西海篇

文字数 4,586文字

 屋代島の戦いより二十年以上前、当時の日本列島は、共産主義独裁政権の日本人民共和国に支配されていた。それゆえ、日本人にしてアラビアの一神教徒でもある宇喜多(うきた)清真(きよざね)は、迫害を逃れ、西アジアのアラビア(Arabia)帝国で亡命生活を送っていた。


 宇喜多氏と言えば、あの毛利(もうり)尼子(あまご)と並ぶ山陰・山陽の戦国大名であり、関ヶ原にも参陣している。


 そんな武門の末裔と語られる宇喜多清真の元に、トランスヨルダン(Transjordan)王国からの同志が、幾つかの重大情報を伴って訪ねて来た。その一つは、日本の出羽山地(山形)において、独裁政権に対する頑強な抵抗が勃発し始めているという事。そしてもう一つは、こうした混乱に乗じて、とある傭兵の人脈を借り、マラッカ(マレーシア)経由で日本に密航し、石州(せきしゅう)(島根)浜田に上陸するという計画であった。


 この宇喜多清真こそが、後に畿内軍閥の中國地方司令官として、瀬戸内海を挟んだ九州に展開する達に対し、数多(あまた)の謀略戦を仕掛ける事になるのである。今や広大な山陰・山陽道を統治するに至った彼は現在、古くは(たいら)清盛(きよもり)の都であった神戸福原(ふくはら)(神戸市 兵庫区)に拠点を置いている。今回は、そんな強大なる敵将の伝記を読誦(どくじゅ)したいと思う。

話「神戸福原

原作八幡景綱

・編集:十三宮顯

 赤旗(ひるがえ)る頃、私は遠くアラビアの街にあって、ある日知己を得たヨルダンの男とカフェの椅子に腰掛けていると、ヨルダンの男が懐より一枚の写真を取り出し私へ突き出した。

「君の御所望の物だ」

 ヨルダンの男、顔に(いささ)かの変わりも無く淡々と言うに付け、私は問いを投げねばならなかった。

宇喜多(うきた) アミール(Amir) 清真(きよざね)

「何を望むと?」

「絵を見たまえよ。聞くより早いさ」

 ヨルダンの男、そう言って再び懐を探り、煙草を取り出して一本を口に咥えた。


私は構わずに写真に目を下ろし、絵の内に見入る事とした。

 絵は私の脳裏に鋭い切っ先を突き立て、深く深く刃を差し込んだ。

「先頃、ツガルの友より送られて来た」

 ヨルダンの男、ただ突き入れられて(ほう)けるままの私を一瞥(いちべつ)し、いつの間にやら3本の吸い殻を灰皿に転がして、4本目に火を付けた。


私はようやく正気に醒めて男に問うた。

「こは何か? 何ゆえ貴殿が津軽(つて)を持つと言うのだ!?」

ソビエト(Soviet)の味方はムスリム(Muslim)の仇。それにあ奴らはアラー(Allah)に否を吐きかけた。見過ごすわけにはいかん。ツガルにはウイグル(Uighur)上がりを潜らせた。ソビエトの出稼ぎに紛れている」

出羽クラーク(kulak)が…よもや、しかし(にわか)には…」

「悪いが、絵に付け足せる技も粋も持ち合わせてはおらん。ニホン人なら簡単なんだろうが」

 無論、日本人とて無理な話だ。


しかし、絵に写るのは無理を押し通したモノであり、一揆など脳炎にでも(かか)ったとしか思えない。

 清水(しみず)賢一郎(けんいちろう)、出羽の篤志のクラーク、彼の一揆は私の常識を打ち砕いた。


そして、私の中に(ほの)かに火種が生まれ、それが時を一つずつ刻んで進むに連れて段々と(くすぶ)っていった。

「どうした?」

 ヨルダンの男、煙草を咥えたまま私の顔を覗き込み、私の心中を察した。


男は煙草を離して、

「望むなら、国に帰してやるが?」

「どうするつもりだ?」

「知り合い頼みだが、ソイツから手を回してもらう」

「…信用に足るのか、其奴(そやつ)は?」

「このケースではな」

 ヨルダンの男、三度懐を弄り、一枚の名刺を出した。

「こういう店を商うのか、其奴は?」

ヘブライ(Hebrew)相手の情報源さ。奴は面喰いでな。別嬪(べっぴん)を見付けるとすぐに仕立てる」

「自分は喰わないのか?」

「喰わないそうだ。存外淡白でな。累代(めかけ)は置かない家なんだとさ」

「名は?」

ヤシマ二世ヨイチ。噂に聴かないか?」

「…なるほど、人間の屑にも潔癖さはあったわけか」

「ソイツは俺のニホン語教師だ。あんまり悪く言わんでくれ」

 ヨルダンの男、わざとらしく煙草の息を私に掛かるように吹っ掛け、私が(しか)(づら)で煙を払う間に吸い殻を皿へと落とした。

「貴殿、正規兵だったとは思えんな。交友関係に影があり過ぎる」

「ジャのミチはヘビー、ってやつさ」

 ヘビー?…ああ、蛇、か。


彼は蛇と言うより猫だ。


少し気紛れが過ぎる。

「受け売りか。しかし、八洲(やしま)の道は修羅道ぞ」

「シュラドー? なんだそれ?」

 シュラドー、シュラドー?

 この言い回しが気に入ったようだが、いちいち構うつもりは無い。

「ああ、いい。今度教えてやる。仏陀(Buddha)の話だ」

「流石にニホン人。ブッダ好きだな」

「日本の常識(コモンセンス)なのは認めよう」

 ヨルダンの男を惜しく思った。


貧しさゆえに軍隊で暮らす事になり、遂に脚を洗えなくなったこの哀れなる者!


もし、彼が大学へ通えるだけの富裕の子であれば、きっと、きっと多くの学を志す若者達の先達で有り得たであろう。


彼の知的な好奇については彼の仲間内でも煙たがられるほどであり、そんな男ゆえに、東洋の亡命者であった私に付きまとって知己を得るに至ったのだ。

「幾らだ?」

「金はイラン。君はムスリム、同胞だ。同胞の里帰りだ。心ゆくまで時を費やしてこい。人は一応付けてやる」

「かたじけない」

「カタジケナイ?」

「…あ、ありがとう。そういう意味だ」

 フフッ、と笑うヨルダンの男。


私は少し気恥ずかしくて顔を背ける。


男は少しニヤついたまま、話を続けた。

「丁度、ここら辺からトンズラしたい奴が居てな。腕は立つ。なんでもやれるから使ってみてくれ」

「物騒な奴なのか?」

ラミズ(Ramiz) カダレ(Kadare)イリュリア(Illyria)(アルバニア)のゲグ族の男。元狙撃兵だ」

「何をやらかした?」

「軍隊で上官に逆らって処刑されたの仇を討った。2年前に殺しをやって軍隊から逃げ出した。その後は放浪の中で共産党の高官共を襲って身包み剥いで日銭を稼いでいた」

 血の復讐(Gjakmarrja)


なるほど、そういう方面にも顔を出し始めたか。


つくづく、堕ちる所まで堕ちたんだな。


そう思わずにはいられなかった。

「頼もしいだろう? ああ、安心しろ。君の事は知っている。君のクランについての話も知っている。それに憧れたようだ。君自身も尊敬している」

「会ってもいないのに尊敬だと?…まあ、悪い気はしない。裏切って突き出されさえしなければ構わない。十分だ」

「安心したよ。ハマダ(石州 浜田市)の港に着ける材木積みの船が2週間後にマラッカ(Malacca)を通る。話は通しておくから、そこまで行ってくれ。後は船に乗ってしまえばこっちのもんだ」

「随分と簡単なプランだな」

「お得、と言って欲しいな」

 ヨルダンの男は笑いを漏らした。


だが、すぐに表情を切り替えた。

「覚悟は、いいな?」

「無論。これを待っていたのだ」

 そうとも、私、いや俺はこの時を待っていたのだ。

 ヨルダンの男は、そうか、とだけ呟いて、しばし黙った。

 騒めく周囲をよそに我ら二人は何も語らず、ただ沈黙し、ただ日々を憶う。

「明日、いや明後日だ。皆呼んでくる。盛大に喰って、好きなだけ馬鹿をやろう」

「ああ、いつも通りに。無礼講だ」

「ブレイコウ。そう、ブレイコウだ」

 ヨルダンの男、遂に意味を問わずして、言葉の真相を掴んだ。

「…ニホン

「ああ、私の国だ」

「必ず、手にして来い。君のクランのレコードを塗り替えて来い」

「いいだろう。やってやる」

ナオイエ(宇喜多直家)は偉大なる壁だ。だが、越えて行ける。いま生きているのは、君なのだからな」

 ありがとう、ヨルダンの友よ。


きっと勝ってみせる。


偉大なる祖をきっと超えてみせる。

「そして俺をショーグンにしてくれ」

 ジェネラルでなく、ショーグン、か。


なら俺は…不敬な話だ。

 だが、別になってしまえば良いのだ。


そうだ。


そうだとも!

「良いだろう。貴殿を将軍に任ずる。我が友、トランスヨルダンの浪人―――――」

 …ま、…さまっ!…宇喜多様っ!

 …ああ、またあの日の事を夢見ていたのか。

 私は時計を見る。


執務室の簡易ベッドに横たわって3時間、か。


遅かったな、予想よりも。

 宿直が御免、と声を掛けて執務室の戸を勢い良く開く。


すると主が既にスクっと起きているのに少し面喰らっていたようだ。

「おはよう。随分と早いがね。まずはを淹れてくれ。いつもの濃いのを」

三沢(みさわ) 実幸(さねゆき)

「おっ、お早う御座います…いや、閣下、あまりに突然の報でして、その…」

「そうかね? むしろ、随分と時間を喰っていたじゃないか。アメリカにしては存外と鈍い動きで拍子抜けだよ」

 宿直は呆けたような顔をしている。

「あ、あの、閣下? 今、なんと…?」

「いや、良い。説明は後で皆一斉にしようじゃないか。まずはを」

 取り敢えず、今から武官、文官共に集めても30分は掛かるだろう。


の一杯でも飲もうじゃないか。

 宿直はなおもオロオロしている。


何を一人で慌てている。

「えっと、あ、あのですね…」

「大島は最初から捨てている。大坂にもそれは伝えている。帝国の銀貨30枚程度の爵位に目が眩んだ楽観主義のクラーク共に現実を思い知らせてやるには丁度良い損害だ。これで総動員できるよ」

 宿直は『呆気にとられました』、とばかりにボケっと突っ立っている。


やれやれ。


私が起きたらまずはを淹れてくれ。


いつもそう言っているのに。


全く、若い連中は気が利かないな。

 あれから数十年が過ぎた。


出羽の清水も(清水夢有(むう)の親になった。


その出羽と戦った星川(ほしかわ)(星川(うい)も自分に反抗する年頃の娘(星川(ゆい)が出来て難儀しているそうだ。


私がかしずく男持明院(じみょういん)秀國(ひでくに)も、その裏で糸を引いている変な女方広院(ほうこういん)和泉(いずみ)も私よりか若い。


歳を取るわけだ。


皆我が子供のような世代だというのに、私はまだ張り切っておらねばならない。


我が敵は若作りした婆さん(吉野菫)だそうだが、歳相応の振る舞いもできぬ輩など恐るに足らないというものだ。

「武官達に伝えよ。周防大島陥落せり。これより、我ら攻勢に出る。首筋の匕首(ひしゅ)を避けたくば、必死になって払う術を作って参れ、とな」

「御意っ!」

 宿直はそう答えると、慌てて(きびす)を返して駆け出し執務室の戸を閉めて去って行った。

 …あの慌て者。


を淹れてくれって言ったろうに。

 周防大島守備隊、全滅か。

 そうか、やはり大島は捨てたのか。


実に君らしい、思い切りの良さだ。


それは正しい。


あそこが落ちたと聞けば、きっと女狐の誑かしに気付くだろうからな。

 君には感謝せねばならない。


私は良い死に場所を得た。


君の、私の夢の、終着点がそこにあるんだ。

 応えてみせよう、君の将軍として。


君の友として。

 そして、我らは感謝しなければならない。

 神は(アラー)偉大なり(アクバル)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【空界月姫】はすいけ なつき

蓮池 夏希

西海道 筑紫県 筑後郡 八女市


 日本国民軍九州鎮台府、参謀科大尉。北九州蓮池冬弥に養育された後、日本国民軍に志願した。九州を統治する吉野菫西海道政府首相の側近として彼女を良く支えるが、不遜な言動で口論を招く事も少なくない。かつて「吉野五人衆」と呼ばれた九州鎮台総督、江上 護智斎 慶也機甲中佐の娘。


―ただ「愛してくれた」人のために―

【万物流転】なかうら Agatha まなみ

中浦 アガタ 愛美

西海道 肥前郡 島原県 平戸市 生月町


 日本天主教会に出没する、謎に包まれた修道女。「救世旅団」と呼ばれる武装修道会の主人であり、共産主義者らへの白色テロ(赤狩り)を繰り返してきた、中浦家の傭兵組織である。彼女自身も、医学や武芸に強い。瀬戸内海の戦いでは、十三宮聖須崎優和に協力する。幕下に家所花蓮(いえどこ かれん)・沼田忠吉(ぬまた ただよし)らが居り、代理人の指導者も存在するらしい。八洲家の宇都宮宗房(うつのみや むねふさ)と取引し、暗躍させる事もある。


―愛なかりせば堕ちたる者―

【地平天成】じみょういん ひでくに

持明院 秀國

関西州 河内府 摂津郡 大坂市 中央東区


 方広院和泉の弟で、近畿(関西)地方を統治する畿内軍閥の皇帝。京都の名門である藤原近衛(ふじわら このえ)の末裔で、出自相応の優れた人格と実力を以て東京政府と対峙する。


「我が誉は平らかなる世の為に」

【令月風和】うきた Amir きよざね

宇喜多 アミール 清真

関西州 播磨県 摂津郡 神戸市 兵庫区


 中國地方を治める山陽軍閥の指導者で、アラビアの一神教(回教)に帰依している。浮田郷家(うきた さといえ)の兄。


「個は全のため、全は個のため。願わくは我らを導いて、正しき道を辿らしめ給え」

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色