第九話 説明
文字数 4,846文字
合衆国語の小難しい本をシトネに読み聞かせをした後の話だ。
まだ読んで欲しいとぐずるシトネを部屋から追い出し、ミシマ准尉の手記を読んだり、新たな訓練時程を作成したりしていると。
時計の針はすでに午前三時時を回っていた。
俺は慌てて睡眠を取り、爆音のアラームで五時には起床。
身支度を整えてフラフラになりながらも六時の点呼前には整列場所である校舎玄関前に到着する事に成功した。
まだ朝霧が立ち込め、仄暗い。
腕時計を見ながら一番最初に待機していたのはシノザキ伍長だ。
何故か右手には金色のラッパが握られている。
手を振って挨拶すると、驚いた表情で敬礼してきた。
「おはようございます、ミシマ准尉……点呼の担当は私なのでまだ顔を出して頂かなくとも大丈夫ですよ?」
「ああ、構わんよ。候補生の様子が見たくてね」
そうですか、と感心する様に前を向くシノザキ伍長。
悪いなシノザキ。
どうせ点呼は今日で最後だ、そう思えば見物するくらい訳ない。
シノザキ伍長が不意にラッパを口に当て、綺麗な音色で起床を知らせるラッパを吹いた。
昨日の消灯時間もラッパが鳴っていたが、録音じゃ無かったのか……人が実際に吹くなんざ軍はとことんアナログだな。
暫くすると、バタバタと廊下から少女達の集団が現れた。
玄関を出て、シノザキ伍長の前で横隊で整列しはじめる。
早い、ものの数秒だ。
一緒に夜更かししたシトネとふと目があったが、さほども眠そうにしていなかった。
ショートスリーパーだろうか?
なんとも羨ましい限りである。
逆に他の候補生達は軒並み眠そうだ。
消灯は二十三時で、七時間は寝れる筈だが、まあ、子供達ならそれでも足りないくらいだろう。
「気をつけ! 第一班、総員九名、事故なし、現在員九名! 番号、始め!」
キノトイが最右翼に位置し、そう元気よく発すると。
少女達がそれぞれ番号を呼称し始める。
最左翼の八番まで終わると、キノトイはシノザキ伍長に向き直り、敬礼を交わした。
「
「了解、休め」
「休め!」
シノザキ伍長の号令で少女達が休めの姿勢を取る。
「昨日の消灯前点呼でも達した通り、本日の訓練時程は変更となっている。ミシマ准尉の方針が発表されるまでは待機だ、その間は自身の身の回りの整備にかかれ」
「「「「はい!」」」」
不意にシノザキ伍長が俺に視線を向けてきた。
何か喋りますか?みたいな感じだ。
俺は一歩前に進み、
「今日から全員、大きな方針転換に困惑する事になる」
言い切る口調でそう口にした。
少女達の顔に一瞬、動揺が走る。
「それについては意味は教えない、お前達は自分で考えなければならない。でなければ望む結果は得られない。その為の手段は選ぶな、勝ちとれ、以上」
エルフライドを運用するにあたってのミソは、自主行動の確立にある。
固定概念を捨て、あらゆる状況も自ら判断し行動できなければならない。
その為のプログラムは一晩でなんとなく組み立ててきた。
多少、荒療治にはなるが、短期間の教育だ。致し方あるまい。
俺が踵を返すと、点呼は終了した。
ΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔ
「納得……できません!!」
シノザキ伍長の怒声が教室内に響く。
現在、俺はエンジニア達を交え、大人達だけの会議を行なっていた。
予想通り、俺の訓練方針を聞いたシノザキが爆発した。
候補生達を交えての訓練時程を発表した際には何も言われなかったからコイツも意外と懐がデカいなと関心したが。
発表が終わるや否や、有無を言わせぬ勢いで、
「ミシマ准尉……ちょっとよろしいでしょうか?」
だもんな。
ヒートアップしそうだったので、建設的な意見交換の場にもしようとエンジニア達も招集した。
彼らは怒り狂うシノザキを見て、気まずそうにしている。
「そもそも、非常に限られた訓練期間中に何故土日を休日にする様な真似をするのですか!今は一刻も早く候補生達に教育を施すべきです!」
俺がシノザキの言った内容をそのまま通訳して、つらつらと他人事の様にエンジニアに伝える。
その様子を見て、シノザキは尚更気に障ったのか声を荒らげた。
エンジニア達は何をどう言ったものか頭を悩ましている様だった。
「だ、そうだ。エマ達はどう思う?」
俺が促すと、彼女はシノザキをチラチラと気にしながら答えた。
「まあ……彼女の言うことも一理あるんじゃないですか?なんせ、皇国存亡の危機ですからね」
「ほう、存亡の危機か。我が国の国民はそうは思ってない」
俺の言葉に、三人は呆気に取られた表情を見せる。
ライアンが身を乗り出す様に質問してきた。
「なぜ、その様な?」
「市民は攻撃されないからだそうだ」
「バカバカしい、皇国の人間は何故宇宙人が軍を消しさっているかも分かっていないようだ。宇宙人に敗北するのは国家の敗北じゃない、人類の敗北だぜ? 皇国人は奴隷として解剖されても尻尾振るんだろうよ」
トビーがこき下ろす様にまくしたて、ライアンから口が過ぎるとたしなめられていた。
その様子を見て、俺は感心するのだった。
合衆国は世論にも後押しされる形で宇宙人との戦争を準備しているというのは、こういう価値観が背景にあるからか。
合衆国にとって、協力な軍は象徴であり、精神的バイアスとなっている。
対して我が国は国家の存続よりも生命の存続を願っている。
どちらが正しいかはさておき、面白い違いではあるな。
「何を喋っておられるのかは知りませんが、関係のある議題でしょうか?」
シノザキが人を殺しそうな眼光で俺たちを射抜く。
エンジニア達はギョッとしたようにワタワタしていた。
俺は内心、心臓がバクバクと脈動しているのを抑えつつ、平然とした口調を装った。
「大いに関係あるとも。シノザキ、お前の怒りはよく分かった。差し当たって、気に入らない部分をポイントで列挙してくれ」
暫く見つめ合う俺とシノザキ。
気づけばゼンマイ式時計の針の音だけが響いていた。
エマが交互に俺たちを見る中、深呼吸したシノザキが一言放った。
「全てです」
ΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔΔ
俺の提示した訓練方針は三つの柱を軸とする。
一つ、自主性の確立。
二つ、創造性の確立。
三つ、採算性の確立。
対して、軍が提示した方針はこれだ。
一つ、規律性の確立。
二つ、戦技性の確立。
三つ、精神性の確立。
規律性と精神性の何が違うのかはよく分からんが、とにかく俺の方針とは相反する事は明確だ。
俺の提示した、まるで企業のコンサルティングみたいな方針にシノザキは怒り、候補生達は困惑した。
それは詳細を語っても変わらず、とりあえずやってみよう! という所で議論は収束している。
いや、収束はしてないか。
現にシノザキ伍長に呼び出しを食らい、目下話し合い中だからだ。
今回の件で、俺とシノザキの間には底が見えない程の溝が出来た。
圧倒的価値観の違いが顕著になったからだ。
当事国ではない、観光気分のエンジニア達はあくまで他人事の様に静観中である。
「まず、お尋ねしたい。この自主性の確立とは一体何を刺すのですか?」
俺は待ってましたと言わんばかりに教壇に上がり、黒板に円を描く。
「エルフライド周辺一キロ圏内においては、世界中のあらゆる通信機すらも破壊するほどの電磁波を放っている。つまり、外部と連絡が取れない彼女らエルフライド部隊は支援も受けられずに敵地で孤立する事を余儀なくされる。そんな作戦において、不測の事態が起これば彼女達自身で判断を行う事が求められてくるわけだ」
「確かにそうですが……それが土日休みとどう関係するのですか?」
「候補生に休日を与えるのは自主性、創造性、採算性の三つの醸成を行う為だ」
彼女達候補生はずっと大人たちからの命令で生きてきた。
そんな人間が自分で物事をきめられるかは疑問である。
その事を説明すると、シノザキ伍長が神妙な面持ちになった。
「……休日は訓練の一環だと?」
「そうだ。シノザキ、何もタダで遊ばせる訳じゃない。それに、俺達保護者組は彼女らの所作を観察し、彼女らに沿った役割を与える。つまり、保護者組にとっては休みじゃない。彼女らの適性診断の場でもある」
「採算性、とは何を指すのでしょうか?」
「
昔、ドキュメンタリーで見たが特殊部隊は睡眠欲だったり、食欲だったり、あらゆる欲を理性で抑え付け、過酷な訓練を耐え抜くのだという。
それは一般部隊も同じで、理性を抑えた規律こそが彼らの象徴である。
しかし、俺の教育方針はそれに真っ向から反抗するものだ。
「……欲?」
「ああ、そうだ。彼女らの給与は少なくない額が支払われている筈だ。そんな中、街に出れば彼女らにとって、キラキラした物でいっぱいだ。今までは手に入らず、抑制されていた感情が吹き出すだろう、自分で買い物をし、自分を満たすために行動させ、それをサポートする」
「……それに何の意味があるんです?」
「理解させるんだ、軍での訓練は自分たちにメリットがあるのだとな」
「つまり、飼い慣らす為に飴を与えるのですか?」
彼女は少し、人でなしを見る様な目線を向けてきた。
俺は首を横に振る。
「そうじゃない、彼女達には足りない部分が多過ぎる」
経歴や所作から察するに、彼女達は自分たちの欲についてもよく理解していないだろう。
普通の子供——いや、人が持ちえるだろう欲求のレベルが低いのだ。
日がな餓死しそうな最貧国の子供達はまず生きる欲求を満たすべく、第一に食べ物や水を求める。
だが先進国の中流家庭、それよりも上位の子供はどうだ?
最初から全てが満たされている。
お腹は満たされ、教育を受け、オモチャも買い与えられ、果てはその先に夢を語ったりする。
人間というのは罪な生き物で、何かが満たされればその先の上位を望むのだ。
その為に人は頑張るし、頭を働かせる。
「彼女達に必要なのはまずは夢を与える事だ。この戦いを乗り越えた先に特典があると気づかせれば大きく飛躍する。自主性や創造性はそういった部分から派生するものだ」
同時翻訳はキツイが、何とかそこまで言い切った所でシノザキ達の様子を伺う。
シノザキは思案する様に顎に手を当て、エンジニア達は何やら思い思いに話し合っていた。
「確かに軍の短期訓練で彼女らに自主性や創造性を求めるのは難しいわね。なんたって時間が足りな過ぎるし、生い立ちが特殊よ。ミシマ准尉の案は悪くないとは思うわね」
「まあ、それにしても欲、か。確かに俺は酒を飲む為に生きてると言っても過言じゃない。その為にありとあらゆる手段はつくしてきた」
「俺も一時期む仕事中、車のことばっかり考えてた。欲しかったホイールをはめた後に我に返ったよ。これなら同じ値段のバイクを買った方が良いってな」
果ては談笑し始めたエンジニア達を遮る様に、シノザキは立ち上がった。
「ミシマ准尉」
「なんだ?」
「今は余りにも時間がありません、ですが——ミシマ准尉の案は私には思いつかないような事ばかりです」
「ああ」
「正直、凡人な私にはミシマ准尉の考えは理解出来ません。しかし——」
凡人ときたもんだ。
しかし、茶化す気分にはなれなかった。
なぜなら彼女目は余りにも——。
「それをすれば、そうすれば、我々は本当に……侵略者に勝てるのでしょうか?」
真っ直ぐな瞳だった。
彼女は自分の意見を曲げてまで俺の提案を受け入れてくれようとしている。
そんな彼女に、俺は思わず背中を向けてしまった。
「勘違いするなシノザキ、俺たちが勝つんじゃない」
俺は歩みを進め、教室の扉に手をかけながら言った。
「彼女らに勝ってもらうんだ」
外の空気を吸おう。
じゃないと潰されそうだ。
自身の責任や葛藤、果ては背中に負った大きな罪によって——。