三日目:突撃お前の朝ごはん

文字数 2,622文字

 アラームの音で目が覚める。
 今日は夢を見なかった。昨日はやはり、疲れていたのだろう。

 ベッドに寝転がったまま今日の予定を思い出し、私は小さくため息をついた。
 雪様にはまだ、私が今日の散策に付き添えないことを話していない。旦那様は、晴人様に話しておくと言っていたが……。

「……はあ」

 ため息をついてばかりいても仕方がない。そろそろ起きなければ、朝食の時間がなくなってしまう。
 私は一食くらい抜いても我慢できるが、よく動く真白は辛いだろう。

 白いシーツに手をついて、ぐっと身体を起こした。


 ◇


 キッチンでソーセージに火を通しながら、他に何を作ろうかと考える。
 パンはあるから、できれば野菜が好ましい。そういえば、冷蔵庫にキャベツが少し残っていたか。
 食パンが焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。そろそろトースターを止めないと焦げてしまうな、とフライパンの火を止めた。

「おはよーさん」

 私が振り返ると同時、チンとトースターを止める音。
 いつの間に入ってきたのか、真白が二人分のトーストを皿にのせている。
 少し前にも、似たようなことがあったような……気のせいか?

 時計を見ると、時間にはまだ少し余裕があった。

「真白、他に食べたいものあるか?」
「んー、今あるの何だ? パンとソーセージ?」
「あとはキャベツでも炒めようかと」
「じゃあ果物が欲しいかな」

 果物だったら、季節柄か林檎(りんご)が沢山ある。
 ダンボールの箱に積まれている中から、大きめのものを一つ取り出した。表面を水で軽く洗って、テーブルに置く。

「切るのは自分でやれよ」
「丸かじりでもいいけど」
「行儀が悪い」

 丸かじりで制服が汚れたらどうする。林檎と一緒に、小さめのボウルと果物ナイフをテーブルに置いた。
 それからコンロに戻り、千切りにしたキャベツを軽く炒めて皿に盛る。こんなところだろう。

 皿を持ってテーブルに行くと、真白がナイフで林檎を切っていた。
 皮付きのまま八つ切りにして、次々とボウルに転がしていく。この短時間で、中心の種も取り除かれていた。果物の扱いだけは、私より彼のほうが上手い。

「お、完成?」
「ああ」

 料理の乗った皿を並べ、保温しておいたコーヒーをマグカップに注ぐ。
 真白も果物ナイフを布巾で拭い、ぱちりと鞘に収めた。

「では、いただきます」
「いただきまーす」

 私は最初にコーヒーを一口。
 いつも通りの味……ということは、味覚に異常はなさそうだ。風邪をひくと舌に出る性質(たち)なので、朝の一杯はいつもコーヒーにしている。

 真白も同じようにコーヒーを(すす)って、「そういやさ」と口を開いた。

「お前、今日どうすんの」

 一瞬何のことだか分からなかったが、すぐに晴人様と雪様の散策の話だと思い当たる。

「『これまでと同じ、一階に下りることは許可しない』だと」
「晴人様には?」
「旦那様が昨日、話しておくと(おっしゃ)ってはいたが……」
「ああ、昨日の電話か」

 真白が合点したように頷いた。
 私との話が終わった後、旦那様の電話を晴人様へ取り次いだのは真白だ。

 真白には、一年ほど前に私の事情を――生い立ちも、旦那様からの命令についても、全て話してある。
 許可した者以外に話すな、と旦那様から命じられているが、流石に仕事で組んでいて隠しきれるものではない。真白も気付かないほど鈍感ではなかった。

 真白は私の話を笑いも疑いもせずに聞いて、誰にも言わない、と約束してくれた。
 実際、今まで誰にも露見した様子はない。私が一階に下りられないことに関しても、さりげなく便宜を図ってくれる。
 いいやつ、という人種なのだろう。要するに。
 外から来た人間と話が合うとは思っていなかったから、真白がここに来てくれて良かったと思う。
 裏を返せば、それは彼がパティシエになるという夢を諦めた結果なのだが……。

「旦那様が晴人様にどこまで話すかなあ……」
「どこまでも何も、全部じゃないのか?」

 晴人様だって、「庄司は二階から下りることを禁止しているから駄目だ」とだけ言われても納得できないだろう。私でも分かることだ。
 首を傾げる私を見て、真白は呆れたような顔をした。

「お前ね……いや俺が悪かった。お前は旦那様ワールドの住人でした」
「何だそれは」

 真白の言葉にこちらも呆れてしまう。旦那様ワールドって何だ。
 あのな、と真白が更に何か言おうとしたところで、がちゃりと後方からドアの開く音がした。

「おはよう、二人とも」

 ドアからひょこりと顔を覗かせたのは、雪様だった。

 私は思わず時計を見た。午前六時三十五分。まだ雪様の起床時刻ではない。
 混乱しながらも雪様に挨拶を忘れていることに気付き、慌てて立ち上がって頭を下げる。固まっていた真白も我に返り、同様に挨拶(あいさつ)をした。

「雪様、どうなさいました?」
「ちょっと早く目が覚めてしまっただけよ。遠足に行く子供の心理ね」

 雪様は「簡易キッチンってこうなってるのね」と面白がるように部屋の中を見回している。
 その視線がテーブルの上の料理に向いたので、私は何となく居心地の悪い気分になった。

「雪様、一足先に朝食をお召し上がりになりますか?」

 六時半は過ぎているから、準備はできているだろう。しかし雪様は首を横に振った。

「いえ、いつも通りでいいわ。晴人と一緒に食べたいもの」
「では、紅茶でもお淹れしましょう。お部屋までお送りしますので、少々お待ちください」

 雪様には廊下でお待ちいただいて、棚から茶器と茶葉を出す。少し考えて、茶請けのクッキーは棚に戻した。朝食前に食べるものではない。

 どうやら、テーブルの上の朝食を食べる暇はなさそうだ。
 このままでは悪くなってしまうし、昼食はまた別に作る。勿体ないが、これは捨てるしかないだろう。

「真白、すまないが私の分は片付けておいてくれ」
「……分かった」

 背中で受けた真白の声が、いつもより低い。振り返ると、どこか不機嫌そうな顔があった。
 ここまで分かりやすく表情(かお)に出すのは珍しい。食事を中断したくらいで怒るなんて、そんなに腹が減っていたのか。

「トーストはまだ手を付けてないから食べていいぞ」
「……お前なあ」

 呆れたような顔に戻った真白に、内心で安堵する。こうして気の抜けた顔をしている方が彼らしい。

「晴人様を起こすの、遅れるなよ。雪様は時間通りに食堂までお連れするからな」

 廊下は暖房などないし、雪様をお待たせすること自体がまずい。
 棚から出したものをワゴンに載せて、私は急いで部屋を出た。
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登場人物紹介

庄司 夏生(しょうじ・なつき)

23歳 使用人

主人公。幼少時に他界した両親の借金を背負い、綾部家に引き取られた。

屋敷の主人から、「他人に身の上を話すこと」「屋敷の一階へ下りること」を禁止されている。

綾部 晴人(あやべ・はると)

23歳 会社役員

屋敷の主人の一人息子。夏生の身の上については知らされていない。

婚約者の雪を大切にしており、使用人たちにも気さくに振舞う。穏やかな人格者。

八束 雪(やつか・きよみ)

22歳 大学生

晴人の婚約者。八束家のお嬢様で、忠の妹。晴人にとっても従妹にあたる。

結婚に先立って、綾部の屋敷に住むことになった。好奇心が強め。

都築 真白(つづき・ましろ)

23歳 使用人

晴人付きの使用人。夏生の同僚で、よく世話を焼いてくる。

性格は明朗快活。趣味は洋菓子作り。

八束 忠(やつか・ただし)

25歳 会社役員

八束家の跡取り息子。雪の兄、晴人の従兄にあたる。

やや気難しい性格で、真白への当たりが強め。シスコン。

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