第20話 罠・3

文字数 3,774文字

 ヴィクティムは捕虜に言った。
「おまえがありのまま述べることで、我々の呪いは完成するんだよ。言葉の端々に宿る、激しい憎しみこそが肝要だ」
 促された男は、震えながら話しはじめる。
「あの日に軍事演習があることは知っていた。あんたが思っている通り、あんたを呪いに来たんだよ。一人で密航するのはたやすい。しかし、見つかった場合のことを考えたんだ。ならば、二人で行こうということになった。二人とも、ヴィクティムさまに同じ術を伝授されたのさ。要は、お互いがお互いのスペアなんだよ」
「同じ術を……?」
「捕縛されても一人が逃げおおせたら、もう一人があんたがたに術をかけられるだろう?。どちらかが死んでも同じことさ。一方で不可能なことを、もう片方のスペアが成し遂げる」
 レフティと部下は愕然とした。
「しかし、もう一人の密航者は死んだはずだが?」
 レフティは己の言葉を「しまった!」と内心思う。相手側に弱味を見せたような気がした。教会長を含め、ルーンケルンの魔術師よりもエディットに住んでいる呪術師の方が「蘇生の術」も上手くかけられるに決まっている。
 ヴィクティムは、レフティの動揺を察したかのように目を細めた。
「一昼夜以内なら、朽ち果てた体の魂を再び戻すのは、わたしには易しいこと。この国では無理でしょうがね。デメテールさまも、お可哀想に」
「なんだと」
 レフティと部下たちは瞬時に気色ばむ。デメテール国王が亡くなった時、蘇生の術が叶わなかったことを、彼らは今でも悔いている。そこを嫌味たっぷりに触れられたのだ。気に障らないわけがない。
「レフティさま、落ち着いてくださいよ? あなたがたは我々を、この国から追放したんだ。大事な国王陛下が蘇生しなくて当たり前。それよりも捕虜には、もっと良い話をしていただきます」
 ヴィクティムは嫌味たっぷりに捕虜を顎で指し示し、更に言葉を重ねた。
「おまえは、わたしがここに来るまでの捨て駒だ。それを過ぎたら、もう用はない」
 しばらくしてから捕虜の男が首を振ったのちに、レフティを力なく見上げた。
「あんたの首に矢を放ったのは、死んで生き返った呪術師だ。彼はその後すぐに、ヴィクティムさまに消されたけどね」
 レフティの声が震える。
「なぜ、そんなことを」
「俺たちの親の代はルーンケルンを追われたのさ。親よりも術の力は遥かに劣るし、一人ひとりの能力はそれぞれ違う。だけど、俺たちはいつでもルーンケルンを狙っているんだ」
 ヴィクティムは捕虜を制して、話し出した。
「その通り。わたしの祖母も、この国の『戦士』に討たれ、追放された後に亡くなりました。わたしの仲間たちは皆、思っている。いつか祖国に返り咲くと」
 レフティは精一杯、鼻で老人たちを笑った。
「それで? どんな術を俺にかけたと言うのだ」
 ヴィクティムは軍人を見据え、ぞっとするような声を出す。
「あなた一人だけではありませんよ? あの日、演習場にいた者たち、全員です」
「えっ?」
 思わずレフティの部下二人が老人に向けて身構え、腰から刀を抜いていた。
「あの日、レフティさまが『軍人の長』としておいでになったばかりに……。ふふっ」
「どういう意味だ」
 ヴィクティムが濁った赤い目を光らせる。
「あなたがあの日、あそこに来なければ我々の呪いは完成しなかった。あなたさえいなければ、あの場にいた部下たちに呪いは及ばなかったのですよ。レフティさまさえ、いなければ」
 部下二人は青ざめ、互いに無言のまま顔を見合わせる。レフティは怒声を上げた。
「俺一人だけならまだしも、部下全員に!」
「ええ」
 老人は軍人たちに、黄色い歯を剥き出しにして笑いかける。
「もしかしたら、軍人の皆さまへの呪いは消えるかもしれない術がないわけではありませんが」
 レフティには彼の言葉がブラフのように思えた。しかし、藁にもすがる気持ちが湧いてきたことは否めない。

 夕刻を過ぎた時間だ。 
 レフティは自分の執務室にいた。向かい側にはヴィクティムが座っている。
 彼は老人を宮廷内に連れてきたのだ。忌々しい密使を執務室に入れることは汚らわしいことだ。が、彼は今日だけはと目を瞑った。室内には二人の他は誰もいない。
 老人は座ったまま、室内を珍しそうに眺めている。こちら側からの言葉を待っているかのようだった。レフティは心の中で「落ち着け」と、自分自身に言い聞かせた。
 ともかく、動揺するところを見せてはならない。彼は大きく深呼吸をして立ち上がる。
「外の風でも入れるか」
 精一杯に虚勢を張りつつ、窓を開けた。自然に中庭へと視線を落とす。すると、フランが男と芝の上で親しげに話している光景が目に入った。
「あれは……?」
 黄昏れていく芝の上で彼女の曇った笑顔が、やけに目についてくる。レフティのいる場所からは、男の背中しか見えなかった。
「あの背格好の男は……」
 窓の外をしげしげと見つめつつ考える。カインに似ている背格好の男は、カインとは違う髪の色だ。ほどなくして、こちらにフランが目を向けた。
 彼女が頭を下げるのと同時に、男もこちらに顔を向けて礼をした。レフティは右手を上げ、席へと戻る。
 そして邪念を振り払うように、今しがた書き上げたばかりの調書に目を通した。さきほどまでの収容所内の遣り取りの詳細が記録されている。読めば読むほど、嫌な気分になる書面だ。
 レフティは改めてヴィクティムを、まじまじと見つめた。
「あの捕虜を釈放するためというのは表向きの理由のようだな」
「いかようにもお取りください」
 慇懃無礼に礼をする男の酷薄そうな薄い唇が歪み、赤い瞳がぎらつく。
「この国の教会長との約束は守るんだろうな? 俺には指一本触れない、傷つけないと」
「御意にございます」
 レフティは老人を嘲笑するように鼻を鳴らした。ヴィクティムはレフティを、まばたきもせずに見据えている。それが余計に勘に触った。
「で? 改めて聞こう。まず、俺や部下にどんな呪術をかけたか。まさか俺が生きているのが、気に食わない訳じゃなかろうな?」
 白髪の男は、深々と頭を下げる。
「滅相もございません。レフティさまの御名前は、わたしのような男でもよくよく存じておりますのに」
 のらりくらりとはぐらかそうとする態度に、とことん腹が立つ。レフティは声を荒げた。
「世辞などいらぬ!」
「おや、世辞などとは。あなたが知りたいことも、今ここで教えて差し上げますのに」
 レフティはヴィクティムと対峙していて、赤子のような自分を感じはじめていた。なにを言っても、敵わないような気がしてくる。
 老人は彼の目をじっと見つめながら、唇を開く。
「そんなに急かなくても、よろしいではありませんか」
 だめだ、老人の目を見ていてはいけない。……理性が必死でレフティに訴える。
「俺と部下たちに、なんの呪術をかけた?」
「謀反でございます。あなたさまが、ルーンケルンの新しい元首におなりになるように」
 レフティの背筋を冷たいものが走った。生まれてからこの方、王室に逆らうなどと考えたこともない。自分のみならず、軍を率いて謀反を起こせと?
 彼の愕然として言葉を失った様子を愉しむように、ヴィクティムは続けた。
「わたしは知っておりました。あなただけが、エレーナさまの愛情を受けていらっしゃる方だと。いつかあなたはエレーナさまと愛し合うようになる。だが、ルーンケルンの長く続いた身分制度では、それは犯罪にも値いする」
「しかし……」
 老人は赤く濁った目を細める。
「あなたこそが、ルーンケルンの国王になる器がある方なのです。そう、はっきり申し上げてエレーナさまには荷が重い」
 レフティの声が震えた。
「しかし、謀反など」
「あなたさえ、その気になれば謀反は謀反ではなくなります。優秀な部下たちを率い、エレーナさまと二人、この国を新しく作ればよろしい」
「新しく……?」
 ヴィクティムの言葉がレフティには、唄を歌っているように聴こえてくる。
「わたしたち呪術師は、今日のこの機会を待っておりました。もうお気づきだと思いますが、我々の術は人の精神に働きかける。望みが叶う機縁が整うまで、辛抱強く待ってきたのです。ルーンケルンを取り戻し、更に発展させる人材を待っていた。それはレフティさま、たったお一人だ」
 レフティの心の中に、幼い頃からの記憶が蘇る。
 両親には不吉な子だと蔑まれてきた日々は、一度も幸せだと思ったことがなかった。寄宿舎がある武術学校に入学して初めて、力が全てだと感じた。
「そうですよね。宮中に入ってからエレーナさまと出会い、あなたの人生が変わった」
 彼は自分の考えをヴィクティムに読まれても、なぜか怒りが湧いてこない。それよりも、生まれて初めて「自分よりも力のある者」に認められたような気がする。
 レフティは頷き、即座にあわてて首を振った。心にほんの少し、消えそうだった理性が老人に尋ねる。
「もしも俺や部下たちが、謀反を回避する方法があれば聞きたい」
 ヴィクティムは悠然と微笑んだ。レフティは激しい眩暈がしてくる。今、なにを言われても聞こえそうにない。
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