手帳の中身に書かれた真実は

文字数 4,079文字

   ‡‡‡
  
 どうして自分は選ばれなかったのか。
 なぜ自分を見てくれなかったのか。

 水の中でもがきながら嘆くのは、そんな言葉だったと思う。
 閉じかけた視界に最後に映ったのは、白く小さな顔を泣きそうにゆがめても美しい彼女が、自分に向かって手を伸ばしている姿で。

 次の瞬間、固い物に当たったような衝撃とともに、痛みを感じる間もなく意識が途切れたのを覚えている。

   ‡‡‡

 やはり自分自身の死というものは、印象の強い出来事だったのだろう。
 手帳の中身はフェリシア・クレイトンの最後の記憶から始まっていた。
 続いて、彼女の覚えている限りの生い立ち。
 忘れないうちにと焦ったのか、箇条書き混じりに、時に後から隙間に書き足しながら、フェリシアの人生が文字におこされていた。

 フェリシアは、ガーランド王国の名門伯爵家の娘だった。
 蝶よ花よと育てられた彼女は、騎士見習いとして家に預けられていた、親戚の少年キースに恋をする。
 けれど数年後、彼は自分の異母兄で前妻の息子だとわかる。
 後妻であるフェリシアの母が亡くなると同時に、前妻の家で暮らしていたキースが兄として呼び戻されたので、真実を知ったのだ。

 一緒に暮らすようになったが、どうしても初恋から気持ちを切り替えられなかった彼女。
 彼の事を兄だとは心底思えなかったものの、兄にべったりな妹として傍にいたらしい。この頃のキースは優しく、彼女をお姫様扱いしていたようだ。

 そしてキースが十五歳になり、婚約者を選ぶ時期になる。年頃らしく、彼にも気になる女性が現れ始めていた。
 やきもきする日々を送っていたフェリシアだったが、やがて決定的な瞬間が訪れる。避暑にやってきた土地で、キースはたおやかな少女と出会い、恋してしまったのだ。

 それが庶出の王女オディールだった。

 オディールに恋したキースは、彼女を貰うために功績が欲しくて王宮の討伐召集に応え、騎士として化物を狩る活躍も見せた。
 だんだんとフェリシアにも構わなくなるキースに、フェリシアは寂しさを抱える。
 そんな折、オディールの兄である嫡出子の王子達が流行病で死亡した。
 急遽オディールは次期女王となり、いずれ自分の摂政となる夫を捜さなければならなくなった。

 それならばと、夫候補として父親の後押しを受けて立候補したキース。
 自分をそれほど思ってくれるならと感動したらしいオディールは、この頃から彼と心を通わせるようになっていったようだ。

 フェリシアはそれを止めようもない。どちらにせよ、異母妹という立場ではキースと結ばれることはないから。

 諦めようと苦悩するようになった彼女も、年頃になっていた。そのため父親によって婚約者が決められた。
 年が一回り以上離れた三十代の男だ。父のように女は口を開くのも夫の命令がなければいけない、と考えているような人だった。

 落胆したフェリシアは、さらに辛い事情を知る。
 自分の結婚はオディールが女王に即位するにあたって、その地位を盤石にするためのものだった。
 つまりオディールとキースが結婚した後、その施政を支えるためにその貴族の力が必要だったのだ。フェリシアを嫁がせることによって、後ろ盾の一つとなるようその貴族に確約させることになっていたらしい。

 そもそもキースが恋するオディール王女には、政敵が多かった。
 ただでさえ女性が上に立つことが嫌われる風潮の上、王妃と親しかった貴婦人達や、浮気に悩まされていた人などは、女官の産んだ庶出のオディールを嫌がった。
 そんな人々は、王弟の息子ライエルを次期王に推す勢力となっていたのだ。

 事情を察したフェリシアは嘆いた。
 なぜ自分が恋した相手にも振り向いてもらえず、その手助けのために人生を投げ出さなければならないのか。
 悲嘆のあまり、フェリシアは兄の政敵ともなる、故王妃と親しかった女性達の輪の中に入った。そうして兄を奪ったオディールの悪口を言ってしまう。そのせいでオディールに悪いうわさが立ったと、彼女はキースに疎まれてしまった。

 兄に否定されて、鬱々と過ごすことしかできずにいたフェリシアだったが、とある宴でオディールの政敵であるライエルに出会う。ライエルは、フェリシアの傷心につけこんできた。兄が憎いのなら、後悔させる手伝いをしてやろう、と。

 ライエルは、優秀なキースが邪魔だったのだ。
 人当たりも良く、一度は前妻の家に引き取られた経緯はあっても、彼は庶子でもない。
 そして伯爵は今や元老院の一角を担っているため、彼が王女と婚姻したら、貴族達もそちらに支持をするようになる。
 自分の支持層を増やすためにキースを追い落とそうと、ライエルはフェリシアに接触したのだ。

 騙されて彼の恋人になったフェリシアだったが、彼女には兄に毒を盛ることもできず、貴族の票厚めの役にも立たなかったため、すぐにライエルに捨てられた。
 しかもライエルと接触していたために、王女の敵に回ったとして、更にキースから憎まれるようになる。

 自らの政敵でもあるライエルに弄ばれたと噂が立ったフェリシアを、父親は倦厭した。
 唯一良かったのは、望まない婚約も破棄になったことか。

 父によって避暑地の別荘で謹慎を命じられたフェリシアは、気力を失って引きこもっていた。
 でもそこに、折悪しく王女オディールが静養に来てしまった。
 そしてキースが妹と仲違いしたと聞いたオディールは、仲裁したいと考えてフェリシアに会おうとしたのだ。

 オディールと顔を合わせたフェリシアは、とっさに自分の想いを王女にぶつけてしまう。その勢いのまま側の川に飛び込んで、彼女と心中を図ってしまった。
 結果的にフェリシアだけが流されて亡くなり、岸の枝に掴まった王女は助かったようだ。


 読んだ私は、自然とため息が口から漏れ出た。
 予想以上にドロドロだった。
 異母兄に恋して、振り返られることがなかったのはまぁ仕方ない。

 でも親子に近いほど年の離れた人のところへ嫁に行かされそうになったり、今度は異母兄の敵に利用され、最後に自暴自棄の極地にある彼女の元に恋敵がやってくるなんて。
 フェリシアさん、泥沼のはまり方が昼ドラすぎるよ……。

 私は夕食の時間を挟んで、その後の『フェリシア』の手記を読み進めた。

 手記の方は、笹原さんが言っていた始業式でキースを見た時から書き始めたようだ。
 キースの姿に驚いたこと。そして調べてみるとオディール王女もいたこと。全て終わった後の今、巻き込んだことを後悔していた彼女は、オディールが無事な様子にほっとしたこと。

 そして二人の年齢から、自分が死んでから一年が経っていることを知る。
 学校へ行く度、「どうしよう」の文字が増えていく。
 話す機会ができたらどうしよう。
 何か感づかれたらどうしよう。

 そこに透けて見えるのは、複雑な気持ちだ。
 『フェリシア』としての記憶が、まだキースへの恋を捨てられないでいる。だから会いたい。
 同時に、会って話したときに『フェリシア』のことを聞かされたらと怯えているのだろう。
 なにせオディール王女を入水に巻き込んだのだ。王女に悪いと思うと同時に、後ろめたい気持ちも残っている。

 けれど『笹原柚希』としては、今は別人なのだし、二人には関わり合いになるべきではないと考えている。彼女は『フェリシア』ではないのだから。

 しかも留学してきてすぐに、彼の周りは女の子ばかりの状態になるが、潔癖なキースが放置している事に疑問を持った笹原さんは、オディールと冷戦状態だと知ってしまった。
 自分が川で死んだせいかもしれないと思うと、ますますキースに係わるのは怖くなったようだ。


「だとしたら、キースに近づくわけがないんだけど……」

 私は眉をひそめる。
 確か笹原さんは『妹に似てる』とかいう陳腐な台詞(笹原さんにとっては過去を思い出す恐怖のワード)を聞かされたはずだ。
 そう思われるほどの印象を残す行動を、キースにしたとは思えないのだ。

 手帳を閉じ、ベッドに仰向けになってつぶやく。

「なんていうか、うん、状況は確かに理解できたかも」

 全て読んで思ったのは、笹原さんは妄想を抱いていないのは確定的、ということだ。
 昼に話してもらった時にも、名前も、異世界での経歴も記憶通りというのでそうだろうとは思ったが。
 何よりも手帳を読んだ私が気になったのは、キースの行動だ。

「よりによって、笹原さんに『妹に似てる』とはね」

 レディーファーストを断った私への対応からして、キースは自分を避ける女性に興味を示すタイプではない。
 推測だが、彼が恋しているオディール王女も、優しくて抵抗しないタイプの女性だったのだと思う。
 仮に笹原さんの内面に惚れたとしても、キースを避けていたなら、彼女の内面を知る機会はほとんどないはずだ。
 なのに、そんな陳腐な口説き文句を言った。

「まさかね。わかっててやってるとか?」

 肝心の笹原さんは偶然じゃないかと思っている……もしくは、偶然じゃなければならない、と思ってもう一つの可能性を排除しているのではないか。
 推測はしたものの、今手の中にある材料で判断はできない。

 キースが何か『フェリシア』と同じポイントを見つけては、いろんな女性に「妹に似てる」と言う、変な人である可能性だってまだ残っているのだ。

 なんにせよ、恩がある可哀想な女の子を見捨てるわけにはいかない。
 笹原さんは助けを求めたりはしなかったが、誰かに自分の苦しさを知って欲しいからこそ、手帳を読ませたのだ。
 そして私は勝手に手帳の中身を見てしまった罪滅ぼしもしたい。

 だから起き上がって机に向かった。
 明日彼女に会った時に提案すべき事を、ノートに書きながら整理するために。
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