第16話 神谷有恒 中 ②

文字数 56,471文字

前回からの続き。

またここで一度義一に紅茶を淹れ直して貰い、湯気のたつ紅茶を飲みながら、インターバルというのか暫くは簡単な雑談を楽しんでいた。
が、やはりずっと気になって仕方ない存在が残っていたので、不意に私は上体を横に倒すと、義一の足元に置かれた物を見ながら口を開いた。
「ところでさぁ…そろそろ教えてくれない?その紙袋の中身は一体何なの?」
「え?あ、あぁ、うん…これはねぇ…っと」
と義一は足元から紙袋を取ると、それを一旦自分の両腿の上に置いて、ガサガサと中を探ったかと思うと、中身をいっぺんに取り出した。
それを、初めに私のプリント群が置かれていたテーブルの箇所に置いたので、早速見てみると、それはどうやら数冊の雑誌と、数紙の新聞のようだった。
空になった紙袋をまた足元に戻す義一に対して、見たまんまの事を言うと、「そうだよぉー…っと」と体勢を元に戻した義一が返した。
「これらを浜岡さんが持ってきてくれたんだ。何でかって言うとね…ほら」
と義一が一番上に来ていた雑誌の表紙を見せてきた。
その雑誌は、こないだ義一が表紙を飾ったのとはまた別のだったが、私でも名前は知ってるくらいの著名なビジネス紙で、その表紙に書かれている見出しの中の一際目立つ大きさで書かれた文字に目が止まった。
「…『緩やかに流行の兆しが見える”現代金融理論”とは一体何か?』…望月義一?」
そう、この大きく踊った文字の下に、二回りほど小さくだが、義一の名前が添えられているのが見えた。
と、私は書いてあるそのままを口に出して読んでしまったのだが、そんな私の様子に義一は明るい笑みを浮かべつつ、一旦その雑誌を戻しながら言った。
「…ふふ、そう。要はね、君や他の僕に親しい人にはその前に配らさせて貰ってたけれど、世間には先月の初めくらいに本を出したでしょ?『国力経済論』と、それの付録と言うか、付録にしてはそっちも三百ページ弱ある『貨幣について』を同時にさ」
「え、えぇ」
と私が戸惑いげに返すと、それに反してますます朗らかになりながら義一は続けて言った。
「それから今日で大体一ヶ月と少し経った訳だけれど、そうだなぁ…ふふ、この雑誌で言えば先月末くらいだけれど、色んな方面からこれだけ僕の書いた本に反応を示めしてきてるというので、浜岡さんが集めて持ってきてくれたんだよ」
と義一はトントンと雑誌と新聞で構成された山を軽く叩いた。
「…へぇー」
と私はその話を聞いて、ますます興味を惹かれつつ改めて眺めた。
と、ここで不意に意地悪な気持ちが湧いた私は、雑誌類に顔を向けたままに、薄目を使って口元もニヤケつつ口を開いた。
「…ふふ、でもこれだけ反応があるというのは凄いねぇー?しかも…さっきこっちに見せてくれた雑誌の表紙を見る限り、中々好意的じゃない?…」
と私はここで義一に許可を取る事なく、さっき義一が見せてくれた雑誌を手に取ると、改めて目の前に踊る字を見つめながら続けた。
「ふふ、『徐々に流行の兆しが見える』って書いてあるし、義一さんの本が受け入れ始めてるって事だよね?」
と最後は笑顔も明るく言い終えたのだが、その直後、私はテーブル向こうに浮かぶ顔に軽くでも驚いてしまった。
これまでもそうだったのだし、てっきりそのまま一緒になって明るい笑顔を浮かべるのかと思いきや、義一の顔には居心地が悪そうな苦笑いが浮かんでいた。
「ん、んー…」
と実際に義一は、その印象が正しいのだと証明するかのように、初めに唸って見せてから口を開いた。
「僕はこれまで、まぁ色々とFTA関連で地方に今も講演に行かせてもらったり、それ以外はここで雑誌の編集や執筆で缶詰になってたりしていたから、世間にって意味で、徐々に流行してるかどうかは僕自身には分からないけれど…ふふ、ただ一つ、浜岡さんが持って来てくれたこれらを見る限り…ふふ、とてもじゃないけれど、好意的とは全く言えないんだなぁー…」
「…え?」
と、義一は冗談ぽく言って見せたが、それを受けた私はというと、義一の言葉に引っかかってしまい、今度はこっちが明るい笑顔を引っ込める形となった。
「だ、だって…」
と私は自分が勝手に取った雑誌の表紙を義一に向けつつ言った。
「ここには…好意的な感じで見出しが書いてあるのに?」
と言うと、義一は苦笑いか照れ笑いか判別の難しい笑みを浮かべつつ返した。
「んー…ふふ、まぁ、確かにその雑誌は、僕の書いた本の内容については、まだ”易しめ”に、大目に書いてくれてるけれどねぇ。…ちょっと良いかな?」
と義一が言うので、「えぇ…」と手元の雑誌を差し出すと、お礼を返してから義一は徐に、雑誌をペラペラとめくりだした。
「えぇっと…あ、これだ。…はい」
と義一があるページを見開きつつ手渡して来たので、それを崩さないように注意して受け取り、そのまま自分の手前に広げて置いた。
そこには『緩やかに流行の兆しが見える”現代金融理論”とは一体何か?』と、表紙と同じ見出しが出ていたが、それに加えて小さく『果たしてこの理論は、現実に成り立ち得るのか?』と書かれていた。
その横に小さく、この記事を寄稿した人の紹介が出ていたが、日本最高学府の理学部を卒業し、同大学院の修士課程を修了後は、今はなき経済企画庁に入った後で、今現在は某有名な生命保険会社グループの内の、中央官庁、地方自治体、民間企業から受託して、調査研究、コンサルティング業務を行うという、一応名目は研究所という中に所属しているとのことだった。理学部を卒業しているが、専門はマクロ経済調査、経済政策と書かれていた。
「え…なにこれ…?」
と見出しだけだが思わず呟きつつ顔を上げると、義一はまだ苦笑気味ではあったが、しかし何故かさっきよりも表情を若干明らめていた。
「ここに僕がマーカーで線を引いたんだけれど…ふふ、読んでみてくれる?」
と向かいから上体をテーブルに被せるほどに身を乗り出しながら、ページの一箇所を指さしたので、「う、うん…」と私は正直に指先にある、確かにマーカーの引かれた箇所を読んでみることにした。

『…”Modern Monetary Theory”【現代金融理論】と著者である望月義一氏は訳されている。
氏は、インフレにならない限り財政赤字は問題ないと主張するが、増税や歳出削減には法律改正や政府予算の議決が必要で、それほど機動的に変更できる訳ではないから、インフレ加速の危険性が明らかになってから財政赤字を削減しようとしても間に合わない可能性が大きい』

「…は?」
書かれている記事の内容に唖然として、思わず声を漏らしてしまった私は、『あ』の字に口を開いたままに顔を上げると、そこには、すっかり苦笑いが引いて代わりに愉快げな笑みが浮かぶ義一の顔があった。
そんな義一を他所に、私はまた目を記事に落としながら口を開いた。
「…なにこれ?この…書いてる人のことは、少しも知らなけれど…めちゃくちゃな事が書いてあるね?」
「…ふふ」
「だって…これまでだって、政権を奪権してからの現政府は、『プライマリーバランス』っていう、税収・税外収入と、国債費を除く歳出との収支を、黒字にする事を最初に約束して、今現在も続けて来てるんだよ…ね?」
「ふふ、良く知ってるねぇ」
と何となしに義一が褒めてきたので、「あ、いや、あなたのその『経済論』の中にも出てきていたから…」とタジタジになりながら返してから続けた。
「んー…あ、そうそう、その義一さんの本でも引用されていたけれど、財務省もホームページに、このプライマリーバランスについて説明してるようだけれど、でも今私が言ったことに加えて、こんなとんでもない事を書き添えていたよね?
『…その時点で必要とされる政策的経費を、その時点の税収等でどれだけまかなえているかを示す指標となっています』って。
もうね…義一さんじゃないけれど、財務を与るはずの財務省が、税金を元手に予算を組んでると堂々と書いてて、本気なのかフリなのかは知らなけれど、取り敢えず額面そのままに受け取れば、税金が何なのかさえ分かっていないっていうのを自ら公言しているのを知って、あなたの本を読んだときも愕然としたけれど、その後で実際にホームページに飛んで見て、その通りに書かれているのにまた驚いたのを思い出したよ」
「あー、実際に見てみたんだっけ?」
と義一から愉快げな様子は引く気配を見せない。
「そっか…ふふ、まぁあれこれと僕も引用するけれど、実際にその引用が正しいのかと後で確認する読者というのは極々少数だからねぇ…ふふ、筆者冥利に尽きるよ」
「あ、い、いや…って、あ、いや、だから私が言いたかったのはね?」
と義一の事は強引に脇において、私は話を戻した。
「そもそもこれまでも、勿論勘違いも甚だしい動機に基づいて、プライマリーバランスを黒字化にするという誤まった政策をずっと続けてきてる訳だけれど、今はそれは置いとくとして、その言葉の通りに明言実行してきて、実際に今ってプライマリーバランスが徐々に黒字化へと向かっていってるよね?余計な事とは言え、それくらいには実行力のある現政府だというのに…インフレ目標は信用出来ないのかと、そうこの記事を書いた人には聞きたいわね」
「あはは、その通りだね」
私が話している間は、それまでの明るい表情を引っ込めて、穏やかではありつつも真剣な眼差しをこちらに向けながら聞いていたのだが、話し終えた途端に、また顔に愉快色を戻した義一が、間を置く事なく相槌を打った。
「でもねぇ…」
と義一は私の前に広げられていた雑誌を取ると、それと入れ替えるように、今度は一枚のプリントをこちら側のテーブルに置いた。
見るとそれは、日本有数の電機メーカー内の総合研究所のホームページから印刷してきたもののようで、一番上の見出し部分には『”現代金融理論”その読解と批判』とあった。
そしてその下には文章がズラっと並んでおり、所々に、これも義一が引いたものだろう、ラインが引いてある箇所も見つかったが、一番下まで目がいくと、この記事の寄稿者らしき人物が写真付きで写っていた。
彼も日本最高学府を、しかも経済学部を卒業した後で、日本銀行に入行し、その後米国プリンストン大学大学院に留学したりしつつ、今は研究所のエグゼクティブ・フェローという肩書きの持ち主のようだ。
私は義一から勧められていなかったが、しかしまぁ、こうして出された以上読んで見て欲しいという事だろうと受け取り、勿論読みたかった私としては、その提案にすぐさま乗って、早速義一が引いたライン部分を読んでみることにした。
ライン部分は大きく分けて三箇所だった。
まず一箇所目。
『…望月氏は本著で、銀行が国債を購入し、政府が国債発行で得た資金を使えば国債発行額と同額の預金が創出されるため、国債発行に制約はないと言う』

…は?国債発行の制約は、インフレ率だとそう書いてるよね?

二箇所目
『…なお、著者は財政赤字にとって制約はインフレだけだが、「インフレになったら増税をすれば良い」と簡単に答える。このことと「現金は納税のため」という彼らの認識が関連しているのか否かは定かでないが、現金が納税に使えるからと言って簡単に増税できる訳ではない。
”日本政府が消費増税にどれだけ苦労しているか”を考えれば明らかだと思うが、政府に増税の必要を国民に納得させる力、または国民に増税を強要する力がない限り、増税でインフレを止められる保証はない。
だとすれば、「財政赤字は心配しなくても良い」という著者の主張を簡単に信じることはできないというのが、筆者自身を含めた筆者の現代金融理論批判論者の一致した意見である』

はぁ…頭が痛くなってくる。そもそもこの国の政府は、既にデフレ下なのにも関わらず、ロクな論議、義一さん達みたいに少数とはいえ、増税によって実体経済に多大な悪影響を与える事を危惧していた人々の意見を聞かないままに、断行しても、今だに政権支持率は下がるどころか横這いを維持しているというのに…この人、エグゼクティブ・フェローだか何だか、東大出たかプリンストンに行ったか知らないけれど、一体どこの世界の現実を見て話しているのよ…?

三箇所目。
『…なお筆者は、自国通貨建てで国債を発行している限り、自国の現金を渡せば国債償還が可能だから、債務不履行はあり得ないことをしきりに強調するが、これは当たり前の話であって誰も反対しない。
しかし、債務が償還されたとしても、”ハイパーインフレ”になったり金融危機が起こったりすれば、経済は大混乱に陥るため、ラインハート=ロゴフは、これらのケースもデフォルトに含めて考えている。
さらに、財政がマクロ経済に与える影響として雇用と物価だけを考えるのは、明らかに視野が狭すぎるだろう。先に述べたように、国債発行額が大きくなれば金利上昇を招くから、民間需要のクラウディングアウトにつながる。しかも、国債金利(r)と名目成長率(g)の関係がr>gとなった場合、十分なプライマリーバランスの黒字が無ければ、債務が雪ダルマ式に膨らみ、国債残高/名目GDP比率が発散してしまう。今の日本では、日銀が国債の大量買入れを続け、10年債の金利もマイナスのため、低成長の下でもr<gとなっているが、将来2%の物価目標が達成されて日銀が国債買入れを止めればr>gとなる可能性は十分にある(しかも、日本の政府債務残高/名目GDP比率は2倍を超え、プライマリーバランスは赤字だ)』

…ふふ、ハイパーインフレ(笑)。…何だかいつだか義一さんがここ宝箱で、私と絵里さんを前に講義してくれたのを思い出すわね。…誰がインフレ率13000%という天文学的数字になるまでしろって言ってるのよこの人は…”落ち着きなさい”よ。
『国債発行額が大きくなれば金利上昇を招くから、民間需要のクラウディングアウトにつながる』

はぁ…クラウディングアウトというのは、行政府が資金需要をまかなうために大量の国債を発行すると、それによって市中の金利が上昇するため、民間の資金需要が抑制される事というのは、これも義一さんの本で覚えたけれど…何で長期金利が0%付近を何年にもわたって推移しているというのに、今なんでクラウディングアウトを気にかけてるのこの人は…?そもそも、金利が低すぎて今困ってるんでしょうが。
『今の日本では、日銀が国債の大量買入れを続け、10年債の金利もマイナスのため…』
そうそう、分かってるんじゃない。
『低成長の下でもr<gとなっているが、将来2%の物価目標が達成されて日銀が国債買入れを止めればr>gとなる可能性は十分にある』
…何でインフレ率が2%になっても、日銀が国債買い入れを止めない可能性が大だと勝手に決めつけて危惧してるのかしらこの人は…?
…はぁ、まぁ…ねぇ、勝手に個人で可能性があると思い込むのは勝手だけれど、偉そうに記事に自分の名前と経歴と肩書きを書いてしまって、そんな根拠の示せれない”可能性”をさも現実に起こりうるという妄想を書く学者を輩出したというので迷惑をかけてしまっているとは思えないんだろうなぁ…


…などなどと、たった一枚のプリントにして、恐らくマーカー部分だけだと千字未満程度の文章量しか無かったはずだが、その書かれている一つ一つが突っ込みどころ満載すぎて、読み進めるのに時間がかかってしまった。
ようやく読み終えて顔を上げると、それまで黙っていてくれていた義一が、目をぎゅっと瞑るようにして笑うと、
「…ふふ、凄いでしょ?」
と聞くので、「え、えぇ、凄いというか何というか…」と私はまた一度紙面に目を落としてから、また義一に顔を戻すと、自分ではそのつもりは無かったのだが、「…凄いわね」と呆れすぎたあまりに笑みを零しつつ付け加えた。
それからは、読みながら覚えた感想…というか、ツッコミをそっくりそのまま義一にぶつけて見ると、その言葉に一々義一は同意をしてくれながらも、楽しくて仕方ないと言いたげな笑みを欠かす事は無かった。

私からの彼らへのツッコミを聞き終えた義一は、満足そうな表情のままに、私の前に置いたプリントを回収しつつ言った。
「君が事細やかにツッコミを入れてくれた通り、この二人の記事も凄かったけれど…ふふ、これでも彼ら二人はね、全体から見たらまだまだ誠実な方なんだよ?…これでも」
と最後にウィンクすると、また別のプリントを一枚私の前に置きながら続けて言った。
「この方の書かれた批評というのが、前の二人とは違った意味でこれまた凄くてねぇ…ふふ、ただの誹謗中傷になってるんだ」
と愉快そうに言うのを耳にしながら、新たなプリントを眺めると、これは短い記事だったが、やはりラインが一箇所引かれてるのを見つけたので、それを読んで見た。

記事の見出しは『消費税とは”増やすより減らせ”とは本当か』と出ていた。
ここで一応念のために補足を入れると、以前にも述べたが、義一の『国力経済論』には、勿論貨幣論も二、三章にわたって書かれているのだが、それと同時に、『いかに消費税という税金が、とんでもない悪税で、実体経済にとって悪影響を与え”続ける”ことになるのか』という論も展開していたのもあり、前段の記事を書いた人も、それに関連させた記事があったりしたのだ。
この記事もその例外ではなく、前の人よりももっとそれを前面に押し出している形の面で若干色が異なっていた。
と、その見出しの下に、”小見出し”とでも言うのか、ひと回り小さい字で書かれている言葉に目が止まった。
そこには『いい話ばかりの”現代金融理論”の魅力とリスク』と書かれていた。
その言い草に小さくでもイラッとしながらも、まずは読んでみることにした。
因みにこの記事の執筆者は、東京都は国立市にある、某有名な国立大学の経済学研究科・政策大学院というところで教授を勤めている人との事だった。

『今は望月氏が出された二つの著書に、若者が中心となって持て囃し始めているようだが、これは消費税の増税を含めて厳しい財政再建しないで済む理由であれば、なんでも良いから”かもしれない”。
どの”奇策”も正しいという確信があるのでなく、そうあって欲しいという願望もあろう、危険なのは、分かりやすい、あるいは聞き心地の良い主張が必ずしも正しい処方箋ではないということだ』

「これまた凄いわね…」
と、一つ前とは違って文章量が少なかったのもあり、すぐに反応を返した。
「…いや、凄いというか…うん、今義一さんが言ったけれど、誹謗中傷というか、言いがかりじゃない」
と私が熱く返しても、「っふふ」と義一は微笑むのみだ。
構わず私は続ける。
「『これらが持て囃されるのは消費税の増税を含めて厳しい財政再建しないで済む理由であれば、なんでも良いから”かもしれない”』
…ひどい言い方だよね。さっきの人もそうだけれど、ロクな論拠を示さない…いや、示せないくせに『”かもしれない”』と語尾につければ、何を言っても良いと思ってるのかしら…?『あの人は悪い人”かもしれない”』『あの人は詐欺師”かもしれない”』『あの人は、誰かを殺したの”かもしれない”』…」
「…ふふ、その通りだね。別に構わないと思っているのだろうね」
と流石に義一もここで表情を暗めに笑みを浮かべた。
別に義一の顔を変化させたくて例を挙げた訳では無かったのだが、やはりその変化にも構わずに私は続けた。
「だよね?別に”かもしれない”って語尾に付けたからって、当人に対して失礼には変わらないのに…。
『どの奇策も正しいという確信があるのでなく、そうあって欲しいという願望もあろう』
も酷いよ。現代金融理論を、義一さんは『願望』じゃなくて、『確信があるので』でもなくて、確信がある”から”書いているというのに…」
「ふふ、まぁねぇ」
と義一がここで微笑みながら口を挟んだ。
「その次に出てくる『奇策』って単語についてもねぇ…ふふ、僕が書いたというか、引用したこの理論が、過去の経済学の流れから見たら、奇策でも異端でもない事くらいは、僕を批判してきている彼らだって、肩書きは一応経済学者なんだし、それくらいは知ってるはずなんだけれどもねぇ」
「だよね!」
と、ここでようやく義一から反論に対する反論らしきものが聞こえたというので、我知らずに勢いよくテーブル向かいに身を乗り出すかのごとく合いの手を入れると、そんな私の態度に苦笑いを浮かべたが、義一はまた静かな笑みに戻ると続けて言った。
「これは前の二人もそうだけれど、何でか勝手にこの現代金融理論を、まるで僕が発明した説みたいに受け止められているみたいなんだね。
そもそもこの現代金融理論というのは、君にも以前にここで直接授業まがいな事をしながら説明したし、本の中でも何度も断っているはずなんだけれど、近代でも代表的なところでクナップから始まったと考えると、それに影響を受けてケインズ、シュンペーター、ラーナー、ミンスキー、その他諸々と、それこそ彼らが大好きな経済学者の先達の多くが述べてきた理論を、僕がただ踏襲しているだけなんだけれどもねぇ…だからこそ、過去の歴史を見てもそうだという確信を持って僕は書いたんだけれど、何を勝手に忖度してきてるんだろう」
「本当にまぁ…」
と私は、この記事を書いた教授の肩書きを眺めつつ言った。
「この国立大学って、私が知ってるくらいには歴史的に見ても格式のある大学だったはずだけれど…こんな程度の人間を教授として雇うくらいに、実は程度の低い大学だったんだねぇ…あ」
と、ついつい思ったまま正直に口に出してしまい、全て言い終えてからふと気付いて口を噤むと、義一はキョトン顔を見せていたが、それも長くは続かずに「あははは」とただ明るく笑い飛ばすのみだった。

その義一の笑い声に救われた心地を覚えつつ、私も一旦は微笑み返してから改めて、この誹謗中傷の記事の再検証に戻った。
「『”危険”なのは、分かりやすい、あるいは聞き心地の良い主張が必ずしも正しい処方箋ではないということだ』
…確かに、これだけの文章だけ見れば、この内容それ自体には然程には異論は無いね」
「ふふ、それは僕もだね」
「うん、”分かりやすい”という事で、今世紀に入ってから『ワンフレーズポリティクス』『スローガン政治』が続けられて、酷いことになって今というのは、義一さんや、他のオーソドックスの人達の文章なりを読んで、私も私なりに納得して、受け入れてるけれど…」
「ふふ、ありがとう」
「あ、いや…ふふ、でもね、そう書いているこの人の記事も、全く同じというか、遠回しに周りくどく書いているけれど、要はただ一言、
『現代貨幣理論というのは分かりやすくて、あるいは聞き心地の良い主張だけれども、必ずしも正しい処方箋では無いし、そういうものは得てして”危険”なもの』
だと断罪してるんだから、その時点で、ワンフレーズでごまかしてきた、これまでの社会の動きとあなたのその主張に、どんな違いがあるのかと、そう聞き返したくなるわ」
「ふふ…うん」
「ロクな論拠も示さないで…本当にこの人は、経済学の教授なのかしら?それとも…今の日本の経済学という学問の教授というのは、大方彼みたいなレベルに落ち込んでしまっているのかしら…」
と、もうこの時には、自分が話している言葉に一々気を使わずに、ただ正直に思った事をそのままにツラツラと口から出すと、
「彼みたいな人が全体でどれほどの割合を占めるのかは分からないけれど…」と一応儀礼的な留保を前に置きつつも、義一はニヤッと悪戯っぽく笑いながら言い足した。
「…そう誤解されても、仕方ないところはあるね」
「ふふ、でしょ?」
と私もイライラというか、毒気が義一の笑みによって少しは取り除かれたらしく、同じようにニヤケ面で返した。
「なんせ何の反論にもなっていないんだからねぇ」
と義一は笑みを保ちつつ口を開いた。
「君も何度か触れてくれたように、まだ前の二人は、理論も現状認識も大間違いだったけれど、でもそれなりに自分達なりに何故そう思うのか説明しようとした形跡はあるけれど、この人に至っては、具体的な反論は一つも示さないで、ただ僕が引用した理論を”危険”だと断罪しているだけだし」
「そうそう!これを誹謗中傷と言わないで、何をそう言うのかと…何だか、自分で話していて、イライラが止まらないんだけれど」
「あははは。ただまぁ…」
と義一は私の前に置かれたプリントを手に取ると、それを脇に置きつつ言った。
「文章だけ見ると、ただ否定したいだけなのは分かるから、それに対して返すのも何だかなぁ…って気はするんだけれど、僕は彼に向けての反論文を、次か次々くらいのオーソドックスで寄稿するつもりだから…」
「あ、そうなのね?」
と、私がテンション高く聞き返すと、義一はそんな私の行動に微笑みを向けつつ「うん、まぁね」と一度頷くと続けて言った。
「勿論、今触れた三名だけではなく…」
トントンと、義一は雑誌と新聞で構成された束の上面を指先で叩いた。
「ここに反論というか、批評なり反対意見を公に発表してくれた皆さんにね、丁寧に一人ずつに向けて、”反論に対する反論”を載せるつもりだから、是非とも僕からの反論に対して、また反論を返して欲しいと思うね」


それからは、実は先ほど来ていた神谷さんにも、この様な反応があったというので、
「まず取り敢えずは、第一弾として自分も雑誌を通じて反論をしようと思うんですが、それについてどう思われますか?」
と相談したらしいが、それに対し神谷さんはというと、是非やった方が良いとゴーサインをくれたというので、その言葉に背中を押されて、なお一層やる気が起こったのだという経緯を教えてくれた。
その流れで、浜岡から貰った雑誌などの記事なりを自分でコピーしたというので、それを今日、この後で用事があるのに荷物になるかもと思ったらしいが、試しに渡してみると、神谷さんは快く受け取ってくれたという話をしてくれて、その流れで
「琴音ちゃんももしかしたら、興味を持ってくれるかなって思ったから、一応余分に刷って置いたんだけれど…良かったらどうかな?」
とボソボソ言いながら、義一が紙袋をまた両腿の上に乗せるのを見て、何を今更…と私は呆れ笑いを浮かべると、「えぇ、是非とも欲しいわ」と言い終えた直後に自然体な笑顔を見せた。
「あ、そうかい?じゃあ…」
と義一は、てっきり空だと思っていた紙袋の中から取り出したのだが、それはどこかで見覚えのある”プラスチックケース”だった。
半透明だったおかげで、中にプリントがギッシリ詰められているのが分かった。
それを義一は、片手では紙袋を足元に戻しながらも、もう片方の手でテーブルの上に置いたのだが、置かれた瞬間に、何故それが見覚えがあったのか思い出した。
「…あ、これって…」
と思わず口に出すと、義一はニヤッと笑いながら答えた。
「ふふ、気付いた?そう、これは君が自分の作品群を持ってくるので使ったケースに、今言った僕の本への批評が書かれていた全ての記事をコピーしたのを、そのまま全部仕舞ったものなんだ」
「あー…」
と特に意味のない合いの手を私が入れると、義一はますますニヤケ度合いを強めながら言った。
「あの時君は、このクリアケースごと僕にくれるって言ってくれたけれど…ふふ、このクリアファイルを使って持って帰ると良いよ。…そのままクリアケースもあげるし」
「…ふふ」
と、以前の私を思い出してしまったのもあり、一本取られたといった心境にもなりつつ、まさか戻って来るとは思わなかったクリアケースを自分の方へテーブルの上を引きずらせながら寄せた。
重さとしても、以前私が持ってきた時と似たようなものだった。
それから私たちは、一度お互いに笑い合うと、そのまま話は義一の本への批評話には戻らずに、ただただ普通の、こないだまであった私の期末試験がどうだったとか、その様な他愛もない雑談に終始して、この日は終わりとなった。

…だが、こうして義一とお喋りしている間は、勿論楽しいひと時には違いなかったのだが、ただ今日は少し趣が違っていたのは、やはり先ほど色んな記事を読んだためだろう、これまで過去に覚えた事のあるのとはまた別種の、胸の奥にズシンと重たい新たな種類の重石が置かれたような感覚を、ずっと覚え続けたのだった。



その日の晩は普段通りに、七時ちょうどにお母さんと夕食を食べ始め、食べ終えて後片付けを済ませると、一時間ばかり居間でお母さんとお喋りをしたりと過ごして、後は風呂に入ったりと寝支度を始め、それを終えるとお母さんに挨拶をして自室に篭った。
自室に入るなり、早速義一から貰ったプリントを読もうと思ったのだが、その前にふと思い出して、まず初めに、学習机の上に置いていたスマホを手に取った。
そう、房子へ連絡を入れるためにだ。
そのまま椅子に座って、今日久しぶりに会えて嬉しかったという定型文から始まり、早速いついつなら自分は都合が付きますが、といった文章を添えて送ると、ちょうど向こうでも側にスマホがあったのか、一分もしないうちに返信が返ってきた。
それからは事務的なと言うと味気ないが、具体的な打ち合わせを何度かやり取りして、具体的な予定が決まったところでお開きとなった。
ここでようやく、もう忘れ物は無いだろうと、机脇に置いていたプリントの入ったクリアケースから、早速プリント類を取り出して読み始めた。

読んでいてまず気付いたのは、どれも義一の本に対して肯定的なものは無く、全てと言って良いくらいに否定的だという点だった。
これも宝箱で義一から聞いていたので、今更それに対してどうという事は別に無い。
ただ、これは義一が浜岡から聞いたという話だが、浜岡が知る限りでは、全体のうちの少なくとも八割強が否定的で、残りの一割と少しも、別に肯定的でもなく、『こんな新しい理論が出てきました』程度の紹介文に留まっているだけとの事らしい。
そんな話を聞いていたので、まるで初めて見た時の様な新鮮味のある怒りは起こらなかったが、やはり今こうして読んでみると、どの批判も反対意見も、的外れも良いところ過ぎて、どうしたってイライラを止められなかった。

その腹いせというわけでは無いのだが、折角だし、宝箱では読めなかった記事の一部を、ここにサラッと紹介だけしてみたいと思う。
これを見た皆さんが、どう思われるかはお任せするとしよう。

まず新聞から。これはいわゆる”右”も”左”も同じだった。
『財政赤字なんか膨らんでもへっちゃらで、中央銀行に紙幣を刷らせれば財源はいくらでもある、というかなりの”とんでも理論”である』

お次は、日本を代表する経済新聞と名乗る新聞から。
『日銀の原田泰審議委員は・・・”現代金融理論”に否定的な考えを示した。
必ずインフレが起きる。著者はインフレになれば増税や政府支出を減らしてコントロールできると言っているが、現実問題としてできるかというと非常に怪しいとの認識を示した』

今度は少し趣を変えてというか、これも某有名な新聞社の言論サイトからプリントしてきたものらしいが、記事の執筆者は、元新潟県知事にして、弁護士でもあり、医学博士という肩書きが記されていた。
『予算というものは、一度それを作ったら、それを前提とした様々な社会構造が出来上がり、変更するには多大な経済的社会的コストを要するうえ、民主主義社会においては政治的コストも膨大で、インフレ率を見て突然変えるなどと言うことは到底出来っこないものなのです』


…ふふ、散々宝箱でも言ってきたし、今更繰り返すのも、こちらから勘弁したいくらいなのだが、義一の本をろくに読んでいない、もしくは本人は読んだつもりなのだろうが、全く読み切れていないだけではなく、誤読の極みを自ら公に晒している面々の記事を読んで、自分がいる現実を直射する常識的な”目”すら持っていない点からしても、全くどうしてそうなってしまうのか、ただただ呆れ過ぎて、読めば読むほどに頭が痛くなってくる一方だった。

だが、それならもう良いだろうと言われてしまいそうだが、ここで最後に、本当に最後に一つだけ、今触れたよりもまた一層酷い記事を見つけてしまったので、それだけ触れさせて頂くのを許して頂きたい。
その記事とは、先ほどもチラッと触れた、日本を代表する経済新聞の紙面記事で、実際は記者らしいが、ここでは”コメンテーター”という肩書きを称して記事を出している人がいた。金融・経済政策が専門と書かれている。
彼はまず見出しに
『財政に”呪文”は通用しない 現代金融理論』
と大々的に出していた。
義一の説というわけでは無く、少なくとも今現在なお多大な影響力を及ぼしているケインズだとかが支持していた理論なわけだが、この記者はそれを”呪文”呼ばわりをしていた。
この見出しを見た時点で、既にイラッときていたのだが、記事の中身を読んで、それはピークに達した。


『日本でも消費税に反対する人たちが現代金融理論を支持している。負担がなくてリターンを得られるという美味しい話なのだから、有権者の耳には心地良く響いたに違いない。
しかし、多くの専門家が口を揃えるように、政府の借金が膨らむのに無頓着なこの理論は問題があると思う。
湯水の如く財政出動を膨らませるために、国債を無限に発行できるわけはない。
インフレが起きた時点で財政出動をやめるなんて、本当に出来るとは信じがたい。
目先の人気取りに使われる財政ポピュリズム(大衆迎合)の「呪文」の類いがまた登場したということだろう。MMTは政策論として現実的ではない』


…確かに、『日本でも消費税に反対する人たちが現代金融理論を支持している』のはその通りだろう。
それには私もそうだし、義一も同意をするだろうが、それ以降の記事がほぼ全てにおいて誤っていた。
まず『政府の借金が膨らむのに無頓着で良い』だなんて一言も書いていないし、インフレになったら止めると何度も口を酸っぱくして、義一は本の中に書いていた。
が、この誤りはこれまでの宝箱でも触れた人々と同じなので、ここでは繰り返さないが、少し他と違うのは次の文だ。

『湯水の如く財政出動を膨らませるために、国債を無限に発行できるわけはない』
いやだから、誰が無限に国債を発行しろだなんて言ったというか、書いているのか?
きちんと限度はインフレ率だと言っているはずなのに。

『インフレが起きた時点で財政出動をやめるなんて、本当に出来るとは信じがたい』
これが本当に大問題中の大問題発言だ。
彼が信じられないのはまぁ個人の意見だから、どうでも良いと言えば良いとしても、宝箱でも話が出たが、それでは今しているプライマリーバランス目標というのも信じられないはずだろう。何故なら政府が口先で初めは改善させると言ってた訳なのだから。
私たちはプライマリーバランスの黒字化なんぞ、デフレから脱却する前から目標に掲げて頑張るだなんて、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んで運転している様なもので、馬鹿げているから反対しているのだが、そんな事は今は置いとくとしても、因みにこの記者はプライマリーバランス黒字化に賛成の立場の様だが、果たして政府がこの目標を掲げた時に批判の記事を書いたのだろうか?
『そんな口先でプライマリーバランスを黒字化させるって言ったって、信じられないぞ。お前ら政府がやることなんか』と。
一々この記者の発言なんかは追ってないから確信は持てないが、こんな記事を書くくらいだから、恐らくしていないだろう。
さて、そもそも論だが、予算というのは国会で決めている訳で、この記者の文章は、国会を軽視しているし、という事は国民が馬鹿だって言ってるのに等しい。
何故なら、一応日本は議会制民主主義の国家であり、国民に選ばれた議員が地元の声や国民全体の声を反映して予算を決める訳だが、繰り返しになるが国会否定、すなわち要は民主主義すら批判している訳だ。
んー…ふふ、勿論義一達からの影響もあるが、彼らほど深く思索をしたわけでは無くても、一々聞く話がもっともだと思えたお陰で、私自身も僭越ながら含めさせて頂くと、オーソドックスの面々は民主主義に対して、良く言ってかなり懐疑的なわけだが、こちらみたいにそう標榜しているならともかく、記者は自分が民主主義に対してどう思っているのか、その立場を言わないままに、ただ口先では自覚か無自覚か民主主義を批判している。
自分が一体どんな立場に立って記事、もしくは文章を書いているのか、それすら自覚が無いままに、誰かの理論、誰かの著作を批評しようなどとは、笑止千万片腹痛しとはこの事だ。
…ふふ、だが、実際にこの記事を読んでいた私は、とてもじゃないが笑ってはいられなかった。
もうこの辺で終わりにしておくが、これまで見てきていただいた様に、こんな言われのない誹謗や中傷に溢れた、批判とは到底言えない低レベルの論評をされたというのに、当人である義一はというと、一切見た目ではと留保しておくが、みじんも怒りを顕にせずに、むしろ終始一貫して愉快げにしているのを見て、義一の良い意味での”鈍感力”とでも言うのだろうか、私からしたら、あまりにも度量が大きく、外野からの小さな批判など相手にしないで、それをむしろ楽しむくらいに、達観した”できた”人間なのだろうと、突然の上から目線に聞こえるかもしれないが、以前からそんな人物だと思っていたところで、改めてその様子を見せられて、この義一に対する人物評を新たに確信したのだが、それとは別にして、そんなつもりは毛頭無かったが、まるで義一の代わりに自分が苛立ち、怒りのあまりに手にとったプリントをピクピクと震わせながら、読み進めていくたびにハラワタが煮えくり返る想いに駆られるのだった。



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義一の本への批評をまとめたプリントを読んでしまったせいか、その晩はなかなか寝付けなかったが、翌朝に朝食を作り、お母さんと食べて、その後は長期休暇と同じ習慣である、四時間程防音室に籠もってピアノの練習をし終えた頃には、精神の浄化というかすっかり元通りの精神状態に戻ることが出来た。
んー…ふふ、ハナからそのつもりでしてる訳では勿論ないのだが、たまたま練習が捗ったのもあって、上手いこと作用してくれて、何者か、形而上の何者かへの感謝をほんのりとしつつ、午後はまた二、三時間ほど土手でサイクリング、その後は夕食を摂り、そして寝支度を済ませて自室に入り、また二、三時間ほど読書に耽ってからベッドに入るという、何とも自分で言ってきた通り、のんびりとした一日を過ごした翌日に本編はなる。



世間は平日だが、試験休みも後半に差し掛かった午後一時。私は四ツ谷駅駅の改札口に立っていた。
そう、つまりは自分の通っている学園の最寄駅に来た訳なのだが、今はまだ試験休み期間、学園に用事は無いのに、何故今日来たのかと言うと、ここである人と待ち合わせをしていたからだった。
まぁ勿体ぶることもないだろう、待ち合わせの相手とは、神谷さんの娘である房子だ。
二日前の晩に打ち合わせをしたのは触れたばかりだが、その時に、
「車で迎えに行くことになるんだけど、義一さんの家でいいかな?」
と聞くので、細かく聞いていた訳ではなかったが、うろ覚えながら神谷さんのお宅は区内ではなく、数奇屋のある世田谷区のそのすぐ隣の市内にあるというのを朧げに聞いていたのを思い出した私が、お邪魔させていただくという身なのでと、慌てて
「自分で勝手に最寄駅まで行かせて頂きます」
と言ったのだが、
「気にしなくて良いのに。遠慮しないで?」
と房子が返すというやり取りを何度か繰り返したのちに、「じゃあ…ふふ、あなたって定期で通ってるのよね?だったら…うん、あなたの学園がある四ツ谷で待ち合わせをしましょう?」
と提案されたので、それならと了承し今となっている。

改札を出てすぐに、スマホを立ち上げると、一応狙った通りに待ち合わせ時刻である、一時の少し前という表示が出ていた。
『今到着しました』と早速メッセージを送ると、『今駅の周りをグルグル回っているから、そのまま待ってて?』とすぐに返ってきたので待っていると、ものの数分で、新宿通りから見覚えのある軽自動車が近づいてくるのが見えた。
ふふ、こう言ってはなんだが、いわゆる一般車というか大衆車なので、その他の車とはすぐには見分けがつかないのだが、フロントガラス越しに房子がこちらに手を振っているのに気付いて、少し気恥ずかしかったが、しかし返さないのも失礼だと思い、私も胸の前で小さく手を振り返してから、早足で他の車に注意しながら車道に入り、房子が手で誘導するままに助手席に乗り込んだ。
「…っと、すみません」
バタンッとドアを閉めながら開口一番に言うと、「ふふ、今日は」と房子が言うので、まずは挨拶からだったかと一人苦笑を漏らすと挨拶を返した。
今私が乗った場所は長居が出来ないというので、挨拶もそこそこに房子は車を発進させた。
「今日もいい天気ねー」という在り来りな話題から早速雑談は始まり、少し早めに着いたというので四谷近辺をぐるぐるする中、ついでに私の通う学園も外から見たと、今度は私の学園生活の話へと流れていった。
この間の会話を勿論私は笑顔を思わず浮かべつつも楽しんだのだが、それと同時に、これを言って良いのか分からないが言ってしまうと、まるで…ふふ、仲の良い親戚のおばさんと会話している様な、そんな打ち解けた雰囲気で会話が盛り上がっていた。
そんな中車は、運よく信号にも引っかからずに新宿通りをひた走り、新宿御苑の脇を抜ける時に、いつも私たちのグループが屯する喫茶店を横目に通り過ぎてから、甲州街道に入り新宿駅の高架下を潜り抜け、そのまま暫くは道なりにどんどん直進して行くと、ようやく左に切れたかと思えばそのまままた道なりと暫く行き、不意に車一台が何とか通れる程度の一方通行に入って、ますます閑静な住宅街の中を行ってるなと思っていたその時、とある民家の前で房子は車を停めた。
「じゃあ少し待っていてね?」
と私を降ろした房子が、敷地内にある車庫に入れるために、何度か出たり入ったりを繰り返しつつ車の方向を変えている間、どうかとは思ったが、手持ち無沙汰だったのは否めなかった私は、マジマジとそのお宅の外観を眺めていた。
玄関脇に『神谷』と表札のあるそのお宅は、一般的な和風モダンとも言える二階建ての一軒家だった。
二階の屋根には勿論のこと、一階の突き出した部分にも同じ色の瓦屋根が乗っかっており、色合いなどを含めて落ち着きのある邸宅という印象を受けた。
ここで和風と聞くと、ついつい義一宅を連想してしまいそうだが、これは褒め言葉として言うと、本人がこだわったと言ってる様に義一の家の方が大分年数の経った”ザ・伝統的な日本家屋”といった趣のある家なのに対して、神谷さんの家は、周囲の他の民家の中でも浮くことなく溶け込んでるところに違いがあった。
と、今たまたま義一宅の話が出たので、ついでにというか、それでも別の大きな共通点を見つけていたので、それを披露すると、ここまで辿り着くまでに、緑が多めの大きい公園の脇を通って行ったので、住宅環境としては良いなと思ったのと同時に、ふと、今の一方通行に入る直前に川が見えたのが印象的で、という事はこのお宅”も”川のそばに立地しているのかと感想を持った途端に、何だか義一宅を連想するのだった。

「…ふふ、そんなにジロジロ見ないでくれるかしら?」
と不意に声を掛けられたので見ると、丁度玄関に鍵を差し込む房子の姿があった。顔は照れ笑いを浮かべている。
「あ、すみません」
と私も同じく照れ笑いを浮かべつつ歩み寄ると、「あはは、普通のおうちでしょ?義一さんのところと違って」と房子は言いながら鍵を回すと、カチャンという音が聞こえた。
「あ、い、いえ…」と私が咄嗟にどう返すべきかとまごついていると、房子はまた一度ケラケラと笑い、玄関を開けて自分は体を脇に置いた。
「どうぞー」
と言うので、「で、では…お邪魔、しまぁす…」と、房子が玄関を押さえてくれている隙間を通って中に入ると、まず鼻に入ってきたのは、木造建築にありがちな古めの木の匂いと、後は強めのイグサの香りだった。
「…ふふ、良い匂いでしょ?」
と、まだ靴を脱がずにいる私のことを、呆れてるのかどうかは判断がつきかねたが、取り敢えず笑顔の房子に声を掛けられた。
「最近ね、畳を新調したの」
と、私が質問する前から答えつつ、房子が靴を脱ぐのを見て、

あー…だからか

と単純に納得しながらも、私も房子に倣って靴を脱いだ。
それからは出されたスリッパを履いて房子の後をついて廊下を歩いて行くと、既に開けられていたドアの前に到着した。
「おとうさーん」
とそのまま足を止めることなく房子は室内に入りながら言った。
「琴音ちゃんが来てくれたよー?…ふふ、ほら琴音ちゃん?」
と室内から手招きされたので、「は、はい…お邪魔します」と、本日二度目の同じセリフを吐きつつ中に入ると、そこはどうやら居間の様で、下は房子が言った通りに匂いだけではなく、見た目からも分かるほどに新しい畳が敷かれていた。
この居間は、きちんと床の間が置かれている様な純和室でもあり、掛け軸までかかっていた。
部屋の奥には、そこから外に出れそうな大きめの窓があり、今日も初夏独特の晴れやかな陽光で外が占められていたのもあって、その恩恵をこの居間も、余すことなく取り入れており、自然光で満たされているお陰で、後に気付いたが室内の電気が点いていないにも関わらず、薄暗いとすら思えないほどだった。
因みにこの窓は少しばかり開けられているらしく、カーテンが掛けられていたのだが、それが小さくだが揺らめいていることで気付いた。
…ふふ、さて、別に勿体ぶるつもりは無かったのだが、当然入室した直後に、私の方に笑みを浮かべる神谷さんの姿には気付いていた。
畳の居間には、四人が楽々と二対二で向かい合って座れそうな、重厚感を醸し出す焦げ茶色の木製和室テーブルが、先ほど触れた窓の近くに置かれていたのだが、床の間を背中に神谷さんが座っており、その前のテーブル上には、”何やらどこかで見覚えのあるプリント群”が散らばっていた。
どうやら私たちが来るまで、これらを眺めていたらしい。
と、私と視線が合うと、まず自分からと思ったのだが、先を取られてしまった。
「…ふふ、今日は琴音ちゃん、遠路はるばるご苦労だったねぇ」
とプリント群をテーブルから下ろして自分の脇に置きながら言う神谷さんは、やはりというか自分の家内だというのに、首回りに厚めのネックウォーマーを身につけていた。
「あ、いえいえ…ふふ、今日は。お邪魔します」
と、またもや同じ挨拶をしてしまうと、どうやら見兼ねたらしい房子がそばに寄ってきて、チョコンと私の肩に手を置くと、「ほら、いつまでも立っているのもなんだから、座って座って」
と私を促すので、素直に神谷と対面に腰を下ろすと、房子はそのまま、元は障子なりがあったのだろうが外したお陰で居間と一つになっている台所へと歩いて行った。
その後ろ姿をなんとなく眺めていると、神谷さんに話しかけられた。
「いやぁー、出迎えに行けなくてすまないね?今日は体調は悪くはないんだけれど…」
と神谷さんに言われて「あ、そ、そんな…」と私は、”体調”という単語に過剰に反応してしまった為もあって、咄嗟には自然に返せなかったのだが、ふと神谷さんは、数瞬ばかりだがふと顔を静かにしたかと思うと、次の瞬間にはやれやれと言いたげな表情と共に笑みを零しつつ言った。
「あー…ふふ、義一くんに聞いたけれど、君はそのー…私の体調の具体的なところとか…聞いちゃっているらしいね?」
「…は、はい…」
神谷さんは”具体的”な事は一言も発しなかったが、しかしすぐに何の話をされているのか察した私は、ただ短く、しかし慎重に返した。
すると、神谷さんはますます”やれやれ度合い”を強めつつも、笑顔も一緒に強めながら言った。
「んー…ふふ、私もね、その話をあれは…今年だったかな?数奇屋で夜も更けてきた頃くらいにね、義一くんがポロッと漏らしたんだよ。…実は、琴音ちゃん、君に私の病状というか、その現状を話しちゃったって」
「は、はい…まぁ…」
と、内容が内容だけに、どう返して良いのかまた戸惑っていると、
「ふふ、その話を聞いてね、『そんな余計な事を話さなくても良かったのに…』ってその場で注意しちゃったんだけれど…って、あはは!いや、すまないね」
と途中までは静かな調子で話していたというのに、だしぬけに神谷は徐々に広がり始めていた暗めなムードを払拭するかの様に、一度明るく笑い飛ばしてから言った。
「ウチに初めて訪れてくれたというのに、最初の話題としては、不適切にも程があったなぁ」
と照れ臭そうに神谷さんが頭を撫でていると、
「そうよー、お父さん?」
と不意に房子が割って入ってきた。
その両手には湯呑みを二つ乗せた和風の半月おぼんを持っていた。
「もーう、そんな辛気臭い話をしてぇ…はい、どうぞ?」
とまず私から湯呑みを出してくれたので、チラッと神谷さんの顔を伺ったのだが、すぐに察してくれたらしくコクッと頷いて見せたので、「は、はい…いただきます」と返すと、「いえいえ。…はい、お父さん」と房子は神谷さんの前に置いた。
それに対して簡単なお礼を神谷さんが返しているのと時を同じくして、「さてと…はい」と房子が、一体どこに持っていたのか…ふふ、恐らくはおぼんの下に挟んで一緒に持ってきていたのだろうが、徐に私の前に出してきたのは、どこかのお店のお品書きの様で、表紙には店名の後に『蕎麦』と書かれていた。
この時点で、このお品書きのお店が蕎麦屋なのはすぐに予測が付いたのだが、その表紙をじっと眺めていると、私の隣に座った房子は早速そのお品書きを開きながら明るく声を掛けてきた。
「さーて…っと。琴音ちゃんは何食べたい?」



「では、いただきます」
と神谷さんが号令を発すると
「いただきまーす」と房子が後に続いたのに少し遅れて、「い、いただき…ます」と私は遠慮深げにその後に続いた。
私たちはそのまま居間の和室テーブルを囲む様に座っている。そのテーブルの上には、朱色が目に鮮やかな漆のお重の中に、尾がはみ出るほどの大海老が二尾、それに加えて白身、ホタテ、イカ、しし唐の天ぷらの入った、商品名としては”海鮮天重”が三つ置かれていた。
これは、例の蕎麦屋らしきお品書きに書かれていた商品で、何を食べるかと聞かれて迷っていたところ、「好きなものを食べたら良いと思うけれど、でも初めて見るわけだし、写真も無いから迷うよね?」と向かいから神谷さんが救いの手を差し伸べてくれて、そのまま勧められたのが、この天重だった。
「ここの蕎麦屋はね、蕎麦屋なんだけれど蕎麦よりも天ぷらが最高なんだ」と和かに神谷さんが言うので、その品書きに書かれた値段を見て少したじろいだのだが、聞くと二人ともに同じのを頼むと言うので、私もじゃあと乗っかった次第だった。
因みに私はまだ昼食は済ませていなかった。待ち合わせ時刻が一時だったし、自宅から四ツ谷駅までは約五十分少々かかると言うので、食べるのは中途半端だったのだ。
この事もそれとなしに打ち合わせ段階で言うと、「じゃあウチで食べていけば良いじゃない?」と房子が言うので、これにも当然遠慮をしたのだが、そこは強引に押し通されてしまったのだった。
さて、話を戻すと、実は出前の天重だけではなく、その他にも房子が作ったというお惣菜各種も乗っかっていた。
これも自分としては褒め言葉のつもりで言うのだが、どれも一般的かつ庶民的な品々で、きんぴらごぼう、切り干し大根、ひじき煮、カボチャ煮といった、定番中の定番の数々だった。
勿論、神谷さんが言っていた通り、蕎麦屋特有の出汁が良く効いたタレの掛かった天ぷらは、注文をされてから初めて揚げ始めるというので、どれもサクサクで、しかしたれの掛かった部分が湿っていたりして、その相反する同士が上手いことお互いを補う様にバランスを保ちあっているのか、食感としてもとても食べてて楽しく、それと同時に、房子さんが作ったというお惣菜も、しつこい様だがとても庶民的な、家庭的な味をしており、恐らく神谷さんに合わせているのだろう、少し塩分が控えめなのにも気付いて、そんな点からしても”家庭的”だと思った。
そんなそれぞれの感想を、実際に二人に伝えると、神谷さんが明るく笑う中、「そんな大した物じゃないよ?こんなのー」と房子さんが照れをごまかして笑うのを見て、私も微笑むのだった。
その後は食事しながら歓談をしたのだが、この時向かいに座る食事中の神谷さんを見て、個人的にホッとしていた。
というのも、七十代後半の老人が平均してどの程度の食欲があるものかは私は知らないが、それはともかくとしても、体を患っている神谷さんの様な老人は、イメージとして食が細くなるものだろうと思っていたのに、神谷さんは見た目的には頬が痩せこけてしまっている様に見受けられたが、しかし食欲の方はというと、今現時点の昼食一回しか見ていないから断定は出来ないにしても、テンポは遅くとも止め処なく次から次へと食材を口の中に入れていく姿を見て、

そういえば数奇屋でもマスターが作る食事をバクバク食べてたなぁ…

などというのを思い出しながら、これは不敬だとは自覚しつつも、ホッとしたのと同時に、何だか微笑ましく感じてしまって、一人ほんのりと微笑を浮かべて食事を楽しんでいた。
と、ここにきてようやく落ち着いて室内を見渡せた私は、ちょうど自分の真後ろに、今いる和室には個人的には絶妙なアンバランスに見えるアップライトピアノが置かれているのに気付いた。
私が早速それに触れると、「あはは、とうとう見つけたね?」と言う神谷さんに対して、「うふふ、あんな”デン”と置かれているんだもの。気づかないわけないでしょ?お父さん」と房子が突っ込んでいた。
そんな親子のやりとりを微笑ましげに眺めていた私が、「先生”も”ピアノを弾かれるんですか?」と聞くと、一瞬は何を聞かれたのか分からない様子を見せていたが、すぐにクスッと小さく笑うと、「…あ、そうかそうか。君は言うまでもないけれど、義一くんもピアノ弾けるんだものね?」と答えた後で、視線を私の横にズラして続けて言った。
「私じゃなくてね、ここにいる房子が昔に弾いていたんだよ」
「へぇー」と私が横を見ると、「昔って、大昔の頃よ?」と房子は照れ隠しに苦笑いを浮かべていた。
「私が小学生くらいの時にピアノを習っていた…って、それだけのこと。…ふふ、コンクールの全国大会に出て賞を獲っちゃう様な、そんなあなたの前では弾けるだなんて口が裂けても言えないわ」
と皮肉混じりではなく素直に悪戯っぽく言うのを受けて、本来なら照れてしまうところを、この時は何故か「いえ、そんな事は」と短くだが返すことが出来た。
それから会話は、すっかり去年私が出場したコンクールの話になった。
この話は方々でしていたので、個人的にはもう飽きているのだろうと客観視していたのだが、意外や意外…いや、意外でもないか、今年の一月に神谷さんが数奇屋を訪れた時にも、軽くでもコンクールの話はしたのだが、考えてみればこうして腰を落ち着けて神谷さんと、しかも応援してくれていた神谷さん相手と話したことは無かったのにもこの時気付いて、私としては新鮮な心持ちで会話を楽しむことが出来た。
勿論これは、房子という新たな要素が加わっていた事も大きいだろう。房子は興味津々の子供といった調子で質問をしてくるので、それに対して答えているうちに、恥ずかしながら芸談みたいなのまで披露する形となってしまい、これは後日で思い出すたびに顔を顰めてしまう事になるのだが、しかしこれはあくまで主観的な感想を述べれば、そんな私の芸談を、神谷さんも房子さんも益々の好奇に満ちた表情を浮かべつつ楽しく面白がってくれながら聞き入ってくれて、実際に感想もその様な言葉をくれたのだった。

さて、会話が盛り上がる中で食事も終わり、私なりに片付けを手伝うのに名乗りを上げて、お礼を言われながら房子さんと並んで空き容器となったお重を洗い、房子さんに言われるままに洗ったお重を玄関外すぐそこに置いて戻ってくると、ちょうど房子さんが新しいお茶を出してくれているところだった。
それに対してまたお礼を言うと、「いーえー」と笑顔で返された後は、また三人で雑談に花を咲かせた。
尤も、やはりというか話は私に関することに終始した。
まず平日だというのに休みをとれてるというので期末試験の話に始まり、その繋がりで学園でどう普段過ごしているかという話、そのまま具体的なところで修学旅行の話になった。
「あ、そういえばお土産ありがとうね?」
と神谷が思い出した後で言うと、「美味しかったよ」と房子も笑顔で続くので、「それはよかったです」と私も返した。
神谷さんへのお土産というのは、もう幾つ目かと突っ込まれそうだが、もみじまんじゅうだった。
予め義一に、主に絵里のマンションが集合場所となっている”ladies day”の美保子達は私自身が把握してるので良いにしても、それ以外のオーソドックスの面々にもお土産を買って行きたいと相談をしたところ、「自分は毎週土曜日に数奇屋に行ってるし、その時にでもついでに君からという事で、代わりに持って行ってあげるから、それくらいなら生モノでもある程度は大丈夫だと思うよ」と言ってくれたので、数奇屋で皆で食べられる様に、箱を幾つか買っておいていたのだった。
その場にいたらしい小説家の勲さんなり、今度の百合子、有希が主演を張る劇の脚本が煮詰まっているところのマサさん、ついでに聡おじさんも食べてくれた様だが、どうやら神谷さんも同席していた様で、神谷さんを迎えにきた房子も食べれたと、まぁそんな話の様だった。
それからは今度は私の修学旅行の話が中心となり、いわゆる平和学習が退屈でつまらなく、よほど義一と過去に『平和』についてした議論の方が学べることが多く楽しかったかなどに始まり、これには神谷さんは初めのうちは微妙そうな表情を浮かべていたが、すぐに明るく笑みを返してくれて、房子はというと、やはり微妙そうな笑みを浮かべていたが、「そんなところもやっぱり、義一さんとそっくりなのねぇ」と目を細めつつだが、口元はニヤケながら言ってくれた。
そのまま呉観光、レストランでのマナー講座を受けたという話をすると、やはりというのか、「やっぱりお嬢様学校は違うわねぇ。マナーを修学旅行で学ぶなんて」と言われてしまった。
それにアレコレと訂正なり入れつつ、矢継ぎ早に飛んでくる質問をさばいていると、「そういえば、こないだはマスターがフレンチを久しぶりに作ってくれたんだってね?私もたまには食べたかったなぁ」と神谷さんがシミジミ言うので、「…ふふ、でもオーソドックスの皆さんは、基本的にお酒が飲みたい人ばかりなので、こちらに出す気があっても、食事メインなモノは出し辛いんですよって、これはママが言ってましたよ?」と私が悪戯っぽく返すと、「あはは、それは違いないわねぇ」と房子が笑う中、「あはは、それもそうだねぇ」と神谷さんも一緒になって笑うのだった。

そんなこんなで私の修学旅行の話もひと段落がついた頃、お茶のお代わりを入れてくれた後で、「よっこいしょっと…」という掛け声とともに房子は立ち上がった。
「じゃあ私は、お買い物をするので席を外すけど…ふふ、琴音ちゃん、その間はすまないけれど、お父さんのお相手をお願いね?」
と笑顔で言われたので、「あ、いや、そんな…」と一瞬恐縮してしまった私だったが、別に恐縮するほどでも無かったかとすぐに思い直して、「はい」と微笑みながら答えて顔を向けると、神谷さんも微笑みをこちらに向けてきてくれていた。

「じゃあよろしくねー?」
と房子が手に財布を持つと、言い置いて居間を出て行き、暫くすると玄関がバタンと閉まる音が聞こえた。
その玄関の方を何となく眺めていたのだが、少しして顔を前に戻すと、正面に座る神谷さんは目を瞑りつつお茶を啜っていたので、取り敢えず自分も倣ってお茶を啜った。
しかし、啜り終えても、今思えばどっちから切り出せば良いのかお互いに迷っていたのだろうが、それから一分足らずの事ではあっても、それ以上に感じられる程に間が空いたのだが、ここが人間が出来ていないところで、沈黙に耐えられなくなった私から、話を切り出すことにした。
「…そういえば、一昨日は宝箱に来られていましたけれど…」
「宝箱…あ、あぁー、ふふ、うん、そうだね」
と神谷は咄嗟には分からなかったらしいが、それなりに早く思い出して返した。
私はその反応に一度ニコッと微笑んでから続けて聞いた。
「その後に用事があったとの事でしたが、その後で総理大臣に会うって事だったんですね。義一さんから聞きました」
と私が言うと、「ふふ、まぁねぇ…」と神谷さんは何だか居心地が悪そうに笑った。
「まぁ、勉強会って名義だけれど、ただ私が普段喋っていることを、講演と称して一時間ばかり一方的に話した後で、後は質疑応答をこれまた一時間ばかり過ごしたんだけれど…」

…ふふ、患っているこのお歳で一時間も一人で講演が出来るなんて、それだけでも凄いし…ふふ、義一さん達じゃないけれど、やっぱり”引退”なんか出来ないのねぇ…

と思わずクスッと笑みを溢してしまったが、それには気にしない様子で神谷さんは続けた。
「その後でまぁ、岸部さんに誘われて、その場に一緒にいた安田くんとも一緒に、勉強会をした会場の議員会館から程近いね、彼らが良く連れて行ってくれる料亭に入って、そこで食事をして帰ってきたんだよ」
「そうだったんですね」
と私は合いの手を入れたのだが、ふとここでまた神谷さんが何か思い出した表情を見せたかと思うと、直後には好々爺よろしく笑みを浮かべつつ口を開いた。
「そういえば、その時が最初だったけれど…ふふ、安田くんから聞いたよ?琴音ちゃん…君はピアノだけではなく、小説や詩まで書いてるんだってね?」
「…へ?」
と思わぬ言葉に、思わず私は気の抜ける様な声を漏らしてしまった。がその後は座ったままのもあって、上体だけ落ち着きなく忙しなく動かしながら何か言い訳をしようとしたが、それはままならず、結局は何も返せず終いに終わったが、そんな私の様子を微笑ましげに眺めていた神谷さんは、また無邪気な笑みを浮かべつつ言った。
「あはは、まぁまぁ。取り敢えずね、昨日は義一くんからも連絡を貰って、君から許可を貰ったというので、他の皆だけではなく、私も君の作品群を読むのを楽しみにしているから、是非に読ませてね?」
そう言われてしまったら仕方ないと、随分一昨日の今日で話が通るのが早いなと、義一に対して呆れるというか何というか、そんな感想を覚えつつも、苦笑混じりに答えるのだった。


また神谷から快活な笑い声を貰ったが、また徐々に気恥ずかしくなってきた私は、またしても無理やり話を別方向へ持っていくことにした。
「わ、私の事なんかよりもですね…んー…これをいきなり聞くのも何かなとは思うのですけれど…」
「…ふふ、そんな前置きを置かれると、私としても緊張しちゃうね」
と神谷が合いの手を入れてくれた。
私は続ける
「漠然とした風にしか聞けないのですが…神谷先生の、これまでの先生の話をもっと聞きたいです」
「…え?私の…話?」
と自分の顔を指差して神谷が聞き返すと、私はコクッと一度頷いてから返した。
「はい。勿論、過去には義一さんから、それにラジオのオーソドックスにゲストに出られていた時や、こないだのテレビの方でも佐々木先生と共にチラッと話されていたのは聞いたんですけれど、せっかくの機会ですし、その…直接お話を聞きたいなと思ったんです」
と、心中は心臓がバクバクものだったが、しかし何とか視線を逸さずに最後まで言うことが出来た。
それが功を奏したのかどうかは知らないが、「んー…」と神谷は初めのうちは渋く笑いつつ唸って見せていたが、
「私なんかの老いぼれの話なんか、面白くないとは思うけれどもねぇ…」
と自嘲な笑みを浮かべつつも、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「そうだねぇ…何から話そうか。大学…うん、私はまずね、駒場に入ったんだけれど、ちょうど学生運動華やかなりし時というか、妙にざわついていてね、それで…ふふ、私も十代だったし、終戦直後が小学校入学年だったんだけれど、物心がついた頃に、それまで戦争に賛成していた大人達が、何の説明や言い訳すらしないで、急に戦前戦中の日本を批判し出したりしてねぇ…ふふ、右翼の連中は、それはGHQがどうのと言い出すのだろうが、実体験をしている私からすると、GHQの息なんぞかかり用がない一般人レベルですら、それまで敵国だったアメリカに対して急に好意を向ける様になって、これは事実で証拠も残っているのだが、中にはマッカーサーに日本中の女どもからラブレターが届けられるという、そんな出来事もあったんだよ。
そんな大人達の態度の変質を見てね、子供ながらに、
『こんな大人達なんかの言うことなんか聞いてやるものか』『こんな大人になんかなってやるものか』ってずっとね、小学校、中学、高校とずっと思い続けていたんだ」
「なるほど…」
と、この話を聞いて私は、小学生の頃に、何で義一が読書にのめり込んでいったのか、数ある理由のうちの一つである、『周りの大人達の言葉が、言ってる本人と乖離している故に薄っぺらく感じ、それから逃れるために文学を含む本へと向かった』といった様な話をしてくれたのを思い出していた。
「それで、溜まりに溜まった鬱憤を発散させたい場が欲しかったところで、出て来たのが六〇年安保だったんだ。そこで大きく暴れたかった私はね、口八丁手八丁、あれやこれやと画策して駒場の指導的な立場にまで登ってね、それで…ふふ、国会議事堂とかをちょっと壊したりしちゃったんだけれど…」
「…ふふ」
と、その行為が何だか、小さな子供が小さな悪戯をしちゃったかの如くに可愛らしく言うもので、ついつい私も笑みを溢してしまった。

…ここまで語られた神谷さんの前半生は、以前にも雑誌の中で語られた部分だったので、読んでいた私個人は既に知っていたのだが、しかし直接話を聞いて、その時の学生運動の指導的立場である幹部だった当人が、当時の自分の行動を、”色んな意味で”右も左も分からない一若者の若気の至り話を恥じらいをもって話しているのを受けて、私はこれが”真っ当”だと思ったのと同時に、ふと、神谷さんと同世代が出席する”表社交”と最近では私の中で勝手に呼んでいる、お父さん達の社交の場での事を思い返していた。
たまたまというか席順的に、私とお父さんの周囲には七十代の年寄りが固まっていたのだが、遠くにいる若い医師達だけではなく、様々な業種の若者グループを見ながら、ふと、「最近の若い者は、ガッツがなくていかんねぇ」などという、まぁ年寄りにありがちな愚痴を漏らし合っていたのだ。
この時私は、”裏社交”の場である数奇屋にて、オーソドックスの面々が目の前で繰り広げてくれた議論を思い出し、その在り来りな非生産的な年寄り達の小言に、ついつい突っ込もうかと思ったのだが、その場はお父さんの目もあったし、「君は、今時の社会に出た若者とは別に、しっかりと勉強をして、やる気、ガッツに満ち溢れた青年になっておくれよ?」と偉そう宣う年寄り達に、愛想笑いを浮かべることが出来た。
だが、前にも宣言というかチラッと触れたが、今となっては何で私がそこまで彼らに対して気を使わなくてはいけないのかという気になっていたのもあり、今後その様なクダラナイ会話を目の前でされたら、今度は黙っていられるのか、その自信は無い。

…っと、それはさておいて、とまぁそんな感想を覚えつつ、そんな私の反応に照れ笑いを浮かべながら神谷さんは話を続けた。
「それでまぁ話を端折ると、若気の至りとはいえ、社会に迷惑をかけるほどの単純な暴走をしてしまったというので、私は捕まって裁判にかけられたんだけれど、どういうわけか、何を裁判長が勘違いしたのか、結局は実刑を言い渡さずに、執行猶予を付けるのみで社会に戻されてしまったんだ。
てっきり実刑を食らうと思っていた私は、ある意味どうしようかと途方に暮れていると、駒場時代の友人が、
『駒場の大学院に空きが出来てるから、お前なら論文を書けば採用されるかも知れないし、暇ならちょっと試しにやってみろよ?』
って言うもんだからね、確かに暇していたから、論文を書いて提出してみたんだ。そしたらねぇ…ふふ、これがまた何を間違えて評価しちゃったのか、何と採用されてね?それがまた当時…というか、今だに戦後日本で最大と称されている、とある経済学者の目に留まったのが”運の尽き”で、そこから私の経済学者としての道が始まったんだ」
「ふふ、なるほど…そこからなんですね」
「あはは、そう。でもね…まぁ給料も出るし、研究室に入ったのは良いんだけれど、毎日出てくるクラダナイ統計資料を集めてね、単純な数学の計算ばかりしていたんだけれど…もうね、ほとほと嫌になっていったんだ。
何故かというとね、確かに計算をしていって、その計算自体は正しいはずなんだけれども、いくら計算しても自分が生きている実際の世の中の実態とかけ離れている様に感じたからなんだ。『自分は世の中の経済システムの計算をしているはずなのに、実際と少なくとも微妙にずれている様に感じる…。自分は本当は、一体今まで何を計算してきたのだろう?…というより、そもそも、そんな疑問を持たない身の回りの他の学者連中というのは、一体何なんだろう…?』ってな感じで、経済学それ自体にもそうだったけれど、徐々にそんな風に不感症な他の経済学者達にも嫌気がさしてきていたんだ」
「なるほど…」
「ふふ、そうは言っても、一応は論文もちょこまか書いていてね?その中の一つを、僕を研究室に採用した例の先生がまた評価しちゃってね、とうとうその大学の准教授になってしまって、ゼミまで持つ様になったんだ」
「…あ、なるほど。で、そこで入ってきた第一期生の一人が、佐々木先生だったってわけですね?」
「あはは、そうそう。…あ、そっか、佐々木くんとも、とうとう会ったんだもんねぇ…。
ふふ、あ、でね、それでまぁ後はつまらない話だから益々端折ると、途中で別の大学の准教授になったりしたけれど、また駒場に戻ってきて暫くして、私は逮捕歴がある人間だというのに、恥ずかしながらとうとう教授にまでなってしまってね…でもまぁ、恥ずかしかったけれど、家族も出来ていたし、お金を稼がなくちゃいけなかったから嫌々でも大学に通っていたんだけれど、大学内で人事に関する問題が一つ上がってね、これもあちこちで言ってるし詳しくは触れないけれど、そろそろ一人娘だった房子が大学を出て就職する頃だったというのもあってね、良いタイミングかなぁ…って、一応妻に相談したんだ。
『前から大学を辞めたいって言ってきたんだが…これをチャンスと、辞めても良いかな?房子も社会人になることだし』」
「…ふふ、そしたら奥様はなんておっしゃったんですか?」
と、この話も実は知っていたのだが、しかし私の好きな神谷さんのエピソードだったので、直に聞きたかったのだ。
神谷さんも無邪気に笑いながら続ける。
「ふふ、そしたら妻へね…ため息混じりではあったけれど、呆れつつも笑いながら言ってくれたよ。『あなたなら、そう言い出すものだと思っていましたよ』とね」
「ふふふ」
「ふふ。だからまぁ、妻が同意してくれて、また房子もね、妻以上に呆れていたけれど…ふふ、でも私の性格を熟知してくれていたのもあって結局は同意というか賛成してくれたんだ。
さて、後はどうやってこの話を自分に関連付けて辞めようかって作戦を練り始めたんだけれどもね…駒場の中でも私みたいな変人…ふふ、一応は教養学部の教授という肩書だったんだけれど、内容としては経済学を教えつつ、教授になった頃辺りから、自分なりに強く決心をして保守思想とは何かを探究し始めて、その中身を教えているという自分みたいな変わり種を、何だか妙にこれまた熱心に評価してくれていた同僚が数少ないとはいえいてね?私が大学を辞めたいって言うと、その度に辞めるなって必死に引き止めるんだ。その気持ちには驚くと同時に嬉しかったけれど、でももう決めちゃっていたし、辞めるよと言うとね?これからどうして生きていくんだ?って聞くものだから、何も考えていないと答えると、その友人…うん、友人達が呆れ顔でね、やれやれと首を振っていたんだけれど、その中の一人がね、当時よくテレビに出ていてね、テレビ局と繋がりがあったというので、だったら評論家としてこれからはテレビなり雑誌新聞とかのマスメディアに出たり書いたりしたら良いじゃないかって提案してくれたんだ」
「あー、そういう経緯が」
「ふふ、そう。まぁ…ねぇ…ふふ、佐々木くんとかと同じでね、こう見えて本当は目立ちたがりじゃなくて、本来は一番後ろの方からついて行くのが好きというか、楽だと思う性格をしているからね」
「…ふふふ」
「あ、その笑いは信用していないな?…あはは。だからまぁ、その提案を受けた時は最初は嫌だと断ったんだけれど、じゃあテレビはいいから本を書く事だけでもしろよって言われてね、じゃあそれならってそれで大学を辞めて、本を書いて出版をして、勿論売れるわけがないから細々と書き暮らしていたんだが、ふとそんなある日に、急にテレビ局から電話がかかってきてね?それで出たのが…例の夜中中放送している生の討論番組だったんだ」
「あー」

…ふふ、ここで神谷さん”にも”悪いが、急に話を省略させて頂こう。
というのも、ここから先は、以前にも話の中で触れてきた事そのままだったからだ。
まぁそれでも私なりに要約をすれば、その放送によって顔が知られる様になったが、やはりそのテレビ番組に出るのも、討論の相手ときちんとした腰を落ち着けた討論が出来ないというので、その無意味さに嫌になってしまい番組を自主的に辞めたのだが、その番組を見ていたという大学生時代の後輩だった、全国展開しているビジネスホテルグループの創業者である西川に声をかけられ、そのまま誘われ促されるままに、真正保守を旗印に雑誌オーソドックスを創刊する事となり、そして現在に至る…といった話だった。

「なるほど…ふふ、お話ありがとうございました」
と私がお礼を言うと、「いやいや、こちらこそ。お年寄りの思い出話なんかを、そこまで興味を持って聞いてくれてありがとうね?」と神谷が返してきたので、何か上手い返しでもしようと思いを巡らせたのだが、これといった適切な言葉が浮かばずに、ただ笑みを浮かべるのみに徹すると、それを汲み取ってくれたらしい神谷も一緒になって微笑み返してくれた。

話はここで一旦インターバルに入ったというか、雑談風な会話となっていった。
「…さっき、房子さんの運転でこちらまで来ましたけれど、途中に大きな公園があったり、川も側を流れていたりと、長閑で良い環境ですよね」
と、日差しの差し込んでくる大きな窓に時折視線を流しつつ口にすると、「あはは、そうでしょう?」と神谷さんも合わせるように、チラッと庭の方の眺めつつ言った。
「私もね、ここを見つけた時に、『やった』と思ったよ。んー…そもそも私はね、駒場で准教授になった頃から、大学の近所に居を構えていたんだけれども、学生街だし賑やかでもあって、安い居酒屋なんかも乱立していたから、若い頃…といっても三十代、四十代までは、そんな空間が楽しくはあったんだけれどね、いざ大学を辞めるという事になった時に、別に大学の近所に住む理由も無くなった瞬間、何だか…ふふ、その賑やかさというのか、繁華している空間に嫌悪感というと大袈裟かも知れないが、近い感覚を覚えてしまってね、何だか緑というか、自然を少しでも感じられる場所に引っ越したいなって思い始めた頃に、先ほど触れた西川と再会して、何処そこに時代の流れに見捨てられたトマソンみたいな建物を見つけてるって話を聞いてね、そこを雑誌オーソドックスの本拠地というか、集まりの場というか、溜まり場にしようって話が進んだその頃、ふと周辺を歩いていたら…うん、今君が言ったように、近くに川が流れているのに気付いたんだ」
「…」
と私はただ相槌代わりに頷きつつ、数奇屋の周辺を思い出していた。
いつも帰りは真っ暗なのではっきりとは見えないが、行きの夕暮れ時の数奇屋周辺に入る一歩手前の幹線道路の先に、今日チラッと見かけたのと同じ川が流れているのが見えていたのを思い出していた。
「でね、まぁ…ふふ、数奇屋には集まるだけで、簡単に行っちゃえば立地はどうでも良いくらいに思っていたんだけれど、でも、そうは言っても立地が良いなと思ったのと同時にね、どうせ引っ越すなら、これから一応ここ数奇屋を活動拠点に、雑誌オーソドックスを発刊していくのだから、だったら今度は大学側から、数奇屋近辺に居を構えるのが筋だろうって思って、それで周辺を探していたら…」
と神谷さんは、室内をぐるっと見渡しつつ言った。
「数奇屋から車で十分ほど行った所に、今君が触れた川沿いの大きな公園を見つけてね?それでもって狭い一方通行を歩いて行ったら、これまた打ち捨てられたような民家が一軒建っていてさ。…それがここなんだけれど」
「へぇ…」
と私も室内を見渡しつつ声を漏らす中、神谷さんは続けた。
「ふふ、当然リフォームしたから、今では見た目から何から見つけた当時とは外観は違うけれど、でも何だかピンと来たものがあってね、それで早速この家を購入した…ってまぁ、そんなわけなんだ」
「へぇー、そうだったんですね」
と、確かに単純計算で二十年は少なくとも建っている雰囲気は外観からしても内観からしても感じたが、初めて見た当初から打ち捨てられていた様だと表現した割には綺麗だと思っていたので、今理由を聞き改めて納得しつつ室内を眺めていると、神谷さんはそんな私を和かに眺めていたのだが、そんな時、微笑んではいたが、どこか暗い影が若干差しているような、そんな表情を浮かべつつ口を開いた。
「んー…ちょっと房子の話になるけれど」
と神谷がそんな様子で口を開くので、室内から神谷さんへと顔を戻して、私はまた”話を聞くモード”に戻った。
「…ふふ、今は房子がいないから話せるけれど、アレは二十代の頃は出版社に勤めていたんだが、私が大学を辞めてから評論家をし始めたら、勿論それまでも、それからも色んな人に助けて貰ったりはしていたんだけれど、私個人のスケジュールなんかは自分でしなくちゃいけないでしょう?でもね…ふふ、急にこんなに忙しくなった事が今まで無かったものだから、その調整に四苦八苦していたんだけれど…」
「…」
と、急に何の話が始まったのかと当初は思ったが、しかし房子の話だと聞いた直後には、私の中にまた新たな好奇心が湧き上がったのを覚えつつ、集中して耳を傾けた。
「そんな私のアタフタしている様子を、社会人になっていた房子は焦ったくそれを見ていた…て、ふふ、本人は言っていたんだ。
でもそれは口に出さずにいてくれたようなんだけれど、それがとうとう準レギュラーだった討論番組も辞めることになって、その代わりに西川に誘われて、雑誌オーソドックスを刊行し始めたら、必要だと言うので私は事務所を構えたんだけれど、今までに加えて事務所の管理なり、また西川の所のホテルがスポンサーになってくれてたけれど、もう少し付いてくれないと、んー…ふふ、下世話な話をすれば、原稿料も払えなくなるんじゃないかって危惧を覚えてね、スポンサー探しまで始めたら、とうとうパンクして…いた様に見えたらしく、もう見てらんないって事で、それで突然…ふふ、
『事務所の事務処理を自分にやらせてくれないか?任せてくれないか?』
って言ってきてさ…私は当然、こんないつまで続くか分からない雑誌の事務仕事なんかしないでくれと断ったんだけれど…ふふ、本当に何処の誰に似たんだか、
『そんな事を言われても、もう遅いよ。だって…会社をもう辞めちゃってるから』
って言われちゃってねぇ」
「え?」
「ふふ、私も当然今の君みたいに唖然としたんだけれど、それからまた何度か押し問答を繰り返してからね、もう…じゃあしょうがないと、それ以来二十年くらいにわたって私のマネージャーだとか事務所の事務処理をずっとしてきてくれているんだよ」
口調こそボヤキ調だが、しかし内心の嬉しい感情が滲み出るのを隠し通せていなかった。
「今もこうして、妻が亡くなった…のも義一くんから知らされちゃってるんだよね?ふふ、仕方ないなぁ…あはは、それからと言うもののね、今度はこの年寄独り身には大きすぎるこの家に住んでくれてね、アレコレと世話を焼いてくれてるんだ。本当に…ふふ、我が娘ながらよく出来た娘だよ」
とまた神谷さんが窓の外に視線を飛ばしたので、私も合わせつつ、

房子さんは…結婚しなかったのかな?家庭とか

と余計なお世話な考えが咄嗟に頭をよぎったが、流石の私でもこれを聞くのは失礼だとわかっていたので口にはしなかった。
が、神谷さんはその気があったわけでもないだろうけど、話の自然な流れとでもいう風に、自分から続けて言った。
「ふふ、ただまぁ…一つ心残りというかね、房子は本当に良くしてきてくれているんだが、その私の世話なり仕事を手伝ってくれていたせいで、その…ふふ、家庭を持つことが出来なかったんじゃないかってふと思うことがあるんだ」
「あ…」
とまさに思っていた事だったので声を漏らしてしまったが、これには特に引っ掛からなかったらしく、神谷さんは話を続けた。
「…いや勿論、今は晩婚というか、房子も来年で五十になろうかって年齢だけれど、それでも今の歳で結婚してもおかしくは無いのだろうが、それでも現時点では、まだそんな気配は一切ないしね…。
…ふふ、一度ね、この手の話を振ってみたことがあるんだけれど、そしたら怒られたんだよ。”自意識過剰”だって」
「自意識…過剰?」
「ふふ、そう。
『私は別に、お父さんの手伝いは自分から好き好んで進んでしてるだけだし、別にお父さんの犠牲になってる気も、犠牲になんかなってやるもんかって気すらあるっていうのに、仕事を手伝っているからって、そんなのは何の障害にもなりはしないから!』
ってね?喧嘩腰に捲し立てられてしまったんだ」
という神谷さんの表情がとても愉快げだったので、私も思わず笑ってしまった。
「だからね、今も雑誌を義一くんに受け継いで暇になった私の身の回りの世話を房子はしてくれているけれど、私個人としては、やはり自分が障害になってやしないかって思ってしまうのだが、また多分あの時の様に怒られるだろうって想像がつくから、言わないことにしてるんだよ」
と言い終えた神谷が、再度また大きな窓の外に不意に視線を流したので、私も何も言わずにそのまま同じ様に窓の外を眺めるのだった。


どれくらい二人してそうしていたのか分からないが、不意に目に入った神谷の湯呑みが空になっているのに気付いた。
「…あれ?先生、空になっていますけれど…
お茶どうします?」
「え?あ、あぁ…」
と神谷さんが自分の湯呑みの中身を覗き込みながら声を漏らしたが、しかしそれから何か行動をする気配も見られなかったので、私はふとキッチンの方に視線を向けると、普段はあそこが食卓なのだろう、そのテーブルの上に急須とお茶っ葉が入っていそうな缶が置かれているのに気付いた。
「…良ければ先生…」
と顔を戻しつつ口を開いた。
「私が代わりにお茶をお入れしましょう…か?」
「え?」
と神谷がキョトン顔で返してきたが、私は少し照れ隠しに苦笑を浮かべつつ続けて言った。
「い、いえ、その…ふふ、厚かましい様ですが、私もお代わりが欲しいですし、その…勝手に使ったら、房子さんに怒られますかね?」
と私が聞くと。「い、いやぁ…怒られる事は無いだろうけれど」と神谷も内心は違うだろうが同じ様に苦笑いを浮かべつつ返すと、「じゃ、じゃあ…」と神谷さんは申し訳なさげに湯呑みをこちらに差し出した。
「すまないけれど…頼めるかね?」
と言うので、「えぇ、勿論です」と私は自然な笑みを浮かべつつ受け取ると、「では、少し待っていてくださいね?」と言い置くと、返事を待たずにスクッと立ち上がり、そのまま一直線に食卓へと向かった。
まずポットの中身を確認し、まだ十分お湯が入っているのを確認してから、急須の中に入っていた茶葉のクズを流しの三角コーナーに水を使いつつ流し終えると、まず一旦急須と湯呑みに熱湯を入れて温めた。
そして急須の中のお湯だけ捨てて、代わりに茶葉を適量入れると、二つの湯呑みからお湯をその中に投入した。
そしてじっと、今に始まった事ではないが、視界の隅に興味津々とこちらを眺めてくる神谷さんの視線を感じながら一分ほど蒸らすと、急須から濃さが同じになる様に二つの茶碗に交互に入れ終えると、それを持って戻った。

「お待たせしました」と言いながら前に置くと、「ふふ、ありがとう」と神谷さんはお礼を言って、早速湯呑みを手に持った。
「いえいえ」と私も腰を下ろしつつ応える。
「ではいただきます。…」
と神谷さんが目を瞑りつつ飲み始めたのを確認してから私も口を付けたのだが、「…ふぅ」と一息ついてから湯呑みを置いたかと思うと、神谷さんが微笑みながら口を開いた。
「…ふふ、いやぁー、遠目でだったけれど、随分と凝った様子でお茶を淹れてくれてるから、どんなんだろうと思って今飲んで見たら…ふふ、同じ茶葉でも違うものだねぇ」
「…あ」
と、この時私は、恐らく神谷さんはそんなつもりはなかっただろうが、変に他所様の台所を使って、変に仰々しくし過ぎたかと反省し始めてしまった。
この急須のお茶の入れ方というのは、勿論というかこれもお母さんに教わった方法だった。
お母さんは毎回毎食後にはこうして、紅茶ではなく緑茶の場合では、いちいちこの様な順序を踏んでお茶を入れてくれていたので、これが普通だとばかりに思っていたのだが、今神谷さんが言った通りに、確かに同じ茶葉だというのに、どちらが上とか下とかは言わないでおくにしても、味が違うのだけは間違いがなく、繰り返せば、余計な事をして出しゃばってしまい、これこそが房子への失礼じゃないかと思ってしまったのだ。
だが、この事に関しては、義一と同じく何かと察しの良い神谷さんですら、そんな気まずさを覚えているのを見て取られなかった様で、呑気というと失礼だが、「今度房子にも、今してくれたお茶の入れ方を教えてやってくれないか?」などと言われてしまい、「あはは…はい、房子さんさえよろしければ…」とただただ、渋い笑顔を浮かべる他に無いのだった。

「しっかし…」
と、お茶をもう一口啜ってから神谷さんは言った。
「君の場合は緑茶だったけれど、義一くんも本当に紅茶を淹れるのが上手だよねぇ…君も、義一くんに教わったの?」
「あ、いえいえ」
と私は顔を何度か小さく左右に振ってから答えた。
「確かに義一さんの紅茶は美味しいですけれど、私が教わったのは義一さんじゃなくてですね…おかあ…母から何です」
と、別に”お母さん”でも良いとは思うのだが、この時は不思議と”母”と呼んでしまった。
そんな私の行動に一度ニッコリと笑った神谷さんは、「そっか…ふふ、君のお母さんが教えてくれたんだね?」
と最後に悪戯小僧よろしく笑うので、「え、えぇ…ふふ、そうです。私のお母さんからなんです」と私も笑いながら返した。
そのまま続けて、義一から話を聞いてるか知らないが、実は我が望月家の伝統として、高校に入るくらいになると、何処か住まいを宛てがわれて一人暮らしをするというのがあり、これは義一も体験をしたらしいというのと、その為に中学生になったその年の夏休み、もしくは二学期の初めあたりから、徐々に一人暮らしに向けての、料理や洗濯掃除、その他諸々の家事全般を、お母さんから逐一習い続けている…という話をした。
「…あー、言ってたねぇ」
と神谷さんは、私が一人暮らしに向けて、お母さんという師匠について”修行中”だというのを、案の定というか義一から聞いていたらしく、この様な反応を返した。
「そういえば…」と神谷さんは、どこか遠くに視線を飛ばしつつ続けて言った。
「…ふふ、義一くんが高校生の時に、大学時代の最後の教え子だった聡くんに連れられて数奇屋に来ていたのは、君も知ってるよね?」
「はい、勿論」
と私が答えると、神谷さんは突然企み顔でニヤケながら続けて言った。
「…当時はまだ高校生になったばかりだと言うのにね?ここだけの話…ふふ、高校生の身でありながら、あまりにも当時から議論に熱中するあまりに、日付を跨いでもまだ数奇屋に居残るケースが多々…いや、全てと言って良いくらいだったんだ」
「へぇー」
と、実際私自身も、一度はそれくらいに長く数奇屋に留まってしまった事があったのは、過去に話した通りだが、それを毎回とは私の理解の範疇を超えていた。
「ふふ、帰る様に促さなかった私含む他の面々にも責任はあるから、当時の義一くんを責められはしないのだが…ふふ、ある意味”夜遊び”に明け暮れていたというので、世間的では無い新手の”不良少年”だったのだけれど…」
「…ふふ、確かに不良ですね」
と私もニヤケつつ合いの手を入れると、神谷さんもニヤケ面を保ちながら続けた。
「でね、ある時に今更というか『こんなに遅くまでここに居て、親御さんなりが心配しないのかね?』って聞いてみた事があったんだが、最初は何を聞かれているのか分かっていない様子だったけれど、すぐに答えてくれたんだよ。今君が話してくれた様にね」
「あー」
「それですぐに納得して…って、別に一人暮らしをしているからと言って、仮にも高校生が夜更まで家に帰らずにいるのが良いわけでは無いから、それからはせめて日付が変わる前には帰らせる様にしたんだけれども」
「ふふふ、そうだったんですね」
と、当時の義一の様子を、まだアルバムなどで見せて貰ったことが無かった…というか、この時点で初めて、普段は宝箱に行くなりすぐに議論なり会話を楽しんでしまっていたせいか、そこまで頭が回らなかったのだが、今になって気付きつつ、しかしそれでも、何となく今とさほど変わらないであろうなという、ただの想像だが何故か確信に近い思いを抱きつつ想像するのだった。
と、その時、「でもそっか…」と神谷さんがシミジミと口を開いた。
「高校生になったら、完全にではなくとも擬似的に一人暮らしをさせる…その訓練をさせる…うん、当事者の君や、それ以外の望月家の面々がどう思っているのかはともかく、外野の人間から見ると、何とも古風だけれど、でもとても良い習慣…うん、伝統だと思うな」
「…ふふ、伝統…で良いですよね?」
と私が生意気げな笑みを作りつつ合いの手を入れると、すぐに私が何を言いたいのかを察してくれた神谷さんは、「あはは、そうそう。そうだと思うよ?習慣ではなく、伝統だと思う」と、やはりこちらの意図がしっかり分かっている風の答えを返してくれた。
神谷さんはそのまま続ける。
「民間には室町以降らしいけれど、男で言えば奈良時代から”元服”、つまり数え年で十二歳から十六歳の男子が式において、氏神の社前で大人の服に改めて、子供の髪型から大人の髪に結い直すという儀式があったわけだけれど、確かに本来なら、高校生になったくらいには、勿論その頃までに大人になるための準備をしこたました上で、一人前かはともかくとしても自分たちと同じ一人の大人として扱うというのは、古来の日本の伝統から見ても正しいわけだしねぇ。…ふふ、そもそも高校は義務教育ではないし」
「ふふ、ですよね」
と私は笑みを続けつつ返したのだが、ふとここで神谷さんは、笑みは保ったままでも若干表情を曇らせつつ口を開いた。
「…うん、私としては、さっきも言った通り、君たち望月家の伝統は一つの例として尊重されるべきだと思うのだけれど…これとは別にして、その…君の前で言うのも何だが…君の家庭もややこしいね」
「あ…」
と、ここで神谷さんは多くを語らなかったが、すぐに何を言わんとしているのか察した私は、ただボソッと声を漏らすのみで、その後に言葉が続かなかった。

因みに神谷さんは、義一とお父さんとの仲というか間の距離感がどうなのかを既に知っている…らしい。
これも義一から聞いていた。
話を聞いた時は詳しくは聞かなかったが、今日こうして神谷さんから話を聞いたのを総合してみると、恐らく高校生だというのに遅い時間まで家の外に長居しても平気な理由とは何なのかを義一に聞いた時にでも、同時に聞いたのでは無いかと、私は勝手に推測している。

…っと、それはともかく、今触れた様に、神谷さんからの言葉に咄嗟に反応を返せなかったのだが、そんな私の態度のせいで変に気を使わせてしまうのは、全く私の求めるところでは無かったので、慌てて笑顔を作りつつ、声のトーンも少し冗談交じりに返すことにした。
「ま、まぁ…ややこしいというか、面倒なのはその通りですけれど…ふふ、もう慣れっこですから」
と、何とか予定通りに冗談交じりに返せたのだが、笑顔の方が上手くいかず、鏡を見ていないので確証は無いが、恐らく経験上、自嘲気味に諦観混じりな笑みを浮かべてしまった。
そんな私に、憐みというつもりは本人には無かっただろうが、「そう…かね?」と、表面上はそれと似通った雰囲気を神谷さんが顔に纏い始めたのを見て、この空気を何をおいても変えたいと思った私は無理やり話を義一へと向けた。

「さっき高校生の義一さんの話が出ましたけれど、義一さんとの初対面とかのお話とか聞かせてもらえませんか?」
と慌てるあまりに、後でみると随分と図々しい物言いとなってしまったが、そんな細かい事は気にならない様子で、神谷はそれまでの気まずげな表情を一新させると、自然体な笑みを浮かべつつ、まずは何かを思い出す様に視線を斜め上に向けていたが、徐々にそれを私に戻してくると、そのままゆっくりと口を開いた。
「んー…初対面の頃の事をと言われてもねぇ…ふふ、大分君にも話してしまってるだろうしなぁ…うん、さっきもチラッと言ったけれど、聡くんが義一くんを紹介してくれた訳だけれど、んー…」
と答えあぐねている神谷さんの様子に、助け舟というつもりは無かったが、少し質問を変えてみる事にした。
「えぇっと…ふふ、今この場に義一さんがいないから、ある意味で聞きやすいというか、その…それこそ何かにつけては、義一さんが神谷先生のことを”師匠”と私の前では呼んでいまして、勿論自分でも、実際に先生に直接の生徒では無かったけれどと、それは毎回付け足しながらも、最終的には”私淑”していると言ってるのをしょっちゅう聞いてきたんですが…」
『そう義一さんに思われている事を、勿論ご存知かと思うのですが、先生ご自身はどう思われていますか?』と、本心ではこのまま最後まで”聞き切って”しまいたかったのだが、個人的にはそれほど失礼な質問とも思わなかったし、これくらいなら良いかなという安易な気持ちで質問をしつつも、私の言葉を聞いていくうちに、神谷さんの顔に徐々に苦笑いが広がっていく様子が見て取れたあまりに、結局はこの様な中途半端な形で終わってしまった。
「ん、んー…」と神谷さんは、照れた時の癖である、頭を手で摩って見せると、その苦笑のまま、バツも悪そうに口を開いた。
「んー…ふふ、これまでは私の前では直接は言っていなかったけれど、裏では人伝にその様な事を言っているって話は聞いていたんだよ。…ふふ、義一くんが私のことを、その…私淑してくれているって事をね。
でもねぇ…いや、嬉しいことは嬉しいのだけれど…私なんかはそんな、彼くらいな人間から私淑される様な人間では無いのにって、聞くたびに不思議に思ってしまうんだ」
「…え?」
と疑問形で合いの手を入れると、神谷さんはここでようやくというか、表情に若干の愉快げな雰囲気を帯せつつ答えた。
「義一くんは最近というか、今年に入って表舞台に出る様になってから、どこの場に言っても、何かと私の話をしてくれるんだが…ふふ、その度に嬉しさ反面、何だか申し訳ない気持ちにもなってしまうんだよ。
一昨日義一くんのところ…そう、宝箱で少し君と会話した限りでは、君もどうやら私が佐々木くんと出演した放送回を見てくれたみたいだけれど、あそこからも分かるように、私はあまり…勉強というものをしてこなかったんだよ」
「あ、いや…そんな」
と私が何か気の利いた事を返そうとしたが、出来ずにいると、それを申し訳なさそうに笑いながら神谷が言った。
「あ、いや、んー…ふふ、勿論幾分かの謙遜はあるんだけれど、でも義一くんほどには学問の追求、研鑽には励んでこなかった…のは、それだけは胸を張って言えるんだよ。…胸を張って言うことでも無いけれどね?」
と神谷さんは悪戯っぽく笑ったので、ようやくいつもの調子に戻ったかと、聞いてるこちらからしてもホッと息がつける思いだった。
「義一くんの番組内で話したのは嘘でも何でもなくてね?大学に職を得てからは、暇があっても、すぐには勉強というか自分が何に興味があるのか知りつつも、重たい腰を上げれずに暇についつい甘えてしまって、それに飽きるまでグータラして無為な時間を過ごしてたもんだけれど…ふふ、義一くんときたら、ある時は学問に励むかと思えば、それにひと段落がついて暇になったら…これは私自身も見てはいるのだが、子供の頃の彼を知っている聡くんの話を聞いたら…ふふ、どうやらその頃から、端から見ていると単純にボーッとしている風にしか見えなかったらしいが、その暇の時間をひたすら黙考していたらしいんだね。
しかし実のところは、頭の中でドップリと思考の海に沈み込んで、あまりに多くの事柄を多角的、多面的に、手を替え品を替えながら様々な視点から考え込むあまりに、外見上は身じろぎせずにいるものだから、惚けているように見えてしまい、それが義一くんの父親以外からは『いつもボーッとしている怠惰な人間』という風に、レッテルを貼られていたという話を聞いていたんだよ」
「…あー」
と私は、自分が小学校二年生に上がる前の春休みに、義一とお父さんの父であるお爺ちゃんの七回忌の法要で会ったっきりだった聡と、中学一年の秋に土手でひょんな事から再会した訳だったが、お互いに予期せず再会したというので、その後で食事に誘われてのファミレスで、聡から今神谷さんが話してくれた様なエピソードを聞いていたのを思い出していた。
当時初めて聡からその話を聞いて、縁側でボーッと考えに耽る義一青年の様子がありありと想像出来たのと同時に、私が生まれる前か後かその前後に惜しくも亡くなってしまったお爺ちゃんが、幼い義一の身の回りでは唯一の理解者だと知って、その時に初めてお爺ちゃんに対して敬慕に近い念を覚えたのも同時に思い出したのだった。

「ふふ、だからね?」
といつの間にか顔には一杯に微笑を湛えながら神谷さんは続けて言った。
「今に限らず昔から私含む凡庸な人間というのは、ついつい目の前の誘惑に駆られてしまって、しなくちゃいけないと分かっていてもサボってしまうのが常だけれど…勿論本人としては異論というか、そこまででは無いと反論が返ってきそうだけれど、それでも私らと比べたら、比べ物にならないくらいに、特に現代の様に余計なモノが溢れかえって目移りしちゃうのが普通だと思うんだけれど、にも関わらず、それらには目をくれずに、自覚してるかどうかは別にして、夢中で一つのことに周りが見えなくなるくらいに集中して研鑽を積み、励めるというのが義一くん…うん、それに加えて琴音ちゃん、君たちが共通している稀有な長所だと私は思うんだ」
「わ、私も…ですか?」
と、先程の神谷さんの様に自分の顔を指差して思わず聞き返した直後、「いやいやいやいや!」とその手を今度は顔の前で慌てて左右に振りつつ返した。
「た、確かに義一さんは、今先生が言われた様な点があると思いますし同意しますけれど…私なんかはそんな…自分で言うのも何ですが、しょっちゅう集中力なんか切れちゃいますし、ん、んー…私なんて…」
と、何とか訂正を入れようと頑張ったが、結局はこんな具合に尻窄まりになってしまった。
と、最初のうちは私の言葉を静かな微笑みを浮かべつつ聞いていたというのに、最後が締まらなかったのを受けて、神谷さんはクスッと一度小さく微笑むと口を開いた。
「あはは、私が言った様に、やはりそうやって反論が返ってきてしまったかぁ…ふふ、にしても義一くんもそうだが、優しいからついついそうやって、遠慮してしまうのだろうなぁ」
とシミジミ言うのを聞いて、ただただ苦笑いを浮かべる事しか出来なかったが、この時不意に、これまで神谷さんの”義一評”をずっと聞いていたせいか、勿論結論自体を忘れた事は一度たりとも無くとも、久しぶりに義一と議論した内容を思い出して、思わずそのまま口走ってしまった。

「優しい…ですか…”優しい”って…何ですかね?」
「あはは、随分とこれまた急だね」
と、まぁ当然の反応だと思うが、しかし聞いた直後には呆気にとられた顔を見せていたというのに、今はすっかり知的好奇心に満ち満ちた表情を、神谷さんは浮かべていた。
本当は口に出してしまった瞬間、慌てて無かったことにしようと考えていたのだが、思っていたほどというより、むしろ神谷さんの方でノリノリな気配を察した私は、そのまま調子に乗って話を進める事にした。
「今ふとですね、私がまだ小学校五年生の頃に義一さんにした質問を思い出したんです。それが今してしまったのと同じで、”優しい”って何なのかって事だったんですが…」
それから私はつらつらと、今からもう四年ほど前になる議論の内容なのだが、今でも内容だけではなく議論を展開していた義一の様子まで克明に思い出せる程の鮮明な映像を思い出しながら話していった。

…ふふ、大人の感覚からすると、たかが四年と思われる方もおられるだろうが、私たちの年頃からすると大分昔という感覚なので、自画自賛になるが、我ながら事細やかに誤解なく当時の議論を再現する事が出来た。

内容としては、ここではおさらいの意味を含めて改めて触れると、まず義一は『優しい』という言葉を見た時に、”優”という漢字一字に注目をしたのだった。
一般的に世の中、世間的には『優しい人は強い』の様な言葉が巷間で共有されている価値観の一つだと思うが、義一はこれに、『優しいから強いのではなく、強くなければ優しくない…というよりも、他者より、相手よりも”優れていなければ”誰かに優しくなど出来ない』と反論した。
つまり、『優しい』の”優”の字が、そもそも『優れる』とも読める事から考えが発していたようで、よく混同されるというので『良い』という言葉を引き合いに出して、それからは『優しい人』と、『良い人』の違いという、別のアプローチからも議論を展開して、結論としては、『優しい人』というのは『優れている人』と本質的には同義ということと、『良い人』というのは、『(誰かにとって都合が)良い人』の単なる略語だと、そう二人の間で共有し、義一から『君なら優しい人と、良い人とだったら、どっちになりたい?』と質問をされて、困難なのは子供ながらに承知していたつもりだったが、それでも『優しい人』になりたいと、ある意味宣言というかそう誓ったのだった。
小学生当時の私も、そして中学も三年生になった今となっても、この義一の定義がしっくりくるあまりに、ずっと頭の中に刻み込まれていて、一応自分なりには宣言通りに『優しい人』になるべく日々を過ごしてきたつもりだし、それは今後も変わらず続けるつもりだ…といったような事まで含めて話し終えると、それまで穏やかな表情ではあったが、その二つの眼球には好奇心を燃料に燃える”灯火”のようなものが見えるかのようだったが、私の話が終わったと見ると、神谷さんは途端に朗らかな笑みを浮かべつつ口を開いた。
「…ふふ、あははは!いやぁー、流石義一くん、”理性の怪物”という二つ名に恥じない、理性的な”優しさ”への解釈だねぇ。…ふふ、義一くんらしくて良いと思うなぁ」
「…?先生は、以前に義一さんから、”優しさ”の定義は聞いていなかったんですか?」
何だか初耳かのような感想を言うので、その前に”理性の怪物”という、義一の大学時代のあだ名を聞いた時点で思わず笑みを零してしまっていたのだが、その笑みのまま聞くと、「ふふ、いや?」と神谷さんも無邪気な笑顔で返した。
「初めて聞かせてもらったよ。…ふふ、我々というか、それなりにこれまでも思想なり哲学なりと形而上の議論は繰り返ししててきたんだけれど…ふふ、あまりにも身近にあるせいか、”優しさ”については議論をした事が無くてねぇ…ふふ、盲点だったなぁ。…それを質問されて、すぐに答えられる義一くんも義一くんだが、その答えを引き出した質問をした琴音ちゃん…ふふ、君も大したものだねぇ」
「あ、そ、そんな…」
そう言う神谷さんの声のトーンが柔らかかったせいで、照れるあまりに少し俯いてしまったのだが、しかしせっかくなのでと、先程来ずっと起き上がってきている”何でちゃん”が、早く聞くようにと心をせっついてきていたところだったので、唆されるままに神谷さんの見解を聞く事にした。
「…で、先生は義一さんの定義をどう思われます?」
「え?どうって聞かれても…ふふ」
と神谷さんは一旦溜めて見せたが、すぐに顔つきも穏やかに答えた。
「私は今さっき聞いたばかりだから、不用意に返すのも義一くんや、それに賛同している君に対しても悪いと思うし、それなりに慎重に答えたいところだけれど…うん、聞いた限りでは、これといって反論する点も見つからないし、私も賛同しても良いと思っているよ」
「…よかったぁー」
と神谷さんの言葉を聞いた瞬間、思わずそう呟いてしまうと、「あはは、『よかったぁ』って大袈裟だなぁ」と神谷さんは微笑ましげに口にしたが、しかしここでふと、表情に落ち着きを取り戻させたかと思うと、笑みは若干残したままに静かに口を開いた。
「…うん、確かに異論なり反論は無いけれど、ふと今ね、君が面白い議題をくれたお陰で、私も私なりに昔に考えたというか、それを思い出したんだけれど…それを披露しても構わないかな?」
「…ふふ」
『何を今更…』と、ついつい義一に対してと同じ調子でツッコミそうになってしまうのを堪えると、「はい、是非」と笑いを堪えつつ返した。
そんな私の様子を不思議そうに眺めていた神谷さんだったが、私がおもむろにミニバッグから、普段から持ち歩いているメモ帳を取り出し、クリップで挟んでいたペンを手に取るという臨戦体制を見てからは、笑いを堪える意味については取り敢えず放っておこうと判断したらしく、私が広げたメモ帳の白紙のページに柔らかな視線を一度飛ばしてから、表情を穏やかに話し始めた。
「ふふ、私も義一くんと同じように、言葉、その字それ自体から考えるヒントを得るという方法論を取らせて貰うけれど、私の場合は義一くんよりも、もう少し”緩く”…そう、つまりは”優”という漢字からヒントを得るのでは無く、もっと大雑把に、日本人はそもそも”やさしい”という言葉を、どのように”発見”、”発明”したのかについて考えてみたいと思う…というよりも、さっきも言った通り、私自身が”優しい”とは何かと考えたときの方法がそうだったってだけなんだけれど。
…さて、そもそも”優しい”の由来、語源とは何かと考えた時に、字引的な知識で恐縮だけれど、私が読んだ語源辞典にはこう出ていたんだ。
語源としては、動詞の”やす(痩す)”からきているらしくて…ふふ、そうそう、”痩せる”の痩すだね?それが形容詞化した語で、元は
『身もやせ(痩せ)細るほどに恥ずかしい』
という意味らしいんだ」
「痩せ細る…それが転じて、”やさしい”となったって事ですか」
「ふふ、それもあるし、そもそもね…」
と神谷さんが、一体どこから取り出したのか、いつの間にか手にしていたペンをテーブル向こうからこちらに伸ばしてくると、私のメモ帳の白紙スペースに”恥し”と書いた。
それを私から見て正しいように書いたのを見て、よくもまぁ反対側から綺麗に書けるものだと思ったのだが、それも束の間、不意に神谷さんが何を伝えたいのか分かってしまった私は、その思いつくままに口を開いた。
「…あ、あー、なるほど…これは古語の”恥し”(やさし)ですね?」
と最後に聞くトーンで終えると、「ふふ、その通り」と神谷も微笑みつつ返してくれた。
それに我ながら思った以上に気が大きくなってしまったのか、続けて言ってしまった。
「”恥し”は元々”辛い”だとか、”耐えがたい”って意味でしたよね?何で思い出したのかと言うと、私の好きな歌人の一人に山上憶良がいますが、彼が万葉集の中でこんな歌を詠んでいまして、これがまた好きなんです。確かこんなのでした。
『世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば』」
「あー…ふふ、なるほどねぇ」
「ふふ…はい。因みに先生には蛇足でしょうが、私なりに現代語訳しますと、こうなると思います。
『世の中を辛いものだとも、恥ずかしいものだとも思うけれど、飛び立って逃げることもできない。鳥ではないのだから』」
「ふふ、その通りだねぇ。いやぁ…」
とここで、これは”イタイ”勘違いではないと断言出来るが、神谷さんが何やらこちらを褒めてきそうな気配を滲ませ始めたので、私はそれを遮るために慌てて口を挟んだ。
「で、あ、いや、だから…ですね?確かに憶良の歌にもあるように、”やさしい”というのは古語の”恥し”でもあり、そこから派生してか、『身もやせ(痩せ)細るほどに恥ずかしい』という意味になったの…かなぁって、お話をお聞きして思ったんですけれど…」
と話す不自然すぎる私の行動に対して、気を悪くするどころか一度快活に笑ったかと思うと、その笑みを引かさないままに言った。
「ふふ、流石琴音ちゃん、いきなり憶良の歌を暗唱して見せてくれたから、驚きと共に感動しちゃったよ。
…ふふ、君も義一くんと同じで、褒められるのが苦手なのを知っているのに、ついついやってしまった。
さて、話を戻すと、そう、君が憶良を引用してくれたけれど、彼のいた万葉の時代から、人や世間に対して気恥ずかしい、肩身が狭いの意味で”やさし”という言葉は用いられてきたんだ。
それが平安時代になって、恥ずかしく思う気持ちから、周囲の人に対して控えめに振る舞う様を優雅、優美であるとして評価するようになり、やがて、心づかいが細やかで思いやりがあるという意味へと変化していったんだ」
「なるほど…」
と私がメモを取りつつ合いの手を入れると、そのまま神谷さんは続けて言った。
「さて、さっきの君と義一くんとの話に合わせて、ではこの視点から”やさしい人”というのはどうなるかというと、私なりの解釈だとね、確かに義一説と大まかというか結論は全く同じなんだけれど、義一くんの程には力強く無くてね、こうなると思うんだ。
『確かに”優れている”からこそ、周囲に視線が向いて、ありとあらゆる事に気がつくのだが、それらに一々気が向いて気を遣うあまりに、何とかしたい、何とかしてあげたいといつも思うせいで、精神をすり減らしていって、結果として痩せ細ってしまう』
…そんな人が、”やさしい人”だと思うんだよ」
「なるほど…うん、なるほどですね」
と、確かに神谷さん自身が言ったように、結論としては義一と大きく違わないどころか同じと言って構わないと思われるほどだったが、アプローチが違うだけで、これだけまるで別物のように感じられるものなのかと、端的に言って奥深さも感じられたのと同時に、本人が言ったそのままだが義一の説をより一層深めてくれた様に私も思えて、これは口にするのは何だか無粋かもと控えたのだが、ただ心の中では純粋に神谷に感謝するのだった。


だがやはり、お礼くらいは述べないとと思ったその時、『ガチャッ』という音が聞こえたかと思うと続けて「ただいまー」というよく通る声が聞こえてきた。
そしてそのまま何かを作業する音と共に、何やらガサガサとビニール袋の動く音がしていたが、今度はスタスタというスリッパの音がして、それが徐々に大きくなっていったのに気付き後ろを振り返ると、ちょうど片手にレジ袋を提げた房子が居間に入ってくるところだった。
「ただいまー」
とまた再度房子が悪戯っぽく笑いながらレジ袋を顔の高さまで上げて見せたのを見て、私と神谷さんとで一度顔を見合わせると、どちらからともなく微笑み合い、「おかえり」とまず神谷さんが声を掛けると、馴れ馴れしいかなとは思いつつも「お帰りなさい」と私も後に続いた。
「えぇ、ただいまー…っと」
と房子は笑顔をそのままに居間の照明のスイッチを入れた。すると私と神谷さんの頭上にある、これまた一般的な和室向けの照明がチカチカと数度瞬いたかと思うと、安定した直後からは柔らかな薄オレンジ色の光を居間に満たし始めた。
この時に漸く気付いたのだが、あれほど大きな窓から自然光が入り込んでいたというのに、一応南に面している様なのだが、すっかり西に太陽が行ってしまったらしく、勿論初夏の夕方だというので外を見るとまだ明るいと言って良いほどではあったのだが、室内に充分な明かりをもたらす程ではなくなっていた。
と、私は不意にこの様に窓の外に顔を向けてしまったのだが、房子はそのまま台所へと向かい、早速レジ袋の中身を整理し始めた。


「遅かったね?」
と神谷が顔だけ台所に向けつつ声を掛けると、「あら、そう?」と房子は手を動かしたまま近くの掛け時計に目をやった。
私も同じ様に一番近くにある自分の腕時計に目を落とすと、時刻は四時半を少し過ぎたあたりだった。
単純に計算して、房子は約一時間半ばかり外で買い物してきた事になる。
確かに私はこの近所、それも”神谷家”御用達のスーパーがどこに立地するかまでは存じ上げないが、神谷さんの口振りなどから推測するに、おそらく常識範囲内の近所と呼んで差し支えない場所にあるのだろう。
ついついアレコレと何かにつけて思考を巡らす癖が、どこかの理性の怪物くんの影響も多大にあって付いてしまっているせいで、こんな事を考えつつ台所を改めて見てみると、房子が整理しているレジ袋から、また出てくる品々の量を見る限り、ちょっと家で足りなくなった調味料なりを買ってきた程度の買い物でしか無かったのは明らかだったのだが、それなのに、その割には確かに神谷さんの言った通り何故こんなに時間がかかったのか…ふふ、勿論、途中で知り合いか友達とばったり会い、立ち話なりをした可能性は否定など出来ないが、しかしこの時の私は、

多分…私と先生のことを気遣って、外で時間を潰してくれたのだろうなぁ…

っと、せっかく粋な事を房子がしてくれたのに、無粋にも私はそう思うのだった。

と、そんな身勝手に結論を下していると、「あら?お茶のおかわりを飲んだのね?」と急須の中身を見た房子が口を漏らしたので、私は思わずギクっとしてしまった。
「すみません…勝手にお代わりしてしまって」
と私が思わず腰を少し持ち上げつつ謝ると、「あ、いやいやいや」と房子は顔だけをこちらに向けると、大袈裟に慌ただしく手を動かしつつ返した。
「あはは、良いの良いの。いやね、うちのお父さん、この通り一人では何も出来ないでしょ?まさかお茶を自分で入れたりなんかできるわけないから、不思議に思ったのよ」
と、話しているうちに徐々に落ち着きを取り戻し始めると、それと反比例して段々と顔にニヤけ面を滲ませつつ視線も私から逸らしながら房子が言うと、「何だいその言い草は…」と神谷さんは苦笑いを浮かべて言ったが、クスッと一度小さく吹き出すと、今度は諦め顔で笑いつつ続けて言った。
「…ふふ、確かにお茶は入れられる自信がないけれど」
「でっしょー?」
と房子は顔をテーブル上に戻しながら返したが、その顔には私の座り位置からでも分かるほどに誇らしげな笑みが浮かんでいた。
そんな二人のやりとりに私は一人で笑みを漏らしている中、神谷さんが不意に、視線だけこちらに流してきながら、顔はキッチンに向けたままに言った。
「そうだ、琴音ちゃんのお茶の入れ方美味しいから、今度習ったら良いよ」
「あ、先生、そんな大袈裟な…」
と慌てて訂正しようとしたのだが、房子の方が数段早く反応を返した。
「へぇー、そうなんだー?」
と房子は手作業を一時停止すると、また顔をこちらに向けつつ言った。
「じゃあせっかくだし…琴音ちゃん私にも、その急須でも美味しく飲めるという入れ方を教えてくれない?私も折角なら美味しいお茶を飲みたいしさ?…今」
「今…ですか?」
と私は思わず、別にこれといった意図があって返したわけではないが、ただ本能的とでもいうのか、ついつい癖で鸚鵡返しをしてしまった後で、チラッとテーブル向かいに視線を向けた。神谷さんは静かな笑みを浮かべているのみだ。
「そう、今。…だめ?」
と房子が続けて聞いてきたが、それが冗談風味満載の茶目っけタップリだったので、クスッと小さく笑うと、「…ふふ、いいえ、私なんかで良ければいくらでも」と口に出しながらゆっくりと立ち上がると、そのまま房子のいる台所へ向かった。

それからは房子に色々と質問をされながら、二人で急須でお茶を作り、三つの湯呑みに入れて居間に戻った。
そして三人で一口ズズッと啜ると、「あ、本当に美味しいわ」と感想を述べた直後に続けてお礼を言う房子に笑顔で返していると、神谷さんが不意にこちらに話しかけてきた。
「あはは…って、あ、そういえば琴音ちゃん、時間は大丈夫かい?そろそろ五時になるけれど…」
「あ、えぇっと…」
と私は、今神谷さんが時刻を教えてくれたばかりだというのに、これまた癖でまた自分の腕時計に目を落とした。
神谷さんの言った通りの時刻だった。
「えぇ…大丈夫です」
と、どれほど間を置いたのか自分では定かではないが、個人的にはそれなりに早く”何でもない風”で返した。
実際に大丈夫だったからだ。
今日はそもそも、お母さんが浅草橋にある実家の呉服問屋に手伝いに行ってるのだが、なので私が外出する段階で既に家には誰もいなく、毎度のパターンを考えると、早くても夜の七時くらいに帰って来るのだろうと思われるので、私としては別に長居したいために無理して言ったわけでは無かった。
まぁもっとも、仮にお母さんが既に帰宅していても、今日は外に出ると伝えてあったので、どこかのタイミングで一言でも連絡を入れれば大丈夫なのだが、そこまでの細かい説明はしなかった。
「そうかい?」
と神谷さんが合いの手を入れると、房子が口を挟んだ。
「まぁ本当に遅くなったら、私が車で送っていくし」
と言った房子は、「家までだって良いのよ?」と隣に座る私に顔を向けつつ付け加えてきたが、「い、いえ、そ、そんな…大丈夫ですよ」と、四ツ谷から神谷宅まで、それだけでも一般道をひたすら五十分ほど車を走らせて貰った事を思い出して、またしても一昨日の様に遠慮したのだが、それからはまた同様の押し問答を二人の間で繰り返して、結局はまた四ツ谷まで送ってもらう事で話が着いた。

その後は少し軽めの雑談に入ったのだが、神谷と房子が話をしている間に、ふと何気なく室内をグルッと眺めている流れで、私の背後にある、来た当初に見たアップライトピアノで自然と目が止まった。
とは言っても、体感的にはそれほどジッとは眺めていなかったはずだが、他者から見たら違ったのかもしれない、何だか視線を感じたのでピアノから外して顔を戻すと、親子揃って興味が溢れた表情がそこに二つあった。
「あ、え、えぇっと…」
と私が言葉を濁していると、房子がニヤけ気味の微笑みを浮かべて声をかけてきた。
「…ふふ、何なら…弾いてみる?」
「…え?」
房子が視線だけをピアノに流しながら聞いてきたので、咄嗟にこれといった意味の無い反応だけ返してしまうと、「こらこら」と神谷さんが苦笑混じりに口を挟んだ。
「あまり無茶を振るもんじゃないよ?」
「だってお父さん」
と房子は、まるであどけない少女の様に若干グズって見せながら返す。
「せっかくこうして琴音ちゃん自身が興味を持ってくれてる風を見せてくれてるんだし…ほらぁ、お父さんだって良く言ってたじゃない?琴音ちゃんの弾くピアノを聴きたいって」
「それは私だって…」
という房子と神谷さんのやり取りに、「え?」と私は咄嗟に反応を示してしまった。
思いがけない言葉だったからだ。

…でもまぁ確かに、考えて見なくてもそうなのだが、私が中学一年生の秋からだから、それなりの付き合いになるというのに、まだ神谷さんの前でピアノを弾いて見せた事が今までに無かった。
…って、こんな風に言うと、そんなに人様に堂々と弾いて見せるほどの実力がお前にあるのかと言われてしまいそうだが、まぁ事実として、義一なり絵里なりと、私が心安くしている周囲の大人たちには、少なくとも親しくなってからは一年以内に、最初は頼まれて弾くパターンが多かったのだった。
なので、我ながら意外や意外だったのだが、考えてみれば、私がいわゆるオーソドックスの面々の前で初めてピアノを弾いたのは、コンクールの本選を突破した記念と、全国大会で良い成績を出せる様にという祈念を兼ねての場を設けて貰ったわけだったが、その場で私からのささやかなお返しと言うので、本選で弾いた曲を、自己流に短くアレンジしたのを三十分ほど時間を頂いて演奏したのが最初なのだった。
…ふふ、勿論、それ以前にも、美保子の興が乗る事が前提だが、美保子に誘われるままに往年のジャズナンバーを一緒に演奏したりしたことはあった。だが、繰り返し言えば、それは本当に息抜き中の息抜きであって、こんな言い方がふさわしいとは思わないが、美保子は毎回褒めてくれていたが”良い意味で”手を程よく抜いて適当な演奏をして見せただけだったので、それなりに真面目な気持ちで弾いて見せたのは、繰り返すが絵里が初めて数奇屋に来たあの場が、私的には”初めて”だと考えていた。
…って、そんな話は今はともかく、なのでジャズの時は神谷さんもその場にいたりしたが、絵里がいた時には神谷さんは裏で衛星放送の情報番組に生出演していたというので、私の演奏を聴いていただく事は叶わなかった。
因みに神谷さんが何故ゲストとして呼ばれたかというと、現代日本における保守の大家として知られている…という紹介で出演されていて、それは義一たちだけではなく、それなりに様々な過去の保守思想家たちの著作を読んできた今の私なら、尚更その通りだとうなずけるところだったが、ただ腑に落ちないのは、今現在の日本が”右”に流れているからと、”保守”側の代表として呼ばれたとの事で、実際に数奇屋でその時が初対面だった武史が苦々しげに文句を言っていたが、今となっては私にも、そのお題で神谷さんを呼ぶのは筋違いだと分かる…って、これこそ今は関係が無いので話を戻そう。

「どうかな?琴音ちゃん」
と房子は、さっきまでの無邪気な笑みとは幾分違った、静かで微笑混じりの笑顔でまた言葉をかけてきた。
「聞いての通り、私たちとしては全く演奏してくれる事に対しては、構わないどころか望むところというか、むしろ望んでいるんだけれど…ね?」
と房子が再度声を掛けると、「あ、う、うん…まぁ…なぁ」と、神谷さんはチラチラと私に視線を流しつつ、顔の左半分を外からの夕日で、金色…と言って良いくらいの色彩を帯びせつつ照れ笑いを浮かべ頭を撫でていたが、そんな様子を見て、さっきまで遠慮深げにしていたのに、その神谷さんの姿が微笑ましく思え出してきた私は、それでもほのかに柔和な表情を浮かべるのみに意識的に留めつつ声をかけた。
「そうなん…ですか?」
「う、うん…そりゃあ、まぁ…ね?」
と、先程まで…うん、今回はこれまで敢えて踏み込んでは触れてこなかったが、ここでズバッと言ってしまうと、ガンを患っていて、自宅療養を選ばれたわけだが、見た目的には見る見るうちに弱っていっている様だったのに、また年齢の割には次から次へと言葉を繰り出していく様を私個人に披露してくれたわけだったが、それと同一人物である目の前の”老人”が、こうして照れて見せるのを見た私は、ここでようやく決心…うん、自分としては大きな決心をして、口を開いた。
「んー…ふふ、そう先生方がおっしゃるなら…弾かせて頂いてもよろしい…ですか?」
「…え?良いの…かね?」
と、私が言った直後、さっきまでの照れがどこへ行ってしまったのか、一気に冷静さを取り戻し…いや、代わりにキョトン顔を浮かべて神谷が返してきたので、「ふふ、えぇ、私なんかの演奏で良ければ」と私は微笑みつつ返した。
とその直後、「やったー」と、大声では無いが”大声風”に房子は言葉を発すると、そのままその場を立ち上がり、「ささ、琴音ちゃん、来て来て」と手招きしつつピアノへと向かった。
「ふふ、はい」とそんな房子の様子にまた一度笑みを零しつつ後を追った。

「大分弾かれてはいないんだけれど…」
と蓋を開けながら房子が言った。
「だから音がどうとかは分からないけれど、でも取り敢えず、毎日掃除だけは欠かさずにしているから、その…汚くはないはずよ?」
と、椅子に腰掛ける途中だった私に続けて言うので、それに対してはただ微笑む事で応えた。
確かに房子が言っていた通り、普段弾かれた後があるかどうかというのが、ある意味で分からない程度には綺麗に掃除がなされていた。
鍵盤上に敷かれた布カバーにもホコリが付いていない。
そのカバーを外すと、艶やかに天井の照明からの灯りを反射する白黒の鍵盤が姿を現した。
やはりホコリ一つ無い。
私は試しに、”A”の音、ドレミで言うところの”ラ”の音を鳴らすと、調律も取り敢えずは狂ってはいない様だった。
とこの時ふと、まだ自分が小学校五年生の頃に、義一宅への二度目の訪問をしたその時に、初めて宝箱内に入ってすぐにアップライトピアノを見つけて、今と同じ様に音を鳴らして確認したのを思い出していた。

因みに義一宅にあるアップライトピアノは、ニューヨークとドイツはハンブルクに拠点を置くピアノメーカー、スタインウェイの物で、華やかできらびやかな音が特徴であり、弾く時の鍵盤のタッチは重たいながらも軽やかに運指が出来るという特徴があったが、神谷さん宅にあるのは、コンクールの全国大会の決勝会場だったホールにも同じ名前が冠されていたが、日本国内最大の某有名な楽器メーカーの物で、クリアな音と、軽やかなタッチで弾けるのが特徴で、初心者にも弾けやすいのも特徴と言える…と個人的には思う。
ここでついでもついでだが、私の自宅にあるお爺ちゃんからの”お下がりピアノ”についても、これまで触れてこなかったので紹介しよう。義一のところで触れたスタインウェイと並んで、いわゆる世界三大ピアノメーカーの一つである、素材や楽器としての共通点から”ピアノのストラディバリウス”とも称される、ドイツはベルリンに本社を置くベヒシュタインのグランドピアノだ。
このメーカーのピアノは、フランツ・リスト、クロード・ドビュッシー、職業指揮者の先駆的存在としても有名なハンス・フォン・ビューローという名だたる名作曲家、名演奏家に親しまわれて来た歴史がある。
『二十八年間貴社のピアノを弾き続けてきたが、ベヒシュタインはいつでも最高の楽器だった』
とリストは言い、
『ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ』
という言葉をドビュッシーは残している。
この二名ともに私が大好きな作曲家なわけだが、それはともかく、一音一音の輪郭がはっきりした音色と、美しく瑞々しい音の透明感が素晴らしい響きを創り出すのが特徴的で、また音の立ち上がりが早いのもこのピアノの特色であり、音響効果の高いホールでの使用を念頭において設計されているらしい。
だがその大ホールにおける高音部の音量や持続に問題があったために、他のメーカーと同じ様に改善を施すと、その中高音部分の音量を増大することは出来たが、かつてのベヒシュタインの持つ純粋な音質が後退したと評するピアニストもいる様だ。
その様に感じる人もいるだろうが、少なくとも私の家にあるお爺ちゃん譲りのピアノは、お爺ちゃんが若い頃に買ったくらいの物だから、最近のとは違い昔ながらの作り方で出来上がっており、何も別に大ホールサイズの防音部屋では当然無いのだが、それでも壁を反響して返ってくる音は確かにダイナミックに感じられて、他のメーカーをそれほど弾き比べてみた経験が無いので説得力は皆無だろうが、私個人としてはこのピアノを心底気に入っていた。
それは師匠にしてもその様で、何度かこのピアノを弾いて見せてくれたが、気に入ってくれた様子だった。
因みに師匠の自宅にあるのは義一と同じスタインウェイのアップライトピアノだったが、今も一応残してある現役時代に暮らしていた活動拠点のドイツはライプツィヒにある自宅にあるのは、“音楽の都”ウィーンで設立された、これまた世界三大メーカーの一角であるベーゼンドルファーとの事だ。
”至福のピアニッシモ”とも称されるほどに、ベーゼンドルファーは打鍵した後の持続音が長く、また柔らかくて多彩、暖かい音色が特徴で、全ての弦を一本一本独立して張られる事によって、より良い調律安定性が得られ、より不純な音が無くなることで純粋な響き、音階が弾けるようだった…とは師匠の弁だ。
いくら何でもしつこいと思われそうだが、最後の最後に実際にこの目で見て確認した事を言うと、フランスはプロヴァンに自宅を構える京子が所有していたのは、スタインウェイのグランドピアノだった事だけ付け加えさせて頂こう。
…ふぅ。自分が好きな事となると我を忘れて話を勝手に逸れるままに突き進んでしまうという悪い癖が出てしまったが、ここでようやく話を戻して本編を進めるとしよう。

「…音、大丈夫そう?」
と側で立って鍵盤を見下ろす房子に声をかけられたので、「はい」と顔を上げつつ私は答えると、ふとある事を思いついたので、一旦スクッと椅子から腰を上げると、後ろを振り返り、顔つきも穏やかな神谷さんを数瞬だけ見つめ返すと、小さく私は微笑んだ後で、
「今日お招きいただいて、お礼になるかは分かりませんが…ふふ、一、二曲ばかり弾かせて頂きます」
と言い終えると、コンクールさながらに上体を前に倒した。
その途端に隣で房子が拍手をするのが聞こえたのでゆっくりと上体を元に戻すと、ちょうど目に入った神谷さんも、控えめだが手を叩いてくれていた。
それを見て自然と小さく笑った私は、またピアノに向き直ると、腰を下ろし、座ったまま腕、手首、指のストレッチを、普段通りに入念とまではいかなかったがし終えると、一度息を落ち着けて、それから早速一音目を鳴らした。



「じゃあ気を付けて帰りなさいね?」
と、わざわざ玄関先まで出てくれた神谷さんの言葉に「はい、今日はお邪魔しました。その…楽しかったです」と、どう伝えたものかと一瞬迷ったが、結局は思ったままの感想を伝えると、「ふふ、こちらこそ。素晴らしい演奏を聴かせてくれて、ありがとうね」と神谷さんが満面の微笑で返してくれた。
その反応に照れていると、「ほら、琴音ちゃん?そろそろ行くわよー?」と既にエンジンを掛けている房子が背後から声を掛けて来たので、「はーい」と少し後ろを振り返りつつ返すと、「では先生、また…」と私がペコっとお辞儀をして車へ行こうとしたその背後へ向けて、「うん、また来なさいね」という神谷さんの言葉が聞こえたので、助手席側に立っていた私の位置からは車越しになってしまいながらも、「はい!」と明るい笑顔で返事を返し車に乗り込んだのだが、その間際にチラッと見えた、夕陽に照らされた神谷さんの小さな姿が印象的だった。
そのまま車はゆっくりと発進し始め、車一台分の一方通行を通り、すぐに幹線道路へと入って行った。

帰りの車中、
「お父さんがあんなに顔を明るくしているの久しぶりに見たわ」
と房子が進行方向に顔を向けたまま言ったので、
「そうでしたか」
と私が合いの手を入れると、「うん、そうよー」と笑みを浮かべつつ一瞬こちらに顔を向けると、また顔の向きを戻して房子が続けて言った。
「私も勿論楽しかったし、それに…ふふ、最後にピアノを弾いてくれて、お世辞に聞こえるかも知れないけれど、本当に感動したし、今回で終わりにしないで、良かったらまたいつでも遊びにきてね?」
「はい、ぜひ」
と、私は素直に房子の横顔に向かって返事を返すと、その後は同じように進行方向に顔を戻した。
その視線の先には既に、すぐ近くの建物群の隙間から、新宿の高層ビルが見え始めていた。
ここで少しネタバレを言ってしまうが、私の返事は社交辞令には終わらずに、実際にこれを機に、何度か折につけて神谷宅を訪れる事となる。…ふふ、今回のように、四ツ谷駅で待ち合わせをして車で迎えに来てもらい、帰りも同じように四ツ谷駅まで送って貰うのまでがお決まりとなるのだった。
あれほどまでに、中々数ヶ月に渡ってこちらから連絡を入れられなかったというのに、まぁ一度壁を乗り越えてしまえば、後は気軽だという典型例みたいなものだ。

さて、残りの道中は親戚のおばさん相手と同じノリで、とても心やすく雑談を楽しんだ。
そして行きと同じく約五十分ほどのドライブを楽しんだ後で四ツ谷駅前に到着すると、お互いにお別れの挨拶を交わし、最後に私から送り迎えのことに始まり、食事から何からお世話になったことへのお礼を改めて述べてから車を降り、房子の運転する軽自動車が見えなくなるまで見送ってから、通学定期券を使って駅構内へと入った。

通い慣れた帰りの電車の中、ふと神谷と過ごした家の光景を思い返していたのだが、不意に胸の奥がジンとくる感覚に襲われた。初めて感じる類のものだった。
不思議に思ったが、それは”ナニカ”だったり、ヒロに関連してここ一、二年の間に不意にむず痒くなるような、たまに鈍痛を伴うような”重石”だったり、最近で言えば、義一の本への書評を読んだときの”苛立ち”などといったものとは、根本的に違う類いのものだというのだけは分かった。
心地良いながらも、この謎の感覚の正体が何かと考えていたのだが、ふと、先ほど車中で覚えた房子への感覚を思い出し、それに導き出されるようにふと思いついた。

…あ、これってもしかしたら…おじいちゃんがいたら、こんな感じだったのかも

…因みに、話にはこれまで触れる理由もこれといって無かったせいで登場していないが、母方、つまり今日お母さんが手伝いに行っている祖父と祖母は存命なので、当然私にお爺ちゃんがいないとは言わない。
しょっちゅうとは言わないまでも、私が幼い頃から今日まで祖父母と孫という付き合いは継続していて、それなりに仲が良い方だと思っている。
ただ誤解を恐れずに言えば、母方の祖父母は昔ながらの職人気質を残した呉服問屋の主人と女将で、そんな伝統的な点が個人的に二人の好きな長所なのだったが、私が言う意味でのこの場合のお爺ちゃんとは、勿論お父さんと義一の父親である”お爺ちゃん”の方だ。
”粋人”と義一が称した、聡から話を聞く限りでは家族や親戚の中では、聡を除けば唯一と言って良い義一の理解者であった、私が生まれるか生まれた直後くらいに亡くなったお爺ちゃんの事を、人伝に話を聞いたりして人物像を知れば知るほど、厳密には”知らない”ので本来はそう言うものじゃ無いというのを知りつつも、やはり”喪失感”と言って良いような思いに駆られることが、稀に今までにもあった。

…という前提があったので、尚更神谷さんに対してそう思ったのだろうと推察した途端に、自分で自分の思い付きが腑に落ちた気がして、義一が私淑し師匠とまで仰いでいる、私もともに尊敬をしている神谷さんに対して、同時に”おじいちゃん”と思うのはどうかと自分で自嘲気味に一人で電車の中小さく笑みを零してしまったが、しかしすぐに、良い事は当人達からしたら無いだろうが、神谷さんにお孫さんがいないお陰で、別に私が勝手にそう思うのは悪くないのかもと自分勝手に開き直り言い聞かすと、それ以降は流石の初夏でも外が暗くなり、ちょっとした鏡の役割を持ち始めた窓に映る小さく微笑む自分の顔を眺めながら、ふとここにきて、義一の新著への批評を読んだ感想を聞きそびれた事を思い出したり、それと同時にまたもう一つ、私が初めて数奇屋を訪れたその時に、神谷さんが義一を称した言葉を思い出したりして、せっかくの機会だったのにどんな意味を込めて言ったのかという質問が出来なかったと、自分の間抜け具合に一人苦笑いを浮かべつつ、家路につくのだった。
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