西海篇 序
文字数 7,026文字
防予諸島の主島である屋代島は、周防大島とも呼ばれ、花崗岩が大部分を構成する地質の上層に、現在は
日本帝国とアメリカ連邦の混成部隊である九州連合軍は、畿内軍閥に奪還された屋代島への、再上陸作戦を決行した。この戦闘に参陣した同盟軍将兵の中で、現在まで記録が残っている人物としては、
これに対し、彼らを迎え撃つ畿内・山陽軍守備隊には、
私達は、この戦争の記憶を後世に継承するべく、関係者への接触を試み、その重要な一人である、ケリー海兵大尉へのインタビューを実現する事に成功した。今回は、彼の証言に耳を傾けながら、屋代島攻防戦の実相に迫りたい。
麓とは異なり、山間の道は静かだ。
丸めて畳んだ自国の旗を握り締める日本人の将校を護衛するのはアメリカ陸軍の選抜された歩兵小隊とアメリカ海兵隊の複数名の「教官」達だった。
屋代島の役所に立て籠る僅かばかりの兵達を数十倍の兵力で取り巻き降伏を促す一方、両軍は役所近郊の頂海山に逃げ込んだ敗残兵の掃討を開始した。
それは、役所に籠り住民を巻き込んで徹底抗戦を訴える守備隊の士気を低下させるためにアメリカ陸軍並びに海兵隊の2個中隊が護衛して帝国旗を掲げるデモンストレーションも兼ねていた。
しかし、山狩りは麓の攻防戦に比して激しく凄惨なものとなった。
守備隊が戦前に招き入れていた「助っ人」達はアメリカ軍に激しい敵意を燃やし、一人を殺すのに2、3名の犠牲を強いられてさえいた。
そして、何よりも兵士達を恐怖させていたのは、島中を転戦していた守備隊士官
執拗にアメリカ軍と、日本帝国でアメリカからの訓練を受けていたエリート士官を狙い、前線指揮に少なくない被害をもたらした両人の影に怯えながらも、日本帝国軍とアメリカ軍の兵士達は自らがその毒牙に掛かる事が無いように祈りつつ、掃討と行軍を続けていた。
風が吹けば今にも吹っ飛んでいきそうな―勿論、終いには爺さん
そこが、西部劇とアメリカン ジャスティス、そして
清く正しい規律主義者だったエリザに事あるごとにお得意のパイを胃に詰め込まれ反吐が出そうになって家の外に出ると、大抵爺さんは似たような日焼け方をした隣近所の爺様達と待ち構えていて、
「ショーン、イイ物を見せてやる」
と
そして、決まって見せるのは―無数の若かりし爺さん達が映っている、戦争映画だった。
「ショーン、イイ物を見せてやる」
の一言で終了した。
イイ物を見せ終わると、大抵爺さん達のベトナムトークで俺をあやす。
終いには、ベトナムの
…士官学校の同輩達が父親とキャッチボールをしている間、俺は爺さん達から海兵隊魂を注入されていた為に、竜巻で逝っちまった後に残されたのは、ガチガチの海兵隊ボーイ、「エドワード ケリーJr」だった訳だ。
お蔭で都会育ちの、「観葉植物」野郎共とは違って、少しは
そして、若くして海兵隊魂を注入しないと手に居るのか居ないのかも分からない虫でも付いた様な感覚に襲われる俺がやって来た事が「評価」され、極東の島国、日本に流される羽目になった。
俺が居るセトナイカイの島スオウオオシマは一週間に渡る戦闘の末に、ようやくアメリカ軍の手に落ちる。
いや、アメリカの同盟国である日本帝国に落ちるのだ。
アメリカ軍は日本のホンシュウの半分とキュウシュウを支配下に置いている日本帝国の同盟国として、俺を含んだアメリカ人をここまで送って、釣り目でひ弱で流されやすい
そういう無茶を命じられて一年が過ぎ、突然やる気を出し始めた島民達を率いてここスオウオオシマへ殴り込みを掛けろ、という現地司令官からの厳命が飛んできたのが2週間前だ。
そして一週間前に米軍仕様の装備を着込み、いつも
奇しくも俺ショーン ケリーの初陣はここではなく、新任少尉時代の
オオシマにはウキタという敵の将軍が送り込んだ「アメリカ人狙い」の
加えて、ナガフネとかいう敵共にアメリカ陸軍が鍛えた山岳レンジャーが随分と殺された。
ウキタの兵達はここオオシマにおいては大して手強くなかったが、この連中だけには酷い目に遭った。
「ストーカー野郎」とナガフネには、多くの島民の将校達が殺され、教練を無駄にされてきた。
「ストーカー野郎」は撃った音を残さないように銃に手を加えている。
また、狙撃ポイントから割り出して囲い込んだ時には、囲い込んだ隊長が山の中にいつの間にか引きずり込まれ、首と胴が別れた状態で翌日見付かった。
とんでもない変態猟奇野郎に俺達は目を着けられていた。
奴の事を言うと、尻の穴がギュって締まるんだ。
そういう気分だって事だ。
だが、それでもアメリカ軍を主力とする同盟軍はオオシマを席巻し、オオシマの庁舎に籠る敵を平らげればゲームセットだった。
そのために、チョウカイザンに逃げ込んだ敵を皆殺しにし、山の頂上に帝国の旗を立てるというお決まりの「勝利宣言」をする事になった。
旗を持って駆け上がる
俺にとって、小高い丘に旗を立てるのは、何よりもやりたい事だった。
爺さんがよく見せたイオージマの戦いの映画において、最高潮はまさしく星条旗がスリバチヤマに掲げられる、その瞬間だった。
戦闘の終いに掲げられた祖国の旗を見上げる事で、全ての苦労が報われる。
そう、爺さんは言っていた。
しかし、今度立てるのは同盟国の旗だ。
正直やる気が削がれる。
そんな気分で勝ち戦の余裕を以て道を登っていくと、傍らで、展開せずに丸められた国旗を大事そうに握って歩いているサンジが声を発した。
「
んなもん、知るか。
とは言わなかったが、今の気分で答えられるほど、ファニーな話でもない。
俺は適当に、さあな、とだけ相槌して適当にかわした。
頭は良いが度胸が無く、物静かなサンジは時折こういう事を口走る。
かわした事を察したのかサンジはもう何も言わずに、胸元の十字架を手に取り、何かしらをブツブツと呟く。
実に陰気な野郎だ。
キュウシュウのサガの生まれで、アメリカ軍の従軍神父へ教義について質問を繰り返し、あの堅物を辟易させたという武勇伝を誇るこのお喋り野郎は、実際、お仲間の釣り目の海藻ボーイ達とあまり交わろうとはしなかった。
代わりにお得意のアメリカ英語で俺達の和に入ろうとして、結局、陰気過ぎるのに自分で気後れして混ざれなかった。
俺にも聖書を握り締めて何か問い掛けに来てたのを思い出したが、俺は
よそ当たれ、って言ってやると何だかしょげた
丁度食堂のテレビとレコーダーを使って、
こいつは島民の癖して空気の読めない、おかしな奴だった。
指揮能力、作戦立案能力共に申し分なく、時折俺の仕事に御丁寧な指摘を寄越しやがるこの男だが、他の政治と自己アピールが好きなエリート達ともギャンブルとファックの好事家である大方の下士官や兵士達ともどこかよそよそしい付き合いしかできず、明らかに浮いていた。
ある時休憩中に日米混ざって田舎自慢をする事になった時もいつの間にか席を立って戻って来なかった。
そして、何と無く気になってうろちょろしながら探したら、一人階段の踊り場で祈りを捧げていた。
踊り場にはステンドグラスが嵌められていた。
聖母と神の子をモチーフにしたステンドグラスに、このお喋りは黙って祈っていた。
その姿は、日曜に礼拝へ欠かさず行っていた祖父母達とも違っていたのを覚えている。
祈りの姿、挙動は似通っている。
だが、サンジの祈りには悲愴な感があった。
そして、奴は俺が近くに居るのを分かっていても祈り続けたのに、同胞が近くに来ると途端に祈りを止める。
そして、胸元に手を置き、ボソボソと何かを述べていた。
俺はこいつとは理解し合えないだろう。
直感が冴えているんだ。
まるで、
そう思って以降、気にはなりつつも、サンジとは余り会話をしなかった。
山頂が近付いてくる。
一歩一歩登りきるのが、まるでロスタイムだ。
しかし、あのストーカー野郎が居るかも知れない。
山狩りをしつつ登ってきて、敗残兵の掃討を繰り返してきたが、遂に細工した銃を携えた変態を見付ける事は叶わなかった。
だが、今となっては最早奴とて隠れて縮こまっているしかない。
そう思っていた。
山頂が目の前になると、サンジは旗を広げて駆け出した。
「待て、サンジっ!」
サンジ、その後背の俺の肩越しに怒鳴った赤毛のテッド ボイル兵曹の声はサンジの耳には届かなかった。
赤毛で
旗を掲げて山頂に降り立ち、今それを突き立てようとしていた。
サンジは両手で棒を握り、それを振り被って、地へ振り下ろす。
従軍している記録班がやむを得ず、サンジの後を追った。
早まりはしたが、後悔は全く無い。
そういうサンジに辟易しつつも、俺達は一応「終わり」を感じた。
はずだった。
瞬間の事だった。
山頂に脚を掛けたサンジの額が液体らしき何かを吹き出して割れた。
俺は僅かの時の一部始終を目撃していたが、正直何も言葉が出なかった。
決して離そうとしない旗は地に接触して泥にまみれ、それを結び付けていた棒は落ちてきた勢いで地に突くように接触し、サンジの手が離れなかったために中心から折れた。
サンジは死してなお手から離さず、額が割れた状態で事切れていた。
「畜生、あのストーカー野郎っ!」
身を伏せつつも、赤毛のテッドの怒声が山道に響く。
間違い無く、サンジを殺ったのは俺達アメリカ人を追っていたあのストーカーだ。
サンジはアメリカ帰りのキュウシュウ軍のエリートだから、アメリカ軍と同じ物を着て戦っていた。
だから、殺られた。
音も無く、額を撃ち割るだけで、奴の姿は何処にも無い。
周囲の警戒をする俺達に対し、奴は何一つ動いた素振りも見せない。
また、逃げられる。
俺はサンジの方へ近付き、胸元をまさぐった。
ショーン ケリーの護衛の任務は見事に失敗した。
しかし、せめてドッグタグだけは持ち帰ろうと思い、死体の胸をまさぐった。
サンジはもう口うるさく、教義の説明を求めたりはしない。
それは永劫ない。
身体中をまさぐられてなお動かないこの男はもう確かに死んでいるのだ。
そう言い聞かせた。
死んだ者への処置は機械的なものだが、行為の内側には湧いて出たものも隠されている。
ゆえにせめて、と思った時に、手に金属らしき何かを得た。
しかし、タグではない。
思わぬ大きさに面喰らいつつ、それを引っ張り出した。
なんだ、こいつは…?
見れば分かるが、手にしたのはロザリオだ。
それもかなりアンティークじみた物で、普段サンジが持っている十字架とは違う十字架だ。
錆びて、形が風変わりな十字架を見た時、サンジが抱いていた問いの意味が何と無く分かった。
それは、言葉にならない。
しかし、分かりはした。
それを一枚取り外し、その上でテッドを呼び戻し、這ってこっちに来る赤毛にそれを手渡した。
俺は日本の旗を掴んだ。
そして、這いつくばりながらそれを持ち直して足元に匍匐前進の形のまま伏せているテッドにサンジの額を割った方角へ
「よせよ、何するつもりだっ!?」
もう一人の士官で、陸軍大尉のジョニー ワイズマンが仰向けのまま叫ぶように問うていた。
そんなもん、聞く事かっ!?
「馬鹿かっ! 死ぬだけだっ!?」
ワイズマンは語気を強めて俺を諌める。
「そういう問題じゃっ!」
「ああっ! お前、何を」
「アイツは陸軍だろうがっ!」
ああ、鬱陶しい。
そういう事じゃねぇ。
決心ってのはぶれたら戻らないんだ。
「おっ、おいっ!! 戻れ、戻るんだ、ケリーっ! ショーン ケリーっ!!!」
ひたすらに駆けた。
諦めたテッドとワイズマンの怒号混じりの制圧火力が頭を
ストーカーは引き金に指を掛けて、俺をスコープから覗いているはずだ。
屋代島、陥落。
反乱軍狙撃手、行方不明。
日本帝国九州鎮台総監部並びにアメリカ在九州派遣軍総司令部は以後、当該狙撃手を「