神戸 福原官邸

文字数 4,483文字

「昨晩は随分と夜更かしされたようですね」

「ああ、年甲斐も無くやってしまったよ」

「私も学生時代を思い出しますよ」

「おいおい。徹夜麻雀と一緒にするかね、君は」

 「福原官邸」と俗に呼ばれる、宇喜多清真の屋敷は元々神戸を支配していた日共の高官が使っていた建屋で、宇喜多が福原にて兵を起こした時に手を入れて以来ずっと彼の屋敷として扱われていた。


日共の高官の審美眼を全く理解できなかった宇喜多は接収してまず持ち主の色を全て塗り潰し、真っ新なようにして屋敷を作り変える事に熱中していた。


その片手間に始めた三木の戦い(播磨 三木市)で宇喜多の軍に惨敗を喫した日共の軍隊は誠に不憫でならないが、その日共の将軍であった者達は(すべから)く今宇喜多の軍門にあって老将ながらも歴戦の経験を生かしている。


宇喜多はそのものを叩き壊す事をしない男だった。


器に価値を見出したのなら、その理を変えて用い続ける男だった。


彼はその喩えによくイスタンブール(Istanbul)ビザンチン様式のモスクを挙げているが、それは彼がムスリムだからである。

「それにしても、御友人の方を矛としてお使いになられるというのも、いやはや恐れ入る事です」

「随分と口の利き方を覚えたな、三沢」

「あなた様の受け売りで御座いますれば」

 ちょくちょく毒を吐く宿直・三沢実幸に対して宇喜多は多少睨むような視線を浴びせるが、三沢はどこ吹く風といった具合である。

「無駄口ばかり覚えおって…そんな口ばかり利いた覚えは無いぞ?」

「覚え無きほどに、で御座いますよ」

 三沢は毒を吐きながら淹れたコーヒーを宇喜多が腰を据えている執務室のデスクに置いた。


宇喜多はそれをためらいもせずに口元まで持ち上げた。

「…ふ、言いよるわ」

 宇喜多は背もたれに体重を掛けながらコーヒーを啜っている。


それを見て思い出したように三沢は話し出した。

「ところで、宇喜多様」

「ん? 扶持(ふち)なら増やさんぞ」

「それは残念ですが、別件です」

 三沢はさらっと流した。


宇喜多は平素の澄まし顔を見て、別件を悟れた。


付き合いは長い。

「…太子党の犬めらが騒ぎ立てておるのか」

「御意。境港の歩兵戦闘車(BMP-2)について、詳細が聞きたいそうでしたよ、周上尉は」

「ああ、アレか」

「知っていたのですか」

「当たり前だ」

 ならこっちに言えよ、爺い。


三沢はそう思った。

「普段の保管スペースでは危険なものでな」

「積荷はやはりそれだけのものなのですか?」

「まあな。別に吸ったら皮膚が(ただ)れたり、星川の化粧が剥がれたりするわけじゃないんだがの。不用意に近付いたら生きては帰れん」

「中身は猛獣ですか、あれは」

八洲(やしま)の連中が一門郎党(ことごと)くを動員してどうにか退けたそうだ。少なくとも、我々の想像が及ぶほどの人間じゃないんだろう」

「そんな化け物、何に使うんです?」

 三沢は少し溜息をついて述べたが、宇喜多はそのままコーヒーを啜って続けた。

「…使い所はある。精士郎(せいしろう)に内緒で聞いた所では雇った一流の狙撃手を遠方より認知し、追い詰めた挙句―――ったそうだ」

 ん?

 三沢は聞き取れない部分が無性に気になった。


しかし、宇喜多はもう言い切っている。


敢えて問わない事にした。

吉野菫でも狙いますか?」

 三沢は自分のコーヒーを淹れている。


宇喜多もそちらを向かない。

「一考の余地はある。腕の一本でも持って行ければ随分と気落ちするだろうしな」

 宇喜多は再びコーヒーに口を付けた。


三沢は手にコーヒーと砂糖入れを持って宇喜多の対面に座った。

「ところで、さっき仰られていましたが、星川女王の化粧はマスタードレベルじゃないと無理なんですかね」

「無理だろうな。聞く所によれば国家予算級の開発費だそうだ。あのオリーブ女も随分苦労するの」

「オリーブ‥? ああ、上杉(うえすぎ)橄欖(かんらん)ですか。あの露出狂女」

 宇喜多は呆れたように口角を上げた。

「本当、君も随分言うようになった」

「星川の連中には色々喰わされましたからね。言いたい事は山程」

「ふ、あの小童共の見え透いた手に乗る貴様らのほうがどうかしとる。それに無くしたのは精々小銃千丁あまり。目くじら立てるほどではないわ」

「それでも、一通りの『お返し』はしてやりたいものです」

 三沢の口振りは軽い。


しかし、宇喜多は一刻、思う所があり、その後に続けた。

「なら、腕の良い連中を紹介しよう。狙撃、服毒、爆殺、辻斬り、床上手、内憂に火を付けて燃えたぎらせる、どんな奴も知っているが御所望は如何に、お客さん?」

 三沢は眼を笑わせた。

「ああ、実に素晴らしい交友関係ですね。全く、悪人政治家ここに極まれり」

 三沢の言葉に宇喜多は心外そうな顔をした。

政治家たるもの、せめて一人や二人、匕首を握らせる者が居なくてはならぬよ」

「勉強になります。しかし、狙撃手と服毒者は何と無く素性が分かりますが、床上手と放火魔は知りませんね。どなたでしょう? 星川家は女ばかりですし」

吉原知人が居る。あそこの上役は喰えん奴だが、下っ端共を狩り出すくらいわけないね。そういう伝手はある。昨今は女も遊郭通いをするようだしな」

「はあ、世も末ですねぇ」

 三沢は分かりきった事にリアクションを取った。


宇喜多はそれに続けた。

「遊郭を利用して策を巡らすのは古今の手。ラテン人(フランス)ゲルマン人(ドイツ)もやった手だ。使い古された手だが、効果はやはり高い」

「欲に際限なし、ですか。それも肉欲と食欲は生き物ならば仕方がない。まして、万年繁殖期の人間なら尚更です。しかし、そういう所から離れるための共産主義だったのに。数十年の苦行は何だったのでしょう?」

(くびき)を離れた後遺症だ。日共の上や『科学者』共がどこまで本気だったかは知らんが、所詮実力で抑え込んだ人の性よ。西側文化の欲には際限が無いしな。すぐに色狂いになるさ。まして国が倒れたばかりで皆手持ちは身体だけだ。金も物も無い無い尽くし。遊ぶならそれしかなかろう」

「とは言いつつ宇喜多様、福原の歓楽街は潰してしまいましたね」

 三沢の言葉に宇喜多は顔を崩した。

「良い(ざま)であったろう? 郷家も兵介も良くやってくれた。あれほど痛快なものは無かったのう」

 カッカ、と喉を鳴らして笑う宇喜多だが、三沢は現場にて歓楽街が燃え落ちる様を見ており、とてもそういう気分にはなれなかったが、一応愛想笑いはしておいた。

 革命後お尋ね者となっていた日共の幹部達が逃亡資金を得るために娘を売ったという事案は聞いていたが、実際の有り様を見るとやはり怒りが収まらないのが人情というものではある。

 宇喜多は歓楽街に足(しげ)く通う新興富裕層が日共幹部の逃走を支援していると聞き、大坂に黙って独自調査していたのだがそこで知り得たのは、親から憎め憎めと教え込まれた敵である客に貪り尽くされ、終いには取り返しのつかない身体になって歓楽街から厄介払いされた女達の無残な姿であった。

 無縁に堕ちたその者達の虚ろな眼と摩耗し切った肉体。


宇喜多は若い頃にアフリカで見た光景と酷似した実態に怒り狂った。


所詮、この国の民でさえこんなものだ、と。

 結局彼も人の子であり、加えて、理念はともかくとしても、振るう手を欲しいままにする専制君主であった。


怒りのままに弟の将軍浮田郷家出雲党の豪傑で浮田の部隊にて大隊長を務めていた山路兵介に命じ、歓楽街を一斉に取り締まった。


取り締まりを利用し、暴力分子を排除するという名目で、女衒(ぜげん)も客も寄生者達もヤリ手婆まで皆、殺した。


宇喜多清真も側近達を連れて駆け付け、「清め」の炎が歓楽街を包み込む様を見届けていた。


そして殺された客達の骸に鞭を打ち付けるために、詭弁虚言様々に駆使して、客達の資産を奪い取り、その名誉を悉く剥奪した。


その一族達も徹底的に追及し、根絶やしにしてしまったのである。


大坂はこの事実には一切関わらずに居た。


知っても是認も否定もしなかった。


宇喜多を恐れたのである。

 この時の彼は、極めて狂気的であった。


それは彼が信仰するイスラムの教えに、ではない。


単に己の理想にであった。


国に帰って幾十年の時を経て、現実を前に封じるしかなかった青い理想は、偶然眼にした非道を前に再び彼を充たした。


失われた自らの在り様を不意に取り戻した主人が、三沢には実に恐ろしかった。


これほどのものは無い、と。


三沢は軽口を叩いて彼と付き合いながらそう思っていた。

 理想ほど、仄暗(ほのぐら)き本質を示すものは無い。


理想ほど、正義を冠する凶気を生み出すものは無い。

「で、どうする? 星川もやるか?」

 物思いに僅かに耽っていた所で、不意に掛かった声に三沢は一瞬慌てた。

「ええ…っと、突然殴り掛かるのも、アレですかな…?」

 宇喜多は怪訝な顔をした。

「ん? どうした、さっきの勢いは? まあ、良いが。それならアレだ、アレが良い」

「ッ‥アレとは?」

「星川女王の懐刀、上杉橄欖はどうやら他の連中と対立しているそうでな。科挙節度使石田(いしだ)三成(みつなり)加藤(かとう)清正(きよまさ)相良(さがら)武任(たけとう)(すえ)晴賢(はるかた)みたいなもんだろうが、特に星川子飼いの笹川(ささがわ)何某(なにがし)とかいう男が常に殺さんばかりに彼女を睨み付けておるという。狙い目だとは思わんか?」

「…面白そうですね。それを如何に料理するかですが」

「激発するだけでも愉快な事だ。笹川、摂津(せっつ)小田(おだ)岩月(いわつき)と武闘派が多い星川家だ。まあ軍閥ゆえ当たり前だがな。此奴らを用いて上杉を引き摺り下ろせば貴様らも満足であろう?」

「ええ、堪らない」

 三沢は先程の物思いをどこかへ投げ、愉快な話に意識を集中した。


所詮、三沢は嗜虐の虜である。


宇喜多は更に付け加えた。

「因みに橄欖には心のみ交わした者がおるそうな。狙い眼はそこだな」

「はて、それは何故でしょう?」

「キリスト者だそうだ、其奴(そやつ)。コミュニストだった橄欖をの教えに帰服させたという打たれ強い男だそうだ。此奴を叩けば橄欖の心は必ず折れる。いやむしろ」

「砕ける。それも木端微塵に。オリーブは(しぼ)み、油の抜けた奴は只の枯草。星川も柱が折れ、後は手足が頭を真似てかつての大本営のようになる」

「明察だよ、三沢。やっと追い付いて来たな」

 宇喜多は弟子の答えに喜びを隠さない。


三沢も光栄とばかりに破顔し、加えて心中で星川の城の前で笹川達が膝を突いて聖戦に敗れた事を詫びる、どこぞの記録映画で見たような光景を夢想し悦に入った。

 これからしばらくの間、獲物を星川から清水、東京、吉野、更には和泉女院にまで広げて主従二人は嗜虐の策を語り合った。


全く、似たり寄った主従である。

 傾いた日を追って夜が頭上へやって来る。


主従の穏やかな時間であった。

 日が暮れると、福原は静まり返った。


最早人心を湧かすネオンの灯は無い。


静寂という言葉が良く似合う、そんな頃合いとなった。

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登場人物紹介

【空界月姫】はすいけ なつき

蓮池 夏希

西海道 筑紫県 筑後郡 八女市


 日本国民軍九州鎮台府、参謀科大尉。北九州蓮池冬弥に養育された後、日本国民軍に志願した。九州を統治する吉野菫西海道政府首相の側近として彼女を良く支えるが、不遜な言動で口論を招く事も少なくない。かつて「吉野五人衆」と呼ばれた九州鎮台総督、江上 護智斎 慶也機甲中佐の娘。


―ただ「愛してくれた」人のために―

【万物流転】なかうら Agatha まなみ

中浦 アガタ 愛美

西海道 肥前郡 島原県 平戸市 生月町


 日本天主教会に出没する、謎に包まれた修道女。「救世旅団」と呼ばれる武装修道会の主人であり、共産主義者らへの白色テロ(赤狩り)を繰り返してきた、中浦家の傭兵組織である。彼女自身も、医学や武芸に強い。瀬戸内海の戦いでは、十三宮聖須崎優和に協力する。幕下に家所花蓮(いえどこ かれん)・沼田忠吉(ぬまた ただよし)らが居り、代理人の指導者も存在するらしい。八洲家の宇都宮宗房(うつのみや むねふさ)と取引し、暗躍させる事もある。


―愛なかりせば堕ちたる者―

【地平天成】じみょういん ひでくに

持明院 秀國

関西州 河内府 摂津郡 大坂市 中央東区


 方広院和泉の弟で、近畿(関西)地方を統治する畿内軍閥の皇帝。京都の名門である藤原近衛(ふじわら このえ)の末裔で、出自相応の優れた人格と実力を以て東京政府と対峙する。


「我が誉は平らかなる世の為に」

【令月風和】うきた Amir きよざね

宇喜多 アミール 清真

関西州 播磨県 摂津郡 神戸市 兵庫区


 中國地方を治める山陽軍閥の指導者で、アラビアの一神教(回教)に帰依している。浮田郷家(うきた さといえ)の兄。


「個は全のため、全は個のため。願わくは我らを導いて、正しき道を辿らしめ給え」

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