第17話 歯車の欠片

文字数 4,133文字

 レフティが倒れる事件の三日前。
 
 カインは謁見の間にいた。下座に、東から着いたばかりの使者がいる。アールと名乗る男から、東国の首相から託された直筆の手紙を読み終えたばかりだ。
 広い室内には、二人の男しかいない。
 ルーンケルンは東国ロードレとの交易を拡大することを条件に、こちらの領海内をロードレ海軍と共同防衛したいと考えていた。
 しかし、ロードレ首相は「共同防衛するには、現状の貴国の軍事力はあまりにも脆弱だと思う」と、したためている。「デメテールさまであれば、責任を持ってこちらも応じることができる。が、若い女性が弊国と歩調を合わせ、指揮を上手く取れるのかは疑問であります」とも書いてあった。
 カインはあらためて、便箋をしばし眺めた。それから、ゆっくりとアールに向けて口を開く。
「デメテール陛下は、もういらっしゃらない御方です。現在の我が国の元首は、エレーナ女王なのですから」
 アールは少しも動じてはいないように見える。
「御意にございます。しかし、我々の言い分も、是非とも、お含みいただきたい」
「それは十二分に理解しているつもりです」
 使者は目を細め、交渉相手を見つめた。彼はカインを女王のブレーンだと認めている。
「カインさま。西で不審な動きが出ていることは、ご存知でしょうか?」
 カインは頷く。西と国交はない。が、知っていて当然だ。
 我が国は海を隔てて東西の国の間にある。どちらの情勢も押さえておかなければならない。
「存じております。今、あの国では呪術師の自治区が中心となって、非常に不穏な状態であると」
「そういうことです。西のエディットは現在、呪術師が政権を握ろうと画策しているという噂もあります。貴国では受け入れない呪術師たちが、弊国ロードレにまで足を伸ばしてきていることも起きております」
「我が国の取締りは、厳しくしているつもりです」
 アールはもっともらしく頷き、顎を撫でた。 
「我々は、それも承知しています。デメテール陛下のご方針でしたよね?」
「そう。西の考えは、残念ながら読めません。しかし近々、ルーンケルンに忍ばせている呪術師と、そちらに入った呪術師を一斉蜂起させるつもりだろうと思います。その時は我が国が主戦場になる可能性が高いでしょう。西はおそらく、一気にルーンケルンを制圧したいのでは……」
 アールは吐息をついた。
「我々は自由貿易を旨としている。移民も理由があれば、西からも貴国からも受け入れている。きちんと手続きを踏んだ船舶に呪術師が乗っていても、分別できない。それが近頃は、露骨に彼らの密航が増えている。個人的な見解ですが、わたしにはなりふり構わぬように見える。ただ、わたしたち政府は彼らの乗った小さな船が、風の向きでこちらに着くのだろうと判断しているようですが」
「本来ならばこちら、ルーンケルンに来るところを。そう仰りたいのですか?」
「ええ」
 アールのグラスに水が注がれる。グラスに唇をつけた彼は、ふっと目尻に皺を作った。
「ルーンケルンの水は美味しい。これを用いて作る料理も、さぞや美味いことでしょう」
 カインは相好を崩す。
「エレーナ女王からの御伝言で、あなたには食事を取ってから帰国していただきたいとのこと。この後、ゆっくりとお休みください」
 アールは、ほう、と頬を緩めた。
「ありがたいことです。ただ、カインさまも御承知だとは思いますが、こういった気配りが貴国と弊国の共同防衛につながるとは限らないわけです」
「もちろん」
 カインには予測できた言葉だった。だが、こちらもデメテール国王が亡くなる直前まで心労を尽くしていた仕事だ。ここで引くわけにはいかない。
 彼は、わざと使者に向かって笑ってみせる。
 国民を外敵から守るために、多少の農作物や技術力の流出は厭わずにいたい。それらを安全に守り育てるためには、どうしても「堅固な国防」が必要になる。不安定な世界情勢であるだけに、ロードレに対して、こちら側の言い分を丸呑みさせるつもりはなかった。
 以前から交渉の裏方にいた彼には、東側の意図がわかっていた。ルーンケルンの軍事力を侮るつもりはないが、平等なものだとは考えていない。東にしてみれば、防衛に携わる人やモノを一方的に持ち出すような気がするのだろう。
 つまり、はじめから友好的な雰囲気での締結ではないのだ。
 アールは椅子に深く腰かけ、首を左右に曲げた。
「貴国の防衛をする代わり、輸入品目を三倍に上げていただきたい」
 ルーンケルンがロードレから受け入れる品目を三倍に増やすことを求められているのだ。カインは使者の強い眼差しをいなすように、同じ動作をしつつ考える。
 東側の言うことも当然だろう。しかし、こちらにも国防を急がねばならない理由がある。
 まずはエレーナ女王が他国から過度に舐められないように、その力を誇示することが必要だ。なんとしても、テーブルの上で握手できるような状態を作っておかねばならぬ。
 足元で蹴ってくる東側からの悪意だけでも減らしておきたい。きっと近いうちに「蹴ってくる」足は増えるのだ。
 多少の不利益があっても、次世代につなぐ土台を作っておきたい。それには今を逃してはないような気がした。カインは腹を括った。
 アールの心の奥底に響くようにと、言葉に魂をこめる。
「貴国の心配の種は、首相も書かれていらっしゃいますが……。万が一の時に、エレーナさまが海軍をきちんと統治できるかということでしょう?」
「その通りです」
「海上貿易には海軍がどうしても必要になります。非常時に最高指揮官が、しっかりしてくれなくては困ると。仰ることはごもっともです。その点は早急に改善いたしましょう。幸い、ルーンケルンにはレフティという男がおります。この男はデメテール陛下の腹心でもありました。弊国の船舶だけでなく、貴国の船舶の安全も今まで以上に保障するはずです」
 使者は何度も頷きつつ、まだ不安そうな顔をしている。カインは見逃さずに畳みかけた。
「先ほど貴殿がおっしゃった輸入品目は二倍で、お願いしたいと思います」
「二倍ですか?」
 カインは不服そうなアールに、ゆったりと笑いかけた。
「その代わり、かかる品目にかける関税は三分の二に下げます。また、弊国内で農作物の品種開発をした際には、そちらにも同じノウハウをお渡しいたします。気候が似ている地域であれば、十分に活用できることでしょう」
 アールは唇の端をゆるめる。
「いいですね」
 悪くない申し入れだと思ったのだろう。ロードレは、食料自給率がそれほど高くはない。また、そちらからの輸入品の方が、ルーンケルン国内で作られたものよりも価格が安くなるものもあるだろう。この国の農民や職人たちが不利益をこうむる部分もあるかもしれない。
 しかしカインには確固たる自信があった。国防こそが国内すべての人々に対しての保護であると。彼は自信を持って言い切った。
「こちらも従来通りの条件で、国を防衛していただきたいとは考えておりません」
「ええ」
「この条件で進めるとして……品目や、関税などの細かい数字は当日、そちらの首相とお会いする際に詰めたいと存じます」
「貴国の品種改良の技術がロードレに入ることは好ましい。それに、こちらの様々に優れた物が海を渡って、貴国の街角のあちこちを飾るとすると……」
 アールの考えこんでいた顔が、ぱあっと明るくなった。
「こちらにとっては最大のメリットになりますね」
「ええ。ルーンケルンにとっても、国防が最大の課題です。それに、今申し上げたことは弊国の最大限の譲歩にもなりうることです。もしそれでもご不満であれば、期限を付けて、お互いに不手際があれば条約はいつでも破棄できるようにいたしませんか。破棄された後は従来通り、限定されたものだけの物品に限れば良い。いかかでしょうか」
 それから彼は、自国とロードレの共通するメリットを簡潔に述べた。アールは大きく頷き、カインに向かって安心しきった声を上げた。
「異存ありません」
 カインは安堵のため息をついた。一見すればルーンケルンには不利な条約だ。いつ破棄されても不自然ではない。
 が、三年も耐えればエレーナ女王も国政に慣れ、様々な勘所も理解してくれるだろう。それまで自分が命を投げうって護り、育てればいいことだ。
 使者は満足できたように、肩から力を抜いた。

 東にあるロードレは百年ほど前、王室の判断が誤ったことが遠因となり、魔族に一度滅ぼされて占領されたことがある。その際にはルーンケルンも巻き込まれ、二つの国家は王族の血を引く人間が絶えたように見えた。
 長く搾取や略奪を繰り返してきた魔族が絶えた時、ロードレは長く保っていた王制を凍結した。それ以降は選挙を行ってきた風土の国家だ。
 他国からの人の流入に寛容であるように見えて、二度と他民族からは占領されぬようにという警戒心はルーンケルンよりも強いかもしれない。現に、刑罰もこちらに比べて遥かに重かった。
 ロードレとは逆に、ルーンケルンは王の血族も絶えそうになっていたところ、一人の戦士が王族の血をつなぐ幼児を助け出した。当時のルーンケルンの民は、その戦士を当然のように称えた。そしてまた、ふたたび王制を求めて今に至っている。

 カインが東との条約締結直前に、今までの一切を破棄しようとしたロードレを翻心させたことは瞬く間に国内に広がった。
 彼は思っていた。今日のことをアールは必ずや「善きこと」として、首脳たちには伝えるはずだと。我が国とロードレの交渉はうまく行くだろう。
 それがこの国の長き繁栄のためならば、喜んでこの身は捧げよう。デメテール陛下が存命の頃から力を注いでいた条約締結でもある。きっと、エレーナさまの盾にもなるはずだ。
 予見通り、条約締結は成功した。
 締結のサイン日付は、レフティが生還した日と同じである。
                                                       
 


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