騙されてはいけません

文字数 4,731文字

 もそもそとキースが残りを食べ終わるまで待ってから、私達は席を立つ。
 会計を終えてキースと歩き始めた頃には、アンドリュー達とはだいぶん距離が離れてしまっていた。
 二人の背中が少し遠くに見える。

 エドは会計を終えると、元のようにいずこかへ立ち去った。アンドリューを警護できるぎりぎりの距離で、尾行を再開しているのだろう。

 こうしている間にも、またしてもキースが肩に手を回そうとしてきたのだが、それは阻止した。そんなに笹原さんを嫉妬させたいのか。
 手つなぎは許容したし、これだけ距離が開いているのだから、見せつけようとする演技は必要ないだろうに。

 そうしてようやく、笹原さんが電車に乗る駅へやってきた。 
 やっとだ。
 ほっとしたのは笹原さんもだったのだろう。隣のアンドリューに柔らかな笑みを向けて話しかけている。

 カフェを出発後、開いた距離はそのまま詰めずにいたので、何を話しているのかはわからない。
 おそらくは「無事に着きましたね」という感じだと予想しているが。
 返事を聞いて恥ずかしそうにうつむきがちになったり、頑張って顔を上げなおしたりする様子は、まるで恋をしたばかりの女の子のようだ。

 ……笹原さんは確実にアンドリューを、理想的な恋人のモデルとして認識したに違いない。
 男はキースだけじゃない。そう笹原さんに思ってもらう目的は、完遂できたようだ。

 隣を見れば、キースは口を開いて食い入るように笹原さんの表情を見ていた。
 これを見たら、改めて演技ではない笹原さんが『他の男に気を向けている』様子を見せつけることができただろう。
 もう、私の陰謀だなどとは言っていられまい。

 思わずガッツポーズをとりかけて、キースと繋いだ手にぐっと力を込めてしまう。
 あ、繋いだままだったことを忘れてたと思った瞬間、キースがこちらを振り向いて目を見張った。

 急にどうしたのかといぶかしんでいるうちに、キースはアンドリュー達を追うのをやめて立ち止まる。
 一歩近づかれ、思わず引く。

 夕暮れの駅に近い場所だから、人通りはそこそこある。
 また笹原さんの気を引くために演技をしようとしてきたらどうしよう、恥ずかしいと左右を思わず見てしまった私は、動揺した様子を見たキースが一瞬だけほくそ笑んだことにも気付かなかった。

「もしかしてお前……少しは私に同情してくれたのか?」

 真剣な表情のキースに切なげに言われて、彼が立ち止まった理由に思い当たった。
 そうか、落ち込んでいる人間の手をぐっと握るなど。まるで励ましているようだったかもしれない。大丈夫よ、私がいるわ! 的に。
 とはいえ、今『同情』と言ったからには、キースは少なからずショックを受けたのだろう。それは笹原さんの淡い想いを感じ取った証拠だ。

 そこで私は考えた。
 このまま、笹原さんの恋心は真実だからこそ同情したのだと話をもっていき、キースにそれを信じ込ませることにしようと。

「そうね。あれほど妹さんを探していたんだから、笹原さんが妹さんとは違う行動をしたら、傷つくだろうとは想像してたわ」

 しれっと言えば、キースが苦笑う。

「そうだな……妹だと思うからこそ猶更、他の男を見つめているのを見るのは辛い」

 さらに一歩踏み出し、キースは距離を詰めてくる。私は不気味さと、周囲の目が気になって後ろに下がり、隠れるように路地の方に入ることになる。
 追ってきたキースは、繋いだままだった手を持ち上げ、不意に私の指先に口づけてきた。

「ふえっ!? ちょ、ちょっと!?」

 対応が遅れて避けそこなった私は、急いで手を離そうとする。けれどもキースがきつく握っていてそれもできない。

「同情してくれるんだろう? 少しだけでいいんだ。慰めてくれないか?」

「な、なぐさめる?」

 今までの人生になさすぎるシチュエーション。こういう場合はどうすべき!?
 混乱した私は、とにかく断ろうとした。

「えと、慰めてほしいなら、もっと自分のこと思ってくれてる人の方が良くない?」

 お父さんとかお母さんは、異世界だと慰めに来てもらうのは難しいだろうけど。他にも色々いるだろうしと思って言ったら、キースは首を傾げる。

「例えば?」

「ほら、同じクラスの女の子達とか! いつも貴方のこと褒めたりして、なにかと話しかけたりしてくれてたでしょ」

 キース親衛隊がいるじゃないか。そう勧めたのに、キースは少し寂しげな表情になって告げた。

「私は……お前がいい」

「は?」

 なんでだ? 訳が分からない私に、更にキースが近づいて来る。
 私の背中が壁に当たる。その感触に気がそれた時に、実に鮮やかに背中に手を回された。

「ぎゃっ!」

 逃げようとしたが、あまりにキースが近すぎて身動きがしずらい。その間にも顔がよりアップになって見えた。近い近い近い!

「きちんと冷静に悲しんでいる理由を、わかってくれている君じゃないとだめなんだ」

 握っていた手の甲に頬を寄せてくる。
 くすぐったさと、そんな行為をされたことに驚いて手を取り返そうとしたが、びくともしない。さすが騎士経験者というか、異世界人が超人揃いなのは知ってるけど、それをあからさまに使ってこられたのは初めてだ。

 ――絶対に力じゃかなわない。

 思い知らされたみたいで、恐怖で胃が縮むような感覚に襲われる。

「じょ、冗談はやめ……」

「冗談ではないよ。これは君への罰だ」

 罰なんて単語を出しながら、キースは切なげに私を見つめてくる。

「罰ぅ!? 私が一体何を……」

 したと言いかけて口ごもる。うん、けっこう子供っぽい喧嘩したよね。でも協力するフリしたのに!

「君はからかうと面白いからね。ついいじめてしまう。妹――フェリシアの時は、あの子が嫉妬してくれるのがうれしくて。オディール殿下と、こうして抱きしめ合う所をわざと見せたこともあったな。あの時は素晴らしく暗い表情になっていたけれど……」

「わ、わざと!?」

 聞き捨てならない単語に驚いて、一瞬だけ抱きしめられてることを忘れて力を抜いてしまう。
 隙があると感じ取られてしまったのだろう、キースがその間に私の頭に手を回す。

「そんな私に、妹を嫉妬させるよりも強い喜びを感じさせてしまったんだ。だから私を慰めるのは、君の同情のせいなんだよ。甘んじて受けてくれないか?」

 罰だと言いながら、キースはなぜか顔を寄せてくる。

「だからってなんでそんなことしようとするのよ! 普通好きな人にすることでしょ! あんたが好き好き言ってたのは妹のことじゃないのぉぉぉぉっ!?」

 その唇をかわそうとした手は、もう一方の手と一緒につかまれ、腕を上げさせられて背後の壁に押し付けられてしまう。
 思わず蹴ろうとした足も、キースの足で押さえられてしまった。
 抵抗できなくされたことにぞっと背筋が凍る。
 っていうか、キースの足! キースの足と接触してる! うそぉぉぉぉお!!

「…………っ!」

 心の中で絶叫しても、声には出せない。
 怯えを感じたキースが楽しげに微笑んだ。

「妹も愛しているが、もし君が僕を手伝ってくれる可愛いお友達になってくれるなら、一番に考えてしまうかもしれない。同情してくれるなら、私のことはそう嫌いでもないだろう?」

 どうだ? と更に近づくキース。
 そこでようやく得心がいった。キースは笹原さん攻略のため、壁を作っている私をたらしこもうとしてるんだ! そんな状態になったことがなかったから、思いつきもしなかったよ!

 瞬間、混乱で沸騰しそうだった頭が冷えて次善の策を思いつく。
 逃れるためにはこれしかない!

「……痛!」

「……ぐっ!」

 至近距離の頭突きをくらってキースが呻く。
 さすがのキースも予想外だったのか、これはかわせなかったらしい。驚きの表情で痛めた顎を抑えて私を凝視している。
 今のうちにと逃げようとしたが、押しのけることは相変わらずできない。
 呆然としていたキースはようやくショックから立ち直ると、目じりを吊り上げ始める。本気で怒った表情になるキースにぞっとした。
 やばい、これは悲鳴でも上げて人を呼ぶしかと思ったその瞬間だった。

「そこまでだ」

 キースと私の間に、腕が突きだされる。
 灰色のジャケットに包まれた腕の主は、金の前髪から覗く瞳に厳しさをにじませていた。

「邪魔をす……!」

 アンドリューを押しのけようとしたキースだったが、いつの間にか背後に回っていたエドに羽交い絞めにされて引き離された。
 ようやく解放された私は、アンドリューに後ろ手で二の腕をつかまれて誘導され、背後にかばわれる。

 ほっとした。安心しすぎて、足から力が抜けそうになる。けれどそれを止めたのは、笹原さんの声だった。

「酷い、なんてことをするんですか!」

 目を潤ませてキースに抗議する笹原さんは、ぎゅっと両手を握りしめてキースをにらみつけていた。
 元兄から逃げることしかできなかった笹原さんが、私のせいで怒っている。それを思うと、無様にか弱い姿を見せられない、と思った。
 だって私は彼女を支えようとした側だ。そのために笹原さんに意に反したことを説得してでも実行させたりしている。そんな私が負けた姿を見たら、笹原さんまで気を弱くしてしまうかもしれない。
 そうしたらキースは、笹原さんにはそっちの方が効くかもしれないと、脅しをかけて攻略しようとする可能性もある。
 だから私は座り込みたいのをぐっとこらえて、震える足に力を入れた。
 笹原さんの強いまなざしに、キースが悔しげな表情で目をそらす。

「ちょっと……笹原さんと仲良くなる方法を聞こうとしただけで」

 言い訳をするということは、笹原さんに完全に見限られるという状態だけは避けたかったのだろう。もしくは、今までは彼女が自分を非難したことがなかったから、戸惑っているのか。

「そんな理由は関係ないでしょう! 女性に無理強いするなんて最低です! 見損ないました!」

 はっきりと笹原さんが敵意を見せたことに、キースはハッと目を見開く。

「……わかった。済まなかった。もう俺からは君たちに近づかない」

 そんなにも、妹だと思った笹原さんに嫌われるのは避けたかったのだろうか。キースは悄然とうなだれて告げる。

「本当に?」

 疑うようなアンドリューの声に、キースは視線をそらしたままうなずく。

「ああ、今ここに剣があれば、宣誓してもかまわない」

「では剣の代わりに、君の主に誓ってもらおう。その証を受け取った時に、君の言葉を信じることにする」

「わかった。オディール殿下には話を通す」

 アンドリューの求めにうなずいたところで、エドがキースを解放した。
 一瞬、解き放たれたキースが何かするのではないかと、私は不安になって肩が震える。
 けれどキースはアンドリューに膝をついて一礼し、意に従う体を見せただけで、その場から静かに歩み去っていく。

 他の三人がその姿を見送る中、私は一人、またキースが振り返るのではないかとおびえていたのだった。
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