四日目:王子様の秘密会議
文字数 3,264文字
「……まあ、いいのではないか?」
晴人様と雪 様がお決めになった専属使用人の書類に目を通し、忠様は一言そう言った。どうやら文句はないようだ。
「あと、今見てもらった二人が辞退した場合の予備候補の書類もあるんだけど」
「いい。断るなんて、まずあり得ないだろう」
晴人様が新たに書類を取り出すのを、忠様は嫌そうな顔で制止する。
そんな二人の様子を、雪様がくすくすと笑って見守られていた。
「さてと。僕らはちょっと、書斎に用があるから外すね」
そう言って、晴人様がソファから立ち上がる。
忠様も腰を上げ、ローテーブルに置いていた角型 の封筒を手に取った。屋敷に持ち込むということは晴人様か雪様にお渡しするものだと思うのだが、真白が預かろうとしたところ、「後ほど晴人に渡す」と断られてしまったものだ。
「忠、お昼はどうする? 食べていく?」
「ああ、頂こう」
「では改めて厨房に伝えておきます」
「ああ、待って」
一礼して応接間を出ようとした真白を、晴人様が引き留める。
「それは庄司君にお願いするから、都築君は一緒に来て」
「えっ」
「庄司君。内線で加藤さんに、厨房への伝言を頼んでおいて」
「……かしこまりました」
戸惑いつつも、なんとか晴人様に頷いた。……いつもは私たちを必要以上に連れ回さない方なのに、珍しいな。
「よし行くぞ都築」
忠様が真白の腕をがしりと掴む。
そのまま晴人様を待たずに部屋を出ていかれるので、真白も引きずられていく。
「ちょ、お……私の返事に興味はないんですか忠様ー!」
「ない」
「一言かよ!」
「都築」
言葉遣いが荒くなった真白を咎めるが、反応を見る前に連れ出されてしまった。追いかけていって一発ぶん殴りたいところだが、この場を放り出すわけにもいかない。
愉快そうに笑う晴人様の隣で、雪様がきょとんとした顔をされている。
「兄さんと都築さん、その、随分と仲がいいのね……?」
「そうだね。忠は来ると毎回あれこれ絡んでるし、もしかしたら気に入ってるのかもしれない」
まあ、と雪様は意外そうなご様子だ。私から見ても、忠様は気難しいところのある方だ。ああして誰かに気安く接する姿は想像し難 いのかもしれない。
「僕も行かないと。雪、昼食には迎えに行くよ」
「ええ、待ってるわ」
「庄司君。伝言と雪のこと、よろしくね」
「はい」
晴人様が出ていくのを見送って、私は雪様へ声をかけた。
「……雪様、お部屋にお戻りになりますか?」
「そうするわ。兄さんも構ってくれないようだし、刺繍の続きでもしようかしら」
「良きご思案かと」
雪様の言葉に頷いて、応接間のドアを開ける。
執事への伝言は、雪様をお部屋にお送りしてからでいい。
……真白は、忠様に失礼を重ねていやしないかだろうか。
それだけ、少々心配だった。
◆
「ほら、頼まれてたやつだ」
「いくらなんでも早くない?」
「別に隠蔽されていたわけではなかったからな。朝番の連中がちょっと調べたら、すぐに出てきたそうだ」
「……ボーナス出してあげてね、後で払うから」
封筒を受け取ると、忠は都築君が持ってきた椅子に腰を下ろした。僕、椅子持って来てなんて言ってないんだけど……本当に、なんでこんな気安いんだろう。
その疑問はひとまず横に置き、僕も自分のデスクに座る。早速、封筒の中の書類を机上に広げた。
少し離れて立つ都築君が、恐る恐る口を開く。
「あの……何かお飲み物をお持ちしますか?」
「いらん。……晴人、さっさと読め」
「読んでるよ」
僕は書類を読みながら答えた。
「ちなみに都築君に説明しておくと、庄司君のご両親の借金について忠に調べてもらったんだ」
「え。……それは」
「事情は話してないよ。口外しないって約束したからね」
まあ、調査の過程で多少察したとは思うけど。あくまで僕は喋ってない。
困り顔の都築君には悪いけど、屁理屈だって筋が通っていれば理屈の一つなんだ。悪く思わないでほしい。この件を放置する選択肢はなかったしね。
僕が自分で調べると、どうしたって綾部の伝手 を使うことになるので、父さんに露見しかねない。だから、八束の伝手を使わせてもらった。
日付の変わる頃に頼んだ調査が、もう終わっているのは予想外だけれど……忠に借り一つだな、これは。
書類に目を通すのと、金額の試算で三分ほどかかった。
なんというか、まあ……呆れるしかないというか。
あまり大声でできる話ではないので、都築君にも近くに座ってもらう。
「まず、借金自体は存在したよ。それなりの額ね。ただ、土地や家財の差し押さえでほとんど補填できてる。残ったのは精々、数百万ってとこかな? 一千万はいかないはず」
うむ、と忠が頷いた。彼も内容は把握しているんだろう。僕も別に見るなとは言ってなかったし。
「その数百万だって、とっくに返済は終わってるはずだ。仮に手取りが月十万としても一年で百二十万、五年で六百万だ。庄司君の話からするとほとんど天引きされてるみたいだし、うちはそこまで安月給じゃないよ。生活費や利子を考えたって、返せてないとは思えない。利限法っていって……まあこれはいいか」
言ってて頭が痛くなる。児童労働の延長みたいな話だ。
……本当に『それだけ』だったら、頭痛だけで済んだんだろうけど。
「それと気になったのが、二階から下りるなって命令と学校にも行かせなかったこと。あと、幼いうちに父さん付きになったことだね。……正直、子供の頃に大した仕事ができたとは思えないし」
「ああ、庄司も言ってました。小間使いみたいなものだったと」
同意してくれた都築君に頷いて、僕はデスクの引き出しを開ける。
無関係な書類の下に隠しておいた、一枚の写真を引っ張り出した。
「……で、何か庄司君に執着する理由でもあるのかと思って父さんの私室をこっそり漁ってみて」
「さりげなく酷いな、お前」
酷くないよ。酷いのは綾部をひっくり返すような不祥事 をやらかしてる父さんだよ。
「で、見つけたのがこれ」
忠の言葉はスルーして、僕は写真を二人に見せた。
ひとりの女性が写った、古いカラー写真だ。
二十五、六歳くらいだろうか。真っ直ぐな黒髪が、白い肌によく映えている。
写真の中で、その女性はふわりと柔らかい微笑みを浮かべていた。
この写真を見つけた時、僕は奇妙な既視感と、ひどい寒気を覚えたのだけれど――。
「……庄司にそっくりじゃないか」
都築君が息を呑んで写真を凝視する横で、忠が呟いた。
そう。この『彼女』は、庄司君と瓜二 つだ。
庄司君がこんな笑い方をするところは見たことがない。でも、笑ったらこんな感じなんだろうな、たぶん。
写真の日付は、二十四年前の夏。
この女性と庄司君の関係は分からないけれど、おそらくは、忠が持ってきてくれた調査報告書にある――。
「……このこと、伯母様には話したのか?」
「まさか。……でも、薄々察してたんじゃないかとは思うんだよね」
「なんだと?」
忠が意外そうに眉を上げた。都築君も目を丸くしている。
「どういうことだ」
「庄司君を父さんから僕に回したの、母さんなんだよ」
都築君を僕付きにするって父さんが言った時に、母さんが「いい機会だから、夏生も晴人に付けましょう」って言い出したんだ。
あの時、父さんは妙に渋っていたような気がする。母さんは、「まだ若いのに、ずっとおじさんに付き合わせてたら可哀想よ」とか言ってたかな。
庄司君が来てからコーヒーと紅茶が美味しくなったから、父さんはこの味を手放したくなかったのかな、なんて当時は思ったものだけれど……。
「とにかく――」
忠が何か言おうとした時、書斎のドアが力任せに叩かれた。
「失礼いたします!」
入室の許可を得る前に飛び込んできたのは、息を切らした執事の加藤さんだった。
様子がおかしい。いつもの彼ならば、このような無作法な真似はしない――何かあった?
「どうしたんです?」
いつの間にか立ち上がっていた都築君が、加藤さんに駆け寄って背をさする。
加藤さんは顔を上げると、強張った顔で、叫ぶように言った。
「――火事です!」
晴人様と
「あと、今見てもらった二人が辞退した場合の予備候補の書類もあるんだけど」
「いい。断るなんて、まずあり得ないだろう」
晴人様が新たに書類を取り出すのを、忠様は嫌そうな顔で制止する。
そんな二人の様子を、雪様がくすくすと笑って見守られていた。
「さてと。僕らはちょっと、書斎に用があるから外すね」
そう言って、晴人様がソファから立ち上がる。
忠様も腰を上げ、ローテーブルに置いていた
「忠、お昼はどうする? 食べていく?」
「ああ、頂こう」
「では改めて厨房に伝えておきます」
「ああ、待って」
一礼して応接間を出ようとした真白を、晴人様が引き留める。
「それは庄司君にお願いするから、都築君は一緒に来て」
「えっ」
「庄司君。内線で加藤さんに、厨房への伝言を頼んでおいて」
「……かしこまりました」
戸惑いつつも、なんとか晴人様に頷いた。……いつもは私たちを必要以上に連れ回さない方なのに、珍しいな。
「よし行くぞ都築」
忠様が真白の腕をがしりと掴む。
そのまま晴人様を待たずに部屋を出ていかれるので、真白も引きずられていく。
「ちょ、お……私の返事に興味はないんですか忠様ー!」
「ない」
「一言かよ!」
「都築」
言葉遣いが荒くなった真白を咎めるが、反応を見る前に連れ出されてしまった。追いかけていって一発ぶん殴りたいところだが、この場を放り出すわけにもいかない。
愉快そうに笑う晴人様の隣で、雪様がきょとんとした顔をされている。
「兄さんと都築さん、その、随分と仲がいいのね……?」
「そうだね。忠は来ると毎回あれこれ絡んでるし、もしかしたら気に入ってるのかもしれない」
まあ、と雪様は意外そうなご様子だ。私から見ても、忠様は気難しいところのある方だ。ああして誰かに気安く接する姿は想像し
「僕も行かないと。雪、昼食には迎えに行くよ」
「ええ、待ってるわ」
「庄司君。伝言と雪のこと、よろしくね」
「はい」
晴人様が出ていくのを見送って、私は雪様へ声をかけた。
「……雪様、お部屋にお戻りになりますか?」
「そうするわ。兄さんも構ってくれないようだし、刺繍の続きでもしようかしら」
「良きご思案かと」
雪様の言葉に頷いて、応接間のドアを開ける。
執事への伝言は、雪様をお部屋にお送りしてからでいい。
……真白は、忠様に失礼を重ねていやしないかだろうか。
それだけ、少々心配だった。
◆
「ほら、頼まれてたやつだ」
「いくらなんでも早くない?」
「別に隠蔽されていたわけではなかったからな。朝番の連中がちょっと調べたら、すぐに出てきたそうだ」
「……ボーナス出してあげてね、後で払うから」
封筒を受け取ると、忠は都築君が持ってきた椅子に腰を下ろした。僕、椅子持って来てなんて言ってないんだけど……本当に、なんでこんな気安いんだろう。
その疑問はひとまず横に置き、僕も自分のデスクに座る。早速、封筒の中の書類を机上に広げた。
少し離れて立つ都築君が、恐る恐る口を開く。
「あの……何かお飲み物をお持ちしますか?」
「いらん。……晴人、さっさと読め」
「読んでるよ」
僕は書類を読みながら答えた。
「ちなみに都築君に説明しておくと、庄司君のご両親の借金について忠に調べてもらったんだ」
「え。……それは」
「事情は話してないよ。口外しないって約束したからね」
まあ、調査の過程で多少察したとは思うけど。あくまで僕は喋ってない。
困り顔の都築君には悪いけど、屁理屈だって筋が通っていれば理屈の一つなんだ。悪く思わないでほしい。この件を放置する選択肢はなかったしね。
僕が自分で調べると、どうしたって綾部の
日付の変わる頃に頼んだ調査が、もう終わっているのは予想外だけれど……忠に借り一つだな、これは。
書類に目を通すのと、金額の試算で三分ほどかかった。
なんというか、まあ……呆れるしかないというか。
あまり大声でできる話ではないので、都築君にも近くに座ってもらう。
「まず、借金自体は存在したよ。それなりの額ね。ただ、土地や家財の差し押さえでほとんど補填できてる。残ったのは精々、数百万ってとこかな? 一千万はいかないはず」
うむ、と忠が頷いた。彼も内容は把握しているんだろう。僕も別に見るなとは言ってなかったし。
「その数百万だって、とっくに返済は終わってるはずだ。仮に手取りが月十万としても一年で百二十万、五年で六百万だ。庄司君の話からするとほとんど天引きされてるみたいだし、うちはそこまで安月給じゃないよ。生活費や利子を考えたって、返せてないとは思えない。利限法っていって……まあこれはいいか」
言ってて頭が痛くなる。児童労働の延長みたいな話だ。
……本当に『それだけ』だったら、頭痛だけで済んだんだろうけど。
「それと気になったのが、二階から下りるなって命令と学校にも行かせなかったこと。あと、幼いうちに父さん付きになったことだね。……正直、子供の頃に大した仕事ができたとは思えないし」
「ああ、庄司も言ってました。小間使いみたいなものだったと」
同意してくれた都築君に頷いて、僕はデスクの引き出しを開ける。
無関係な書類の下に隠しておいた、一枚の写真を引っ張り出した。
「……で、何か庄司君に執着する理由でもあるのかと思って父さんの私室をこっそり漁ってみて」
「さりげなく酷いな、お前」
酷くないよ。酷いのは綾部をひっくり返すような
「で、見つけたのがこれ」
忠の言葉はスルーして、僕は写真を二人に見せた。
ひとりの女性が写った、古いカラー写真だ。
二十五、六歳くらいだろうか。真っ直ぐな黒髪が、白い肌によく映えている。
写真の中で、その女性はふわりと柔らかい微笑みを浮かべていた。
この写真を見つけた時、僕は奇妙な既視感と、ひどい寒気を覚えたのだけれど――。
「……庄司にそっくりじゃないか」
都築君が息を呑んで写真を凝視する横で、忠が呟いた。
そう。この『彼女』は、庄司君と
庄司君がこんな笑い方をするところは見たことがない。でも、笑ったらこんな感じなんだろうな、たぶん。
写真の日付は、二十四年前の夏。
この女性と庄司君の関係は分からないけれど、おそらくは、忠が持ってきてくれた調査報告書にある――。
「……このこと、伯母様には話したのか?」
「まさか。……でも、薄々察してたんじゃないかとは思うんだよね」
「なんだと?」
忠が意外そうに眉を上げた。都築君も目を丸くしている。
「どういうことだ」
「庄司君を父さんから僕に回したの、母さんなんだよ」
都築君を僕付きにするって父さんが言った時に、母さんが「いい機会だから、夏生も晴人に付けましょう」って言い出したんだ。
あの時、父さんは妙に渋っていたような気がする。母さんは、「まだ若いのに、ずっとおじさんに付き合わせてたら可哀想よ」とか言ってたかな。
庄司君が来てからコーヒーと紅茶が美味しくなったから、父さんはこの味を手放したくなかったのかな、なんて当時は思ったものだけれど……。
「とにかく――」
忠が何か言おうとした時、書斎のドアが力任せに叩かれた。
「失礼いたします!」
入室の許可を得る前に飛び込んできたのは、息を切らした執事の加藤さんだった。
様子がおかしい。いつもの彼ならば、このような無作法な真似はしない――何かあった?
「どうしたんです?」
いつの間にか立ち上がっていた都築君が、加藤さんに駆け寄って背をさする。
加藤さんは顔を上げると、強張った顔で、叫ぶように言った。
「――火事です!」