第47話 潮流・2

文字数 2,764文字

 レフティがエレーナを、思いのままにしている。時間が経つごと、狙っていた女を征服している満足感が確かなものになっていく。
 不意にレフティの脳裏、フランの泣き顔が浮かんだ。フランはひどく悲しそうな顔をして、彼の耳元で囁いたような気がする。
 ――レフティさまは……エレーナさまを愛していらっしゃるのですよね。
 フランの幻を振り切るように、レフティは女王を貪り続けた。
 気がつけば、夜明け前になっている。
 彼はシャツのボタンをはめながら、頬が緩んでくることを止められなかった。
「カイン。おまえに勝ったよ。女王の体は最高だ」
 ほくそ笑みながら窓のカーテンを半分開けると、明星が空に見える。昇ってくる朝日が、新しい日々を連れて来てくれるように思えた。

 しかしレフティの運命は、その日を境に濁流に飲み込まれて行くのだった。

 夜明け前に食堂に入った時だ。
 レフティは大きなフロアに、自分ひとりしかいないことを不審に感じた。しかし、構わずに椅子を引いて座る。
 音に気がついた料理人が出てきた。
「レフティさま? 昨日の夕刻から皆さまが、ずっと探していらっしゃいましたよ?」
 言われた相手が目を光らせた。
「どういう意味だ」
「詳しいことはわかりませんが、部下の方々は港に詰めていらっしゃるようです」
 レフティの頭に、検疫所での暴動が思い浮かんだ。
「港? 港ならルーンケルンに幾つもあるぞ?」
「それでレフティさまを、皆さんが探しておられたようですよ。今は宮中に、軍人は一人もいらっしゃいません」
 料理人は落ち着かない様子で答えた。
「わかった、軽くつまめるものをくれ。すぐに出る」
「御意に」
 レフティは素早く用意された軽食を腹の中に収め、食堂から飛び出した。
 現場の指揮から離れた時間を見計らうように「なにか」が起きたと思うと、居ても立ってもいられない。
 宮廷中の人間がくまなく自分を探すような大事(おおごと)の時、自分は一体、なにをしていたのだ。そう思う気持ちと同時に、女王を征服したことで新たに生まれている感があった。
 きっと以前……西国の呪術師・ヴィクティムから言われたこと……「あなたこそがルーンケルンの王になる」預言の始まりなのだ。だからこそ、なにもかもが辻褄が合う。
「今の俺なら、なんでも思い通りに行く。そうに決まってるんだ」
 みずからを鼓舞するようにつぶやき続け、自分が撃たれた演習場へと馬を走らせる。そこなら高台でもあり、ルーンケルン国内の主要な港は見渡せる。それに、そこに行けば、信頼している部下と落ち合えるだろうという予感がした。
 急ぎ、馬を走らせて演習場に着く。部下の何人か、振り向いた途端に歓声を上げた。
「レフティさま! お待ちいたしておりました!」
 彼らの表情を見ると、まだまだ騒乱は続いているようだ。レフティは大きく頷き、声を張り上げる。
「今から俺が指揮を執る! 昨日からの状況を教えろ」
 部下たちの報告が次々に入ってくる。レフティは愕然とせざるを得なかった。
 交易商人の中でも、国に多額の税金を納めている男の娘が鉱夫の集団に殺害されたことは大事件だ。回りまわって、レフティ自身の責任も問われることになりかねない。
 それどころか夜明け前から、日頃、王室に不満を持っていた町民たちも国のあちこちで暴動を起こしていた。
 港から一時的に追放された商人や出稼ぎ鉱夫たちが、町に入り、自分たちに同意する人間を瞬く間に集めていたのが原因だ。ヒステリー状態にある彼らは寄ってたかって、抵抗できない人間を襲いはじめている。束になり、裕福な暮らしを営む人間の住居に投石をしたり、放火をしていたのだった。
 まるで誰かが、こちらがエレーナ女王と二人きりでいた時間を狙っていたかのように、町中では禍々しいことが起きていた。
 しかも不思議と、宮中の誰もレフティが女王の部屋にいたことまで思い至っていない。
 これらすべてがヴィクティムの言葉の実現化でなければ、一体なんだというのだ。
 ――昨夜までのことは仕方がない。であれば、これからどうするかだ。
 レフティは己を奮い立たせた。国土を見下ろせば、狭い平地のあちこちから煙が立ち上っている。
 夢で見た光景を思い浮かべた。転生のきっかけとなった、両親を無惨に殺害された夜の情景だ。レフティの心に憎悪と瞋恚の感情が湧き上がる。
「カインのせいだ……」
 ひとりの部下が「えっ?」と視線を投げかけた。レフティはそちらを睨みつけ、言い放った。
「魔王の呪いが発動してきたんだ! 俺だけは負けはせぬ!」
 レフティの周りにいた部下や軍閥の臣下たちは、皆が顔を見合わせた。彼らの多くは、ルーンケルンが遥か昔、魔王によって王族の血脈が途絶えそうになった歴史を知っていた。
 ひとりの臣下が尋ねる。
「レフティさまは、短時間で国内がこうなったのは彼らのせいだと?」
「当然だ。あんなに多くの人間を扇動できるのは魔族しかいない。しかも善行を積もうとしている『魔術師』には、これほどの力はない」
 彼は話しながら、周りの部下の眼差しが力強く変わっていくのを見定めた。ここぞとばかりに腹に力を込め、声を張り上げた。
「俺はこれから、暴動被害の一番ひどいところに入って鎮圧をする。心ある者は付いてこい。根こそぎ、無法者たちを捕まえて二度と日の目が見られないようにしてやる。魔王の呪いに、負けてたまるか」
 屈強な海軍軍人が、強く頷く。
「お供いたします」
 彼の下には百ほどの部下がいる。レフティは満足そうに頷き、次々に臣下や部下たちの向かう場所の割り当てを決める。軍人のほとんどが、ルーンケルンの港の隅々まで配備されることになった。
「陽が落ちる前に落ち合おう。暴動に加わった者全員をここに連れて来い。その場では殺すな。どんな些細な犯罪でも見逃すなよ? どこの国家でも、こういう時には盗みを働くヤツもいるからな?」
「わかりました」
 次いで彼はなにごとかを思いつき、凄惨な笑みを浮かべた。
「カインとエーベルも探し当てろ。おそらく国内からは出ていないはずだ。彼らをまとめて捕縛してきた者には、三階級特進を与えてやろう」
 臣下のひとりが「カイン」という意外な名前が出てきたことで、素直に驚く。
「カインさま、ですか? なぜ? エレーナさまの秘書官でもある方が?」
 レフティは顎を撫でながら、更に笑みを作った。
「解任されたよ。秘書官も護衛官も」
 臣下たちの目が丸くなる。
「二人を俺の目の前に連れてくればわかるさ。行くぞ!」
 レフティはそれきり、検疫所方面に馬を走らせる。引き締まった顔つきの大勢の男たちが、彼の後を追った。



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