第4話

文字数 2,910文字



「どうじゃ、岡本殿。ずっと当家にいるつもりはないか?」

 話が佳境に達すると、義堯は久明に訊いてきた。

「未来に帰れないのなら当家に仕えればよいではないか。そうなれば久太郎殿と隼人殿は我が小姓に貰い受けたい」

 義舜は酒で真っ赤になった顔をほころばせて頷いた。どうやら二人は事前にこのことを話し合っていたようだ。

「余は岡本殿の持つ未来の知恵が欲しいのじゃ。建武の頃に大働きをした我が父祖たちの行動を後世から眺めて、ああすれば良かったとか、あれがまずかったとかと余が批評するのと同じく、岡本殿にも後世の視点から余を批評してもらいたい」

 義堯の遠い祖先は、鎌倉幕府打倒の功労者、新田義貞の一族で、義貞の重臣だった里見忠義、義胤親子である。鎌倉幕府滅亡後の動乱で義貞を救えなかった二人を引合いにだし、久明に相談役としてそばに仕えるよう頼んだ。

 偶然が偶然を呼んで戦国時代に紛れこんでしまった三人である。久明はこれまで能動的に侍になりたいとは思っていなかったが、どうせ未来には戻れそうもない。このまま戦国大名に仕えてしまうのも何かの縁であろう。

 久明は久太郎たちを見た。

「オレはもちろんオッケーだよ」

 すでにこの時代で侍になるつもりでいた久太郎には、当然異議がない。

「おい、ジャイアン。お前ももちろんオッケーだよな」

「……え?」

 隼人の脳裏には、線の細い母親の顔が浮かんだ。一人息子の自分が行方不明になって、取り乱してはいないだろうか……。

「ジャイアンも侍になるんだろ」

「うん……、でも……」

「なんだよ、はっきりしろよ。あーだらこーだら言ってても未来には帰れないんだよ」

「僕たちは本当に帰れないのかなあ……」

「まだそんなこと言ってるのかよ。絶対無理だよ」

「………」

「ほらァ!」

 煮え切らない態度の隼人に久太郎は苛立って、強い口調で返答を促した。

「……わかったよ。みんな侍になっちゃうんなら……、そうするしかしょうがないんだね……」

 隼人は浮かない顔付きのまま言った。彼は久太郎とは違い、この時代でずっと生きていきたいとは思っていない。

「そうだよ。初めからそういう風に言えばいいんだよ」

 久太郎はキッと隼人を睨んでから久明の方に向き直り、

「父ちゃんジャイアンもOKだって」

「隼人君、いいのかい?」

 久明は隼人の態度が気になり念を押すと、隼人は小さく頷いた。それを見て久明は手をつき頭を下げ、義堯に向かって言った。

「どうせ我々は根無し草にやつした身の上です。私などでもよければ、お世話になったお屋形さまのお役にたちたく思います」

「それは良かった」

 義堯と義舜は破顔した。義舜は特に隼人のことを気に入ったらしく、

「子供とは思えぬ良い武者ぶりの顔だ」

 と言いつつ隼人の顔を見ては何度も頷いている。

 義堯は破顔したまま三人の顔を見比べていたが、急に真顔になって久明に言った。

「それでは当家に仕えてもらうに当たって知行地をやりたいのじゃが、残念ながら当家は身代に比べて家人が多いうえ、北條との取り合いで半務となっている地も多く、そなたに与えるべき闕所がない。そこで、岡本殿には蔵米で年棒三百俵を与えたいと思うが、いかがじゃ」(註)

 久明はそれを聞き、蔵米三百俵といったら石高で二百ないし三百石くらいかな、すると軍役は自分も入れて五、六人か、と素早く計算した。

「ありがとうございます。ただ、三百俵といったら従者の四、五人も用意しなければなりませんが、私には家来になるべき家の子はおろか、知人や係累などもございません」

「それは心配せんでもよい。心利きたる良き若侍を旗本の中から一人、ほかに足軽なども三人ばかり家中から選んでつけてやる」

 義堯は、敷居の側で正座をして控えている江阿弥に、目で合図をした。人選などの処理は、江阿弥が奉行衆に伝達して進めるのであろう。

「はい、ありがとうございます」

「それではわしの小姓になってもらう久太郎と隼人だが、こちらはおのおの百五十俵ずつを与える。補佐役となるべき侍も一人、我が配下から選んでつける。その方たちは将来の当家を担っていくべき者どもであるゆえ、本来ならもっとやりたいのだがな」

 義舜は、いずれ自分の側近となるはずの少年二人を見比べて微笑した。久太郎は大きな夢がかなった時のような笑顔を返したが、隼人は不本意な事の成り行きにうなだれた。

「若、実はそれがしの配下で栗原弥七郎という者が、ぜひ隼人殿の家来になりたい、と申しております」

 神五郎は義舜に言った。神五郎の娘は義舜の側室になっているので、この二人は義理の親子である。

「ああ、ギョロ目の弥七郎か。あの者はああ見えてなかなかの者であるというが、おやじ殿はそれでもよいのか?」

「弥七郎は、それがしには倅の小七郎を仕えさせると申しております。小七郎はまだ十七、八の年若ですが、弥七郎と同様に器量者ですから大丈夫でございます」

 神五郎にしてみれば気心の知れた弥七郎を手放すのは惜しいが、家臣の若返りが図れるメリットはある。

「屋敷も必要だな。これは奉行衆に申し付けて適当な所を割り振らせることとする。それと、久明殿には通り名も必要じゃ。(いみな)は忌み名でもあるゆえ、それで呼びかけるのはよろしくない」

 義堯はしばし考え、はたと手を打った。

「そうじゃ、久明殿には余の頭脳、学問の師になってもらうわけじゃ。ゆえに名乗りは大学がよい、岡本大学頭(だいがくのかみ)久明じゃ」

「私にそのような官名など……」

 本来大学頭といった官途や越前守などの受領名は京の朝廷が授けるものだが、この時代、上は大名から下は一村を支配する程度の地侍に至るまで、これらを僭称する者が多く、大名も恩賞の一環として、それを許可したり与えたりすることが一般化していた。久明はそれを思って躊躇する声を出すと、義堯は軽く手を振って言った。

「あくまで身内での通り名じゃ、気にすることではない。ただ、当家にまします公方(くぼう)さまには一応申し上げ、この先北條を駆逐して古河に戻られたあかつきには帝に奏請していただき、正式に任官させてもらうがな」

 公方さまとは、北條家の傀儡になっている関八州のあるじ古河公方(こがくぼう)足利義氏の実兄、足利藤氏のことで、今は里見家の厄介になっている。

 今の古河公方足利義氏は前の古河公方晴氏の末子で、藤氏は長子である。ところが義氏の母は北條氏康の妹なので、北條家が晴氏に圧力をかけて、義氏に家督と古河公方の地位を相続させていた。当然藤氏は不満であり、里見家を筆頭に、長兄を差し置いて公方になった義氏と、その後ろ盾となっている北條家に反感を抱いている関東武士が多数いる。

 なお里見家は他にも、関東足利家の一族で小弓公方(おゆみくぼう)と呼ばれた足利義明の遺児、足利頼淳など、小弓足利家の一族も保護している。

 ちなみに頼淳の子息は、後に豊臣秀吉の命によって義氏の娘と結婚し、下野喜連川(きつれがわ)四百貫(のちに加増されて五千石)に封ぜられる。この喜連川足利家は、天下随一の名家として江戸時代を生きることとなる。


(註)

 半務 ── 敵の領地と境を接していて、年貢が半分しか取れない。残りは敵方に送られる。
 闕所 ── 誰にも給与されていない空地。欠所。


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