第十一話 【キノトイ・アネ】5
文字数 3,791文字
結局、その日は夜まで待機となった。
途中、部屋の近くまで偵察に行ったセンザキ・トキヨの話ではシノザキ伍長の怒号が聞こえてきたという。
あの厳格で軍人のお手本のようなシノザキ伍長が上官相手に怒声をあげたという事実は私達に困惑と不安をもたらした。
悶々とした状況下で会話も無いまま、じっと部屋で待機していた。
ねじ巻き式時計とシトネの本をめくる音だけ部屋に響く。
何時間過ぎたのかも時間感覚が失われ始めた頃、呼びにきたシノザキ伍長に玄関前に集められ、点呼だけ行われた。
「明日は七時に玄関前集合、点呼は無い。食事は時間通りだが、また変更があるのでそのつもりで。以上、解散」
それだけ言って去っていくシノザキ伍長を見て、呆然と立ち尽くす私達。
今後点呼が無いというのは驚きだが、食事に関しても変化があるという。
とにかく、2週間の間にやっとルーチン化してきた生活が終わりを告げるのだろうというのは理解した。
環境の変化が怖いのは私だけでは無いはずだ。
このまま見捨てられてしまうのではないのだろうか、そんな何の根拠もない、言いようのしれない不安が胸中を支配する。
その為か、その日の夜は寝不足にも関わらず、中々寝付けないでいた。
普段は気にも留めなかったホーホー鳥の鳴き声や皆んなの吐息が妙に耳に残る。
そして、極め付けは脳内を幾度も反芻するベツガイサキの言葉だ。
『アンタ達は騙されている』
一体、彼女は何を知っているのだろうか?
この部隊に配属前、何をしていたのか?
不安がり、恐怖する自分に嫌悪が湧く。
私は、覚悟は出来ていた筈だ。
仮にあの孤児院で暮らし続けていれば、私たちはエイリアンに危害を与えられる間もなく餓死していただろう。
それなら助けてくれた軍のために戦場に出て死のうと構わない、そう、決心した筈だった。
しかし——ここにきて、彼女の言葉が妙に引っかかっていた。
『皆んな死んでいくのよ!!』
私は孤児院のみんなの顔が浮かんだ。
自分が死ぬのは構わない。
しかし、仲間達が苦悶の表情で死んでいくのだけは——。
頬を一筋垂れる何かを感じながら、私は眠りについた。
その夜、私は夢を見ることは無かった。
ΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔ
「おはよう、アネちゃん」
目を覚ますと、親友の顔が近くにあった。
窓の外に目をやると、もう既に薄明るくなりつつあった。
「いま何時!?」
飛び起きながらそう聞くと、日野セレカはふっと微笑んだ。
「六時ちょっと過ぎや、点呼ないし、こんなもんでええんちゃうんかな?」
「そう……」
「ラッパ、鳴らへんかったね」
少し寂しそうに呟いたセレカは気を取り直すように私の腕を引っ張った。
「ご飯の時間は変わらへんらしいし、いこうや」
「うん」
ベッドから抜け出て、戦闘服に袖を通す。
他の全員も起こして、私達は全員で食堂へと向かう。
若干スキップ気味のトキヨが先陣を切り、食堂に入ろうとして、扉の前で固まった。
「お前、なにしてん?」
押しのけて入ろうとしたセレカも固まる。
私は怪訝に思いながらも二人の隙間から食堂内の様子を伺うと——。
「おはよう」
なんと、其処には先に食堂の席に着いた指揮官とシノザキ伍長の姿があったのだ。
傍らには、両手を後ろ手に組み、居心地悪そうに立っている給食係のフキタ上級軍曹が居た。
フキタ上級軍曹は中年の兵士で、挨拶も笑顔で返してくれる感じの良い人だった。
そんな彼がこんなにも不安そうな面持ちで、対照的に指揮官は涼しい顔をしているのは異様な光景だった。
食事はいつも通り先にテーブルに並べられており、湯気を立たせて私たちの鼻孔をくすぐる。
「席に着きなさい、食べよう」
私達は黙って各々の席に着いた。バレない様に、指揮官の横顔を伺う。
指揮官は飄々とした面持ちで湯気のたったコーヒーをすすっている。……どこからどう見ても35才を超えた人物とは思えない。
前孤児院長と同年齢だとは信じられなかった。この戦争とは無縁そうな穏やかな人物が私達を使って実験しようとしているとも——。
「アネちゃん……」
隣りに座る、セレカの囁きで私は我に返る。
「合掌、いただきます」
「「「いただきます」」」
号令と同時にみんながカチャカチャと旋律を鳴らした。
私の合図で指揮官やシノザキ伍長までもが手を合わせるのはなんだがむずがゆいような、妙な気持になる。
しばらくして、沈黙していた食卓で、指揮官が口火を切った。
「急遽で申し訳ないが、俺の方針で休みの日を設ける事にしてな。今日と明日は休みだ、外に出かけるぞ」
私達は手を止め、固まった。
一瞬、口に入ったものが何なのかが分からなかった。
それほど迄に衝撃を受けていた。
「外、とは……グラウンドですか?」
私の問いに、指揮官は穏やかな笑みを浮かべた。
「町だ。お前らはあまり町で過ごしたことがないだろう? それぞれ口座からおろした給料を渡すから、買い物なんかもして一般人の立ち振る舞いなんかも見ておけ」
町に……買い物?
意味が分からない。私達は戦う為にここにいるのだ。
それが、なぜ買い物をして一般人の立ち振る舞いを見る必要があるのか。
「七時集合と達したが、八時に玄関集合で良いぞ。お前らは八時まで自由時間だ」
それ以上の追求は許さない様な雰囲気を醸し出した指揮官がコーヒーをすする。
「足りないか?センザキ」
トキヨは突然名指しされて助けを求める様にキョロキョロと周囲を伺う。
トキヨのプレートに目をやると、既に空になっていた。
「まだ食べれるか?」
指揮官の問いにトキヨはオドオドしながらコクリと頷く。
「皿を持って来なさい」
トキヨは言われた通り皿を持って指揮官の横に立つ。
見ると、指揮官は一切料理に口を付けていなかった。
指揮官が徐に自身の皿に盛られている料理を指さした。
「どれが好きだ?」
「さ、さかなが好きです」
「やる、他は?」
「ぜ、全部好きです」
「そうか、この皿のもの、全部食えるか?」
「食べれます」
「ご飯は?」
「いります」
そんなやり取りの後、トキヨは指揮官の皿から料理を全て奪い去ってしまった。
ホクホクと指揮官から貰った料理を持って席に戻るトキヨ。
呆然とその様子を見る私達を尻目に、指揮官がフキタ上級軍曹に視線を送る。
「おかわりは用意してないのか?」
「……一応、定められた分量になりますので。カロリー計算上は問題ありません」
指揮官はコーヒーカップを片手に少し思案した後、口を開いた。
「備蓄の問題か?」
「そうです、本部から渡された糧食はちょうど訓練期間で使い切る分量でした。普通は予備分含めて余剰に計上するのですが……手が足りて無い上に未経験者だったようで受け入れられませんでした」
「町で買い出しに行くようにするか。今日カタログを持ってくるから調理器具も新しいのを揃えよう。献立も一新したい。悪いが君の仕事が増えるぞフキタ上級軍曹」
「こ、献立を一新ですか? 訓練終了時まで決まっておりますが……」
「軍の堅苦しい給食規則は私の権限で無いものとする。好きにやればいい、まずいか?」
その言葉を聞いたフキタ上級軍曹は顔を輝かせた。
「いえ……私もレーションの湯煎だけじゃ物足りなかったので僥倖です。腕を振るわせて頂きます」
「ふっ、そうか。さすが元飲食店経験者だ」
そんな会話を聞きながらの食事はなんの味もしなかった。
指揮官が色々と環境を変える人物だというのは分かっていたが、目の前でこうも色々と展開されると少し不安になってくる。
私は指揮官が提示する環境に適応出来るかどうか。
それが怖かったのだ。
ふと、指揮官の胸元の携帯が鳴った。
指揮官はコーヒーを傍に置き、ディスプレイを確認する。
「ニシモト伍長か。さてと、いろいろと段取りがある。先に失礼するよ。お前らはゆっくり食べろ」
そう言いながら席を立ち上がり、食堂を去ろうとする指揮官。
ホッとするのも束の間、野菜を隅に寄せ、いじりながら食べるフリをするベツガイ・サキの背後で立ち止まる。
ベツガイ・サキは気配を感じ、珍しく慌てたのか涼しい顔で野菜を一切れソッと口に運んだ。
少し涙目になったが、去勢を張っているのかそれを感じさせないように必死に表情を保たせているのがシュールだった。
いつもなら思わず笑ってしまっていたかもしれないが、指揮官の放つ、ただならぬオーラに私たちは固唾を飲んでその光景を見守っていた。
指揮官は一瞥する事なく、食堂の扉へと視線を向けたまま口を開く。
「ベツガイ、野菜は苦手か?」
「……はい」
「嫌いなモノを食う道理は無い、嫌なら残せ」
ベツガイ・サキが驚いた様に顔を上げた。
指揮官は尚も一瞥する様子もなく続ける。
「お前らも苦手なものは無理して食うな。食いたいやつに渡すか、捨てるかしろ。食事は楽しく、待ち遠しいものだ」
指揮官が去った後、私たちは黙々と食事をとるシノザキ伍長へと視線を向ける。
シノザキ伍長からは二週間前より、食事は残さず食べるように厳命されていたからだ。
「聞いた通りだ、上官の命令は遂行しろ。私とは方針が異なる」
無表情のままそう言い切ったシノザキ伍長は水を飲み干し、食事を終了させた。