うざい異世界人に出会いました

文字数 4,348文字

 その日、沙桐はこそこそと階段の壁際にぺったりと体をくっつけ、廊下の様子をうかがってから足早に移動していた。

(よし、エドはいないな……)

 あの土下座の一件以来、エドはあきらめずに弟子入りを懇願してくるようになっていたのだ。
 うなずいてしまえば、あのバカ一途なエドに四六時中ひっつかれてしまうのは目に見えている。

 なので、休み時間はなるべくヴィラマイン達女子といるようにしていた。
 なにせ女性の扱いがわかっていないエドなので、女子の数が多いと近づき辛くなるようだ。ついでにヴィラマインが嫌そうな表情になるので、心証を悪くしたくない彼は怖気づくらしい。

 更には放課後は素早く帰るという対策をとった。
 それでここ数日は事なきを得ていたのだが、今日は学校を出たところで忘れ物に気付いたのだ。

 エドはまだ学校内にいる可能性が高い。
 だから慎重にいかねばならないのだ。
 無事に教室に戻ることはできた。残っていたクラスメイト数人から「大変そうだね」という同情の言葉をもらいつつ、隠れる場所もないのに腰をかがめながら廊下を足早に走る。
 そして階段を降りようとしたところで、前方に危険物を発見してしまう。

 エドの頭。
 彼はアンドリューの一歩後ろに付き従って階段を降りる途中だった。

 まだこちらに気付いていない。
 一目散にその場から逃げた私は、廊下の反対の端にある階段へ行き、さらに一階上に上がって少ししたところで、ようやく立ち止まる。
 ここまで来たら、さすがに見つかるまい。 
 ほっと息をついていると、不意に声をかけられた。

「君もそこに用があるのかい? 入るのなら先にどうぞ」

 そう言ったのは、少し長めの栗色の髪をした男子生徒だ。
 面立ちは優しげで文化部的な感じの美形だ。けれど静かな雰囲気の彼は背も高くて、騎士だと言われれば納得しそうな雰囲気がある。

(異世界人って、美形以外はいないんだろうか……いや、それはないか)

 TV等、媒体で見る異世界の人にはちゃんと愛嬌のある、私なんかが親しみやすい顔立ちの人とか、恰幅よすぎるだろうと言いたくなる人も、もちろんハゲだって存在する。
 なんて想像した流れで、目の前にいる彼もいつかはハゲるのかもしれない、と考えたところで気づく。
 そこは視聴覚教室の前だったらしい。そして私はここに用などない。
 どうやら彼が入室する邪魔をしてしまったようだ。

「いいえ、そちらこそ先にどうぞ」

 今よけますよと一歩下がったら、不意に手首をつかまれた。
 え? と戸惑えば、その男子生徒が少し困惑したような表情のまま口元をひきつらせている。

「いや、ぜひ君からどうぞ。特に問題があるわけでもないだろう?」

 問題て何だ?
 私は首をかしげて、でも本当にたまたまここに来ただけなので、固辞する。

「あの別に私が先に行かなくても……」

 なんでこの人は私を先に放り込もうとするのか。
 訳がわからなかった私がそう言えば、

「……君は僕に恥をかかせる気か?」
「はい?」

 これはレディーファーストじゃないのか? なのにそれを断っただけで恥?
 しかしこの男子生徒は完全に機嫌をそこねてしまったようだ。

「なぜ嫌がる。ここは私に危険かどうかを確かめさせてからでないと、安心して入れないような場所でもないだろう」

 さあさあと迫ってくる男子生徒に、私は思わず口がへの字になるのを止められなかった。

(危険ってなにさ、うざー!!)

 二年ぐらい前だったら、私もこんなシチュエーションになっても心ときめかせたかもしれない。
 今はそんなミラクルが起こるなどというのが夢だと現実を認識し、今や異世界人ってけっこう面倒だと思い始めている私が、どうしてときめきを感じるだろうか。
 ありえない。

 確かに彼はかっこいい人だし、右耳に揺れるピアスの、金環の中で煌めく赤いしずく型の石に長い指で触れる仕草も優雅で、つい目がいく。
 だからといって、異世界人な彼は私には過ぎた相手なのだ。

 ちなみに異世界の留学生は、申請すると装飾品が許される。
 いくら留学先である『こちらの世界』の流儀に合わせるといっても、あちらの常識的に、名誉に関わって知られたら憤死しかねないとか、一生後ろ指を指されるたぐいの慣習というのも多いらしい。なので、国からの正式な申請を通せば、装飾品などは特別に許可されることになっているのだ。

 当然『こちらの世界』の学生には、うらやましがる者が必ず発生する。しかし三ヶ月も経てばわかるのだ。
 自分達がピアスをつけようがつけまいが、別に命にかかわりはしない。けれど彼らには、その後の生活が危うくなる場合もあるということや、宗教上の観念に背くため精神的に半端ないダメージをうけることを。

 ……異世界人を迎える学校として、入学後の早いうちにそれを教える映像資料などを見せられるためだ。

 ちなみに、留学生の許可された慣習に絡んでいじめたりすると、相手の国の慣習を許容できない生徒だと判定され、永久に異世界への旅行許可は下りなくなる。

 そりゃそうだよね。うっかりなことして剣で斬り殺されましたとか、そんな事件が発生したらしゃれにならない。
 本人の命を守るためにも必要な措置であり、こちらの常識が通じない場合がある異世界で、その他の渡航者の生命を守れなくなる場合も有るだろう。
 そんな事ぐらいで、と抗議する人権団体も昔はいたようだが、それなら直接あちらと交渉せよとぶん投げられた後、決して噛み合わない議論を続けた末に、フェードアウトしたらしい。

 まぁそんなことより、今は目の前にいる噛み合わない慣習を持っている異世界人に意識を戻さなければ。

「君、話を聞いているのかね!?」

 ……ああ、あまりにうざくて完全に相手の声を脳内から閉め出して、思考に浸ってしまったようだ。
 私はやれやれと思いながら、こんな時に使う言い訳を持ち出す。

「いやすいませんねぇ。そちらの慣習に疎くて……ふっ。でもこちら側の人間は、みんながみんなそちらの慣習を知っているわけでもないので、許容して下さると有り難いです」

 それじゃ、と愛想笑いを浮かべてさっさと退散しようとした私だったが、

「何がおかしいんだ?」

 目の前の彼は、眉を更につり上げてしまっていた。
 しまった。思わず笑いが漏れてしまったせいだろう。吹き出さなければ、笑顔で謝れば大抵はなんとかなるのに。失策だ。

「いやー別におかしくは……」

「笑っただろ!」

(しまったなー)

 完全におかんむりのようだ。
 とはいえうっかり笑ってしまったので自業自得か。さてどう言い訳して納得させるかと困っていた私だったが、そこに救いの手がやってきた。

「あ、あの!」

 その救いの手は、文字通り横から私の腕を掴んで扉の前から移動させてくれる。

「キース君、ここは『そちらの世界』ではないわ。こっちの世界の特に日本人は、レディーファーストとか慣れてないって教わったでしょう? 決してあなたのことが嫌だとか、下に見ているからそうしているわけではないのよ」

 私を背後にかばおうとしてくれたのは、私よりもやや背丈が低めの女の子だった。
 黒髪を左寄せで結び、白いビーズが縫い付けられた碧のシュシュをつけた彼女は、まちがいなく『こちらの世界』の人だ。
 そして私は感動していた。

(何この心清らかな天使)

 こんな風にかばってもらえるシチュエーションなど、滅多にあるものではない。男だったらよほど生理的に無理な人じゃない限り、惚れたに違いない。
 しかも、にじみ出てくるいい人オーラがまぶしいのだ。
 穏やかなそうな内面が現れたような顔のラインや、たれ気味の目元なんかを見てると、聖女というよりは聖母といった言葉が合う。
 心がきれいとは言えない私は、思わず拝んでしまいそうだ。

 しかも彼女、こうして言い返すのは得意ではないのだろう。青ざめて、私の腕を握った手も震えている。
 一方この聖母様に注意された男子生徒の方は、驚いたように目を見開いて、それから拗ねたように顔を背けた。

「確かにそう教わったが、しかし男が女に譲られるというのは……」

「こちらの世界では、男女の考えが違うんです。守る代わりに服従を要求するお国では考えられないかもしれませんが、こちらでは女性が男性の保護者であることだって普通なんですから」

 緊張したように少し声が震えていたけれど、聖母な女の子は毅然と主張した。

「え、服従って何!?」

 私はその単語にぎょっとする。
 保護の代わりに服従とか、正直理解できなかった。
 確かに異世界の国々は、身分差がきつい。こちらよりも自然や動植物達に獰猛なものも多くて、戦って生存権を守るために指揮系統を整備した末に――そのまま身分という形になっていったそうだ。
 当然、こちらの世界と同じく女性は体力にしても劣る事が多いため、生きること=戦いな異世界では、男尊女卑がまかり通ってる国も多い。
 だけど、服従まで要求されるとは思わなかった。

 しかも聞いたことから予想するに、たかが部屋に先に入るか入らないかというだけでも、女性は男性側の機嫌をそこねないよう、従わなければならないということだろう。
 思わず反芻した言葉に、ようやくキースと呼ばれた男子生徒も、この世界は『違う』のだという認識が芽生えたらしい。

「……確かにここは、異世界だったな。……失礼した」

 そう言って、キースは謝りもせずに視聴覚室へ姿を消してしまった。
 面倒そうな相手から解放されたものの、謝られたのかどうか微妙な単語だけ残された私は、やや不満が残る。しかしそれ以上追及したところで、面倒さが倍増するだけだ。
 私はいまだ異世界になじめない男子生徒のことを忘れることにして、助けてくれた聖母のような女子生徒に向き直った。

「ありがとう、助けてくれて」

 笑顔で礼を言えば、彼女もほっとしたように微笑んでくれた。

「いえ、余計なことかもしれなって思ったけど、役に立てて良かった。じゃあ」

 聖母のような女子生徒はあっさりと立ち去ってしまう。

「何か急ぎの用事でもあったのかな……」

 小走りに去っていく後姿に、ちょっとあっけにとられた。
 ゆっくりと御礼を言いつつ、服従を要求する文化がある国について聞いたりしたかったのだが、彼女の顔色がとても悪かったので、気の毒で呼び止めることなどできなかったのだった。
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