閑話:アンドリュー
文字数 2,193文字
朝の目覚めは、たぶん『こちら側』に来てからよくなったと思う。
扉の隙間から漏れ聞こえる、居間から流れてくるTVの音声。
ニュースを読み上げ、大げさに驚き、時々無理やりにまとめて次の話題に移る朝の番組の流れは、最初に見たときは思わず笑ってしまったのを覚えている。
中のニュースも、深刻なものがあったかと思えば、口直しと言わんばかりに落差がある、愛くるしい動物がどこそこの川に現れたという、誰の一生にもあまり関係なさそうな代物が出てくる。
紙で情報をやりとりしている故国とはくらべものにならない情報量を提供できるからこそ、些末な出来事まで混ぜようとするのだろうか。
そんなところもあまりに異世界だとわかりすぎて……だから安心するのだと思う。
今ここにいる限りは、全てを考えなくてもいいのだ、と。
やがてノックの音が耳に届く。
起き上りながら、彼にしては最大限まで遠慮がちなたたき方に小さく笑う。
「エド、おはよう。僕は起きているよ」
こちらの声を聞いて現れたのは、既にきっちりと制服を身に着けたエドだ。
「おはようございます殿下。お召し替えはいかがいたしましょうか」
「自分でやるから大丈夫。というか、もう慣れたから今後は自分でするよ」
そう言えば、エドが無表情のまま首をちょっとかしげる。
急にどうしたのかと思ったのだろう。国元にいる頃からずっと、従者に着せ替えさせられてきた身だったのだから。
「国で着ていた服みたいに複雑なわけじゃないし、エドに従者の真似事をさせ続けるのも悪いしね。僕が従者を断ったせいで、今まで面倒をかけたから」
通常、留学時にはなれない異世界生活のために、多くの従者達を連れていくものだ。けれど僕はその人数を極端に削減させたのだ。
たとえ留学しても、故国について全てを忘れ去ることなど不可能だとわかっている。けれど、僕は異世界にいることを実感したかった。そのために不自由でも、慣れ親しんだものを遠ざけたい気分だったのだ。
本当は護衛の騎士も、数少ないながら連れてきた女官も要らなかったのだが、全てを拒否するわけにもいかない。
なので、若者のわがままだとこちらのやることを見逃してくれる年かさの女官や侍従を数人と、エドを連れていくことだけは受け入れた。
おかげでエドには迷惑をかけ通しだが、今の話にもエドは特に驚いた様子もなく受け入れてくれている。
「左様でございますか? では、こちらにお召し替えを置かせていただきます」
そう言って、入り口近くに置いた小卓に衣服を置くと、彼は一礼して部屋を去ってしまう。
このあっさりとしたところが、エドのいいところだ。
思えば、彼を選んだ理由は、複数の護衛騎士候補の中でも一番浮世離れしていたからだった。
多分、僕は変化を望んでいたのだろう。だからこの『変わり者』っぷりが気に入ったのに違いない。
なによりも彼ぐらい変わっている相手ならば、自分が異世界の中に浸る時に、異世界の一部のように感じられるだろう、と。
頭は固くて母国のことを異世界へ持ち込む四角四面さはあっても、それは他の騎士や従者も同じだ。それなら『変わり者だから』と認識できる上、僕のやることをあっさりと受け入れてくれる相手がいいと思ったのだ。
おかげで、エドに恋愛ごとまで託さなければならなくなった家臣団達は、真っ青な顔色になっていたが。
クラスメイトの沙桐なら「もっと他にマシなのいたでしょう!」と言い出しそうだが。
想像して、僕は小さく笑ってしまう。
「……ああ、沙桐さんに話したら怒るんだろうな」
エドに膝をつかせた初めての異世界人、小幡沙桐。
初めて彼女を見た時は、こちらの世界の資料で見たカワウソを思い出したものだ。
なんとなく似てる気がするのだが……これも彼女には内緒にすべきことだろう。
僕たちの世界の共通語をある程度話せる沙桐は、同じクラスのヴィラマイン王女と早速仲良くなっていたし、彼女と気が合うのなら間違いなく争い事など嫌いだろうと考えていた。
しかし実際は、その大人しげな顔立ちに反した性格だった。
エドがこちらの知識を欲して仲良くなりたがるなら、絶対に男子生徒で、もしかすると上級生かもしれないと思っていた僕は、結構驚いた。
けれど納得もしたのだ。
身体能力で、こちらの世界の人々が異世界人に勝ることは難しい。思想や頭脳的な方向でなければエドを完敗させることはできないのだから。
とはいっても、沙桐さんは特別頭がいいわけでもない。察しはいい人だけれど。
ただ彼女自身の常識や規範、そしてお人よしっぷりに、予想外の場所から足をすくわれて、エドは倒されてしまったのだ。
なんにせよ、小柄な女の子を「師匠、師匠」と呼びながら追いかけるエドの姿はなかなか面白く、それもまた母国を忘れさせてくれて楽しかった。
だからもう少し。
沙桐さんには悪いが、異世界だということを実感させ続けてほしかった。
「……ま、あとで埋め合わせをしよう」
エドを止めずに迷惑をかけるのだ。何か彼女への罪滅ぼしを考えるべきだろう。
どれが一番いいだろうかと考えつつ、素肌の上に白いシャツを羽織る。
今日も、そこそこ楽しい日になりそうだった。
扉の隙間から漏れ聞こえる、居間から流れてくるTVの音声。
ニュースを読み上げ、大げさに驚き、時々無理やりにまとめて次の話題に移る朝の番組の流れは、最初に見たときは思わず笑ってしまったのを覚えている。
中のニュースも、深刻なものがあったかと思えば、口直しと言わんばかりに落差がある、愛くるしい動物がどこそこの川に現れたという、誰の一生にもあまり関係なさそうな代物が出てくる。
紙で情報をやりとりしている故国とはくらべものにならない情報量を提供できるからこそ、些末な出来事まで混ぜようとするのだろうか。
そんなところもあまりに異世界だとわかりすぎて……だから安心するのだと思う。
今ここにいる限りは、全てを考えなくてもいいのだ、と。
やがてノックの音が耳に届く。
起き上りながら、彼にしては最大限まで遠慮がちなたたき方に小さく笑う。
「エド、おはよう。僕は起きているよ」
こちらの声を聞いて現れたのは、既にきっちりと制服を身に着けたエドだ。
「おはようございます殿下。お召し替えはいかがいたしましょうか」
「自分でやるから大丈夫。というか、もう慣れたから今後は自分でするよ」
そう言えば、エドが無表情のまま首をちょっとかしげる。
急にどうしたのかと思ったのだろう。国元にいる頃からずっと、従者に着せ替えさせられてきた身だったのだから。
「国で着ていた服みたいに複雑なわけじゃないし、エドに従者の真似事をさせ続けるのも悪いしね。僕が従者を断ったせいで、今まで面倒をかけたから」
通常、留学時にはなれない異世界生活のために、多くの従者達を連れていくものだ。けれど僕はその人数を極端に削減させたのだ。
たとえ留学しても、故国について全てを忘れ去ることなど不可能だとわかっている。けれど、僕は異世界にいることを実感したかった。そのために不自由でも、慣れ親しんだものを遠ざけたい気分だったのだ。
本当は護衛の騎士も、数少ないながら連れてきた女官も要らなかったのだが、全てを拒否するわけにもいかない。
なので、若者のわがままだとこちらのやることを見逃してくれる年かさの女官や侍従を数人と、エドを連れていくことだけは受け入れた。
おかげでエドには迷惑をかけ通しだが、今の話にもエドは特に驚いた様子もなく受け入れてくれている。
「左様でございますか? では、こちらにお召し替えを置かせていただきます」
そう言って、入り口近くに置いた小卓に衣服を置くと、彼は一礼して部屋を去ってしまう。
このあっさりとしたところが、エドのいいところだ。
思えば、彼を選んだ理由は、複数の護衛騎士候補の中でも一番浮世離れしていたからだった。
多分、僕は変化を望んでいたのだろう。だからこの『変わり者』っぷりが気に入ったのに違いない。
なによりも彼ぐらい変わっている相手ならば、自分が異世界の中に浸る時に、異世界の一部のように感じられるだろう、と。
頭は固くて母国のことを異世界へ持ち込む四角四面さはあっても、それは他の騎士や従者も同じだ。それなら『変わり者だから』と認識できる上、僕のやることをあっさりと受け入れてくれる相手がいいと思ったのだ。
おかげで、エドに恋愛ごとまで託さなければならなくなった家臣団達は、真っ青な顔色になっていたが。
クラスメイトの沙桐なら「もっと他にマシなのいたでしょう!」と言い出しそうだが。
想像して、僕は小さく笑ってしまう。
「……ああ、沙桐さんに話したら怒るんだろうな」
エドに膝をつかせた初めての異世界人、小幡沙桐。
初めて彼女を見た時は、こちらの世界の資料で見たカワウソを思い出したものだ。
なんとなく似てる気がするのだが……これも彼女には内緒にすべきことだろう。
僕たちの世界の共通語をある程度話せる沙桐は、同じクラスのヴィラマイン王女と早速仲良くなっていたし、彼女と気が合うのなら間違いなく争い事など嫌いだろうと考えていた。
しかし実際は、その大人しげな顔立ちに反した性格だった。
エドがこちらの知識を欲して仲良くなりたがるなら、絶対に男子生徒で、もしかすると上級生かもしれないと思っていた僕は、結構驚いた。
けれど納得もしたのだ。
身体能力で、こちらの世界の人々が異世界人に勝ることは難しい。思想や頭脳的な方向でなければエドを完敗させることはできないのだから。
とはいっても、沙桐さんは特別頭がいいわけでもない。察しはいい人だけれど。
ただ彼女自身の常識や規範、そしてお人よしっぷりに、予想外の場所から足をすくわれて、エドは倒されてしまったのだ。
なんにせよ、小柄な女の子を「師匠、師匠」と呼びながら追いかけるエドの姿はなかなか面白く、それもまた母国を忘れさせてくれて楽しかった。
だからもう少し。
沙桐さんには悪いが、異世界だということを実感させ続けてほしかった。
「……ま、あとで埋め合わせをしよう」
エドを止めずに迷惑をかけるのだ。何か彼女への罪滅ぼしを考えるべきだろう。
どれが一番いいだろうかと考えつつ、素肌の上に白いシャツを羽織る。
今日も、そこそこ楽しい日になりそうだった。