第66話

文字数 3,738文字

「…主導権争い?…」

 「…ボクは、今、五井家の当主です…対外的には、五井家の顔…五井家を代表する存在です…」

 「…」

 「…ですが、それは、表向き…実権は、寿さんも、ご存じのように、和子叔母さまが、握ってます…」

 「…」

 「…だから、ボクは、お飾りというか…自分で、自分のことを、こう言うのは、変ですが、五井一族の中で、取り立てて、力はありません…とりわけ、ボクは、若い…一族の七十代、八十代の方々の前で、息子か、それ以上、若いボクが、なにか、偉そうなことを、言うことは、できない…」

 伸明が苦笑する…

 「…だからでしょう…ボクを当主の座から、追い落そうとしたり、追い落とすまで、しなくても、ボクの当主の力を削ごうとする、輩(やから)が、一族の中にいる…」

 「…」

 「…和子叔母さまは、それを、危惧なさっている…」

 「…和子さんが…」

 「…その結果、和子叔母さまが、先走って、藤原さんの会社、FK興産を、手に入れようとした…それが、真相です…」

 伸明が、説明する…

 私は、驚いた…

 文字通り、驚いた…

 まさか、この場で、和子の名前が出て来るとは、思わなかった…

 五井の女帝の名前が出て来るとは、思わなかった…

 だから、驚いた…

 そして、

 「…和子さんは、なぜ?…」

 と、私は、呟いた…

 呟かずには、いられなかった…

 なぜ、ナオキの会社を買収するのか?

 聞かずには、いられなかった…

 すると、即座に、伸明が、

 「…ボクの箔付けです…」

 と、答えた…

 「…伸明さんの箔付け?…」

 「…ボクが、五井家の当主に就任したのは、わずか、半年前…ですが、とりたてて、ボクに目立った功績はありません…ですから、和子叔母さまは、ボクに箔をつけようとした…」

 「…それが、FK興産の買収?…」

 「…そういうことになります…」

 伸明が、言いづらそうに、言う…

 私は、それを、聞いて、途端に、ユリコの言葉を思い出した…

 ナオキの元の妻である、ユリコの言葉を思い出していた…

 ユリコは、五井が、ナオキの会社、FK興産の買収を、試みるのは、伸明の五井家当主への就任祝いだと、私に語った…

 私は、まさか?

 と、思った…

 たしかに、そう言われれば、わからないでもない…

 理解はできる…

 が、

 なにしろ、その話をしたのが、ユリコだ…

 他ならぬ私の天敵のユリコだ…

 あのユリコだ…

 だから、どうしても、信じることが、できなかった…

 たしかに、そう言われれば、その可能性はある…

 否定は、できない…

 が、

 なにしろ、あのユリコの言う言葉だ…

 信用できない…

 信じることができない…

 ハッキリ言って、眉唾物というか…

 いや、

 むしろ、私にウソの情報を教えて、私を混乱させる…

 あるいは、私を罠にかける…

 そんな気がした…

 だから、信じなかった…

 ユリコの言葉を信じなかった…

 これは、誰もが、いっしょだろう…

 誰もが、同じだろう…

 誰もが、信用できる…

 あるいは、信頼できると、思う、友人や知人の話だから、信じる…

 ところが、ユリコのように、信を置けない知人が、どんなことを、言っても、信じるわけがない…

 それが、たしかに、あり得る話だと思っても、眉唾物だと、思ってしまう…

 なぜなら、それを、教えた人間を、そもそも信用していないから…

 それに、尽きる(笑)…

 自分が、信用しない人間が、なにを言おうと、全然、心に響かない…

 だから、信じない…

 当たり前のことだ…

 だから、あのとき、ユリコは、

 「…これで、貸しを返した…」

 と、言った…

 貸しとは、ジュン君のこと…

 私をクルマで、轢き殺しとしたジュン君を私は、裁判所で、擁護した…

 なにしろ、子供の頃から、私が、面倒を見てきたジュン君だ…

 いかに、私をクルマで、轢き殺そうとしたとしても、見捨てることが、できない…

 だから、擁護した…

 法廷で、擁護した…

 その結果、明らかに、ジュン君の刑が軽くなった…

 だから、ユリコは、それを、恩にきた…

 私を大嫌いなユリコが、それを、恩にきた…

 それゆえ、ユリコは、

 「…借りは、返した…」

 と、言った…

 ジュン君を、裁判所で、擁護した借りは、返した、と、言った…

 今回のFK興産の買収の内訳を私に告げることで、私に借りを返したと、言った…

 が、

 私は、それを、信じなかった…

 たしかに、その可能性はある…

 その可能性は、否定できない…

 が、

 それを、鵜呑みにすることは、できない…

 何度も言うように、それを、教えたのが、ユリコだから、鵜呑みにできない…

 うっかり、それを信じて、私が行動した結果、とんでもないことになるかも、しれない…

 ハッキリ言えば、ユリコの仕掛けた罠にはまるかも、しれない…

 その可能性が、ある…

 その可能性が、高い…

 だから、私は、信じなかった…

 ユリコの言葉を信じなかった…

 そういうことだ…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 そして、そんなことを、考えていると、当たり前だが、ナオキのことを、思い出した…

 ナオキは、拘置所から、釈放されて、どこかに、身をくらました…

 そして、今、現在、連絡が取れない…

 果たして、伸明は、ナオキの行方を知っているのか?

 それが、気になった…

 だから、伸明に、

 「…伸明さん、一つ、お聞きしていいですか?…」

 と、聞いた…

 「…なんですか?…」

 「…失礼ですが、伸明さんは、藤原ナオキの行き先を知っていますか?…」

 その質問に、伸明は、

 「…」

 と、答えなかった…

 無言だった…

 なぜ、答えないのか?

 わからなかった…

 知っているのならば、知っている…

 知らないのなら、知らないと、答えればいい…

 が、

 伸明は、なにも、言わない…

 どうしてだか、わからなかった…

 だから、もう一度、

 「…伸明さんは、藤原ナオキの居所を、ご存じですか?…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかったからだ…

 すると、伸明は、仕方なくといったように、

 「…たぶん…」

 と、言った…

 「…たぶん?…」

 「…そう、たぶん…」

 と、言いにくそうに、言った…
 
 それから、一呼吸置いて、

 「…見当は、ついてます…」

 と、続けた…

 「…どこですか? …そこは?…」

 伸明に、聞いた…

 当たり前のことだ…

 が、

 伸明が、答える前に、またしても、

 「…プッ!…」

 と、吹き出す声が、聞こえた…

 私は、声の主を見た…

 いや、

 見ずとも、わかっていた…

 なぜなら、この場には、三人しか、いないからだ…

 私と伸明、そして、長谷川センセイの三人しか、いないからだ…

 私と伸明が、吹き出さない以上、

 「…プッ!…」

 と、引き出したのは、長谷川センセイに決まっているからだ…

 だから、急いで、長谷川センセイを見た…

 もちろん、伸明も、見た…

 が、

 私たち二人に、視線を向けられた長谷川センセイは、悪びれることもなく、

 「…寿さん、気が強すぎ…」

 と、笑った…

 「…私が、気が強すぎって?…」

 「…だって、諏訪野さんは、五井家当主ですよ…五井グループの総帥です…それを、寿さんは、対等どころか、自分の方がが、偉いような態度で、諏訪野さんに、接している…」

 長谷川センセイが、笑いながら、言う…

 それを、聞いた途端、私は、顔から、火が出る思いだった…

 顔が、見る見る真っ赤になるほど、恥ずかしかった…

 言われてみれば、まさに、その通り…

 その通りだったからだ…

 諏訪野伸明は、おとなしい…

 いかにも、良家の子息…

 だから、つい、こちらが、主導権を握るというか…

 つい、上から、目線で、接してしまう…

 そういうことだ…

 これは、ナオキの場合と同じ…

 二人とも、おとなしい…

 だから、つい、勝気な自分が、リードしてしまうというか…

 自分でも、意識しない間に、いつのまにか、相手をリードしてしまう…

 いけないと思っていても、つい、自分の方が、相手をリードしてしまう…

 悪い癖だ(苦笑)…

 そして、自分が、そんなことを、考えていると、目の前の伸明が、苦笑しているのが、わかった…

 苦笑いを浮かべているのが、わかった…

 私は、どうして、いいか、わからなかった…

 すぐに、伸明に詫びれば、いいのだが、それも、格好悪いというか…

 みっともない…

 しかしながら、なにも、言わないのも、マズい…

 だから、

 「…スイマセン…」

 と、小さく詫びた…

 小さな声で、詫びた…

 「…調子に乗ってました…」

 と、続けた…

 「…つい、自分の立場も、わきまえず、調子に乗ってました…」

 と、詫びた…

 が、

 伸明は、私の言葉を、まるで、気にしていない様子だった…

 なにも、言わず、ただ苦笑するだけだった…

 これは、困った…

 かえって、困った…

 伸明が、なにも、言わないことが、かえって、困った…

 こちらが、どう対応していいか、わからなかったからだ…

 だから、私も、

 「…」

 と、沈黙した…

 すると、

 「…」

 と、誰も、しゃべらなくなった…

 だから、気まずい空気が、流れた…

 三人がいる、病室に、気まずい、空気が流れた…

 一時も早く、この場から、逃げ出したいような気まずい空気が流れた…

 が、

 それを、救ったのは、伸明だった…

               
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