登山中だってユリア様が見てる

文字数 4,657文字

 そうこうしているうちに、登山が開始となった。

 メガホンを片手に叫んだ教師の声に従い、一組から順にハイキングコースへ入っていく。
 やがてうちのクラスの番になったので、私もヴィラマインと一緒に歩き始めたのだが。

「ぜい、ぜい、ぜい……きっつ」

 ハイキングコースと聞いて、緩やかな道を談笑しながら進んで行くことを想像してしまっていたが、さすがは登山道。急こう配や、木で簡単に作られた幅もめちゃくちゃな階段も多く、間もなく私の足は悲鳴を上げ始めた。
 けれどヴィラマインが楽し気に微笑んでいるということは、私の体力だけがやたらと少なかったのに違いない。 だから弱音を吐いてはいけないと、苦しい笑顔をはりつけながら登る。……亀の歩みではあったけど。

 そんな私の心をくじいていくのは、軽々と足を動かして抜かしていく後続のクラスの人達。そして異世界人だ。
 ひゅ、と音をたてて風が吹き抜けていったかと思えば、一秒ごとに小さくなっていく生徒の背中が見える。
 基本的に濃紺なのでそれが男子であることと、金髪だったり赤髪だったりするために彼らが何なのかすぐにわかる。
 異世界人の騎士達だ。

 彼らはこういった行事で、先生の指示を受けて怪我した子や具合を悪くした子を保護し、麓で待機しているバスまで送り届けているようだ。
 両腕で抱えてもらっているみたいだけど、一瞬だけ見えた彼女達の表情は、苦悶に歪んでいた。

「……あの勢いで移動されたら、恐怖で心理的に多大な負担がかかるんじゃないかしら……」

 体調不良で騎士に保護されても、いいことはないようだ。むしろ本気で具合が悪い人は、止めを刺されて失神するのではないだろうか。
 なんて怖ろしい人力救急車だ。
 戦慄する私に、ヴィラマインが尋ねてくる。

「お疲れではありませんか、沙桐さん。もしおつらいのであれば、エドさん達の手を借りて……」

 私は必死で首を横に振る。

「ううん大丈夫、がんばるから!」

 あの怖ろしい状況に、自分が加わるのは勘弁したい。バスの中で死屍累々っぷりを晒しているだろう先人達を思いつつ、私は絶対手を借りないぞと思いながらさらに歩く。
 しかし歩みはだんだんと遅れていった。
 次々に追い抜かしていく4組の人々。中にエンマ姫がいて、

「あら沙桐さん、無理しちゃだめよ?」

 と息を乱した様子もなく通り過ぎた。
 が、ちょっと待って。今エンマ姫と一緒に歩いてた人、けっこう息はずんでた!

 ぐるんと振り返って、私の手を引いてくれていたヴィラマインを見る。きょとんとした表情の彼女も、汗をかく様子もなく教室にいるのと変わりないたおやかな微笑みを浮かべながら歩いていた。
 もう少し行くと、先に出発した2組の男女が数人が休憩していた。額を拭っているのは日本人ばかりだ。

「…………!」

 そこでようやく私は察した。
 異世界人。もしかして普通の人も体力半端ない?

「あの、ヴィラマインさんや。登山、つかれてなかったりする?」

「散歩みたいで楽しいですわね。沙桐さんと歩けて嬉しいですわ。でも沙桐さんは無理なさらないでね。私達と違って、こちらの世界の方は身体的にはか弱いのですから」

 ――こちらの世界の方は身体的にはか弱い
 ――――こちらの世界の方は身体的にはか弱い

 そんな言葉をきょとんとした表情で返されて、私は脱力した。思わずその場にしゃがみこむ。

「ううう、異世界人がうらやましい。お姫様まで私よりずっと体力あるとかナニソレ」

「沙桐さん、気を取り直してくださいませ!」

「ヴィラマインごめんね、ちょっとだけ落ち込ませて。普通の異世界人はこっちの世界の人と同じだと、私が勘違いしてただけなの……」

 お姫様にまで負ける体力の自分をふがいなく思っていたのだが、そんな必要がそもそもなかったのだ。なんて馬鹿なのだろう私。
 そして足が痛い。ヴィラマインが平気そうだからとがんばらずに、普通にどっかで休んでおけば良かった。

「沙桐さん、普通の異世界人がこちらの方より勝っているのは体力だけですのよ。魔物から逃げるために発達したらしく、長い距離を走ったり歩いたりできるだけなのです。騎士の素質がある者と違って、足が速いわけでも恐ろしく跳躍できるわけでもないのですわ」

「うぅ、それだけでも充分うらやましい。でも大丈夫、うらやましくて落ち込んでるんじゃないのよ」

「では体調がお悪いんですか?」

「無謀にも休みもせずがんばったせいで、ちょっと足が痛くて」

 ふくらはぎに今すぐ湿布を貼りたい気分なので、ちょっと休憩させてと言えば、ヴィラマインもほっとしてくれる。

「ではそこに座りましょうか」

 促されて、道の端にある岩に、二人で腰掛けたところだった。

「……必要があれば、運ぶが。教師からは体調不良の生徒を保護するよう言われている」

 キースだ。ちなみにとりまきの女子もいなくなっていて、一人きりである。
 少し緊張で肩に力が入ったが、以前と違って恐怖心は湧いてこなかった。なにせ隣にはヴィラマインもいて、他の生徒達の目もある。

 そして返答に詰まる。正直なところ、彼の手を借りたくはない。触れられたらカウンターで拳を繰り出しそうで危険だし、しかもこの騎士は軽々と避けることが想定されるので尚のこと嫌だ。
 とはいえ先生の指導により、介抱が必要そうな人間を見つけた以上、キースも放置ができないのだろう。
 その証拠に、キースも眉間にしわが寄っていて嫌そうだ。ついでにキースの方が顔色が良くない。やっぱりこの人、風邪ひいてる?

「えっと」

 悩んだ末に私は言う。

「あんたの周囲を囲んでたお嬢さん達は? 嫉妬されたりするのは遠慮したいんだけど」

「彼女達は既に頂上にいる。歩くのが疲れたそうなんでな」

 なるほど。それと先生の手伝いで一人でいるわけだ。

「そそそ、それにキース、あんたの方が顔色悪いじゃない。私はヴィラマインとゆっくり休んでから行くし、あんたこそバスに戻って休ませてもらいなよ」

「体調は……問題ない。それよりも登頂時間が決まっている。スケジュール変更をしたくないという教師陣のためにも、歩けない者は頂上へ連れて行くように言われているが」

 変な間を開けてキースが返してくる。
 いや、そこはわかったとうなずいて、バスに戻ってほしかったんだけど。とにかく他の言い訳でキースをお断りしよう。そう思って私が口を開きかけたところだった。

「ああ、あんた小幡沙桐さんですよね?」

 フルネームを連呼しながら近づいてきたのは、赤毛の男子生徒だった。
 チカリと光るので、耳に金属の簡素なピアスをしているのがわかる。髪色といい青い目といい、間違いなく異世界人。
 確かちょっと小柄な彼は4組の人だったように思う。彼と顔なじみになった覚えはないのだが、これは渡りに船だ。私は全速力で赤毛の船に飛び乗った。

「ええそうですよ。……なんかこっちの騎士さんが話があるみたいだし、ついでに連れてってもらうのでおかまいなく」

 キースにそう言うと、彼は小さくうなずいて無言で立ち去る。
 しかし敵を心配する気はあまりないのだが、他の騎士と違って亡霊のようにするすると歩いて行くだけで、一向に走ったりしない。用事がなければ体力を温存したいように見える行動だ。
 変な人だと思いながら背中を見送っていると、先ほどの赤毛の騎士がにこやかに話しかけてきた。

「いやー良かった間に合って。登山中に見つけようと思ったらさー、その前に登山あまりしたくない奴らが、中腹までびょーんとショートカットさせてくれとか依頼してきてさ。運んでるうちにもう11時だよ困ったわー」

 一息で話した後、我に返って挨拶してくる。

「そうだ。改めまして4組のニコラスです。出身はベルファスティア大公国で、1年のユリア・メリックの騎士として留学しております」

 そうして綺麗に一礼してみせた。

「え、ユリア様?」

「はい、見守ることができないオリエンテーション中に、私の代わりに観察してきてとか、他の虫を近づけるなとかいろいろ言われてー」

 うちの嬢さん恋愛ごと大好き過ぎて困るんですよねーと爽やかに笑うニコラス。

「てか、他の虫ってなにさ」

 どういう依頼だよユリア嬢。思わず心の中でつっこんだ私だったが、同時にヴィラマインもそこに反応した。

「どういうことですの? まさかまさかっ、ユリア様ったらそっちの道に!?」

「ちょっ、どうしてそうなるのよヴィラマインーっ!」

 私は思わず絶叫した。
 そっちの道って、女子同士ってことでしょヴィラマインさん! てかなんであなたのようなお姫様がそんな下世話なことをご存じで?
 私ははっと息をのんだ。

「まさかヴィラマインさんや、わりと本気で按司先生とか一年の女騎士さんとかに恋してたり?」

「嫌ですわ沙桐さん。憧れであって恋ではございませんのよ。私もゆくゆくは夫を持たなければならない身ですし」

 彼女自身が女性に恋してるからそういう発想に至ったのかと思ったが、あっさりとそう返されてしまった。

「うん、よかった。ほっとしたわ」

「おーい僕を置いていかないでーお嬢さんがた」

 胸をなで下ろしていると、目の前のニコラス君が寂しそうに言った。

「そうだそうだニコラス君。ユリア嬢は何を思ってあなたにそんなことをさせたの?」

 尋ねると、ニコラス君はにかっと笑った。

「話は歩きながらでいい? ほんとに先生達12時にはいただきまーすってやりたいらしくて、遅れたら容赦なく飯抜きで下山させるとか話してたし」

 とはいえ、私は絶賛筋肉痛である。
 ゆっくり歩いても時間迄に登頂できる気がしないと言えば、ニコラス君は「そのために来たようなものですからね」と言うなり、えいっと私の脇を持ち上げた。

「えっ、うそっ!」

 まるで抱き上げられた赤子のような有様だ。

「暴れないでねー」

 と言って、小柄なニコラス君は、椅子に座らせるように私を左腕に乗せて歩き出す。
 ほんの一瞬の出来事で、私は抵抗する暇もなかった。けれど腕に乗るということは、バランスを崩さないためには、ニコラスの肩に抱き付くようにしなくてはならないのだ。
 それはしたくない。でもしなければ落ちそうだ。

「うぎゃああああっ」

「……しょうがないなーもう」

 あくまでニコラスにすがりたくない私に業を煮やしたのか、ニコラスが私を地面におろしてくれる。ほっとしつつ、とにかく自分で歩くしかないと思った私だったが、

「じゃあごめんヴィラマイン様。この人先に運んでいくわ」

「ええ、わかりましたわ」

 うなずくヴィラマイン。
 そんな彼女とニコラスに「どういうこと」と尋ねようとしたら、またしてもあっという間にお姫様抱っこに切り替えられ、

「じゃあ行くよー」

「うげっ、いやあぁぁあぁ!」

 そのまま疾走されてしまったのだった。
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