第10話

文字数 2,488文字



   四


 久明たちは、二十畳ほどの広さがある板の間に案内された。

 時代劇で見る大名屋敷とは違い、その部屋はかなり殺風景であった。こげ茶色の床板や同色の柱は磨かれて光沢を放っているが、鴨居などに絢爛な装飾品はなく、隣の部屋とを仕切る襖は板張りで何も描かれていない。什器は岩の上に生える松の上に鶴が飛んでいる図柄の屏風が一双と、大きな竹行李が一つあるだけである。そのほか室内には、藺草を編んだ円形の座布団が数枚重ねて置いてある。

「今からそなたたち、岡本殿と佐久間殿でござったな、お三方は我があるじ、権七郎の客人(まろうと)でござる。ごゆるりとお過ごしくだされ。着替えの衣などはそこの行李の中にござる」

 三人を案内してきた薦野神五郎は、そう言ってから井戸や厠の場所などを伝え、

「何か御用のある時には、隣の部屋にいる下男なり、茶坊主なりに遠慮なくお申し付けくだされ」

 と言って部屋を出て行った。

「ごゆるりと、か」

 久太郎は神五郎の口調を真似ながら、勢いよく仰向けに転がった。その拍子に側頭部のこぶが床に当たった。

「痛ってー! でも気持ちいいなあ」

 と言って手足を広げ、大の字になった。

 開け放たれた縁側から涼しい風が入ってきて、とても気持ちが良い。久明と隼人も横になる。

「変なことばかりが起きたせいで疲れた」

 久明も両手足を広げ、全身で大きく伸びをした。まだ体全体がなんとなく痛い。額のこぶは幾分小さくなったようだ。

「父ちゃんも変だったよ」

「何がだ」

「あんなに縮こまっちゃってさ。まるでヘビに睨まれたカエルだね」

「当たり前だ。生きるか死ぬかの瀬戸際で、自分でも訳の分からんことを言って相手を納得させなければいけないんだぞ」

「お屋形さまって人も、息子の人も、父ちゃんが言ってたこと全然分かってなかったよ」

 久太郎は右腕を枕にして、久明の方に横向きになった。義堯と義舜の困惑した表情を思い出して、フフッ、と含み笑いを漏らす。

「そりゃあそうだ。我々のように、SF物を読んだり観たりして科学的想像力を養っていても、こんな奇想天外な事が現実に起こるなんて想定外のことだ。ましてこの時代の人に分かるはずがないだろう」

 久明は口を歪めて首を振った。いまだに我が身に降りかかった事態が信じられない。

「確かに、まさかオレたちがタイムスリップなんかするとは思わなかったけど。ひょっとしてオレたち、作り話の中の登場人物なのかな」

「でもチョロQはいい度胸してるよなあ。お屋形さまって、凄い威圧感だったよ」

 隼人は久太郎の図太さに呆れ、同時に感心した。自分なんか、お屋形さまの全身から発散されるオーラに圧倒されて、身が竦んでしまっていたのに。

「なあに、まな板の上のマグロだよ」

「それ、マグロじゃなくて、コイだよ。俎板の鯉」

「オレ、コイなんか食わないもん。だからマグロでいいんだよ」

「食べるかどうかは関係ないでしょ、俎板の鯉はことわざなんだから」

「隼人君、こいつは馬鹿なだけだ。この馬鹿は伝染力が強いから、うつらないように気をつけた方がいいよ」

「父ちゃん、ひどいなあ。自分の息子をそんな風に言ったら言葉の虐待だよ」

「お前は変なことばかりよく知っている」

 久明は苦笑いした。

「……お腹すいたね」

 隼人がポツリと言った。真夏の暑い盛りである。バックパックの中に食料は残っているが、それは食べない方がよいだろう。

「そういえば、亀山で昼を食べてから何も食べていなかったな。ずっと緊張していたから、すっかり忘れていた」

 久明も空腹を感じて腹をなでた。スマートフォンをポケットから取り出し、相変わらず圏外の表示が出ている画面を見ると、時刻は十四時過ぎとなっている。久明はもはや用無しになり、再び使うことはないであろうその電子機器の電源を切り、一瞥してからそっとしまった。

「隣の部屋に誰かいるんでしょ。何か頼もうよ」

 気の早い久太郎は、さっさと立ち上がって、隣の部屋に食事を頼みに行った。

「でもこの時代の人は、あまりお昼ご飯を食べなかったらしいから、果たして食べ物があるかどうか」

 久明は首をひねった。

「え、お昼抜きだったんですか?」

 隼人は驚いて目を丸くした。

 隣の部屋からは久太郎の声が聞こえてくる。侍だの合戦だのと言っていて、どうも食事の事ではない話をしているようだ。

「昼食を摂るのが一般的になったのは戦国時代の中頃と言われているけどね、それはあくまでも京都周辺に住む上層階級の話で、庶民や関東のように中央から離れた地域ではずっと遅れて、江戸時代に入ってからやっとお昼を食べるようになったらしい」

「えー、そんなの僕には耐えられないや。やっぱり早く未来に帰らなくっちゃ」

「そうだね。食べるものがあったらそれを食べてから、現代に戻る手段を考えよう」

「僕たちが気絶から醒めた所に行けば、何か分かるんじゃないでしょうか」

「うん、そうかも知れないね。後で出掛けてみよう」

 久明は寝転びながら足を組んで、思案した。

(タイムスリップなどはフィクションの中での話であり、本来そんなことは起こりえない。それが現実に起きたとすると、それは極めて希少な確率で様々な偶然が積み重なった末の現象であろう。ならば同様の現象が再び発生する確率は限りなくゼロに近く、そう易々と元には戻れないに違いない。いや、もはや戻れないだろう)

「ごはんあるって! 湯漬けっていうのならすぐ出来るってよ」

 久太郎は館中に響き渡るような大声で言いながら戻ってきて、

「オレも腹減ってペコペコだあ」

 と、悲鳴のような声を出しながら胡坐をかいて坐り、胃袋の辺りに手のひらをやって軽く叩いた。

 久明は思案をやめて起き上がり、円座を三枚取って二人に渡してから久太郎の前に坐った。

「お昼ご飯を食べたら出かけるぞ」

「え、どこに?」

「我々が倒れていた所だ。未来に帰る手がかりが、何かつかめるかもしれない」

「ふーん。でもオレは帰れなくてもいいけど」

「なぜだ?」

「だって、ここにいれば勉強しなくていいじゃん。ここ、学校ないんだよ」

 久太郎はペロリと舌を出した。

「………」

 久明と隼人は呆れて声も出ない。


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