第60話 潮の行方・3

文字数 4,404文字

 カインはエレーナと二人、見覚えのある峠の木陰に立っている。カインは彼女を気遣いながら、指を差した。
「あちらの方角が呪術師たちの自治区です。おそらく我々は、そこに行き着くまでに『彼』に会うでしょう」
 示された木漏れ陽の揺れる先には、誰の目からも澱んだ気に満ちていることが見て取れた。
 エレーナは黙って周りを見回した。アネイリ国王に招かれ、馬車に揺られて宮殿に向かうまでの記憶がよみがえる。
 あの時、この人を信じていたらよかった。そうしたら自国は今頃、混乱を避けられていたはずだ。
 カインは長い睫毛を伏せた女王に言った。
「過ぎたことは、お忘れになりますように」
 エレーナは顔を上げた。
「そうね、するべきことをしなくては」
 彼女はきっぱりと前を向く。
 父たちが守り抜いてきた祖国が危険に晒されている。ちっぽけな後悔にとらわれている暇はない。
「カインがいてくれるから、大丈夫ですね」
 言われた相手は一瞬戸惑ったが、大きく顔をほころばせてみせた。
 エレーナはルーンケルンを混乱に陥れた元凶の呪術師を討つために(おとり)になることを決めた人だ。二人で傷ひとつなく、エーベルたちが待つ場所に帰らなければ。……そう決めると、カインの心にも闘志が湧いた。
 しかし彼は同時に、この地に降り立った時から流れる空気の異様さを感じ取っている。ひたひたと足元にまとわりつく、重い泥のような違和感だ。それは風が吹くたびに嵩を増し、濃く立ちこめはじめていた。
 カインは少しでも邪気を払うため、ぱちんと指を鳴らす。右手に、黄金色の鞘に包まれた短剣が現れる。(つか)は彼の目と同じ鳶色をしている。
 彼はその短剣を、両手で女王へと差し出した。
「わたしの力が篭っている守り刀です。懐に入れてください」
「ありがとう」
 エレーナは顔をこわばらせ、彼から短剣を受け取った。彼女は固い笑みを浮かべ、言われた通りに胸元に入れる。
 澱のような空気が更に増してきていた。カインは女王の後ろを歩き、目的地に向かう。
 生暖かい風が吹く。
 がさっ、と木が大きく揺れる音がした。
 カインが振り向くと、そこに引き締まった肩口から黒い布を纏った男が一人立っている。背丈は彼より、やや低い。鼻から顎にかけて、同じ黒い布で覆っていた。
 男は目を細め、二人の姿を見比べた。カインたちに、男の低い声が聴こえる。
「待っていたよ、魔王」
 そう言った男は右手を高く掲げた。一瞬にして空の色が真っ暗に変わった。あちらの手には銀色に光る剣がある。
 カインも無言で目を光らせ、大きく右手を伸ばす。男に向かって構えた時には、黄金色(こがねいろ)の剣を携えていた。
「さっそくのご歓迎に礼を言う」
 カインは左手でエレーナを引き寄せ、顎を上げて男を睨んだ。
「ひとつ聞いておく。西に住む呪術師は陽の高いうちは、術を使わぬのではなかったか」
 男はカインを鼻先で嘲り笑う。
「裏切り者には話は別だ」
 裏切り者、と呼ばれたカインの心に業火がともる。同じ魔族なのにエレーナを生き延びさせて歴史を改ざんし、あろうことか呪術師に不利な未来を作っていると言われたのだ。
「それならこちらも存分にやらせてもらう」
 カインは言うなり、男と同時に跳び上がる。高く飛んだ空の上、男は斬撃をカインの左側に繰り出してくる。エレーナが息を詰める気配がした。カインは身を翻して男の背を狙い、右手で剣を振り下ろす。
 すると男は振り向きざま、彼の剣を払ってくる。カインはたじろがず、払われた剣で男の喉元を狙って突きこんだ。
「おっと!」
 男も負けじと体を外し、更に高く跳び上がる。逆にカインは地に降りた。上空から、高らかに男の嗤う声がする。
「魔王も衰えたな」
 カインは真上に浮いた、剣を振りかざしている男を見定めた。
「来いよ。叩き斬ってやる」
「行くぞ……!」
 男は勢いよく剣を振り下ろしてくる。カインはそれを頭上で受け止めて払い、間髪入れず相手の胴を真っ二つに切り裂いた。しかし、地上に転がるはずの上半身だけは浮き上がり、ふたたびこちらに向かって前進してくる。
 迎え討つカインは全力で踏み込み、標的の斜め下から心臓を裂くように斬り上げる。男は口から血を吐き、仰向けにひっくり返っていく。
 どうやら悠長に女王を隠す場所を探している時間はなさそうだ。彼は左手で抱きかかえた彼女の額にくちづけ、さきほど二人が降り立ったらしき木陰を見遣る。
 エレーナの姿が掻き消えると同時、背後からシワがれた声がした。
「魔剣の威力、見せていただきました」
 振り向くと、青白い光の球がぽっかり浮かんでいた。中に姑息な笑みをたたえる赤い目をした老人がいる。白髪を短く刈り、腰が大きく曲がった姿の老人は、こちらを上目遣いで見つめていた。
「まあ、さっきの彼も満足でしょう。前世で魔王に親を殺されたとか言っておりましたものですから、私の尖兵として出てもらったわけで。いや、さすがです。わたしも戦い甲斐があるというもの」
 カインは目を細め、老人を軽く煽る。エレーナを隠した場所へと、少しでも老人の意識が向かうのを防ぐために。
「死ぬ前に、よく喋る年寄りだな。命乞いでもしたらどうだ」
 老人は赤目を光らせた。いつのまにかカインの周りを、黒ずくめの剣を構えた男が幾人も取り囲んでいる。彼は気配で感じ取る。その数、二十人にも満たない。
「命乞いをするのは、魔王の方でしょう? わたしは運命の必然に従っているだけだ」
 カインは鼻先で笑った。
「なにを言いたいのか。……呪術師も年寄りになると、自分で話していることがわからなくなるらしい。可哀想に」
 嘲笑を重ね、語気を強める。
「老いぼれに最期の言葉を吐かせてやるよ」
 老人は顔をこわばらせ眉を吊り上げた。
「死ぬ運命の者に(うつつ)を抜かし、延命させ「善人になりたい」などとほざく魔王などおらぬ方がよい! それならいっそ、わたしがおまえに成り代わってやるわ!」
 カインの口元に凄絶な笑みが浮かんだ。本音はそこか。
 我欲のために、レフティを自分の傀儡にしたかっただけだ。
 老人の罵声を合図にした黒づくめの男たちが、襲いかかってくる。カインは臆せず前に踏み込み、ひとりの男の首を撥ねた。
 襲撃者を屠るたび、カインの剣は光を増して猛威を奮う。
 叫び声を上げて横薙ぎにして来る者がいる。彼は身を翻し、相手の脳天へと剣を叩き落とす。と同時、男の割れた頭から炎が激しく吹き出していく。
 老人のしわがれた大声が辺りに響く。
「頭や心臓を斬られるな!」
「馬鹿め。わたしに敵う者などいるはずがない」
 カインは言い、眼前を飛び上がった相手のくるぶしを切り落とす。激しく燃える炎は、足元から一直線に心臓を直撃する。
 絶命する直前の男は、振り向きざまに叫んだ。
「早くお逃げに……!」
 顔を上げたカインの視界、老人が愕然とした表情で後ずさっていた。瞬時にカインは呪術師の背後に回る。
 彼は老人の首に腕をかけた。その腕に力を込めて顎を上げさせ、剣の切っ先を突き立てる。
「ぐっ……!」
 老呪術師は呻き、逃げようとする。が、カインの腕がぎりぎりと彼の首を締め上げていた。
「おまえごとき、魔王に敵うはずがないんだよ」
 老人は目を剥き出しにして宿敵を睨み、死力を振り絞る。生涯最後の呪いのために。
「き、貴様などに……」
 カインはその言葉を遮る。負の連鎖など真っ平御免だ。
「おまえにくれてやる未来などない」
 言い終わるや否や、魔剣は獲物の喉笛を引き裂いた。呪術師の喉元から、勢いよく赤い血がほとばしる。
 真っ暗だった空に、陽の光が戻りはじめる。
 カインは木陰で立ちすくむエレーナを見つけた。彼女の顔はこわばり、カインをまっすぐ見ているが、上手く言葉が出せないようだ。
 彼も、そんな女王になんと言えばいいのか迷った。エレーナはちいさく息を吸い、カインの胸に黙って頭をつける。
 彼は無言で女王を抱き寄せた。エレーナはカインを見上げ、ほっとしたようなため息をついた。
「……カイン」
 カインは女王を覗き込んだ。
「なんでしょう」
「さっき、あの老人が言っていたことは本当ですか」
「言っていたこと、とは」
「死ぬ運命の者に現を抜かし、延命……と。わたしは元々、そういう人間だったのですか」
 カインは彼女を抱いた腕に力を篭めた。
「そうだったかもしれません。でも、エーベルも言っていたではないですか。新しい運命を作って……だったか」
「ええ」
 カインはエレーナの瞳を見つめる。
「それでいいんですよ、きっと。彼の言う通りなんです」
 二人はどちらからともなく、唇を重ね合わせた。長いくちづけの後、カインは言った。
「ここ数日のお疲れもありますでしょう、どこかでお休みになりませんか」
 女王は素直に頷いた。

 二人は今、小さな宿屋の一室にいる。
 カインはエレーナをベッドに寝かせ、自分はベッドに背中をもたれかけさせた。彼女が起きたら、すぐにルーンケルンに連れて行こうと思いつつ。
 仰向けに寝ているはずの、女王の細い声がする。
「カイン」
「はい?」
 彼が顔だけで振り向くと、恥ずかしそうなエレーナの表情があった。
「どうなさいました」
「添い寝してください」
 カインは驚いて、手を横にぶるぶる振った。
「だめです。それではあなたの疲れが取れません」
「わたしが子供の頃は、よく一緒に昼寝してくれたではないですか」
 彼は言葉に詰まった。こんなところで女王に添い寝などしたら、理性を抑えきれなくなるのに決まっている。
 エレーナは大きな瞳を濡らし、赤い唇を開いた。
「わたしには逆らわないって、船で言ったくせに」
 苦笑したカインは立ち上がる。彼女がまばたきもせずに、こちらを見ていた。
 彼が静かに毛布をめくった時、エレーナがもどかしそうに両腕を伸ばしてくる。カインも応えるように彼女を抱きしめた。
 最愛の女性が頬を上気させ目を閉じる。
 いつのまにかエレーナが、彼の背中をおずおずと撫でていた。気づいたカインも、彼女の背中をいたわるように撫でる。
 カインは苦笑しながら、つぶやく。
「これでは添い寝にならないですね」
 女王は頬を赤く染め、不器用な指先で男のシャツのボタンを外しはじめる。
「エレーナさま……?」
 女王はカインを、真っ直ぐに見つめた。
「わたしが……あなたを癒して、添い寝してあげたいのです」
 ちいさな声が、魔王の理性を吹き飛ばす。カインはエレーナの手首をつかんだ。
 
 ――満ち足りた潮が引き、新しい朝が明けて行く。

 二人の目前に、最後の戦いが迫っている。


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