太郎のイメージでは、戦国時代とはそこいら中で合戦が行われていて、黒装束に身を包んだ忍者が暗躍しているような、混沌とした世の中である。

「武力を行使して物事を解決するのが普通の時代だとはいっても、そんなにいつも戦いがあるわけではないのだろう」

 小一時間も歩くと、正面に禿山が現れた。山頂に至るまで山肌を段々に切り刻み、所どころに柵や小屋などの建造物が見える。尾根筋も掘削造成されて、番屋のような小屋がいくつも建てられているのが見て取れる。

「ほう、あれは久留里城のようだ。麓にある大きな屋敷は里見義堯の居館かな」

 令和の世に、現役当時の姿のままで保存されている山城や大名の居館などは皆無である。久明は歴史雑誌の想像図などで戦国城館のイメージは持っていたが、さすがに初めて見る本物の城館に感動し、声を出した。

「里見義堯ってだれ?」

 久太郎は大きな声で久明に訊いた。

「これ。畏れ多きことを申すな。お屋形さまと呼べ。お屋形さまを呼び捨てに、しかも諱で呼ぶとは、畏れを知らぬ奴ばらじゃ」

 前を歩いていた徒士侍は久太郎たちを聞きとがめ、振り向いてギョロ目を更に大きく剥いた。この男くらいの軽輩にとって、大名は雲の上以上の存在で、神のように神聖なものなのであろう。

 その顔が可笑しくて、久太郎は俯いてクスッと笑い、肩をすぼめた。

「この城の主で、房総に威を張った里見家の当主だ。里見家中興の祖として崇められている」

 久明は後ろを向いて、侍に聞こえないように小声で久太郎に言った。

「ふーん、偉い人なんだ。じゃあその目の大きい人が言った、お屋形さま、てなあに?」

 久太郎も小声で訊いた。

「大名当主の尊号だ。本来京都にいる足利将軍から守護に任命された大名や、特に許された武士だけが称するものだけど、里見家は関東公方足利氏と関係が深いから、そう称しているのだろう」

「なあに、かんとうくぼうって?」

「室町幕府の足利将軍家の一族だ。関東地方における将軍権力の象徴、といった身分の人物だな」

「へえ。なんだか良く分かんないけど、偉い人のことなんだね」

「まあ、そうだ」

「でも亀山に行くときに見たあの山が、こんなにすごいお城だったんだね」

「そうだね。父ちゃんも城跡は何回も見ているけど、さすがに本物を見たら驚いたよ」

 一行は館の前に着いた。周りには空濠と高い小山のような土塁が廻らされていて、館というよりも平城に近い。

 背後の山城は、近くに来ると巨大な屏風がそびえ立っているようで、その威圧感に圧倒される。街道沿いには、ささやかな城下町が見える。

 行列を宰領していた騎馬武者は、鎗を携えた門番と一言二言言葉を交わすと、

「そちたちはここで待っておれ」

 と言い残して門をくぐり、屋敷の中に消えていった。

 初めに久明たちと出会った農夫は、徒士侍の一人に何かを言われ、会釈をしながらどこかへ立ち去った。


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