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文字数 1,401文字

「結局、やるしかないわけか」

 ブラインドからは西日が差し込み、執務室のデスクを照らしている。


デスクの前に置かれた長机には影が掛かり、影首先に居る吉野首相の手には熱が感じられた。


彼女の手は机上の資料を片そうとして伸ばされているが、対岸の蓮池大尉は只々煙草をくゆらせて、首相の動きを見るでもなかった。

「盗られたら盗る。当然だろう。まして陸軍の沽券に関わるんだ。盗らせた張本人の沽券にさ」
「なんだかなあ…」

「そう愚痴なさんな」

 蓮池大尉は少し笑った。

「諸事は私がやってやる。諫早(いさはや)利三(としみつ)陶山(すやま)対馬(つしま)聖尚(としなお)も居るしな、どうにかなるさ。首相は取り敢えず首相の役目を果たせばいいさ」

「陸軍に半日缶詰めで嫌言吐かれるだけの簡単なお仕事ですね、分かります」

 不貞腐れる吉野首相は手元に集めた書類をやや乱暴に整えた。


蓮池大尉の口角が上がった。

「違うな。海軍と空軍もだよ」

「はいはい! そうでしたね!」

 吐き捨てる姿に蓮池大尉は噴き出した。


それを見て吉野首相は何か諦めたように溜め息をついた。

「楽な仕事って無いものねぇ」

「お上の苦労はお上しか知らんさ」

「そういうと前線はブチキレるんでしょ?」

「ああ、そうさ。血肉で奉仕する身の上だ。幕僚以上に抜かすだろうね」

「分からないでもないけどさ、だけど…」

「みんなが苦労しているだなんて考える奴はいやしない。自分が辛けりゃ誰かが楽しているって思うのさ。そうやって憎みや妬みで自分に活力を与えるのだろうね。ま、それでも良いとは思うがな」

「でもなぁ、それって健康的じゃないよねぇ」

「悪い癖だ」

 蓮池大尉はそう言って珈琲の残りが溜まるマグカップに煙草を押し付けた。


一瞬ジュッと音がしたが、吉野首相が気付いた時には既に口を開いていた。

「前も言ったけど、全てを救うなんて思うものじゃない。思いは重石だ。持てば持つだけ後で苦しむ。まして抱えきれる程のキャパなんて無かろう? そうなら重石はいずれ毒になるんだ」

「・・・・・でも」

「でも、だけど、それでも、は無しだよ」

 蓮池大尉は立ち上がり、吉野首相の横まで来て、腰を落とした。

「義務感なのか優しさなのか正直私にはわからない。しかし、いずれにせよだ、貴方の理想の前にそれは壁だ。貴方はこの腐れ国家の在り方をひっくり返す為にここまでやって来たんだろう?」

「う、うん」

「なら、貴方には世の中を渡る身軽さが必要なんだ。余計な重石は博多湾に沈めなさい」

 首相は理念に沿って反論できない。


現実を知らない身ではないのだ。

「途方も無い夢、受け入れ難い理想だよ。帝国の根幹にはケダモノの(さが)がある。そいつを人間にしてやるんだろ? なら駄目だ。貴方の敵は救い難き『暴君』の手先。一朝一夕で打ち破れない」

「『暴君』…?」

「特定の誰彼じゃないよ、念の為」

 蓮池大尉は少し笑った。

「まあ、何だ。かつてギロチンの返り血を浴びてでも万民に理性社会を授けようと、理想を遂げようとした奴もいたが、結局暴走の果てに自分の首が飛んだ。その後待ってたのは腐敗と専制、大戦争の挙げ句の破綻と復古だ。犠牲はみんな無駄になった」

「・・・・・・・」

「一旦始めたらやり遂げないと。貴方の理想は本当に重い。その為には…勝ち残れ。それ以外考えなさんな」

「・・・・・分かってる」

 分かってるけど。


そう言いたくはなった。

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登場人物紹介

【空界月姫】はすいけ なつき

蓮池 夏希

西海道 筑紫県 筑後郡 八女市


 日本国民軍九州鎮台府、参謀科大尉。北九州蓮池冬弥に養育された後、日本国民軍に志願した。九州を統治する吉野菫西海道政府首相の側近として彼女を良く支えるが、不遜な言動で口論を招く事も少なくない。かつて「吉野五人衆」と呼ばれた九州鎮台総督、江上 護智斎 慶也機甲中佐の娘。


―ただ「愛してくれた」人のために―

【万物流転】なかうら Agatha まなみ

中浦 アガタ 愛美

西海道 肥前郡 島原県 平戸市 生月町


 日本天主教会に出没する、謎に包まれた修道女。「救世旅団」と呼ばれる武装修道会の主人であり、共産主義者らへの白色テロ(赤狩り)を繰り返してきた、中浦家の傭兵組織である。彼女自身も、医学や武芸に強い。瀬戸内海の戦いでは、十三宮聖須崎優和に協力する。幕下に家所花蓮(いえどこ かれん)・沼田忠吉(ぬまた ただよし)らが居り、代理人の指導者も存在するらしい。八洲家の宇都宮宗房(うつのみや むねふさ)と取引し、暗躍させる事もある。


―愛なかりせば堕ちたる者―

【地平天成】じみょういん ひでくに

持明院 秀國

関西州 河内府 摂津郡 大坂市 中央東区


 方広院和泉の弟で、近畿(関西)地方を統治する畿内軍閥の皇帝。京都の名門である藤原近衛(ふじわら このえ)の末裔で、出自相応の優れた人格と実力を以て東京政府と対峙する。


「我が誉は平らかなる世の為に」

【令月風和】うきた Amir きよざね

宇喜多 アミール 清真

関西州 播磨県 摂津郡 神戸市 兵庫区


 中國地方を治める山陽軍閥の指導者で、アラビアの一神教(回教)に帰依している。浮田郷家(うきた さといえ)の兄。


「個は全のため、全は個のため。願わくは我らを導いて、正しき道を辿らしめ給え」

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