プロローグ
文字数 6,751文字
地球への小惑星衝突に伴う「日本人民共和国」の崩壊後、日本列島は政治的統一を失って分裂し、東京・九州を統治する「日本帝国」、埼玉・前橋を占領した「星川共和国」、関西・中國地方を支配する「畿内軍閥」など、複数の地方政権が乱立する内戦状態に突入した。
日本帝国
このような動きに対し、畿内軍の謀将として山陰・山陽を守護する
彼ら・彼女らと共に各地を転戦する中で見えて来たのは、
第壱話「西海之役」
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思い返すと苦々しいが、あれが全ての転機だった。
宰相の座にもたれ掛かり、西日の熱を背に感じながら吉野菫はぼんやりと浮かべた。
彼女は今一人である。
そして独りぼっちでもある。
宰相の執務室には誰彼の姿も無いが、例え公衆の盛り場に潜り込んだとしても彼女は孤独を味わう事になる。
それは幾重にも巻き付く御用聞きや親しげな顔で甘言を弄する粗方を侍らせていても同じ事であるのが哀れに思わせるほどだ。
かつてこれほどの孤独があったであろうか。
アイドルとして脚光を浴び、政界に出て、華々しい立ち回りを見せた時も、彼女には身内と呼べる者があまりにも少なかったが、それにしても心通じ気の置けない者が居た。
口悪く言い合い気を通じた者さえ居た。
しかし、それは遠く昔の事にさえ思えてくる。
今となっては帝国を取り仕切る有力者となった吉野菫は理想社会を目指し政道に邁進したが、帝国の常として国家の大黒柱を自負する軍部の機嫌を取らなければならない不愉快な事情があった。
星川軍閥の手を借りて討滅された
但し、古今の常として政治的側面をある程度は持つ事となっていた陸軍という組織とは異なり、個々人の思想信条はともかく、純粋な飛行機野郎か理工系のエリートが粗方を占める空軍には政治を担うだけのノウハウが欠けていた。
そしてそれを唯一人持ち得、鎮撫の立役者としても武名を高めた
吉野菫を担ぎ上げた十三宮勇の武威支配である「青鳥政権」の誕生は列島の行く末にある方向性を与えたが、当の宰相がその有り様を手放しで喜んでいたわけでもないのが帝国に憂いを孕ませていたのである。
現に宰相吉野菫はパートナーである青鳥に真意を見せず、機嫌を取りながら
加えて軍閥の長たる十三宮勇の武威を背景に八月事変以前与党であった保守派を制し革新派の勢威を増して諸政策を推進、上手く利用し事を運ばせた。
自分も随分と人が悪くなった。
笑うでもなく、嘆くでもなく、
宰相吉野菫としての自分を心掛け、意識を持ち、諸々に神経を研ぎ澄ませ、方々の諸氏を疑って敵意を押し隠した。
宰相とはそういう者であるべきだと思って来た。
しかし、演じる宰相吉野菫という役が実際の自分を犯し始めるに及び、次第に自分へ疑問を持ち出した。
どうしてこうなったんだろう。
ふとデスクの右側一番上の引き出しが気になった。
ゆっくりと引き出されたそこには名刺入れや筆記用具等も入っているが一番に目に付くのは皺の掛かった紙製の箱とライターだった。
銘柄が書いてあるが、その違いは分からない。
ただ煙草であるという事だけが分かる。
吉野菫は箱を手に取ってそこから一本引き抜いた。
覚えたてのぎこちない手付きで煙草を指に挟み、口元に近付け、ライターで火を付けフィルター越しに吸い込んだ。
肺が一辺におかしくなったような感覚が襲って来た。
思わず
吉野菫は咳き込みながら悪態をついた。
瀬戸内海を囲む西国における、日本帝国九州鎮台と大日本皇国畿内軍閥による、宣戦布告なき領土争奪の緒戦は、畿内方にその軍配が上がっていた。
畿内軍閥に従う宇喜多清真は、神戸・
山陽における帝国最後の砦であった、周防 山口市の
こうした情勢の中で九州軍に必要なのは、瀬戸内の制海権と山陽上陸への足掛かりである。
「日本列島の地中海」である瀬戸内海には、源平合戦から戦国時代に至るまで、様々な大名や海賊が覇を唱え、この海を征する事なくして、天下など夢のまた夢である。
そして周防南東部の防予諸島には、
この島を、
九州鎮台の背後には、軍縮と中立を夢見、対外軍事依存を憂うる吉野首相の理想とは裏腹に、
明治以降、ハワイ諸島など多くの海外移民が旅立った屋代島に、再び日米両国の歴史が刻まれようとしていた。
防長(周防・長門)を巡る陰謀劇は開戦という結果を呼び込んだ。
九州鎮台に派遣されて来た、陰謀好きな東京政府の官僚団の手に乗り、屋代島にて
が、想定の通りに武力行使を決断した山陰陽都督府は旅団規模の部隊を緊急派遣、親東京政府派住民ごと決起部隊を鎮圧して気勢を上げた。
吉野菫首相は顛末を知り、嘆息して
次第を報告に上がった首相府陸軍副官
陸軍参謀本部情報課は官僚団の策動を知りながら黙殺、加えて吉見大尉に接触し火砲数門を島に流し入れたのは陸軍の
臼杵大尉は生きた心地がしなかっただろう。
吉野首相は後年そう思った。
臼杵大尉は後に原隊の罪科を償う為に小倉口の死闘の最前線へ出張り、「顔無し」の手に掛かった。
臼杵大尉の死は首相をして陸軍の統制を断行させる、良い「口実」となったが、この時には後日の不幸を知る
結局、角張った顔を更に強張らせた臼杵大尉はひたすら謝罪する羽目になる。
「周防大島の守備隊は予想以上だ! 戦意武装ともに豊かで、易々とは行くまいよ」
「87式自走高射機関砲に90式戦車、か。岡山旅団の装備を見る限り、先年寝返った香川の演習部隊の装備だね。純日本製だ。それを我らのアメリカ製輸入品兵器が破壊する、と。東京の設備局連中の発狂する姿が目に見える。
少佐は
「星川如きの軍閥と妥協せねばどうにもならんのは、ソフト以前にハードの差だ。中共(中華ソビエト共和国)とソビエト(ロシア社会共和国)のスクラップ品を寄せ集めた程度の機甲戦力相手にするから出来上がりもしけてしまう。帝国は
制止を受けたせいか、言葉の端々から慎重さを投げて言い切った有馬少佐は今度はムスっとした顔で腕組み背もたれに体重を掛けた。
皮肉屋で偏屈、加えて帝国空軍の指揮官に成り上がった「飛行機野郎」である少佐には帝国の現状への強い不満があった。
吉野首相はこの我の強い武官を持て余していたが、東京から派遣され現場部隊にて
端から声が掛かった。
「…何を、貴様」
「はい、やめやめ! ミス ハスイケ、無用に煽るのは止めてくれないか?」
有馬少佐が一瞬で紅顔し、こめかみに脈打つ様が見て取れると、来栖顧問が中腰に立ち上がり両手で灰皿と地図を広げる長机の対岸にいる両人を
ボソッと小声で吉野首相は端へと呻き、内心副官の蓮池大尉に頼った数刻前の自分を罵った。
蓮池大尉は煙草を吹かせ顔を吉野首相から背けている。
有馬少佐は相変わらず沸騰寸前の赤ら顔で来栖顧問の横目にも気が付かず、対岸の大尉を脇目に睨んでいる。
先程から口を出さない馬場副官は口を結び腕を組んで顛末に関せずといった様である。
元々口数を絞りその代わりに頭の中で計略を練るのが副官の常の有り様で、これと言って普段から変わりの無いのだが、首相からすると、せめてこういう時には一言でも諫めてくれても、と思わないではない。
外は曇り、午前中だと言うのに執務席後背のブラインドの隙間より日が射さない故か部屋が少し暗く感じる。
湿った外気から午後の天候は容易に想像できたが、乾き尽くした執務室では、何が発端で火が付くか
馬場副官が怒り狂った様は見た事が無いが、有馬少佐は以前に出張先の
いずれも輝かしい「実績」を持つ紳士淑女ばかりだから本当に恐ろしく、それらが今眼の前に揃ったのだから
吉野首相は別件で話があると伝えて来た馬場副官と共に蓮池大尉を執務室に留めて仕切り直した。
蓮池大尉は
「蓮池様、礼に欠く振る舞いかと存ずるが」
元々タメの口を利く大尉だが、主人を主人と思わない態度や振る舞いは時にトラブルの火種になりもする。
しかし、それでも首相は重用を続けた。
蓮池大尉が空に煙を吹いて答えると、吉野首相も席に着いた。
二三度回転した写真は吉野首相の手許にやって来て、丁度見下ろす所でピタリと止まった。
蓮池大尉はもう一本煙草に火を付けた。
軍人家系というのは聞いた事があるが、傭兵家系って言うのは聞いた事が無いのである。
蓮池大尉はいつの間にか短くなった煙草を皿に押し付けた。
副官は首相を
「御両人の仲に入り込むのは野暮というモノでしょう。誘われても
吉野首相は独り言を言った。