危機 燃える港
文字数 8,343文字
畿内軍閥の幕下で、中國地方を統治する山陰陽都督府が、広島湾
一方、日本国教会の若き司教・十三宮聖は、伊豆半島の司祭・須崎優和と、騎士修道会「救世旅団」の家所花蓮らに和平工作を依頼し、静岡から瀬戸内海を渡った伊予(愛媛)松山へと遣わした。しかし…拠点に帰還した私達を待ち構えていたのは、北九州
「魔女よ、
「『三河守』と呼び給え」
今や、日本列島は内戦の真っ只中にある。
私の姉である十三宮聖は、須崎司祭・家所花蓮らの無事を祈りながら、眼前を走り回る少年少女の面倒も見ている。
神戸から「学童疎開」して来た生田兵庫と、伊勢天照神宮に奉仕する社家の斎宮星見、そして出自不明の蘭木訓は、常連の子供達である。
「…」
「あ、はい。古来より、アラビアに語り伝えられている魔物で、その名の通り、人間を食べてしまう恐ろしい鬼です。向こうでは『グール』または『クトゥルブ』などと呼ばれております。シャイターン、サタンの悪魔が、天使の流星で撃ち落とされた時に、誕生したと言われ…そうそう、必ず一撃で倒さないと、力を取り戻し復活してしまう…なんて話も御座いますね」
そんな話題で盛り上がっている所に、妹の十三宮仁が、士官学院で「少年飛行兵」としての訓練を受けている、美保関天満と禅定門念々佳を案内しながらやって来た。
「地元の優しいお姉ちゃん」(後には「帝國最後の魔女」)として知られる十三宮聖が、最若の少年兵候補と話している間、司書学芸員の津島 三河守 長政は、何かを思案していた。
私の隣に居る仁さんが、それに気付いて声を掛ける。
「食屍鬼と言わば、我が国に
「戊辰の役を絶頂とする明治維新に際し、『賊軍』と呼ばれし者を始め、環境の急激なる変化に適応できぬ武士達が、数多く時代より落伍した。
「飽くまで一説…否、語りに過ぎぬ。人喰い族は元来、極めて猟奇的なる形質を持つが、
今となっては後知恵だが、「グールは一撃必殺で倒さねばならない」という「一撃信仰」は、第二・第三のダメージを与えると、彼らの遺伝子が空中に拡散し、更なる感染者を生み出してしまう…という意味ではなかったのか?
そして、津島三河の言う「人喰い族」の存在、小惑星の破片(何らかの物質・エネルギーが含まれていたと思われる)が「彼ら」に与えた影響、更には生物兵器として軍事利用される可能性を、私達はもっと早く、真剣に想定するべきであったと、後に思い知らされる事になる。
それに気付いた時には、もう手遅れだったのかも知れないが…。
「その首を賭けて、なおこの輩共が救うべきであったと言うのか」
「言うに及ばず。話すも煩わしい」
「その挙げ句が何も為さず、何も得られずしても、か」
「貴様に分かるものか、下郎」
「ああ、理解し難い」
「大いに結構。貴様らなんぞに理解される辱めなどよもや堪え忍べるものですか、気狂い共が」
「承知した。ならば―――」
「再び水底で嘆け、須崎グラティア。主の恩寵のままにな」
九州鎮台の日米同盟軍は屋代島の占領に成功したものの、畿内軍は傭兵別働隊による後方撹乱作戦を試み、遂に北九州への上陸を決行する。一転して守勢となった九州軍だが、平和な時代を築くために勝ち残る覚悟を決めた吉野首相の下で、
第
・原案:八幡景綱
・編集:十三宮顯
もはや拭い切る事は叶うまい。
吉野菫は、眼の前に倒れた
大島口・小倉口の戦いを制し、馬関海峡での海上決戦に勝って防長へ上陸した九州軍は、アメリカ軍の航空支援を受けて勢い付き、一週間で征服を完了した。
十三宮教会から、和平の斡旋を託されて送られて来た須崎優和が、
山口市の庁舎に籠もって抵抗を繰り返していた県令の杉は、山口市を灰燼に帰さんとさえした陸軍強硬派の司令官達を押さえ込んだ吉野菫と、復帰した須崎優和の説得を受け、降伏開城を全世界へ通知した。
吉野首相は、敵の健闘を讃える形で開城させるべく山口市に乗り込み、杉県令と会談会食を催したが、食前の酒杯を傾けた途端に苦悶し倒れ落ち、挙げ句死んだのである。
今、吉野首相は杉県令の前に立ち尽くしている。
最早どうにも言い繕う自信は無い。会食場所も、献立も、県令の好む赤のワインも調べ上げてまで支度をし、彼に献じたのは他ならぬ吉野達九州側のスタッフである。
県令は僅かな世話役と、秘書
宇都宮秘書は会食に同席して県令の最期を看取ったが、死の時に狼狽し怒り狂って首相に掴み掛かり、危うく引き剥がされて世話役達と別室に拘禁されている。
誰が仕掛けた。
吉野菫は酷く怒っていた。
いつ誰が頼んだと言うのか。
こんな顛末を望む者が居るだろうか!?
煮え
会見場所にあった兵が3人、杉県令の骸へと近付いた。
一人の手には白い広幅の布が握られており、後には担架が続く。
取り敢えず遺骸を運び出そうとしているのは分かった。
誰が命じたかは知らない。
少なくとも私はしてない。
吉野菫は尖っていた。
語気が強い。
兵は中途半端になっていた。
権力者の剣幕に押され、兵はたじろいで口籠もっている。
命じられた身の上は誰彼からも主格にされて、結局損のし通しとなる。
兵は嫌というほど知っていて、後々の災いを懸念するあまり、問いに答える事さえままならない。
尖った問いが胸に刺さり、答えを躊躇わす。
吉野首相は
今、足下の杉県令は如何に思うであろうか?
間に割り込み、蓮池大尉は布持ちの躊躇い人の肩を2回叩いた。
兵は吉野首相の眼を見ず会釈して腰を屈めた。
半端な立ち位置で難儀した担架も、それに併せてしゃがみ込んだ。
後背に動きを感じる。
蓮池大尉は剣幕と対した。
噛み合うはずも無いが、吉野首相は想像の内にある。
蓮池大尉は現在の状況を把握した。
蓮池大尉は杉県令から吉野首相を押し離した。
二三歩後退すると首相は大尉の腕を払った。
蓮池大尉は僅かに眼へと力を込めて吉野首相に投げた。
首相はそれを迎え撃っている。
会場に運ばれ、敗将を持て成すはずだった彩り華やかな料理は、もうすっかり冷めて、加えて誰も近寄らない。
皆が疑っているのだ。
誰か定まらないが、きっと誰かを。
杉県令が倒れてから各々が、頭に錯綜する情報を纒めかねていた。
顔に出てしまっているのだ、分からないまま。
一時の間が空き、吉野首相が口を開いた。
直後に溜め息をつき、眼を強く瞑り、同時に眉間へ皺を寄せた。
蓮池大尉は特に何も思わなかった。
眼をおもむろに開き、吉野首相は睨むように蓮池大尉を見据えた。
蓮池大尉は平然と主に述べた。
吉野首相は確かに落ち着いているようだった。
しかし、未だに混乱状態にはあると蓮池大尉は思った。
蓮池大尉は少し拍子抜けた顔をした。
吉野首相は思わず声を上げた。
どっちが先だったか分からない。
しかし、カッとなると同時に吉野首相は蓮池大尉の頬を張っていた。
蓮池大尉は至って普通だった。
吉野首相の顔は怒りのままに紅潮していたが、対する方は叩かれた頬を触るでもなく、淡々と述べた。
再び振り上げた手を蓮池大尉は払い落とした。
蓮池大尉は吉野首相の腕を掴んだまま相手へ身体を寄せた。
「他に仕様がある? どうせ宇喜多はこれ幸いと存分に煽り立てる。まともにやり合ってウチに勝ち目は無い。ならこちらは話の辻褄を合わせてウチで結論を出し開き直る。ウチに過失なしで話作ってね。そして取り敢えず勝つ。少なくとも防長は確保してね」
蓮池大尉の顔は終始平然としていた。
ただその眼は先程より厳しく、口調語調は勢いを帯びた。
吉野首相は実に腹立たしく思った。
納得できるからである。
二人に少し間が空いた。
周りも静かである。
両人の姿が緊張を強いているのだ。
吉野首相が先を取った。
蓮池大尉は一々反応しなかった。
杉県令の死を宇喜多都督へ通告してから一時間が過ぎた。
諸々の手配は蓮池大尉に任せたが、弔問代わりの悔やみの文章は首相自らが書き、文言を周辺と検討して決めた。
当たり障りの無い、一方で
連絡に対しての事実関係の確認である。
杉県令の死に至る経緯も踏まえての回答を求めてきたわけだが、念のため正直に書いた。
信用されるとは思っちゃいない吉野首相だが、せめてもの誠意を示そうとはした。
これを俗に「自己満足」と言うのを、当人は良く分かっている。
しかし好き好んで悪役を仰せ付かる者は早々居ない。
悪足掻きではあるがせめてもの抵抗はしたいのである。
悪意あるいは強欲に従うのでないなら、その者はやはりどこかで良心の逃げ場を作らねばならない。
吉野菫を時に野心家として強欲の徒と見る向きもあるが、彼女の本質は別の所にある。
彼女の大衆向けのアピールは時にデマゴーグに類されるが、民権尊重・弱者保護の姿勢は、何ら嘘の無い彼女の信念である。
何物も得難いほど、苦しい人生を送ってきた。
得たモノ以上に喪ってきた。
それ故に与える者となった。
杉県令に対しての饗応も古典的な振る舞いではあるが、しかし与えるという点においては、紛れも無い彼女の意志に沿ったものだ。
その意志の前で唐突に機会を奪われ、誠意を汚された屈辱は如何ばかりか。
しかし幾ら憤っても疑われるのは唯一人をおいて他に無く、今はただひたすらに低姿勢にして様子を伺うしかない。
よもや敵の顔を伺うとは。
思わず内心を
そんな心持ちの中一時間が過ぎたが、宇喜多側は改めて送られた速報に対し未だ反応が無かった。
長周県令の執務室に居る吉野首相は、老いた政庁の内装と、僅かに脚を動かすだけで
分かっていてもジリジリとした感傷が不快を催す。
執務机の向こうへ眼をやった。
煙草を
蓮池大尉は声に反応しなかった。
吉野首相はペンで執務机を2回ずつ叩き、大尉は強めに叩いた4回目にようやく気が付いた。
吉野首相の表情を見、蓮池大尉は態度を揺り戻した。
やれやれ吉野首相は適当な返事に肩を落とした。
本当にいい加減で、分かり難い女だ。
蓮池大尉はスッと吸い込んで灰皿に煙草を押し付けた。
そしてもう一本を取り出して口に咥えた。
えっ、と吉野首相の指摘に蓮池大尉は思わず声を出した。
箱の中身を確認し小声で本数を数える。
その姿を詰まらなそうに見る主人に、大尉は苦い顔を向けた。
蓮池大尉は咥えた煙草を指に挟んで口から離し、ムスっとした表情を向けてきた。
カチン、と来た。
吉野首相は少し眉を上げた。
吉野首相の顔を見て蓮池大尉は得意げな表情になった。
だが、大尉は煙草を箱へ戻した。
どうやらその気が失せたようだ。
すると今度は蓮池大尉が切り出した。
吉野首相は一瞬なんの事かと思ったが、切り出しを思い出した。
本当に他愛ない事を言おうとしていた。
しかし、何と無くだが気が進まなくなって言わないでおく事にした。