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文字数 8,449文字

 日本人民共和国が滅亡し、宇喜多清真山陽道に覇を唱えていた頃、山陰道では、出雲(いずも)尊久(たかひさ)棟梁(とうりょう)とする「出雲介(いずものすけ)」一族が独立勢力を築き、他方では持明院(じみょういん)秀國(ひでくに)近衛(このえ)和泉(いずみ)らの率いる畿内軍閥が、中國地方への遠征を繰り返していた。宇喜多軍は、出雲介と同盟して近衛家に抗戦していたが、南播磨地震による大坂神戸の共倒れと、尊久公の怪死を機とした出雲介の没落、中華ソビエト共和国に支援された畿内軍の有利を考慮し、出雲と共に畿内との講和を決断した。なお、この大震災に際して近衛和泉は比叡山に帰依し、「方広院(ほうこういん)」という法号(生前戒名)を称するようになった。


 それから14年の歳月が過ぎた現在、私達は伯耆(ほうき)(鳥取)夜見ヶ浜の境港を訪れていた。畿内軍閥の幕下で山陰・山陽の実権を握る宇喜多王は、九州鎮台・アメリカ連合軍に再占領された屋代島の奪還と、主として周防・長門における連合軍との戦闘に備え、北アフリカ・アラブ諸国などから傭兵達を徴募し、境港から日本列島に入国させた上で、神戸に護送していた。神戸には畿内軍諸将のほか、中華ソビエト共和国からの軍事顧問団も参列しているが、その思惑は、宇喜多側とは必ずしも一致していないようである。


 傭兵隊長の一人、ユーゴスラビア(Yugoslavia)(セルビア)陸軍出身のジャルコ(Zarko)司令官は、石州七尾(ななお)から長門(はぎ)周防山口を見下ろしている。既に事態は、我が国の歴史に前例なき、国際紛争の様相を呈しつつあった。しかし、それは真理の表層でしかなかった。


 遂に開けられたパンドラの箱、この戦争の闇深き深層に、私は眼を疑った。大罪の廃墟に夜這(よば)れた出雲の勇将、山路(やまじ)兵介(へいすけ)の前に、「四方之魔」と呼ばれた現世の武者、宇都宮(うつのみや)宗房(むねふさ)がその姿を(あらわ)す。そして、一度は時代の陰影に消えたはずの亡霊達が、20世紀の悪夢が、再び世界を徘徊し始めていた…。

話「悪意 中國山地

原作八幡景綱

・編集:十三宮顯

 薄暗い寝室の壁に、二つの人影が蝋燭(ろうそく)の傾きに沿って揺れ映っていた。

「久し振り」

 一人は煙草を灰皿に押し付けて、スクッと立ち上がった。

「ああ、何年振りかな」

 もう一人は背もたれの長い、古びた木製の椅子に腰掛けたまま、顔を上げて対面する者を見詰めている。

「正直、長過ぎた。例え、あの日より一年しか経っておらなんだとしても、私には半世紀ばかりのように感じられたよ」

 立ち上がったと共に椅子へ向けて歩み、椅子の前で立ち止まった。

「私も、君を待っていたよ。…会いたかった、ずっと」

 膝を付けそうなほどに屈める相手の顔を見詰めて、感涙は彼の自制を堪えきれなかった。

「もちろんだとも! この日を、この瞬間を、待っていたのだから!」

 椅子すらも包むように、煙草臭い体を寄せて抱擁せざるを得なかった。

 離別の間に積み重ねられた想いは、只管(ひたすら)に相手を抱き締める力となった。


その感激は、他所者(よそもの)の思い及ぶ限りではない。

 椅子より相手を抱き締めながら、涙声を耳元に掛けた。

「友よ…、我が朋友よ…」

 戦友はこうして再会した。

 東西に広く、両海洋に挟まれた山陰陽(中國地方)のほとんどは畿内軍閥の支配下にあった。

 近畿地方を軍事制圧する持明院(近衛)秀國は側近である女官近衛和泉の補佐を得ながら、苦心して山陰陽の平定を成し遂げていった。


特に神戸を拠点とし、ムスリムとしてのネットワークを駆使して大いに強勢を示してきた宇喜多清真と、雲州 平田町(出雲市)に広大な館を設け「日本人の民族性を刺激」する創国神話を喧伝する事で出雲(島根)地方の支配を正当化していた出雲介(いずものすけ)尊久(たかひさ)がそれぞれ率いる軍閥を従えるのには非常に苦労をした。


一進一退の攻防を繰り返した後、劣勢を否定しがたい情況を見て取った宇喜多清真は出雲介尊久自ら率いる軍勢を神戸にて出迎え、「福原血盟」と呼ばれる軍事同盟を締結し反近衛派として東京政府星川軍閥等との関係を結ぶ等外交を展開し山陰陽の諸勢力に次々と調略を仕掛け、秀國を悩ませていた。


出雲介尊久は宇喜多が結び付けた外交関係を背景に攻勢を繰り返し、勢力延伸の果てに伯耆 境港市を巡って遂に近衛秀國の親征と正面から激突した。


猛将出雲介尊久の采配と、配下で「今趙雲」あるいは山中(やまなか)幸盛(ゆきもり)(なぞら)えて「麒麟児」と呼ばれた山路(やまじ)兵介(へいすけ)の英雄的な武勇に煽られた出雲勢は畿内軍を幾度か退け、三好(みよし)秀俊(ひでとし)等秀國配下全将軍が敗北を味わう大奮闘を見せた。


しかし、尊久は秀國に迫った際に彼より負わされた傷を癒しに向かった玉造(たまつくり)温泉(松江市)の宿にて入浴中に前触れなく苦しみ出し、そのまま湯船の底に沈んで死んだ。


後を継いだ孝久(よしひさ)は幼く、孝久を擁した祖父盛久(もりひさ)(せがれ)尊久の死に憔悴(しょうすい)しきって精彩を欠く事目に余った。


境港陥落と中華ソビエトからの軍事支援を受けた畿内軍閥の攻勢により宇喜多の手による調略で従った諸将は次々と降伏し、あるいは壊滅させられた。


最早、盟友出雲介を統率する者は無く、宇喜多も徹底抗戦を断念。


宇喜多は出雲地方へ侵攻した畿内軍との戦闘を避けて援軍要請を適当な理由で拒むと密かに畿内の有力者である近衛(このえ)秀保(ひでやす)に接近し、神戸に軍を率いる秀國を自ら迎え入れて降伏した。


孤立無援となった盛久と孝久は一畑(いちばた)薬師(出雲市)に出向いた宇喜多清真の説得に応じ、宇喜多からの仲裁依頼を受けた近衛秀保の口添えを得た秀國を平田館に迎え、服属を願い出た。


こうして近衛秀國の手中に山陰陽は粗方落ちる事となった。


功績には礼と実を以て報いる秀國は和泉の反対を押し切って、出雲介を下すのに大きな役割を果たした宇喜多清真を山陰陽方面の大都督に任じると共に、彼に「山陰陽太政官」として地方の全権を委任した。

 結果的に宇喜多は秀国を「調略」し、山陰陽をまんまと寝取ったような者である。


今なお、近衛秀國からの覚えは良く、対して側近の近衛和泉と畿内軍閥の将軍である三好秀俊は彼を公私両面で嫌っていた。


一応軍閥の頂点たる秀國の覚えを盾に服属後に出仕していた大坂を引き払い神戸を改めて拠点とした宇喜多はムスリムとしての立場を明確にしてモスク(mosque)建設やウラマー(ulama)招聘(しょうへい)等の「利益誘導」に注力する一方、旧出雲党の将兵や官吏達の怨みの矛先を大坂の三好達へ向けるように上手く誘導しながら、かつて共に反抗した関係性を巧みに用いて畿内軍閥が自派に取り込めないでいる彼らを山陰陽方面軍に出仕させて山陰陽における自らの影響力を高めた。

 加えて、宇喜多は反東京の意思を明確にする秀國の意向に従い、資源開発で莫大な利益を得ていた東京方の清水賢一郎の事業を妨害するために、ムスリムの多い資源国家から資源を多く輸入し、安価な輸入資源の国内流通量を増やして、出羽一揆以来の資金源の切り崩しに掛かった。


畿内軍閥の実質的な宗主でもある中華ソビエト政府の有力派閥「太子党」とのコネクションを生かし、境港までの航路を中共海軍に守らせる等徹底したやり方は清水氏と彼らを軍事的に「保護」する役割を自負してきた東京政府に強い危機感を抱かせていた。

 宇喜多は更に山陰陽の「未回収地」の平定にも手を出し、周防・長州地域への政軍両面の浸透を進めて行った。


益々、和泉達の不興をよそに秀国の覚えめでたくなる宇喜多だったが、彼の巧みさはその出来の良さゆえにより一層の脅威を敵対者達に与えてしまった。

 防長にて県令を巡る血の惨劇が起きたのは、必然であった。

 夜の明けぬ内に境港に接岸した大型タンカーから乗り移った貨物列車に「運搬」されて来た男達は、しばし浴びなかった陽射しに顔を(しか)めつつ、神戸の兵舎に収容された。

 神戸の兵舎に収容されたのはおよそ90名で、ほとんどが日本列島に地縁のない者ばかりであった。


国籍を問えば、それぞれリビアエジプトアルジェリアモロッコカルタゴ(チュニジア)、とマグレブ(Maghreb)地方の出身者が多く、それ以外には文化的共通点を持つソマリランド(ソマリア)スーダン―特に北部―、シリアトランスヨルダンアラビアバーレーンアナトリア(トルコ)、そしてパレスチナアラブ(Arab)諸国出身者と大陸としての括りをされる南アフリカローデシア(ジンバブエ)ケニアアンゴラ等のサハラ(Sahara)以南のコーカソイド、ネグロイドの者達、そしてほんの僅かな日本人が居た。


彼らは収容先からして分かるように兵士である。


それも、金銭報酬を以て自他の血を流す「傭兵」という職業人達であった。


別地区の兵舎にはヨーロッパ人やアジア人の傭兵達も居るが、傭兵の中でもここ神戸兵舎収容組の90人余りの者達は言わば「VIP」であった。


と言うのも、傭兵隊長として彼らを率いる男は宇喜多の旧友なのである。

ターリク(Tariq) ヤシーン(Yacine)

「全体、気を付けっ!」

 ザッ、と一斉に音がして、すぐに止んだ。


自由闊達な無法者、という認識が成される傭兵達であるが、一糸乱れず顔立ちに義務感の(にじ)んだ男達を見て、山陰陽太政官側用人である三沢実幸は思わず息を呑んだ。


90名に号令を掛けたのは、元マリ(Mali)軍兵士であったトゥアレグ(Tuareg)人の男である。


長年戦ったマリ政府に一度は雇われたものの、互いに奪い合ってきた仲であるマリ兵と水を分かち合う気にはなれず、集団蜂起の折に脱走し、紆余曲折を経てこの部隊の副官となった。


元々の名前は既に捨て、今は傭兵として「ターリク ヤシーン」と名乗っている。


ターリクはジブラルタルを陥落させた将軍(サラセン帝国)(あやか)ったものだと三沢は聞いていた。

亀井(かめい) 無我(むが)

「諸君、長旅御苦労であった」

 兵舎でのささやかな歓迎の催し、その前準備となる畏まったセレモニーというのが日本人の行動の常であった。


兵舎管理を行う官吏と山陰陽の武官達を引き連れて歓迎の儀を執り行い、長旅への労いの弁を述べる将軍亀井無我、そして「同盟国」代表として軍吏の高官達と肩を並べて傭兵達の歓迎に出席した中華ソビエト共和国軍事顧問団陸軍砲兵教導官(Xu)國鋒(Guofeng)砲兵少校、副官の女性士官周子珍砲兵上尉、そして大坂からは近衛秀國配下の将軍で闘将として勇名を誇っていた三好秀俊と御付として元中華ソビエト共和国軍の将校で現在大坂にある士官学校「豊実館」の顧問を担っている男(Yu)(Long)、公務のため欠席した宇喜多の代理として三沢実幸が出席しての催しであった。

 亀井の長々とした話を袖にして、三沢は傭兵達一人ひとりの顔を比べ見ていた。


大坂中央では兵力への不安から傭兵や高給を餌に建設労働者や肉体丈夫な失業者達を入隊させる等の努力をしていたが、多くの兵にはどこか浮世に腕を引かれている面相があり、元赤軍出身の古参兵達に士気や覚悟の面で劣る所があったのだが、ここにいる傭兵達にはそれが無い。


無感想な表情の一方で、眼の奥にはある意味「ぎらついた」と言える、強い意志が秘められているようだった。


僅かに居る日本人傭兵にもそれは同様である。


彼らと一緒に運搬されて来たはずの日本人―と呼ぶのは少し気が引けるが―兵士は個人特有の事情でここには並べないが、この列にある日本人とて決して面構えに見劣りは無いのだ。


三沢は頼もしく思った。

「―敬礼っ!」

 ターリクの声が三沢を物思いから呼び戻した。


演説が終わって、号令と共に腕を額の所まで持ち上げる動作も様になっている傭兵達から踵を返す亀井の顔はどこか安堵した表情であり、三沢は彼との共感を初めて持った。


言っては悪いが、傭兵達の敬礼は大坂の威張り散らした若手将校やここに居る「美人将校」の周上尉より決まっている。


共感にも至るというものだ。


そう三沢は思った。

 三沢による宇喜多からの祝辞や許、三好等の歓迎の弁が終わると、一行お待ち兼ねの(はずの)宴会場へと向かう…のだが、三沢は別件があるために宴会場に入る余裕が無かった。


ターリクを先導として兵舎内運動場に向かう傭兵達を尻目に、三沢は別件に向かおうとしたが、ふと後背より声が掛かった。

(Zhou) 子珍(Zizhen)

「オツカレサマデシタ」

 甘い声の片言(かたこと)


周子珍である。


彼女は日本語での会話自体はできるのだが、いささか発音に難儀している所があるのに加え、日本風の社交辞令を言い馴れていないため、この点は未だ片言から抜け出せなかった。

三沢(みさわ) 実幸(さねゆき)

「まだ、変な発音ですな、上尉」

「あれれ、まちがったかな?」

 話し相手のせいか、敬語は使わない。


そして、何を参考にしたのかは知らないが、彼女の日本語は砕けた表現が多い。


大坂の方広院様が聞いたら、即修正物だろう。


三沢は周の言葉を聞くたびにそう思った。

「何と無く、イントネーションが違う」

「むむむ…。うぅーん、むず、むずかしいなぁ」

 人指し指を自分の顎に当て、困った顔をする周上尉の姿が三沢には微笑ましかった。


出会った時から「標準語」に洋語を加えてペラペラと話し出した顧問団の許少校やそもそも日本語を覚える気の更々ない、(Bo)忠発(Zhong)海軍中校に比べたら、よっぽど。

「しかし、それでも粗方はできていますから」

「ほんと? やった、やった」

 目まぐるしく表情の変わる子珍だが、どうやらこれが素であるようで、当初「カマトト女」と思って何時化けの皮が剥がれるかを楽しみにしていた宇喜多・三沢の主従は、頭は良いが邪気が無く、とことん万事へ正直な周に多少ペースを乱されていた。

「最初に比べたら、雲泥の差ですよ」

「ウンデイノサなんだ。ほう」

「…(ことわざ)は、これからですね」

「ことわざだったの、ウンデイノサ?」

「ええ。『大きく差が開いている』って事です」

「差…ああ、ウンデイの『差』?」

「そうです、そうです。良くできました」

「よくできました!」

 周上尉には今度の辞書でも上げよう。


大坂で研修を受けて以来、方広院和泉という講師の影響を強く受けていた三沢は、日本語を継承していく事に対して強い責任感を持ち始めていた。

「ところで、上尉は行かないのですか、宴会?」

「わたし、お酒きらい」

 嫌いなのは私も同じだけど、そりゃ付き合いだろう……。


どうやらこの子にはそういう感覚は無いようだ。

「それに、これからお仕事あるの」

「御仕事、ですか?」

「はい、大島をとりかえす準備」

「‥‥‥‥‥‥‥」

 随分、さらっと言ってくれたな。

 周防大島奪還作戦。これは屋代島の陥落直後から山陰陽征長軍司令部で練られてきた作戦計画であったが、大坂が当初難色を示していたために一旦暗礁に乗り上げていた。

「……大坂からの依頼?」

「? それは知らない」

 思わず訊いてしまったが、周上尉は恐らく知らないはずだ。


三沢は思った。


宇喜多は飽くまで自軍での大島侵攻を狙っていたのであり、そこへ中共顧問を関わらせるつもりは無かったのである。


来日当初とは打って変わって最近人が穏やかになった許は顧問団が属する大坂との関係を密にしているため、内々に別儀が下りたのであろう。


慎重な許は部下達を適当に言い含めて作業に駆り立てるだろうが、その真意は直前になるまで理解できやしない。


まして軍事作戦なら決行されれば勝敗以外誰も気にしないのだ。


許は結局、そういう手合いの人物で、加えて、他の傭兵達のセレモニーには顔を見せない三好秀俊が来ているのはこのためかも知れない。


ふとそう思った。

「大島への攻撃に許少校や上尉は参加するのかな?」

「うーん、どうなんだろう?」

 周上尉は本当に何も知らないようだ。

 …これ以上、無駄か。


三沢は適当な所で話を切ろうとした。

 すると、今度は周上尉が話を振ってきた。

「ところで三沢くん?」

「はい?」

「境港に来たアレなんだけど、アレって何入ってるの?」

「アレ…?」

「ほらほら、砲無しの歩兵戦闘車(BMP-2)! その中身ってなあに?」

「…御免なさい上尉。正直何言ってるかunderstandできません」

「むぅ、何で!?」

 言っている事が伝わらなくて膨れる周上尉に苦笑いするしかない三沢だったが、そもそも歩兵戦闘車は大坂の師団にしか回らない代物で、山陰陽にそんな物が入って来るとは思えない。

(傭兵共を積んだ便で歩兵戦闘車が? んな話聞いてない…傭兵?)

 三沢は少し意地汚くなった。

「上尉、正直に言います。私は境港に歩兵戦闘車が入って来ているなんて聞いてはいない」

「え、うそ」

「本当です。そもそも歩兵戦闘車二型は大坂の本隊しか使っちゃいないし、ウチは一型(BMP-1)の改修タイプで一応間に合っているからね、御存知の通り。一輌だけ送って来るのもおかしな話だ」

「…あれ、でも少校が」

 掛かった。


三沢は手応えを得た。

「許少校がどうしたの?」

 三沢はどうにも腑に落ちないといった具合の周上尉から漏れた言葉に喰い付いた。


上尉はつい、しまった、と言わんばかりの顔をした。

「ええっと、ええっとね」

「ん? どうしたんです、上尉?」

「ええ…っと、ね。…ん・・・・・うぅんと…」

 周上尉は少し戸惑う様子で言うべき事を探していた。


しかし、一度口をついてしくじると会話のペースは乱れるより他に無くなる。


まして言葉には不自由しているのだから、尚更だ。

(…別に、北京語で問い(ただ)してもいいんだけどね。この場で二三時間)

 三沢は内心、そう思っていた。


彼は困った顔をする周上尉に愛おしさと一抹の嗜虐心を覚えていたが、落とし所は定めておくべきだと考えていた。

 昔、無邪気ゆえに人の神経を逆撫でする美人な女の子と研修で一緒になった時は落とし所を考えずに欲望に突き動かされるままに言葉の揚げ足を取り、話せば話すほどド壺に(はま)るようにした事があったが、結局彼女は泣くに泣いてボロボロになり実家に帰ってしまった。


大坂城に呼び出されて和泉御前から大目玉を貰ったのは良い御褒美、もとい苦い経験だ。


あの時傍らでニヤニヤしながら自分を値踏みしていた宇喜多様にムカつきながら誓ったのだ。


もうあんな真似はしない、と。

 ……周子珍の顔が涙でグシャグシャになりながら、嗚咽(おえつ)交じりに言い訳する様も見てみたいだなんて、露にも思わない。


三沢は内心にケリを付け、落とし所を定めた。

「…まあ、いいや。許少校は歩兵戦闘車が入って来ているのをどっかで聞いたのかな?」

「ううん、うん。たぶん」

 「探って来い」、そこまであからさまじゃなくても「それとなく訊いて来い」って所かな。


三沢は当たりを付けた。

(何も報せずに「輸入」した事への不審視か、あるいは…許少校、人が悪くなったな。穏やかになった分だけ)

 三沢は恐らくあの「日本人」の事だと思った。


アレの事は確かに太子党には話してはいない。


境港に着いた偽装タンカーとて宇喜多の指示で先日ようやく通達したばかりだ。


ちょっと煽り過ぎたかも知れない。


飽くまで許少校達軍事顧問団は太子党の手先であり、詰まらない悶着は避けた方がためになるというものだ。

「正直な所、私ではなんとも答えられません。申し訳ないんですが」

「そう、そうなの」

 平静を保つためか、相槌(あいづち)が素っ気ない。


なんと言うかあからさま過ぎて(かえ)って妙だ。

(ただ)もしかしたら」

「うん」

「大坂からこちらへ歩兵戦闘車が寄越されるような事があるのかも知れない。その訓練用かも知れないですね」

「おお、なるほど」

 周は先程までの困り顔とは打って変わって表情が明るくなった。


どこまで演技かは知らないが、できれば素の反応であって欲しい。


わざわざ人を疑って生きたくはない。


…可愛い娘は特に、困るよりも(できればボロボロになるまで)困らせたいぐらいだ。

「こちらも何か分かれば連絡致しますので、今日の所はこれで御勘弁を。宜しいですか、上尉?」

「はい、アリガトウ」

 アクセントのズれた感謝に調子の狂う心持ちであったが、三沢は適当な別れをして、会場を出ていく周の背を見送った。

 周が離れたのを見届けると、少し身体から気が抜ける感がした。

「やれやれ、キナ臭くて(かな)わない」

 溜息と共に、三沢の口から愚痴が(こぼ)れた。

「大敵を前に、利害の身で一致できるか…我が事ながら見物(みもの)だよ、全く」

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登場人物紹介

【空界月姫】はすいけ なつき

蓮池 夏希

西海道 筑紫県 筑後郡 八女市


 日本国民軍九州鎮台府、参謀科大尉。北九州蓮池冬弥に養育された後、日本国民軍に志願した。九州を統治する吉野菫西海道政府首相の側近として彼女を良く支えるが、不遜な言動で口論を招く事も少なくない。かつて「吉野五人衆」と呼ばれた九州鎮台総督、江上 護智斎 慶也機甲中佐の娘。


―ただ「愛してくれた」人のために―

【万物流転】なかうら Agatha まなみ

中浦 アガタ 愛美

西海道 肥前郡 島原県 平戸市 生月町


 日本天主教会に出没する、謎に包まれた修道女。「救世旅団」と呼ばれる武装修道会の主人であり、共産主義者らへの白色テロ(赤狩り)を繰り返してきた、中浦家の傭兵組織である。彼女自身も、医学や武芸に強い。瀬戸内海の戦いでは、十三宮聖須崎優和に協力する。幕下に家所花蓮(いえどこ かれん)・沼田忠吉(ぬまた ただよし)らが居り、代理人の指導者も存在するらしい。八洲家の宇都宮宗房(うつのみや むねふさ)と取引し、暗躍させる事もある。


―愛なかりせば堕ちたる者―

【地平天成】じみょういん ひでくに

持明院 秀國

関西州 河内府 摂津郡 大坂市 中央東区


 方広院和泉の弟で、近畿(関西)地方を統治する畿内軍閥の皇帝。京都の名門である藤原近衛(ふじわら このえ)の末裔で、出自相応の優れた人格と実力を以て東京政府と対峙する。


「我が誉は平らかなる世の為に」

【令月風和】うきた Amir きよざね

宇喜多 アミール 清真

関西州 播磨県 摂津郡 神戸市 兵庫区


 中國地方を治める山陽軍閥の指導者で、アラビアの一神教(回教)に帰依している。浮田郷家(うきた さといえ)の兄。


「個は全のため、全は個のため。願わくは我らを導いて、正しき道を辿らしめ給え」

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