エドが手を握った理由

文字数 4,009文字

 それから教室に戻った後で、午後の授業を受け始めたところで、私はキースの表情の何がひっかかったのかを思い出す。

 ……冷たかったのだ。元婚約者に向ける表情としては。

(でも別れちゃったわけだし。今は未練もないのだとしたら、冷静に王女のことを見られるようになっただけ、とか?)

 後考えられるのは、キースがいつも笹原さんに甘い表情をしていたせいだと思う。恋人同士だったのなら、あの片鱗ぐらいは伺わせるような態度だろうと、私が先入観を持っていただけだろう。


 放課後になると、気づけばエドが背後にいた。
 なんだか監視されてるように感じる。
 もちろん周囲は、弟子が師匠をVIP扱いしているだけだと思い、電柱がそこにあるくらいのスルーっぷりだ。
 反応されない方が良いはずなのに、微妙な気分になるのはなんでだろう。

「さ、参りましょう師匠」

「その前にちょっと図書室寄りたいんだけど」

 本の返却期限が迫っているのだ。返してしまいたい。
 エドはうなずき、もちろん図書室まで背後をぴったりとついてくる。追跡されてるみたいで居心地悪いが、私が昨日から今日に至るまで、怯えまくっていたせいなので仕方ない。
 慈善によるカウンセリングのようなものだ。

 本を返しに行くと、当番の図書委員は男子だった。けれどもう怯えることはなくなった私は、はいと本を渡す。しかしその時、図書委員が妙に怯えた眼差しで私の背後を見ていた。

 エド、なんで威圧したんだ。

 なので申し訳ない気持ちになり、新たな本を借りることもなくさっさと図書室から出る。
 二階建て構造の図書室のある校舎の別館は静かだ。
 玄関のある本館へ向かう廊下も、人の気配はない。
 そんな中、淡々と歩き進んでいると、ふいにエドに引き留められた。

「師匠」

「なに?」

「迷ったのですが……これをお持ち頂けるでしょうか」

 エドが差し出してきたのは、青に金のラインが入った小さな石だ。ラピスラズリに似ているが、あれはこんなにはっきりとラインが出るものだっただろうか。
 それにこちらの方がサファイアみたいに透明感がある。小指の爪よりも小さくて、黙っていればただの装飾品にも見える物だ。
 石は結びつけておけるようにか、首から提げられるようにか、長めの銀鎖がついていた。

「我がルーヴェステインでは、こういった贈り物をすることがままありまして」

 無表情ながら、エドは妙に歯切れの悪く説明する。

「その、魔物避けのようなものでして」

「はぁ魔物避け」

 こっちの世界にはいないけど、どうしてまたこれを私にくれようとしたのだろう。
 よくわからないものの、好意で申し出てくれたのは確かだ。拒否する理由もないので、御礼を言って受け取った。エドも受け取ったことにほっと肩の力を抜いたようだ。そんなに私に持たせたいものだったんだろうか。
 そう思いながら彼を見て、ふと気づく。

「あ、でもなんかこういうのエドも持ってるよね。同じ石?」

「左様です」

 答えたエドが、首から提げた青い石を襟元から引き出して見せた。
 思えばいつも斜めに欠けている勲章。これも青に金のラインが入っている。ルーヴェステインではこの石が象徴的なものなのだろうか。

「ルーヴェステインの流行り物なの?」

「いえ伝統的な贈りもので、本来は子供……」

 そこではっとエドが口を自分の手で塞ぐ。
 しかし私は確かに聞いた。子供。本来は。ということは、だ。

「まさか異世界的には子供へのお守りを親が贈るみたいな?」

 エドは数秒黙り込み、視線を逸らしていたものの、やがてあきらめたようにうなずいた。

「…………なるほど」

 今私は、朝からのエドの行動のおかしさに納得がいった。

 朝のお迎え。手つなぎ。子供向けのお守り。
 途中の見つめ合いだけは他からの情報を組み合わせたから異質で、だからこそ混乱したのだが、そうだとわかればなんのことはない。
 エドは、怯える子供と同じ対応を私にしただけなのだ。

 ほっとすると同時に、今朝ときめきかけた自分がなんだか恥ずかしくて、思わず頭の中で『心頭滅却……目の前にいるのは立方体』とつぶやく。
 それからようやく落ち着いた心で、エドに言った。

「まぁ、うん、ありがと」

 子供用の対応マニュアルしか頭の中に無かったとはいえ、確かにエドは心配してくれた末にこんな行動をとったのだ。子供扱いだからといって、責めるようなものではない。
 礼を言われたエドは、私が怒っていないと感じたのか、ほっとした表情になる。

「ではお手をどうぞ。帰りの車で殿下も待って居られますので」

 そう言って自然に手を差し出される。これも今朝の延長上なのだろうが。

「いやそれは拒否」

「なぜ!」

 拒否ると抗議された。どうして傷ついた表情をするんだねエドくん。

「殿下のは拒否されなかったというのに……」

「手を握るのって一時的措置あんでしょ? それに私、未成年だけど気持ちは有り難いんだけど、エドとは異性なわけで人前で見られそうなのはちょっと恥ずかし」

「はい、理解しました」

 言葉の途中で、エドがうなずく。
 差し出して手を下げてくれたことにほっとして、エドに導かれるまま校舎を出てルーヴェステイン所有の車に乗せてもらったのだが。
 私はエドが斜め上な奴だということを、まだよくわかっていなかったのだ。

 いつもは助手席に収まるエドが、私を右手に乗ったアンドリューの方へ押し出すように後部座席に乗り込んできた時、変だと思うべきだった。

「師匠はい、ここならば誰からも見えません」

 きりっとした表情でエドが手を差し出してきて、戸惑っているうちに左手を握られた。

「え? ええっ!?」

 確かに人に見られるのは嫌だったが、誰も『見られなければいい』とは言っていない!

「ちょっ、エド……」

「ぷっ、くくくっ」

 隣でそれを見ていたアンドリューが、笑い出す。
 笑って見てないで、自分の部下の暴走を何とかしてくれと言う視線を送ると、アンドリューはふるふると唇をふるわせながらエドに問いかけた。

「えっとエド。どうしてまた手を繋ごうと思ったんだい?」

「魔物被害時のマニュアルのことを、思い出しまして……」

「マニュアルにそんなこと書いてあったかな?」

「被害にあった者への対応で、不安がる場合は手を繋ぐのが有効で、被害者は落ち着くことが多いと。手の空いている者や無事な者はそういった形で他者を援助するようにと書いてありました。それを、昨日殿下が師匠の手を握っていたのを見て思い出しました。もっと小さな子供であれば抱き上げて背中をたたくというのもありましたが、さすがに師匠はその年齢ではないと考えまして」

 そこまで聞いたアンドリューは、こらえきれないように笑い出す。
 対して私は、真っ青になっていた。

 いや、まさかエド。私が中学生とかだったらまさか、抱き上げて背中を叩いてあやすとか、本気でやるつもりだったの!?
 しかしエドに羞恥心はないのか? 女の子と接しないからわからなかったとか?
 まさかと思ったのだが、エドは本当に分からないらしい。首をかしげている。 

「何か問題が……? やはりもっと女性らしい対応の方が良かったでしょうか。師匠がそれを望むかどうかわからなかったもので。しかも男性からの被害とあれば、変に接触しすぎるのも控えるべきかと考えたのですが」

「そこまで配慮できるなら、なぜ……」

 私はめまいがした。
 どうして男性との接触を避けたいと思ったからと言って、子供対応になるのか。いや、問題はなかったけどさ。クッキーも美味しかったけど。
 そこではっと気づいて尋ねる。

「ま、まさか大人の女性の場合って何するわけ?」

「落ち着かせた後は、女性でお手伝い出来る方に対応を任せます」

 ……私、そっちの方が良かったかな。そんな事を思ったが、でもここまで一日で恐怖心が払拭されたのは子供扱いされたおかげともいえるし。
 なら私って子供っぽいのだろうか。
 唸りそうになっていると、ようやく笑いやんだアンドリューが爆弾を投下した。

「でも沙桐さん、僕が手を握っても嫌がらなかったもんね。……安心した?」

 なんてことを聞くんだこの王子は!
 しかもこっちは確信犯だ。絶対に私をおちょくってるに違いない!

「僕も手握ってみようかな。子供の頃を思い出すな。三人一緒に行動するために、手を繋いで歩くように、とか。あんな感じがするな」

「どうぞご参加下さい。師匠の心の傷が早く癒えるかもしれません」

「いや、これやったからってそんなわけは……」

 やんわりとお断りしたというのに、目に涙を浮かべて笑うアンドリューは、はっきり言わなかったのをいいことに、右手を握ってくる。
 そして私は拒否できないのだ。
 振り払ったら悪いじゃないか! それに……本当に不意に手を掴まれても、この二人には全く抵抗がなくなってしまっている自分に驚いたのもある。

 そして私は気づいていた。
 真正面を向きながら、老齢の運転手さんが肩をふるわせ、口を引き結んで笑うのをこらえていたことを。
 おかげで余計に恥ずかしくなって、私は何も言えなくなって黙り込んでしまったのだった。

 帰宅後、ぐったりして部屋に引っ込もうとしたところ、母に見つかった。

「あんた、今朝の異世界人らしい子のこと、下僕扱いしてるの? こっちのことに疎い男の子に嘘教えて、変な遊び方しちゃだめよ?」

 と言われてずっこけ、柱に足をぶつけて青あざができた。ひどいよ母さん……。自分の娘をなんだと思ってるんだ。
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