閑話:エド・フェリット

文字数 4,505文字

 心の中が重かった。
 殿下の指示に従って、笹原なる女生徒を送ろうと歩き始めても、あの方は自分に視線を向けていないことがはっきりと感じ取れるからだ。

「これはやはり……私は師匠に失望されたのではないのか?」

 殿下が呼んで下さった車に笹原を乗せ、隣に座ったとたんにうなだれそうになりながら呟く。
 どう考えても、先ほどの件が原因としか思えないのだ。
 ガーランドのキースが、師匠に不埒な真似をしようとしていたのを、もっと早く助けられなかったからだ、としか。

 そもそもの発端は、笹原柚希がつきまとわれているため、相手を遠ざけようと師匠が行動したことだった。
 私は同じ学舎に通う仲間を助けようという、師匠の崇高なお考えに共感し、それとともに師匠のお役に立つことで、少しでも私が師事することをお認め頂こうと思った。
 実際、笹原なる女子を連れ出したりすることで、師匠には私の努力を認めてもらうことができた。

 ……同じ世界出身の、騎士経験がある相手ならば、力ずくで叩きのめすという手もあったのだが。そこは異世界での基範に従うべく、師匠の望む穏便な方法をも受け入れた。

 おかげで私は、女性生徒達と交流するという修行までつけてもらえたのだ。
 これによって、女性への対応を学ぶことで、殿下の花嫁候補を探す際にも、怯えさせず怖がらせない対応を学べると言われれば、私に否はなかった。

 実に。実に苦しい修行ではあったが。
 なにせ女性とは高齢の方や、ごく落ち着いた方としか交流が無く、同じ年頃の人間と会うのは儀礼的な受け答えだけで済む場所だけだったのだから。
 やり遂げた後には、師匠がねぎらってくれた上に、さらなる交流の斡旋をお約束してくださった。
 そんな風に、師匠に指導されていたから……だから、私は間違ってしまったのだ。

 失敗してもめげずに立ち向かい続ける師匠を、同僚のように認識するどころか、知識が豊富な賢者のようでありながら、強い心を持った……人なのだと。
 あの人は、私の前に立ちはだかる壁。剣の師と同じと思っていたために、いつしか男性と同じと考えていたらしい。
 実際には、腕をつかまれてしまえば何の抵抗もできない、か弱い人だったのに。

「あの……エドさん、大丈夫ですよ。沙桐さんはそんなことじゃ失望とかそういうことしませんよ」

 落ち込んでいると、なぜか隣に座った笹原柚希がそう声を掛けてくる。
 おかげで私はさらに落ち込みそうになった。護衛対象にはげまされるなど、今までになかったことだ。情けない。

「沙桐さんは優しい方です。ただ男の人にああいうことされて、驚いていつもの調子ではないだけじゃないでしょうか。それを自分の中で消化しきるまで、ちょっと他の人に対応することができないだけで」

「しかし師匠をお救いできなかった。何より私は……師匠なら、キースを倒せるものだと」

 あの交流会にいたかしましい女子達よりも、最近接することが多かったので慣れたのか、静かな語り口の笹原に、私は思わず心情をこぼしてしまう。

「えっ!? まさかそんな。エドさん、沙桐さんは異世界の女性じゃないんですよ。あちらの世界なら、時々騎士の素質がある女性とか異能の方がいますけれど」

「分かっている……しかしどうしたらいいものか」

「どう、とは?」

「師匠に気力を回復してもらう方法が思いつかない」

 お元気になって頂きたい。そうでなければ、どう対応したらいいものかも分からぬ。

「大丈夫ですよ。交流会でもちゃんとできたじゃないですか」

「それは師匠を女性として遇せよということか?」

「いえ、沙桐さんは最初から女の子ですし……」

 笹原の笑みが、どことなく頬がひきつっているように見えたが、なぜかはわからない。

「優しく対応して、細やかな気遣いをしてあげるだけでも、エドさんが元気になってほしいと思っていることは届くと思うんです」

   ◇◇◇

「女性として、か」

 笹原を殿下に命じられた通り家に送り届けた後、一人呟く。

 そうするべきなのだろうし、男性から被害を受けた女性への対応というのも教えられたことはある。実践する機会はついぞなかったが。
 しかしそれは全て、故郷の貴族の女性達への対応だ。

 師と仰いでいる自分が強いと認めた相手に対して、同じやり方をするのは何か抵抗を感じる。
 師ならば、何事もなかったように自分で立ち上がるのではないか、とか。

 分からないからこそささやかな希望を胸に、殿下達の元へ戻った。
 公園の近くにある閑散とした道の脇に車を待機させ、主の元へと急ぐ。
 そして入口を通り、見つけた二人の姿に、思わず立ち止まった。

「……殿下?」

 今まで想像もしたことのなかった光景が、そこにはあった。
 公園の街灯の下で、二人は寄り添うように座っていた。
 師匠は殿下の肩に頬を寄せ、その泣き顔を隠すように触れている殿下の手は、羽を揺らがまいとするかのように優しく師匠の頭を撫でていた。
 それでも二人の間には拳一つ分ほどの距離があって、けれどその隙間でしっかりとお互いに握った手は、師匠のすがりたい気持ちと支えたい殿下の気持ちが伝わるような気がした。

 あれほど、鈍感だと言われ続けた私にも、二人の間に何らかの感情のやりとりがあっただろうことが感じ取れる、そんな姿だ。

 肩にもたれて泣く師匠は、隣に比較となる殿下がいるせいか怖ろしくか弱そうで、細い肩や低い背丈を今まで自分はどうしてあんなに大きく感じたのかと思うほどだ。
 殿下はそれを最初から認識していらしたのだ。だから今こうして、傷ついた師匠の最も近くにいることができている。

 しかし私はそれに、気づこうともしなかった。
 その事実が、針でつついたような痛みを心にもたらす。
 ずっと殿下よりも側にいたのは、自分だった。自分が関わらなければ、殿下は師匠とは学内で時折話す程度の関係で終わったのに。
 追いかけて追いかけて、ようやくその袖を掴むことを許された自分なんかよりも、どうして殿下の方が深く師匠のことを理解できるのかと言いたい気持ちが湧き上がる。

(これはあれだ。殿下に師をとられてしまったような、そんな気持ちだろうか)

 小さな頃に、自分よりも他の子供の方が剣の筋がいいと誉められた時のようなものではないか、と推測する。

(では私は、師匠に誉められたかったのか?)

 助けてくれて有り難う。本当にエドはよくやったと。
 けれど、同じようなことは先ほども言われたはずだ。その時自分は――。

(あんな顔で言われても、嬉しくなかった)

 傷の痛みに耐えることだけで必死で、けれど仲間を気遣うようなあの表情。
 ならばどうしてほしかったのだろう。
 それを思うと、エドは心の中が迷子になったような気持ちになる。妙に不安になって、エドはその考え方を頭から追い出す。私にはもっと他に考えることがあるはずだ。

「そう、殿下だ」

 あの殿下が、女性とあんな風に接触しているではないか!
 そもそもは、故郷において複雑な立ち位置の殿下だ。国内の姫君を選ぶには、貴族の派閥が関わる様々な問題があり、外交的にも他国の姫が最適だろうと言われていたため、今まで許嫁すら持たれることはなかった。

 しかし何かと私を庇って下さる殿下には、幸せな結婚をしてもらいたい。
 そのためにも、留学中に気持ちの優しい女性を捜すよう侍従長などから依頼を受けていたのだ。そして私は、留学中に交流ができる姫君の中から、心優しく殿下を支えてくださるような方を探し、縁付けようと努力していた。

 しかしそれだけではいけない。アンドリュー殿下にも女性に好みがあると教えて下さったのは師匠。その師匠が言っていたのではないか。側によりそっても嫌がらないのならば、少なからず好意がある証拠だと。

「…………」

 なんだろう。師匠を取られるような感じがして、どうもそれを認めたくない。
 私は考える。抵抗感があるのは、師匠が故郷のある世界の姫君ではないからだろうか。外交で有利に運べる相手ではないから、たとえ殿下の好みに合致していようと、国の臣下達や陛下にも反対されるのではないかという危惧があるからか?

 考え込んでしまうが、知識が乏しくて答えが見つからない。
 そうしている間に、殿下の方がこちらに気づいたようだ。

「エド。お帰り」

 アンドリュー殿下は柔らかな笑みとともに、私をねぎらってくれた。
 一方の師匠は慌てて飛び起きて、こちらを丸く見開いた目で見てくる。

 新入りの騎士がイタズラがばれた時の反応に似ている。けれど自分に対して後ろ暗いところがあるような慌てぶりが少し気に入らない。
 顔を逸らしてしまうのも、面白くなかった。
 それでも、他の対応は今まで通りだ。別に師匠が私を嫌っているわけでは……ないと思うのだが。
 アンドリュー殿下は、そんな師匠を自分達と一緒に車に乗せ、いつかのように送り届けていた。

「明日、大丈夫?」

 尋ねる殿下に、師匠がはにかむような笑顔で応えていた。

「うん。ちゃんと行くよ」

 それを聞いて、アンドリュー殿下は帰途につかれた。
 後は帰るだけだ。
 ほっとするような気持ちでいた私に、更なる爆弾を抱えさせたのは殿下だった。

「エド。明日から君は沙桐さんから離れないように、警護を頼むよ。沙桐さんの登下校もね。僕の方は車で移動するわけだし、放っておいてくれて大丈夫だ」

「しかし殿下、私は殿下の護衛役でもあり……」

 今までも、どんなに師匠に付き従っていても、登下校の護衛だけは任務として遂行していた。一カ所から動かないような場合なら、命じられれば離れることもあったが。

「必要はないだろう? エドがいなくても、僕は充分安全を確保できるよ。それでも不安なら、メリーアンを連れて行く」

 メリーアン。この留学に付き添ってきた女官だ。殿下の乳母でもある彼女は、そのために護身術も身に付けている。
 殿下のことは母代わりの自分が身を盾にしても守るという決意を持つ、信頼できる女性ではある。

 けれど、と言いそうになったエドは、口をつぐむ。
 反論する必要はないな、と思ったからだ。
 師匠の中で欠けてしまっただろう自分への信頼を取り戻すには、お守りするという任務は実に相応しい。
 ただ一つ、困ったことがあった。

(はたして師匠は、女性として扱うべきか、それとも男性貴族と同様の扱いをするべきか……)

 警護の仕方は、その二つでいくらか異なる。だから確認しようと思ったのだが、なぜか殿下に尋ねることはできなかったのだった。
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