第12話 カンテラと油差しと訪問者

文字数 17,488文字

思わず自分の身体がビクついたのに、自分で驚いたのと併せて”目が覚めた”。
要は、うたた寝した時に突然起こる痙攣みたいなものだが、と同時に、すっかり嗅ぎ慣れた油っぽい匂いに鼻腔が刺激された。
…そう、まだ視界が本調子に戻ってきていないので、目ではハッキリと確認取れないでいたが、間違いなく私は例の夢の世界、”彼”が言うところの”朽ち果つ廃墟の片隅”である”バルティザン”に戻ってきた様だ。

「ん、んー…」
と、意識しないままに声を漏らしたその時、「あ、ケリドウェン、琴音が戻って来たよー」と言う、幼い少女とすぐに分かる声質が聞こえてきた。

毎回感覚の戻ってくる順が違う様に思うのだが、今回は意識が戻るのと同時にまず嗅覚から始まり、聴覚と同時に声が出せて、味覚に関しては、まだこの”世界”に来てから一切何も口にしていないので、判断はまだつきかねる状況なので置いとくとして、これは毎回ビリケツではあるが、どうやら今回も視覚が一番最後の様だ。
…ふふ、いや、意識が戻り始めた時に、既に自分が立ったままだというのに気づいた点からして、触覚が一番最初だったのかも知れない。

そんなクダラナイ順位を頭の中で整理していると、視覚が戻るのと同じくして、ふと幼い声が聞こえた方に顔を向けると、そこには窓辺に立つナニカの姿があった。
相変わらず全体的に”影”としか言いようの無い色彩を帯びていたが、ノースリーブの白ワンピースと麦わら帽子を被っているのが、毎度の通りに不思議と何故か認識が出来るのだった。

顔を向けたその時、”視線”が合った気がしたのだが、その直後、クスッと小さく笑った後で、ナニカが微笑交じりに声を掛けてきた。
「ふふ、琴音おはよう。お目覚めね?」
「…ふふ」
と、ナニカの物言いがチグハグに直感的に聞こえた瞬間、自然と笑みを零してしまったが、そのまま笑みを保ちつつも、意地悪げな調子を盛り込みつつ返した。
「お目覚めというか、何というか…」
と、何かウィットに富んだ上手い返しをしようと思ったのだが、特にこれといって思い付かずに、結局は言葉を濁すのみに終わったのだが、そんな私の失敗をフォローするかの様に、まさに良いタイミングで、別の方向から口を挟まれた。
「…あ、あー…ふふ、そうかい?」
という、タイミング的に何に対しての『そうかい?』なのか、咄嗟には判断が出来なかったが、取り敢えず置いとくとして、声が聞こえたその方向を見ると、ここまで視野がなかなか回復しなかったせいもあってか、いる気配すら感じなかったのだが、この塔内で一番明るい光源の前で前回と変わらず作業をしていたフード姿が、こちらに振り返ったのが見えた。
そして今まさにフードを脱ぐ所で、次の瞬間に下から現れたのは、やはりどこからどう見ても義一にしか見えない、さっきナニカが口にした名前、ケリドウェンの顔だった。
その顔には、見慣れ過ぎた微笑が浮かんでいる。
と、少しばかり私たちは見つめ合っていたのだが、まるで二人で睨めっこでもしてたかの様に、クスッと堪えきれずに吹き出したといった風な笑みを零すと、ケリドウェンは口を開いた。
「ふふ、琴音…おかえり」
「…ふふ」
と、本当はすぐに返事を返そうかと思いつつも、現実世界の義一から、”琴音”とちゃん付けじゃなく呼ばれた事が無かったために、その新鮮さからか、まるで吹き出されたことに対してのお返しみたいになってしまったが、私も思わず吹き出してしまった。
しかし、そのまま間を置く事もないだろうと、自然な笑みに顔を戻すと返した。
「えぇ、ただいま…ケリドウェン」

「あ…ふふ」
と、私からの返事を聞いた直後は、ケリドウェンは一度キョトンとして見せていたが、すぐにまた微笑に戻ると言った。
「ケリドウェンって僕の名前は、覚えづらいし呼びづらいと思うんだけれど…ふふ、よく言えたね?」
『ふふ、だってこれは私の夢だもの。元々存在を知っていたのだし、言えて当然だわ』と、生意気な調子で反射的に返してしまいそうになったが、自分の夢とはいえ、あまり世界観を壊すのも空気が読めな過ぎるという、空気の読めない冷めた考えが頭をよぎった為に、この台詞をいうのは止めて、「まぁねぇー」と、生意気な調子なのは変わらなかったが、得意気にこれだけ返すだけに留めておいた。
それを受けたケリドウェンは、その二つの瞳が見せる独特な鈍い光を見るに、そんな自分の心の動きは全て察せられてしまっているだろうと、私は私で察していたのだが、彼も同じ様に言葉はいらないと判断したのだろう、ただ微笑みを数段階強めるのみだった。

…ふふ、今自分で話していて、この時初めてマジマジと彼の目を見た事に気付いたが、瞳の中に見た事も無い、しかしとても神秘的な光がそこに宿っているのに、ついつい目が奪われていた。

それからは二言三言話したと思うのだが、これがある種のご都合主義的な世界故か、特にこれといって何を喋ったのか覚えていない。
覚えているのは、少し言葉を交わした後で、私がケリドウェンに近寄った辺りからだった。
「また今日も油を作っているのね?」
と私が声をかけると、「ふふ、まぁね」と彼は無邪気にイタズラっぽく笑いながら答えた。
「前も言ったように、これが僕の仕事だからねぇ」
「そっか。…っあ」
と、ケリドウェンの言葉から導き出されるように、前回に教えて貰った話の内容が想起されたのだが、ふと、その時に聞きそびれていた事が幾つか残っているのを思い出して、早速ぶつけてみる事にした。
「…そういえば、前に来た時は、ここにある大量にある数え切れない程の甕や、竈門の上で今も煮立っている大釜、それらの側面に書かれている文字の由来についてや、その中身である油についても教えてくれたけれど…」
と私はここで一旦区切ると、視線を彼から下へと移した。
「…前にも言ったけれど、ここに来る前に急に出現した油差しにも名前が書いてあったし、今私の腰に下がっているカンテラには…うん、そこにある大釜に書いてあるのと同じ字が書いてあるんだけれど、これって…」
と私は目を戻しつつ聞いた。
「…今までの話と、どう関係がしてるの?」
「…」
と、ケリドウェンは私と同じように視線を動かしていたのだったが、私が言い終えた後もすぐには答えてくれなかった。
がしかし、「…あ、そっか」と一人合点がいった様子で言葉を漏らすと、彼は小さく微笑みを浮かべつつ、躊躇なくすんなり答えてくれた。
「まだ話していなかったんだね。んー…ふふ、うん、君が持っているそのカンテラには、確かにここに書いてあるのと同じ”義”って書かれているよね?」
とケリドウェンが大釜を指差した。
「えぇ」と私が今更と短く返すと、彼は話を続けた。
「前回にも言ったように、この大釜にしても甕にしても、そこに書いてある字というのは、ケリドウェンになる以前の名前の一部が書いてあるんだけれど、これはいわゆる屋号みたいなものなんだ」
「うん」
屋号と表現したのが、初めて話を聞いたというのにしっくりきたので、全く同じでは無いにしても大まかに見て、この話は二度目だと生意気なツッコミを心の中ではしながらも、素直に合いの手を入れると、彼はそのまま先を続けた。
「この仕来りは僕の僕の前任し…ふふ、いや、私の師匠も自分の甕に同じように屋号として”神”の字を書いてるしというんで、僕も例外なくそうしてるんだけれど…」
「…ふふ」
と、”先任者呼び”を明らかにまだ引き摺っている様子に笑みを小さく零しつつ続きを待った。
「…っと、ここまでは話してきた通りで、前回は確か油差しの中身についてくらいしか触れなかったと思うけれど…」
とここまでは、彼は一旦こちらに背を向けて、背後にあった甕の一つに目を向けつつ話していたのだが、ふと顔を私に戻すと、
「実は油作りがある段階まで煮詰まってくるとねぇ…次に僕たちは、カンテラと油差し自体を作るという仕事が始まるんだ」
と言うなり、こっちが何か相槌を打つ前にスタスタと歩き出したので、私は後からついて行った。
大釜の前まで来ると、ケリドウェンはおもむろに、大釜から出る湯気の向こうの壁に掛けられている棚に置かれていた、一つの器を手に取ると、それをこちらに見せつつ言った。
「手元に現物あるし、まずこれから話すのが良いかな…っと。これがね、僕が作った油差しなんだ。良ければ、どうぞ?」
と差し出されたので、まだ話の展開に頭が追いつかないでいたせいで咄嗟には反応出来なかったが、「え、えぇ…」と恐る恐る両手を伸ばして受け取った。
彼は”油差し”だと言いながら渡してくれたのだったが、まず第一印象を述べると、とてもじゃないがそうは見えないなといったものだった。
…っと、誤解がないように慌てて付け加えると、そう見えないほどに出来が悪いからと言う意味では無い。
そうではなく、ただ単純に、私の知ってる油差しとは、何から何まで違っていたからだった。

というのも、比較しやすいので、私が『始まりの部屋』で見た、”神”と側面に書かれていたのから話すと、あれは見た目からして”ザ・油差し”という王道な見た目をしており、白黒とその濃淡しか色彩のないこの世界の中でも、ステンレス独特の鈍い光を放つのだけは、あの薄暗かった五畳の室内でも分かるくらいの代物だったが、今手元にあるコレは、見た目の形状からして既に、油差しというよりも、第一印象は茶器に似てるといったものだった。
素材も金属ではなく磁器らしく、色からして所謂”白磁”というのに、私の知る中では近かった。また遠目では気づかなかったが、今言った通り白磁と言うくらいなものだから、色は透明度の高い白といった様子で、それと同時に模様が一切ないと思っていたところ、触ってみて初めて、草木や様々な花々、鳥から想像上神話上の生き物などが、実は事細かく描かれており、浮き彫りによってそれらの模様や形が浮き出されている為に手触りで分かった。
そんな模様に混じって、しっかりと”義”という屋号も、これは浮き彫りされずに単に書かれているのも確認した。
と、このように模様を目で楽しみつつも、彼の師匠作だというステンレス製のソレと比べると、どこかにぶつけたり落としたりした時に、掛けたり割れたりしてしまいそうだという柔さを、手の中で感触として同時に覚えたのだが、それでも試しに指先で軽く弾いてみると、見た目や感触と違って意外と思っていた以上に硬くしっかりとしていた。またこの時に鳴った音から判断して、またどうやら中身は空っぽらしく、『キーン…』に近いような、金属音的な小気味のいい音を響かせていた。

ここで因みにというか、覚えておいでかは分からないが確認のために触れると、中身があっても無くても、殆ど重さからは判断が出来ないのは、彼の師匠が作ったという油差しを手に持った経験がある私には、何も不思議では無いのを付け加えさせて頂く。

「それにも、僕の屋号が書かれているのが分かると思うけれど…」
と私がこんな調子で、じっとあらゆる方向から油差しを眺め回しているのを、若干照れ臭そうにしつつも微笑ましげに見ていたケリドウェンは、同じように視線を自作の油差しに落としながら口を開いた。
「で…ふふ、何で大釜や甕以外にも、それらの字が書かれているか?これまでの纏めの意味も込めて改めて言うとね、それは…ふふ、君が腰に下げているカンテラや、手に持っている油差しで言えば、僕が一から作ったという証拠を示すためだからなのさ」
彼の話した内容は、自身が言ったように、これで三度目になろうかというものだったし、これまでの話を聞いてきた流れで大方予想通りだったので、意外性は当然無かったのだが、しかし自分で一から作ったものとまでは想像してはなかった余りに、「へぇー、これまで自分で…」と、言葉に感動を滲ませると、初めて聞いたかのような新鮮な心持ちのまま、改めてしげしげと腰元に視線を落とした。

だが、これが私の我慢弱いところなのだが、ついつい先ほど覚えた感想を、そのまま彼にぶつけたくなってしまい、その思いのままに実行に移してしまった。
「なんか…私が見たのとは形状が違うわね」
と素直に思ったそのままに感想を返すと、クスクスと窓辺でナニカが笑うのをBGMに、義一も同じく微笑みながら返した。
「うん、師匠の作ったのとは、僕のは違うね」
と言う声の抑揚それ自体は、とても面白げで、顔からも楽しんでいる様子が伺えた。
「そもそも師匠のと僕のとは、見ての通り素材からまず違うからねぇ…ふふ、側で作っているのを見たこともあったんだけれど、師匠のはまぁ何というか、師匠らしい…って、知らない君からしたら分からないだろうけれど、あの人らしい王道な代物だったね。僕のは…ふふ、こんなのだけれど」
と、ケリドウェンが私の手元に指差しつつニヤケながら言った。
「そうなんだ。…はい」
と私が油差しを手渡すと、「うん」と彼は受け取り、早速それを棚にまた戻し始めた。
「そこまで手作りなのねぇ…まぁ、大釜なり甕も手作りだと聞いていたから、まだ驚きは抑えられてるけれど…」
と彼の後ろ姿を眺めつつ一人ボソボソ言っていたが、整理し終えた彼が振り向いたのと同時に、私から話しかけた。
「でも何で…歴代のあなた達ケリドウェンは、自分で何でも一人で道具を一から作ることになったのかしらね?」
「えー?」
と、私から数歩ほど離れた位置まで戻ってきたケリドウェンは、その事を聞かれるのが意外とでも言いたげに、キョトン顔を見せていたが、「んー…」と次の瞬間には苦笑いを浮かべつつ唸り始めた。
「何でって聞かれてもなぁ…」

あ…勢いのあまりに調子に乗って疑問をぶつけてしまったけれど、流石に馴れ馴れしくしてしまったかな…?

などなどと、思い返すと我ながら今更感満載の反省をし始めたのだが、その時、彼はまだ苦笑い交じりではありつつも、しかしあくまで自然体に口を開いた。
「理由は…分からないなぁー。ただ、これまで”そうだった”って師匠に言われて、”そうなんだ”って納得した…うん、したからねぇ」
「へぇ…」と納得し掛けたが、彼の言葉にどこか躊躇いが見えたのもあり、
「あなたは、その…疑問に思わなかったの?そう師匠に説明されて」
と、ついさっきの反省は何処へやら、すぐさまこんな調子でまた性懲りも無く続けて質問をぶつけた。
すると、「んー…」と彼はまた唸って見せたが、しかし今回は割りかし早めに返してくれた。
「…確かに、初めてそう説明された時は、覚えてないけれど、恐らく今の君みたいに聞き返した…うん、とは思うんだけれどね?でも、えぇっと…あ、あぁ、うん、今僕の師匠がどう言ったのか、大体だけれど思い出したから、それをそのまま言うと、こんなだったんだ」
と彼は一旦ここで区切ってから続けて言った。
「…『今たまさか生きている私共が考えつく、思いつくような事は、とっくの昔に先人達が議論をし尽くしているし、一つの結論として、このやり方が正しいのだと信じた、そういう意味での伝統を、以降のケリドウェン達が脈々と今まで引き受けて、後進に引き継ぐ事で繋いできたのだし、私個人としては、そのようなものは余程な理由が無い限り、議論をする事それ自体に違和感を覚えるのだが、それを一旦脇に置いたとしても、そもそも…君は、何故これをしなくてはいけないのかと聞いたけれど、じゃあ逆に、このやり方がいらないと思う、その根拠の元となった考え、一切ブレないような価値観を持ち合わせているのかね?長い間、延々と続けられた伝統を今ここで断ち切ってしまう事で、未来に生きる者達はそれを味わえなくなってしまうわけだが、その事に対して責任を持てるのか?その覚悟があるのか?自分がした事が正しかったのだと最期まで言い切れるのか?…って意味もあるのだけれど』とね」
「…あ、あぁ…」
と、ケリドウェンが話してくれている途中から、すぐに何を言いたいのかは察したのだが、最後まで聞き終えてもそれは変わらなかったので、彼の師匠の話した事に対して全面的に賛成するという意を込めて、余計な事は付け足さない様に注意した結果、この様に単純に声を漏らすだけという表現となった。
と、当然そんな私なりの気遣いも察したのだろう、ケリドウェンもここでようやく穏やかな笑みに戻りつつ言った。
「僕はその様な言葉を師匠から受けた瞬間にね、雷に打たれたかの様に一気に全て…と言っては生意気なんだけれど、悟った…って、これも生意気か…いや、ともかく、僕なりに理解したのと同時にね、その時はその…ふふ、何だか自分が一気に恥ずかしいと、そんな想いに駆られてしまってさぁ…ふふ、今でも思い出すだけで、自分の未熟さに一人で苦笑いを浮かべてしまうんだけれども」
「…えぇ」
と、これはさっきは触れなかったが、今彼が言ったような事も、私自身も程度の差こそあるだろうが同じ居心地だったので、ただボソッと呟いて少し俯いてしまったのだが、こんな態度を取ってしまった私を見て、ケリドウェンは突然、あからさまにアタフタとしつつ言った。
「…って、あー、いやいや!これは別に僕個人の事であって、別に君がどうのと言う気は無かったんだけれど…」
「…」
と、先程までの様子が違うのに聞いてて気付いた私は、ふと顔を上げて見たのだが、それまでは冷静沈着といった、ある種の只者ならぬオーラを帯びている様にも見えていた目の前の御仁が、これまた自分の知る親しい人とそっくりな慌ただしい挙動を見せていたので、こんな状況ではどうかとは頭の隅では思いつつも、そう思った時には、自然と小さく笑みを吹き出し、そのまま笑みを強めてしまった後だった。
この時、ケリドウェンと目が合ったのだが、その瞬間、彼も挙動を一旦止めると、それからは私に数テンポ遅れながらも、同じ様に微笑み返してくれた。

そう笑い合いながらも、まだ恥ずかしさというか照れがあったためか、じっと視線を合わせるのが耐えられなかった為に、何度かチラッと視線を脇に逸らしていたのだが、その度に、これまで影が薄い…ふふ、本人の”影”の濃さに変化は無かったが、存在感として影が薄かったナニカの姿が目に入った。
会話の中身上仕方ないといえば仕方ないのだが、誰も構ってくれなかったせいか、ナニカは一人退屈そうに窓のヘリに腰を下ろして、床まで届かない足をバタ足するかのように交互にゆっくりとした速度で動かしながら、室内と屋外の景色を交互に眺めていた。
こんなところを見ると、見た目…うん、見た目通りの歳相応な少女なんだなと思った。



それから継続して、二人の間に和やかな雰囲気が流れていた中、数回ほど雑談風な会話のラリーが続いた。
「色々と副業というか、あなた方ケリドウェンは、油以外に作らないくちゃいけないのが多いのねぇ」
と私が少し悪戯っぽさを意識しつつ言うと、
「副業かぁ…ふふ、まぁねぇ」
とその場で体を労わる様に大きく伸びをしながら答えた。
そんな呑気な様子を眺めて、思わず笑みを零すと、私は今度はチラッと顔ごと彼から逸らし、壁の棚に置かれた彼作の油差しに視線を固定しつつ、調子は変えずに言った。
「しっかし…まだ油差しは器だから、勿論具体的には分からないまでも、どういった制作過程を経るのかみたいなのは、なんとなーくでも想像くらいは出来るけれど…」
とここまで言って一旦区切ると、私は腰に下げていたカンテラをおもむろに手に取り、「このカンテラまで手作りとはねぇ…」と感情を込めつつ呟きながら、先程の油差しと同様に、ここまで来るまで一緒に連れ立ってきたその姿を、改めて細部まで眺め回した。

その間も、カンテラの中の炎は、やはりまるで感情や意志があるかの様に、風が拭いていない室内であっても複雑な揺らめきを見せてくれていたが、しかしその明かりの色だけは、ずっと変わらない、見ているこちらをホッとさせてくれる様な、それと同時に勇気を与えてくれる様な、後ろから背中を押してくれている様な、そんな暖かなオレンジ色の光を、モノトーンと表現して差し支えのないこの世界の中で発していた。

そう呟きながらカンテラを眺めていた私の様子を見ていたケリドウェンは、クスッと小さく笑みを溢すと、私が顔を向けたのと時を同じくして口を開いた。
「ふふ、今君は、具体的な作り方が分からないみたいな事を言ってたけれど…ふふ、それは僕自身も、ちょっと分からないから、その点でも僕らは何ら変わらないと思うよ」
「…へ?」
と、これまた予期しない言葉をかけられた為に、今度はこの様な素っ頓狂な声を漏らしてしまったが、それに対してもそうなのだろう、彼はますます笑みを強めながら言った。
「ふふ、まぁこれだけだと、何を言ってるのか意味が分からないよね?じゃあ少しまた、説明をさせて頂くけれど…」
「…」
ケリドウェンはここで意味ありげに一度話を止めたが、その意図を汲み取った私が願ってもないと、態度だけで示さんが為に黙ってコクっと頷いて見せた。
それを見た彼は、ニコッと笑った後で、それを継続させたまま話を再開した。
「僕自身が、その…うん、君が使ってくれているカンテラと、あそこにある油差しの作り方を自分で分かっていないと言った意味はね?その製作過程にあるんだ。えぇっと…」
とケリドウェンは不意に周囲を見渡したかと思うと、ある一点、竈門とナニカが腰掛けている窓のちょうど中間辺りに顔を向けつつ続けた。
「…あ、そうそう。不意にそろそろ、今で言えば油差しなり、カンテラを作らなきゃなぁ…って思ったその時にね、ふと気付かない間に…ふふ、あの辺りにいつの間にやら作るための道具一式や材料が現れていたんだよ」
「…へ?」
と、話が常識からかけ離れているせいか、またしても気の抜ける様な声を漏らしてしまったが、「へぇ…」と今回は続けてそう呟きながら、自分も視線を同じ位置へ飛ばした。
勿論今は、そこには何もなく、あるのは天然石なのだろう石畳だけで、それ以外はただ、窓に腰掛けているナニカも退屈凌ぎか、私たちと同じ様に床を眺めているのが分かるのみだった。
「僕が『そろそろ作り時かなぁ?』って思ったその頃には、もう”油になった後だったんだけれど”…」
と、ケリドウェンはまだ視線を向けてる私をそのままに、自分は顔をこちらに戻してから話を続けた。
「まだ師匠が、”目に見える形で存在を残していた時”にね、『いざ作り時になったら、コレコレこうなる』と事前に教えてはくれていたから、実際にその通りになっても驚きは半減だったんだけれどね?」
と、最後に悪戯っぽく笑いながら言い終えた。

師匠が…”目に見える形で存在を残していた時”…か

と、これまた独特な言い回しが印象に残り、口に出さずとも頭の中でそっくりそのまま繰り返し呟いていたのだが、
「それって…師匠さんに、作り方まで教えて貰ったんじゃないの?」
とほぼ無意識に近い形で、ポロッと口から溢すように聞くと、「ふふ、いーや、教えてくれなかったよ」と若干の呆れ具合を交えつつ笑ったケリドウェンは、そのまま話を続けた。
「流石の僕もね、『じゃあ、実際に道具なり材料なりが現れた時には、僕はどうしたら良いんですか?』って聞いたんだけれど、『その時になれば分かるよ』の一点張りでね、それからは本番になるまで『大丈夫かな…?』と、『果たして僕に、この役目を全うする事が果たして出来るのだろうか…?』って少なからず不安が残っていたんだけれど…」
「…それはそうだよ」
と私が合いの手を入れると、ケリドウェンはニコッと一度目を細めてから話を続けた。
「ふふ、でも実際ね?目の前に現れた道具なり材料が現れた時に、試しに一つか二つ手に取ってみたんだけれど、その瞬間にね…」
とケリドウェンは、ここで誰かさんバリに勿体ぶって見せたのだが、数瞬開けた後で意味深な笑みを浮かべつつ続けて言った。
「まるで、そうだなぁ…ふふ、人知を超えた何者かが乗り移った気がするくらいにね、自分の意思とは関係無しに身体が自然と動き始めた…というか、早速モノ作りの作業へと入っていったんだ」
「え?…へぇー」
と、これまた突拍子も無い内容に、ただただ声を漏らす事しか咄嗟には出来なかったのだが、ここにきて、自覚はしていなかったが今思い返してみると、深層心理の方で恐らく、今自分がどんな状況下に置かれているのかというのに今更ながら思い出したらしく、それなりに冷静に合いの手を入れられた。
それから続けて、これも何となくだが、ふと視線を竈門の方に移したその時、ケリドウェンも同じように顔を向けると、何だか心なしか楽しげに声を弾ませつつ言った。
「ふふ、甕にしろ、大釜にしろ、アレらは全て師匠に教わりながら、その通りに作った物だったから、尚更ね、師匠に直接指示を仰げなくなった今、自分に出来るのかって、そういう意味でも不安ではあったんだけれど…ふふ、今言ったようにね、身体が勝手に作業を始めるし、その作業工程もね、頭に勝手に道程が浮かんできたりして、そのモノ作りの過程は、まるで…ふふ、凄い腕利きの職人さんが作っている現場を、一番近い…うん、考えうる中で一番近い特等席で見せて貰っているような、そんな観客というか、そういった気持ちで終始眺めていたんだよ」
「へぇー…っていうか、そっか…ふふ、そういう事か。なるほどねぇ」
と、相槌を打ちながら、少し遅れて彼の話した内容を咀嚼出来た途端に、まるで混じり気のない綺麗な水を飲み込むように、何の抵抗もなく納得した私は、初めのきっかけがきっかけだったせいか、シミジミと一人呟くのだった。

今のケリドウェンが話してくれたのって、要はつまり、私の知ってるので言えば、いわゆる”ゾーン”に入るに近いのか…な?

という感想も同時に思い、一度はそのまま正しいか聞いてみようと思ったのだが、今いるこの世界で、ゾーンがどうのという現実世界の話が通じるのかという疑問が直後に沸いた私は、仮に勘違いだとしても、自分なりに納得のいったその答えを、自分の胸の中に閉まっておく事にした。

そんな決意…というと大袈裟だが、そう一人で勝手に思っている最中も、私の相槌を聞いた後からケリドウェンは話を続けていた。
「それでね、作り終えて完成したその品を、つまりは油差しとカンテラって意味だけれど、その二つをあの棚に置いていたんだけれどね?」
と指差す先には、先程手に取って見た磁器の油差しがあるのが見えた。
「完成してからどれ程経ってからかは覚えてないけれど…」
とケリドウェンは話を続ける。
「ある朝起きてね、何となく棚を見てみたら…そう、そのカンテラだけが消えて無くなっていたんだ」
「え?」
と、毎度ながら同じ声しか漏らせなかったが、そうしつつも何気なく視線を落として、腰元にまた戻したカンテラに目を向けた。
そんな私が反応をしているのをそのままに、「まぁ…でもね?」と、彼はふと含み笑いを浮かべながら話を続ける。
「これも師匠から予め教えて貰った事だったから、それでもすぐには思い出せなかったけれど、『…あ、あぁー…こういう事だったのか』って一人呟いてね、納得して終わったんだよ」
「…?何が、『こういう事だったのか』だったの?」
と私が質問すると、待ってましたとばかりに、今度は無邪気な笑顔を浮かべつつ答えた。
「ふふ、それはね、僕が師匠から聞いた事を簡単に言えば、こうだったんだ」
と彼はここで一度咳払いをしてから先を続けた。
「…『歴代のケリドウェンが作ったカンテラと油差しは、それを必要としている、それが今必要だと自覚してるか無自覚かは関係なく”知っている”者の元に、当代の元から消えると同時に、いつの間にやら届けられるんだよ』とね」
「あー…」
と私は、自分が”知っている者”なのかどうかはさておいて、”始まりの部屋”で起きた出来事を思い返していた。
だがふと、今聞いた話に微妙な違和感としか言いようの無い感覚を覚えたのだが、その直後には口を開きかけたその時、ケリドウェンの微笑に遮られてしまった。
「…ふふ、多分気付いているだろうけれど、そう、これがまた不思議というか、面白いのがね?一人のケリドウェンがカンテラと油差しを作るんだけれど、それらは一つのセットとしては機能しないみたいなんだ。なんせ…この二つは時期を別々にして移動するんだからね」
「あー、そうだよ…ねぇ?」
と、最後になんとなく同意を求める風な疑問形で返すと、
「まぁ言うまでもなくというか、君は身をもって経験してるから付け加えることも無いだろうけれど、それは一人のケリドウェンという視点から見れば別々なのであって、師匠の油差しと、その後継者の作ったカンテラの二つ自体は、時を同じくして一緒にいつの間にか消えて、必要な者の元に届けられるんだけれどね」
とケリドウェンが悪戯っぽく言うので、
「ふふ、そうね」
と、私は私で同じ類の笑みを返しつつ、実際に自分が身をもって経験した出来事を思い出すのだった。

「ふふ、何かね、これは僕の師匠がそう表現していたのを、そのまま言うだけなんだけれど」
とケリドウェンが笑顔をそのままに付け加える様に言った。
「要は師匠の作った油を燃料に、小さいながらも暗闇の中で光を放つ”後継者”が作るカンテラをお供に、君が良い例だけれど、届いたその者の旅のお供をするって考えると…ふふ、何か良いなって、想像する度にそう思うんだよ」
「…ふふ、なるほどねぇ。そう言われると、確かに良いかも」
と私が笑みを浮かべつつ返すと、それから少しの間、二人で微笑み合うのだった。

…うん、確かに、自分の師匠譲りだという話を披露してくれたケリドウェンに共感したのはその通りなのだが、実はその他にも笑みを浮かべる理由があった。
というのは…ふふ、今が初めてでは無かったし今更なのだが、彼が自分を称するのに”後継者”という言い方をしてるのに気付いたからだった。
これだけ聞けば、これといって珍しくないし取り上げるまでも無いだろうと思われるだろうが、勿論それまでアレコレと手解きしてくれた人の事を”先任者”呼びしていたのだから、それに合わせた形なのかもと納得はしつつも、今では自然と”師匠呼び”をしているというのに、意地でも自分を”弟子”とは呼ばずに今だに”後継者”と称しているところが、こう言ってはなんだが不意に可愛らしく感じ、それ故でも微笑んでしまったのだった。


お互いの笑みが収まり始めた頃、「まだ少し疑問点が残っているだろうから、油差しについてもう少し話をするとね?」とケリドウェンは口を開いた。
「言うまでもないだろうけれど、油差しを作った直後は中身は空なんだけれどね?さっき実際に持って貰ったから分かってくれてると思うけれど、今の段階でも、あの油差しの中身は空のままなんだ」
「えぇ、それは勿論気付いていたわ」
と、立ち位置的にケリドウェンの肩越しに油差しが見えたので、視線を一瞬だけ逸らしてチラッと見た。
それからすぐに視線を戻したのと同じにして、彼は先を続けた。
「ふふ。でね、これは今まで話してきた事だから、今更繰り返すことも無いだろうけれど、話の便宜上言えばね、油差しには、その油差しを作った本人が丹精込めて作ってきた油を注ぎ入れるんだけれど…ふふ、琴音、君は恐らく、いつ、どのタイミングで油差しに、その油を注ぎ入れるのかが気になっているんじゃないかな?」
「…」
そう、今彼が自分で言ってくれた通り、いつ油差しの中に油が注ぎ入れられるのかが気になっていたのだ。
それが図星だった為か、何だか咄嗟に返せなかったのだが、その通りだと返すと、ケリドウェンは一度は朗らかにニコッと笑ったのだが、その直後には、笑顔は笑顔であっても、どこか暗い影をその中に差し入れつつ口を開いた。
「その疑問に対して、結論からというか、そのような事から答えるとね?さっき…ふふ、いや、前回に君に言ったのを覚えているかな?僕らケリドウェンが油を作る時、その総仕上げとして何をするかって話を」
「え、えぇ…勿論…」
と、急に雰囲気をガラッと変えて見せたので、その変わり身の早さに今だについていけない余りに、このように辿々しくなってしまったが、続けて言った。
「確か…うん、あなた達ケリドウェンは、自分の後継者が決まったその頃あたりに、油を作るのに使ってきた大釜を自らの手で壊して、それを…」
この時私は一旦実際に、小さくだがグツグツ音を立てる大釜に目を向けつつ話していたのだが、次に今度は視線を大量に並ぶ甕へと移した。
「大釜を壊した事で、精気が抜けていくのを我慢しつつも、最後の力を振り絞って、壊した後も灰と見紛うほど粉々になるまで砕いた大釜の残骸を、今まで作った分の油に入れて、それが溶けるのを見届けた後は、そ、その…」
と、ここで一度区切ると、私は正面にチラチラと視線を流しつつも、顔は甕に向けたまま、一度息を整えてから先を続けた。
「後は、その…自分の後継者に頼んで、自分が事切れた後は、大釜の場合と同じ風に灰の様になった自分の亡骸を、そ…その…自作の油の中に沈めて貰って、溶けて無くなるまで後継者に見届けて貰って、それで完成…って、話、だった…わよね?」
…と、やはり本当の本当に最後の段階の部分は、無神経だと恐らく思われているであろう私ですら、中々口にするのは憚れる余りに、こうした明瞭さにかけた話し方で終えてしまったのだが、いつの間にか目を閉じて私の話を最後まで黙って聞いていたケリドウェンは、ゆっくりと目を開けると、同時に穏やかな微笑を顔に湛えつつ口を開いた。
「…ふふ、僕が話した内容を覚えてくれていた事だけでも嬉しいのに、そこまで細かく話してくれて…ありがとう」
とお礼を述べると、私からの余計な相槌を防ぐためかの様に、ケリドウェンは話を引き継ぐように前置きなく言った。
「そう、僕はまさに今話してくれた通りに話したけれど、その話には実は続きがあるのが、君のことだから分かっていると思う」
「…」
と私は無言で同意を示した。
ケリドウェンは続ける。
「というのも、繰り返しになるというか、ここで漸く本題に戻ってきたけれど、ではその完成した油は、誰が油差しの中に注ぎ入れるのかって問題だね?これについて、早速答えると…うん、今回というか、君のケースに擬えて言えば、そう、師匠の油を油差しに注ぎ入れたのは勿論僕だし、注ぎ入れたタイミングは…うん、師匠が事切れて、油となってすぐくらいに、棚に置いていた師匠作の油差しを取りに行って、それから満タンになるまで、ひたすら注ぎ入れて、その作業が終わると、また棚へと戻したんだ」
とケリドウェンは、話しながら実際に当時自分が行動したその通りの行動を、目で追って見せてくれたのだろう、この間は顔を左右に忙しなく動かしていたのだが、棚の方向に向けたのを最後に動きを止めたので、私も同じ様に眺めた。
「最後に僕が油を注ぎ入れた、師匠の油差しは、話に聞いていたから知ってはいたものの…その通りにきちんと届けられて、本当に…うん、本当に良かったよ…」
と、独り言の様にボソッと呟くケリドウェンと、その言葉を黙って耳に入れていた私という、二人の視線の先にあるのは、言うまでもなく、彼の師匠作のではなく、彼自身の作った油差しなのだった。

実際はほんの少しの間だろうが、二人して棚の方向を眺めていたこの間も、意識はそちらへ行きつつも、視界の隅で、腰元のカンテラ内で光を放つ炎が、ゆらゆらとまた独特な揺らめきを見せていたのに気付いていた。
これまでの話を聞いたり、また先ほども自分で話していた間も、実は今の様な動きを見せていたのだったが、その揺らめきがその動きから何かをこちらに伝えたかったのか、訴えたかったのか、もしくはただ単純に声を掛けたかったのか、それは今の段階でも知る由はない。

ほんの少しと言ったばかりだが、ナニカを仲間外れにする様だが二人して、沈黙が続きながらも、これといった気まずい感覚は皆無で、むしろ心地良ささえ覚えていたその時、ふとここでまた前触れもなく、ある考えが思い浮かんだ。
そしてその直後には、自分で病的だと自覚してると言い訳紛いなことをこの場で枕に言いつつ、頭に浮かんだのをそのまま口に出してみた。
「ふと今頭をよぎったのを、そのまま脈絡もなく急に質問するけれど…ケリドウェン、あなたの油作りって、今はどの段階に来てるのかしら…?」
「え?僕の…今の段階?」
と聞き返す彼に、
「えぇ、さっきあなたはこう言ったわよね?…『油作りがある段階まで煮詰まってくると、次にカンテラと油差し自体を作るという仕事が始まるんだ』って」
「あー…」
と、この時点で既にこちらの言わんとするところが分かった態度を見せてくれてるのを知りつつも、話も中途半端だというので、そのまま続けて言った。
「さっきあなたは、『そろそろカンテラと油差しを作ろうかなって思った時に…』って話も、それら二つを作るって内容の前に話してくれてたけれど、今ふとね?じゃあ…今現役のケリドウェンという名を継いでるあなた自身は、何でその時に『そろそろ作ろうかな』って思いだしたのか、という事は、あなた自身が自分の仕事である油作りが、なんというか…うん、少なくとも後半に入ってるくらいのには自覚してるのかなって思ったりしたんだけれども…」
と言い終えるかどうかの時点で、私が顔色を伺うように、狙ってはいなかったが上目遣いに見ると、
「んー…そうだねぇ…」と彼はまた、一緒になって考え始めてくれた。

どれほど経っただろう、実際は一分には到底届かない程度の時間しか経って無いだろうが、その短時間でも考えを巡らせてくれた彼は、ふと何か思い至った様な表情を見せると、苦笑いに近い笑みを浮かべつつ口を開いた。
「君の質問への答えだけれどもね?…これはまだ、自分自身では何とも言えないんだけれど、これが答えになってるかはともかくとして、また師匠の例を持ち出すとね?あの人がバリバリに元気に油を作っていた頃から、事切れて油に溶けるまでを側で見てきた者の視点から、改めて考えてみて、んー…うん、あくまで直感としか言いようが無いけれど、もしかしたら…」
「もしかしたら…?」
と、何を急いでいるのか、我ながら不思議と我慢出来ずに前のめり気味に口を挟むと、そんな無礼には一々嫌な顔をせずに、ケリドウェンは続けて言った。
「うん、もしかしたら…大詰めに近いのかも…知れないね」
「大詰めが…近い…?」
と、せっかく無茶振りに近い質問だったというのに、こうして私が現実に知る、見た目が良く似た人物に対してと同じ様に、真摯に考えて答えてくれたというのに、そんな態度に甘えてしまったのか、その答えからまた湧いてしまった疑問をそのまま口にしてしまった。
「大詰めが近いって、そ、そんな…だって、ケリドウェン、あなたはまだ…」
とここで一時停止すると、彼から顔ごと視線を外して、今いる空間を見渡し始めた。
こうして周囲を見渡す中で、退屈も行くところまで来ていたのか、特に影が濃くなっている顔部分に、恐らく欠伸だろう、満月とは言わないまでも十六夜に近いくらいな明るい空間を浮かべつつ、実際に大きく前方に向かって、両手を組ませた腕と、そして両足をピンと伸ばしているのが見えたのだが、それはさておき、確信はしていたのだが思った通りに、探していたものが見つからないのを確認すると、また顔をケリドウェンに戻して続きを言った。
「…あなたの跡を継ぐ、あなたが言うところの”後継者”がまだ居ない…じゃない?」
「あ…」
と、ケリドウェンが私のセリフの何かに対して、小さくとも反応を示したが、それはさておきつつ私は話を続ける。
「今までのあなたの話の中でも出てきていなかったし、あなたの師匠の話の様な、そ、その…うん、”そのパターン”も無さそうだから、まだ仮に後継者があなたの元に来ていないのだとしたら、なら何で自分の仕事が大詰めに近いかも知れないだなんて思ったのかと、これまたふと疑問に思ったのよ」
と、例の部分でまた口籠ってしまいながらも、後はやぶれかぶれといった勢いに任せて言い切った。

結果はどうあれ後は返答を待つのみだと、視線は逸らさずにじっと答えを待っている間、ケリドウェンはというと、また先ほどと同じ様に考えていたが、側から見ても意識が戻ってきたのが分かる様子を見せると、彼はそのまま静かに、しかし薄っすらと柔和な微笑を浮かべつつ言った。
「まぁ…いずれそれは、全てが収まるべきところに収まると僕は思っているよ。…ふふ、これまた根拠はないけれどね?」
と最後に付け足すようにケリドウェンは微笑んだ。
それに対して、確かに彼自身でも言った様に、曖昧なのは断っているのだし、その点についてあれやこれやと突っ込む気は無かったのだが、しかしそれを話す時の彼のトーンが、静かは静かでありつつも、話した内容とは裏腹に、まるで確信でもしてるかの様な、どこか自信が滲んでいる様に聞こえた為に、『それってどういう意味なの?』と、これだけでも聞き返そうとしたのだが、その時、不意にスタスタと階下から階段を上がってくる足音が聞こえてくるのに気付いた。

あまりにも想定外だったせいで、この質問の続きを言えずに、ただじっと耳を済ませて、階段の頂上付近を凝視していた。この時は後ろを振り返るという形となっていたので、この場の他の様子は見えなかったのだが、ナニカは恐らくそのまま退屈だという心内を、隠すことなく余すことなく表に現しているであろう推測は容易に立てられたのだが、ケリドウェンはケリドウェンで、私に合わせてくれたのだろう、少なくとも一緒になって黙ってジッとしてくれていた。

さて、頭の半分ではその様な推測を立てたりつつも、もう半分では、この不測の事態にどう対処しようかと、思いつくままに事態の想定を繰り返しつつ、目だけは変わらずジッと階段の頂上付近を見つめていたのだが、足音が大きくなるにつれて、音を鳴らす主が姿を現してきたのと同時に、私はギョッと驚いてしまい、考えるより先に身体が自然と身構えてしまった。
というのも、塔内に入り、階段を上がってきて今いるフロアに足を踏み入れた彼らというのが、二人組だったのだが、それ自体は足音が微妙にズレていたのに気付いていたりしていたのもあり、それ自体には意外性は無くとも、それより何よりも、その姿が以前に、そう、見窄らしいまでに寂れた礼拝堂でニアミスした、修道服らしき物を身に付けた彼らと同じ…そう、ケリドウェンとは種類の違ったローブを身につけていたからだった。
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