キースのさらなる計画
文字数 5,436文字
「馬鹿者!」
浮遊感とともに何か言われた。が、ジェットコースターよりも急速に地面へと引かれる感覚に、何も考えられない。
恐怖で目を閉じた私の腰を誰かが捕まえた。
それでも殺しきれない衝撃が、掴まれた腹部にかかって苦しくなる。
思わず振り回した手が何かに当たって、うめき声が聞こえたかと思うと全身に二度衝撃を受けて落下が止まった。
最後に海苔を巻くように誰かに抱えられて転がり、止まる。
息苦しい。
圧迫された腹が痛い。
それでも手足は折れていないし、生きている。
ほっとしかけたところで、頭上から罵声が浴びせられた。
「何をやっているんだお前は!」
目を開けて驚いた。なにせ私を抱え込んでいたのはキースだったのだ。
悲鳴を上げかけながら、慌ててキースから這うように離れた。
そこでふと空を見上げる。月明かりで、崖上の木の輪郭がうっすらと確認できる。けれどけっこう遠い。
そして崖は花瓶のように底が広がる形で削れていて、今私が転がっている岩場のすぐ目の前は、勢いよく川が流れる音がしていた。けれど暗闇の中では、川の様子もよくわからない。
普通に落下したら、川に落ちてそのまま流されていただろう。
この状況から考えるに、キースが落ちていく私を抱えて、この狭い岩場に着地したらしい。
というか、キースがなんだかよれよれだ。起き上れずに呻いている。この状況と落下時のうっすらとした記憶を繋ぎ合わせるに……。
「大人しくしていればいいものを、私の顎を掌底で打つとは」
憎々しげにつぶやかれたので、推測通りだったことが確定した。
どうも私、助けようとしたらしいキースの顎を手で殴りつけ、そのせいでキースは二度ほど余計にどこかへぶつかって、起き上れない様になったらしい。
……ちょっとだけ申し訳ないような、でもキースだから以前の仕返しをしたと思えば、と考えてしまったりもする。
「それにしても、なんで私を助けたのよ? 私がいなければ、邪魔者がいなくなって万々歳だったんじゃないの?」
純粋に不思議だったから尋ねると、顔をしかめたまま起き上がらないキースが抗議してくる。
「さすがに放置できるわけがないだろう、騎士が崖から落ちる一般人を見ていながら救えないなど恥でしかない。それに異世界人と違って貴様らはすぐ壊れるだろうが」
どうやら異世界の騎士というのは身体能力が優れすぎている分、これぐらいならばやらないと恥、と判断するようだ。
それでも邪魔者ならば放置すると思っていた分、驚いたのだ。
「意外や意外。常識が微妙に残ってたのね……だけど礼は言いにくいわー」
「お前は私の忍耐力を試しているのか!? ……っ」
キースが激昂して、起き上がろうとしてやめる。痛そうなので背中を打ったのだろう。
おそらく辺りが明るければ、ある程度は回避できたのだろうが。
「さて、まず考えるべきは、戻る方法よね」
とりあえず自分のいる場所の状況をもっと詳しく知りたい。だけど懐中電灯など持っていない。そして代わりになる携帯は、キースのせいで林の中で眠っている状態だ。
「ちょっとキース、あんた少し休んだらこの崖上がれるの?」
尋ねると、実に不機嫌そうに横を向いたままだったので、無理だとわかった。
「じゃあ懐中電灯代わりにその辺照らしてもらえない?」
「ちっ……」
キースは舌打ちしながらも、言われた通りにした。そしてここが完全に崖と川に囲まれている上、川の縁すらないので歩いて下流まで移動することすらできないと判明した。
更に言うと、携帯の電波が届かない。
救助は呼べないものの、エドならば私を捜して笹原さんを見つけてくれると思う。そうしたら、崖下からの声に気づいてくれるかもしれない。
「でも救助が来るまで変態と一緒か……」
「私は変態ではない!」
ぽろりとこぼれた言葉に、キースがすかさず反論してきた。自覚がないってことは、かなり症状が重そうだ。
「だって今まで見聞きしたことを総合すると、おそろしく異常だからよ。妹の記憶取り出すとか、もうどうかしてるし」
そのために墓を掘り起こすなんて異常行動を起こしているのだ。しかもオディール王女が知っていたくらいなのだから、誰かに見られて発覚したのではないだろうか。
周囲はもちろん転地療養と噂の火消しのために、異世界送りにするだろう。ガーランド王国のキースに関わる人々に、私はうっすら同情した。
しかしよく今まで、その変態っぷりを周囲に悟られずにいたなと感じた。
だから私は、ついでに聞いてしまおうと思ったのだ。
「そもそも、あなた妹のこといつから好きだったの?」
フェリシアの方は、記憶を持っていた笹原さんのおかげでスタート地点が分かっている。出会った時からだ。しかし病むほど実は妹大好きだったこの変態は、一体いつから妹をそんな目で見ていたというのか。
病んでいるキースは、妹語りができるということで私の質問に気が引かれたのだろう。少しこちらに顔を向けた。
「フェリシアは……幼い頃から天使のように素直で」
「…………それ以上はもういいわ」
キースは不満そうな表情だったが、それで十分察せられた。
こいつは出会った当初からフェリシアにぞっこんだったらしい。だけど一つ問題がある。
「あんたは、フェリシアが妹だって知ってたんじゃないの?」
「妹だからこそ、フェリシアの姿を見ようと思ったのだ。そうして心奪われて……。けれどあの子が気づいて私から距離を置くようになったのだ」
うん、筋金入りの変態だった。
「しっかし、分かってて……だなんて」
頭が痛くなりそうだ。思わず額を手で押さえてしまう。きっと妹だろうと関係ねぇ! な感じでフェリシアに恋したキースは、何も知らないフェリシアにさぞかし優しくしたのだろう。
「フェリシアが兄妹では傍にいるわけにはいかないと思うのならと、離れようとしたのだ。その時に出会ったのが、オディール王女だ。フェリシアほどではなかったが、大人しくて従順で良いと思ったのだが……」
実は王女様は二番手でしたとか、最初は夢にも思わなかったよ。
更に、キースの恋愛基準がわかった。顔も少しはあるだろうが、自分に逆らわない女が好きなんだなこの人。
記憶を移した笹原さんも自分から前に出ていくタイプではないし、実に理想的だったのだろう。
「で? そのフェリシアが死んで、墓荒らししたんだって? 死体から記憶を抜き取って……笹原さんに、いつどうやって移したのよ?」
流れに乗ってかねてからの疑問をぶつけると、キースがくすくすと笑い出す。
「なんだフェリシアを救い出したことも知っているのか」
「救い出す?」
笑い方に異様なものを感じたものの、尋ねてしまったのだからもう遅い。しかもキースは起き上ることも楽には出来ない状況だ。
大丈夫と自分に言い聞かせて、キースの答えを待つ。
「もちろん。フェリシアは古い殻を脱ぎ捨て、新しく生まれ変わるのだよ。しかしこちらに来て、来月から通うという学校の見学をした際に、同じ年頃の生徒が下校するのを見る機会があった。その時に大人しそうな女生徒に記憶を投げたつもりだったが、王女に気付かれかけて、誰に記憶が移ったのかわからなくなったのだ。あの時は焦ったよ」
見つけるのは大変だったとか、でもやっぱりフェリシアは生まれ変わってもフェリシアだったとか、キースはやや陶酔した口調で語る。
私はそんなキースをどつきたくなったが、変態に触れるのも嫌なので手をひっこめた。
が、そうしてあらあらの事を思い出させたせいで、キースの妙なスイッチが入ってしまったようだ。
「それにしても、このままではお前から王女にばれてしまうのか……。フェリシアの記憶を取り上げられてしまっては困る」
ぶつぶつと呟いたキースが、はたと思いついたように一瞬息を飲んだ。
「そうか……いいことを思いついた。私がフェリシアと長く共にいられて、嫌悪されない方法」
そしてキースは恍惚とした表情で私の方を見た。嫌な予感に背筋がぞっとする。
「今私が死んでも、お前に記憶を移譲することができる。そうすれば私が生きていくのとそう変わりがない。そしてお前の姿形なら、フェリシアは拒否しないだろう。ふふ……いい思いつきだと思わないか?」
「……気持ち悪いわああああっ!」
「ごふっ!」
キースが体を庇った腕ごと、私は思いきり腹を蹴りつけていた。あまりに気色悪い提案に、防衛本能が過激な方向に仕事をしたようだ。でもそんな自分を許していいと思う。
そしてなんで避けなかったんだと思ったが、キースが「なぜ手じゃないんだ」と文句を垂れていた。よもや蹴りが入るとは思わなかったようだ。
残念だったな、そちらの世界のお嬢さんはロングスカート着用で蹴ろうなどという発想自体がなかったのだろうが、ズボンに慣れ親しんでいるこっちの女子にためらいなどないのだよ。
そう思っていた私は、油断した好きに足首を掴まれ、引き倒される。
かろうじて尻餅をついて他の箇所への打撲を回避したけれど、場所は岩場だ、痛いなんてものじゃない。悶絶している間に、私は危機に陥っていた。
「ちょっ、何する――!」
言葉が止まった。
身動きできないはずのキースが、私の肩を押さえつけて組み敷いていた。
「う、動けないふりしてだましたのね!」
「騙したとは人聞きの悪い。君が勘違いしただけだ……さぁ、私の記憶をやろう」
キースが術を使うつもりで、右手を離した。
私は必死で自由になった腕で、キースを殴りつけようとした。
「なんであんたの記憶なんかよこされなきゃいけないのよ、この犯罪者! 変態の思考が記憶の中に含まれるとかキモイ! 私が穢れる!」
「お前は俺のどこがキモイだなどと言うのだ」
殴りつける手をかわしながらキースが言う。
「全部よ全部!」
私は思うさま絶叫した。
「キモイに決まってるでしょこのド変態! 妹が好きだってのに、打ち明けなかったのはまぁわかるわ、お互い社会的に死ぬだろうし。でもそれなら、妹が他の男に気持ちを向けるとか、せめてあんたが結婚相手紹介してやんなさいよ! 色々あったけど、結局フェリシアは見知らぬおっさんに嫁がされそうになったことにキレたんだから!」
結局、フェリシアの人生が転がり落ちた発端はそこにあったのだと私は思っている。
兄が王女と仲むつまじくなった頃の彼女は、諦めようという気持ちでいっぱいだったのだ。
けれど思い切る間もなく、生理的に受け付けない相手を押しつけられたとなれば、不幸を嘆いたって仕方ない。
しかも異世界のガーランド王国には、女性を援助してくれる駆け込み寺みたいな機関などないだろう。
まだ10代のフェリシアは八方塞がりの中、完全に追い詰められたのだ。
そして私の言葉を聞いたキースは、やや渋い表情になる。
不愉快に思うのは、彼の中にもそれを悪いと思う感情があるせいだ。そう察したからこそ、私は続けた。
「助けられる位置にいたはずのあんたが自分の苦しさだけに酔って、フェリシアがどん底に落ちていくのを見て見ぬ振りをしたから、フェリシアだってヤケになったんじゃない! そうでしょう!? だってあんたの国じゃ、女の子は何も決められないんだから! それで好きだとか言うなんて、とんでもないわ!」
好きなら相手の事を考えてやれ。
そんなこともできないのに、死後までも自分の妄想に付き合わせる気か。
けれど私の腕力はか弱すぎて、キースに掴まれ、面倒だからと自分の手ごとキースの手が私の額に当てられる。
とたん、感じたのはめまい、そして胸元にちりちりとした痛み。
これが記憶を移す術を使われている感覚なのだろうか。そう考えた私は、絶対に負ける物かと反発心を抱く。
「私の中に記憶を移してごらんなさい。ぎたぎたに消滅させてやるわ」
キースは余裕の表情で鼻で笑った。
「消滅させるには、お前じゃ死ぬしかないだろうな」
「それならそれで結構よ。人の人生、自分勝手にめちゃめちゃにしてやろうなんてことを企むゲスの記憶なんて、命に代えても滅してくれる!」
「――さすがは我が師」
その声が響いたとたん、真正面にいたキースが消失した。次いで何かが水に落ちた音がする。
あれ、と思った瞬間には、傍に慣れた気配が膝をついていて、抱き上げられる。
ほっとするその感覚に見上げれば、どこか安堵したような顔のエドが見えた。
月明かりの中、日焼けをしていても白い肌の彼の顔や金の髪が夜の闇に浮かび上がって見える。まるで彼自身が、二つ目の月のようだ。
その青い瞳と見つめ合った瞬間、なにかがつながった気がしたのだが……。
「師匠のお覚悟、見事でございました。師匠が遂行なさるときには、私もぜひ追従したいところですが……殿下の護衛も投げ捨てることも難しい。なんと悩ましい」
いつもながらにどこか外れたエドの言葉に、その何かは気のせいだったように立ち消え、代わりに私は苦笑いしたのだった。
浮遊感とともに何か言われた。が、ジェットコースターよりも急速に地面へと引かれる感覚に、何も考えられない。
恐怖で目を閉じた私の腰を誰かが捕まえた。
それでも殺しきれない衝撃が、掴まれた腹部にかかって苦しくなる。
思わず振り回した手が何かに当たって、うめき声が聞こえたかと思うと全身に二度衝撃を受けて落下が止まった。
最後に海苔を巻くように誰かに抱えられて転がり、止まる。
息苦しい。
圧迫された腹が痛い。
それでも手足は折れていないし、生きている。
ほっとしかけたところで、頭上から罵声が浴びせられた。
「何をやっているんだお前は!」
目を開けて驚いた。なにせ私を抱え込んでいたのはキースだったのだ。
悲鳴を上げかけながら、慌ててキースから這うように離れた。
そこでふと空を見上げる。月明かりで、崖上の木の輪郭がうっすらと確認できる。けれどけっこう遠い。
そして崖は花瓶のように底が広がる形で削れていて、今私が転がっている岩場のすぐ目の前は、勢いよく川が流れる音がしていた。けれど暗闇の中では、川の様子もよくわからない。
普通に落下したら、川に落ちてそのまま流されていただろう。
この状況から考えるに、キースが落ちていく私を抱えて、この狭い岩場に着地したらしい。
というか、キースがなんだかよれよれだ。起き上れずに呻いている。この状況と落下時のうっすらとした記憶を繋ぎ合わせるに……。
「大人しくしていればいいものを、私の顎を掌底で打つとは」
憎々しげにつぶやかれたので、推測通りだったことが確定した。
どうも私、助けようとしたらしいキースの顎を手で殴りつけ、そのせいでキースは二度ほど余計にどこかへぶつかって、起き上れない様になったらしい。
……ちょっとだけ申し訳ないような、でもキースだから以前の仕返しをしたと思えば、と考えてしまったりもする。
「それにしても、なんで私を助けたのよ? 私がいなければ、邪魔者がいなくなって万々歳だったんじゃないの?」
純粋に不思議だったから尋ねると、顔をしかめたまま起き上がらないキースが抗議してくる。
「さすがに放置できるわけがないだろう、騎士が崖から落ちる一般人を見ていながら救えないなど恥でしかない。それに異世界人と違って貴様らはすぐ壊れるだろうが」
どうやら異世界の騎士というのは身体能力が優れすぎている分、これぐらいならばやらないと恥、と判断するようだ。
それでも邪魔者ならば放置すると思っていた分、驚いたのだ。
「意外や意外。常識が微妙に残ってたのね……だけど礼は言いにくいわー」
「お前は私の忍耐力を試しているのか!? ……っ」
キースが激昂して、起き上がろうとしてやめる。痛そうなので背中を打ったのだろう。
おそらく辺りが明るければ、ある程度は回避できたのだろうが。
「さて、まず考えるべきは、戻る方法よね」
とりあえず自分のいる場所の状況をもっと詳しく知りたい。だけど懐中電灯など持っていない。そして代わりになる携帯は、キースのせいで林の中で眠っている状態だ。
「ちょっとキース、あんた少し休んだらこの崖上がれるの?」
尋ねると、実に不機嫌そうに横を向いたままだったので、無理だとわかった。
「じゃあ懐中電灯代わりにその辺照らしてもらえない?」
「ちっ……」
キースは舌打ちしながらも、言われた通りにした。そしてここが完全に崖と川に囲まれている上、川の縁すらないので歩いて下流まで移動することすらできないと判明した。
更に言うと、携帯の電波が届かない。
救助は呼べないものの、エドならば私を捜して笹原さんを見つけてくれると思う。そうしたら、崖下からの声に気づいてくれるかもしれない。
「でも救助が来るまで変態と一緒か……」
「私は変態ではない!」
ぽろりとこぼれた言葉に、キースがすかさず反論してきた。自覚がないってことは、かなり症状が重そうだ。
「だって今まで見聞きしたことを総合すると、おそろしく異常だからよ。妹の記憶取り出すとか、もうどうかしてるし」
そのために墓を掘り起こすなんて異常行動を起こしているのだ。しかもオディール王女が知っていたくらいなのだから、誰かに見られて発覚したのではないだろうか。
周囲はもちろん転地療養と噂の火消しのために、異世界送りにするだろう。ガーランド王国のキースに関わる人々に、私はうっすら同情した。
しかしよく今まで、その変態っぷりを周囲に悟られずにいたなと感じた。
だから私は、ついでに聞いてしまおうと思ったのだ。
「そもそも、あなた妹のこといつから好きだったの?」
フェリシアの方は、記憶を持っていた笹原さんのおかげでスタート地点が分かっている。出会った時からだ。しかし病むほど実は妹大好きだったこの変態は、一体いつから妹をそんな目で見ていたというのか。
病んでいるキースは、妹語りができるということで私の質問に気が引かれたのだろう。少しこちらに顔を向けた。
「フェリシアは……幼い頃から天使のように素直で」
「…………それ以上はもういいわ」
キースは不満そうな表情だったが、それで十分察せられた。
こいつは出会った当初からフェリシアにぞっこんだったらしい。だけど一つ問題がある。
「あんたは、フェリシアが妹だって知ってたんじゃないの?」
「妹だからこそ、フェリシアの姿を見ようと思ったのだ。そうして心奪われて……。けれどあの子が気づいて私から距離を置くようになったのだ」
うん、筋金入りの変態だった。
「しっかし、分かってて……だなんて」
頭が痛くなりそうだ。思わず額を手で押さえてしまう。きっと妹だろうと関係ねぇ! な感じでフェリシアに恋したキースは、何も知らないフェリシアにさぞかし優しくしたのだろう。
「フェリシアが兄妹では傍にいるわけにはいかないと思うのならと、離れようとしたのだ。その時に出会ったのが、オディール王女だ。フェリシアほどではなかったが、大人しくて従順で良いと思ったのだが……」
実は王女様は二番手でしたとか、最初は夢にも思わなかったよ。
更に、キースの恋愛基準がわかった。顔も少しはあるだろうが、自分に逆らわない女が好きなんだなこの人。
記憶を移した笹原さんも自分から前に出ていくタイプではないし、実に理想的だったのだろう。
「で? そのフェリシアが死んで、墓荒らししたんだって? 死体から記憶を抜き取って……笹原さんに、いつどうやって移したのよ?」
流れに乗ってかねてからの疑問をぶつけると、キースがくすくすと笑い出す。
「なんだフェリシアを救い出したことも知っているのか」
「救い出す?」
笑い方に異様なものを感じたものの、尋ねてしまったのだからもう遅い。しかもキースは起き上ることも楽には出来ない状況だ。
大丈夫と自分に言い聞かせて、キースの答えを待つ。
「もちろん。フェリシアは古い殻を脱ぎ捨て、新しく生まれ変わるのだよ。しかしこちらに来て、来月から通うという学校の見学をした際に、同じ年頃の生徒が下校するのを見る機会があった。その時に大人しそうな女生徒に記憶を投げたつもりだったが、王女に気付かれかけて、誰に記憶が移ったのかわからなくなったのだ。あの時は焦ったよ」
見つけるのは大変だったとか、でもやっぱりフェリシアは生まれ変わってもフェリシアだったとか、キースはやや陶酔した口調で語る。
私はそんなキースをどつきたくなったが、変態に触れるのも嫌なので手をひっこめた。
が、そうしてあらあらの事を思い出させたせいで、キースの妙なスイッチが入ってしまったようだ。
「それにしても、このままではお前から王女にばれてしまうのか……。フェリシアの記憶を取り上げられてしまっては困る」
ぶつぶつと呟いたキースが、はたと思いついたように一瞬息を飲んだ。
「そうか……いいことを思いついた。私がフェリシアと長く共にいられて、嫌悪されない方法」
そしてキースは恍惚とした表情で私の方を見た。嫌な予感に背筋がぞっとする。
「今私が死んでも、お前に記憶を移譲することができる。そうすれば私が生きていくのとそう変わりがない。そしてお前の姿形なら、フェリシアは拒否しないだろう。ふふ……いい思いつきだと思わないか?」
「……気持ち悪いわああああっ!」
「ごふっ!」
キースが体を庇った腕ごと、私は思いきり腹を蹴りつけていた。あまりに気色悪い提案に、防衛本能が過激な方向に仕事をしたようだ。でもそんな自分を許していいと思う。
そしてなんで避けなかったんだと思ったが、キースが「なぜ手じゃないんだ」と文句を垂れていた。よもや蹴りが入るとは思わなかったようだ。
残念だったな、そちらの世界のお嬢さんはロングスカート着用で蹴ろうなどという発想自体がなかったのだろうが、ズボンに慣れ親しんでいるこっちの女子にためらいなどないのだよ。
そう思っていた私は、油断した好きに足首を掴まれ、引き倒される。
かろうじて尻餅をついて他の箇所への打撲を回避したけれど、場所は岩場だ、痛いなんてものじゃない。悶絶している間に、私は危機に陥っていた。
「ちょっ、何する――!」
言葉が止まった。
身動きできないはずのキースが、私の肩を押さえつけて組み敷いていた。
「う、動けないふりしてだましたのね!」
「騙したとは人聞きの悪い。君が勘違いしただけだ……さぁ、私の記憶をやろう」
キースが術を使うつもりで、右手を離した。
私は必死で自由になった腕で、キースを殴りつけようとした。
「なんであんたの記憶なんかよこされなきゃいけないのよ、この犯罪者! 変態の思考が記憶の中に含まれるとかキモイ! 私が穢れる!」
「お前は俺のどこがキモイだなどと言うのだ」
殴りつける手をかわしながらキースが言う。
「全部よ全部!」
私は思うさま絶叫した。
「キモイに決まってるでしょこのド変態! 妹が好きだってのに、打ち明けなかったのはまぁわかるわ、お互い社会的に死ぬだろうし。でもそれなら、妹が他の男に気持ちを向けるとか、せめてあんたが結婚相手紹介してやんなさいよ! 色々あったけど、結局フェリシアは見知らぬおっさんに嫁がされそうになったことにキレたんだから!」
結局、フェリシアの人生が転がり落ちた発端はそこにあったのだと私は思っている。
兄が王女と仲むつまじくなった頃の彼女は、諦めようという気持ちでいっぱいだったのだ。
けれど思い切る間もなく、生理的に受け付けない相手を押しつけられたとなれば、不幸を嘆いたって仕方ない。
しかも異世界のガーランド王国には、女性を援助してくれる駆け込み寺みたいな機関などないだろう。
まだ10代のフェリシアは八方塞がりの中、完全に追い詰められたのだ。
そして私の言葉を聞いたキースは、やや渋い表情になる。
不愉快に思うのは、彼の中にもそれを悪いと思う感情があるせいだ。そう察したからこそ、私は続けた。
「助けられる位置にいたはずのあんたが自分の苦しさだけに酔って、フェリシアがどん底に落ちていくのを見て見ぬ振りをしたから、フェリシアだってヤケになったんじゃない! そうでしょう!? だってあんたの国じゃ、女の子は何も決められないんだから! それで好きだとか言うなんて、とんでもないわ!」
好きなら相手の事を考えてやれ。
そんなこともできないのに、死後までも自分の妄想に付き合わせる気か。
けれど私の腕力はか弱すぎて、キースに掴まれ、面倒だからと自分の手ごとキースの手が私の額に当てられる。
とたん、感じたのはめまい、そして胸元にちりちりとした痛み。
これが記憶を移す術を使われている感覚なのだろうか。そう考えた私は、絶対に負ける物かと反発心を抱く。
「私の中に記憶を移してごらんなさい。ぎたぎたに消滅させてやるわ」
キースは余裕の表情で鼻で笑った。
「消滅させるには、お前じゃ死ぬしかないだろうな」
「それならそれで結構よ。人の人生、自分勝手にめちゃめちゃにしてやろうなんてことを企むゲスの記憶なんて、命に代えても滅してくれる!」
「――さすがは我が師」
その声が響いたとたん、真正面にいたキースが消失した。次いで何かが水に落ちた音がする。
あれ、と思った瞬間には、傍に慣れた気配が膝をついていて、抱き上げられる。
ほっとするその感覚に見上げれば、どこか安堵したような顔のエドが見えた。
月明かりの中、日焼けをしていても白い肌の彼の顔や金の髪が夜の闇に浮かび上がって見える。まるで彼自身が、二つ目の月のようだ。
その青い瞳と見つめ合った瞬間、なにかがつながった気がしたのだが……。
「師匠のお覚悟、見事でございました。師匠が遂行なさるときには、私もぜひ追従したいところですが……殿下の護衛も投げ捨てることも難しい。なんと悩ましい」
いつもながらにどこか外れたエドの言葉に、その何かは気のせいだったように立ち消え、代わりに私は苦笑いしたのだった。