第10話

文字数 3,202文字



「氏康めは景虎が乱入を放ってはおけまい。当然北方に軍勢を回さざるを得なくなり、ここの兵は引き揚げさせるな?」

「さようでございます」

 久明は頷いて言葉を切った。

 北條軍を領国から追い出し、防衛するのが究極の目標ならば、これで良い。史実もその通りに推移して、里見家は国土の防衛に成功している。

 しかしこれは久明が求める結末ではない。歴史を変えようと意気込んでいる久明の目標は、北條家の総大将、氏康の首級である。

 久明は、里見家に拾われてからずっと、その目標のためのプランを練り続けている。彼は少し時間をかけてそのプランを分かりやすくまとめ、北條軍侵入の初期段階から順に説明した。

「敵はこれまでと同様に、小櫃川対岸の向郷に陣城を築きます。しかしこたびは前回までの失敗にこりて、段丘の上にかなり堅固な要害を築きます」

「ふむ。あの時は野陣を襲撃して散々懲らしめてやったからな」

 義堯は三年前の合戦を思い出して、ニヤリと笑った。

「はい。今回敵は普請に手間をかけますので、相当な日数がかかります。しかしこれにはあまり手出しをせずに、造らせてしまいましょう」

「なぜじゃ? 出来上がる前に打ち破ってしまった方が良いのではないか? 本格的な城を造られては、久留里城のみならず、小櫃谷全体が危うくなるぞ」

「その点は大丈夫です。それに、普請の人数などは知れていて、打ち取ってしまうのは容易ですが、これでは枝葉ばかりで幹は倒せません。しかも普請にもたついて敵の集結が遅れると、当方にとって都合が悪い」

 久明の目標は枝葉の退治ではなく、あくまでも氏康の首であり、予定外の方向に歴史が動くのは好ましくない。そのためには、こちらの立てる予定通りに、周りの人間には動いて貰わなければならない。

「幹をも倒してやろうとは、大学殿もなかなか強硬じゃな」

「関東の主に相応しいのは、伊勢平氏の北條ではなく、新田源氏(にったげんじ)のお屋形さまです」

「ほう、嬉しいことを申すのう」

 久明の追従に義堯は破顔した。

「して、氏康の首を掻き取る算段はいかに?」

「まず敵を確実に誘き寄せることです。しかもこれは秋前でなければいけません」

「秋前か?」

「はい。越後勢が山を越えるのは九月中、これが最良の時期で、遅くとも十月初旬頃には越山しなければなりません」

「うむ? 九月中? 十月初旬? なぜじゃ」

「稲を刈り取った後で、雪が降り出す前ということです」

「雪、とな?」

「はい、北国の山は、十月初旬には雪が降り始めて、中旬を過ぎると人を寄せ付けない深さになることもあります」

「十月初旬には降り始める……? しかし山を越えられぬほどに降るものなのか?」

 温暖な房総で生まれ育った義堯には、北国のドカ雪は想像できるものではない。現代でも冬季に関越トンネルを使わずに、越後湯沢から国道17号線で三国峠を越えて、群馬県側のみなかみ町に出るのは非常に難儀することだが、除雪車などの無いこの時代では絶対的に不可能である。

 これから二十四年後の天正十二年に、富山城主の佐々成政という男が冬の雪山を踏破して富山から三河までの行程を往復するという偉業(暴挙?)を成し遂げたが、その時の随行者百人のうち、生きて富山に戻れたのはたったの七人だったもという。

 この時成政が通ったルートは北アルプスのザラ峠~針ノ木峠(さらさら越え)だったとする伝説があるが、標高二千メートル以上で、積雪が十メートルにもなるこの峠を真冬に通過するのは、現代の装備で固めたアルピニストでも危険なことなので、さすがに無理であろう。その他、一度飛騨に入ってから安房(あんぼう)峠を抜けたという説や、越後の糸魚川から姫川に沿って走る千国街道を通ったのでは、という説もあるが、いずれにしても豪雪地帯を通過することになるので、無謀な試みだったことは間違いない。

「お屋形さまにはわかりづらいことですが……」

 久明は急いで自分の屋敷に戻って、未来の荷物の中からスマートフォンを持ち出し、保存してあった雪山の風景を義堯に見せた。

「ほう、この絵が北国の峠道か、すごい雪じゃ。しかしよく描けておるな、この絵は」

 義堯はその風景写真を食い入るように見てひどく感心したが、すぐに真顔になって頷き、

「なるほど、これでは越えられまい」

「ですからそれに合わせるためには、秋前には氏康を引き寄せなければなりません」

「うむ」

「敵は五月頃から築城を始めますから、順調に作業が進めば主力軍の襲来は八月の半ばになるでしょう。それらが来る前に、まず正木大膳殿をして、北條軍襲来の風聞あり、と景虎に越山要請をさせましょう」

 久明は義堯の反応を見ながら言葉を繋いだ。

「お屋形さまが書状を送るのは、敵主力が久留里城を包囲し、攻撃を始める九月頃になってからです。これは出陣要請ではなく、当地に敵を引き付けているから討ち入ったらいかが、という風にしたらどうでしょう」

「あくまでも誘いの文言というわけじゃな。なるほど」

 義堯は小さく頷いた。

「これによってすでに出陣準備を整えていた景虎は、時来たりとばかり、勇んで峠を越えて関八州になだれ込んできます」

「景虎は本当に出てくるのか?」

「間違いなく来ます。景虎が来れば氏康はすぐさま撤退しはじめます。しかしこれでは敵はただ去っていくのみ、我が究極の目標は達成できません」

「究極の目標か。氏康の首は難しそうじゃが」

 義堯も久明の野望に乗ってきたようである。

「敵が退却する時に後ろから追いかけていっても、殿部隊の首を取るだけです。できれば小櫃谷の入り口あたり、例えば戸崎と山本を結んだ線の辺りで横鎗を入れて、敵を混乱に陥れたい」

「小田喜正木や長南武田を飯給(いたぶ)から迂回させて右手に回し、安房から北上する軍勢は小糸衆と合流させて左から攻めかかる?」

 歴戦の将、義堯は理解が早い。久明の考えをすでに読み切って、頭の中で兵を動かしている。

 飯給は久留里の東側にある尾根を越えてすぐにある養老川沿いの集落で、久明たちが未来の世で見た高滝湖の南になる。そこから間道を通ると、久留里の北で小櫃谷の入り口にある末吉集落の手前に出る。小糸城は、久留里の西のなだらかな丘陵を越えた先を流れる小糸川の中流域にあり、ここから予定戦場に至近の戸崎集落までは丘陵越えで一里程度の行程である。これらは里見家の勢力範囲にあるので、かなり隠密な行動が可能なはずである。

「そうです。逃げる敵の中心を、三方からそれぞれ二、三千の兵力で同時に攻めかかれば、敵は大混乱に陥り、いかに氏康が大軍に守られていようとも、その首を討ち取ることは可能でしょう」

「うむ。面白いいくさになりそうじゃな。首実検で氏康の首を見るのが楽しみじゃ」

 古今東西を問わず、軍隊の運用で一番難しいのは退却の時である。よほど戦力に差があるのなら、整然と退却することも可能ではある。しかし戦力の劣る側が地の利を生かした奇襲作戦を敢行すればどうなるか。

 もしも北條軍が退却に失敗し、混乱の中で氏康が討たれたら、後に残されるのはまだ若年の氏政である。ここに景虎率いる越後勢が乱入したら、さしもの北條家も支離滅裂となって滅亡に追い込まれるに違いない。

 駿河の今川家と相模の北條家という東国一、二を争う大大名が、似たようなシチュエーションで相次いで滅亡を遂げたら、歴史はどのように変遷するのだろう。

 これが成功するかどうかは、すべて両翼から攻めるべき軍団が戦闘参加するタイミングにかかっている。早すぎると平地の中で姿を敵にさらしてしまい、戦術的効果は減少する。合戦は単純な会戦となり、人数に劣る里見勢は撃退され、敵の退却は成功する。遅すぎれば、当然敵は去る。

 細部の時間まで入念に示し合わせて行動すれば、成功の可能性は高くなる。しかし残念ながら令和に残る古文書類には、氏康退却の詳細が記されておらず、したがって久明にもその日時は分からない。


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