第21話 お前の父さん、小学生か

文字数 4,376文字

『山にしとけばよかった』
 正直言って、怖い。緩い下りの先に海が開ける、というわたしのイメージは全くもって覆されてしまった。
 横は断崖絶壁。10月に入り、徐々に荒々しさを増してくる海の音が、ゴーッ、という感じで耳の奥に響く。道はアップダウンの激しいアスファルト。コーナーでは車が譲り合わないとすれ違えないようなぎりぎりの幅。
 特に、下りにビビる。車はコーナーで急激に減速するタイミングで、コタローの自転車はトップスピードになる。
『うわ、ぶつかっちゃうよ!』
 わたしを先導するコタローの顔が前方を走る車のブレーキランプに赤く照らされる。
 けれどもコタローはいたって冷静だ。逆に自転車を急に減速させるリスクの方を慎重に計算しているようだ。
「道路を見るなよ。ちゃんと視界の先を見てろよ」
 ああ、この感覚って、初めてスキーをした時のあの感覚っぽいな。怖くて腰が引けて足下ばかり注意して視線を落としてると余計に加速してしまった記憶がある。
 上りにかかると車からは一気に引き離される。コタローはサドルから腰を浮かせ、ダンスするように体を左右に振って、クン、と加速する。
『げ、マジ?』
 この急勾配であの伸びのある走りがどうやったらできるのか不思議だ。もっとも、プロはもっと凄いんだろうけど。
 目的地の道の駅にたどり着いた時は昼近くになっていた。朝一番で出発して約3時間ちょっと。距離にしたらこの間北星高校へ行ったのとほぼ同じ30km程だけれども、道の過酷さはあの時の比ではない。
「俺、掻き揚げそばとカレー。シズルは?」
「・・・わたし、玉子サンド・・・」
「お前、ちゃんと食べないと帰り道、もたないぞ。うー、腹減ったー」
 足がパンパンになっているわたしの代わりに、セルフサービスのトレイをコタローが持って来てくれる。
「ありがと」
 わたしのお礼を聞き流すようにさっさとコタローが食べ始めている。
 コタローって、やっぱり変なヤツだ。内定祝いって言っておきながら、おめでとうの一言も無いし。ただ単に自転車に乗りたいだけのヤツなのかな。でも、それならどちらかというと足手まといのわたしを誘うはずないか。一応、気を遣ってくれてるのかな。
「コタローはほんとに大学受けないの?」
「うん、受けない」
 そばを啜りながら顔も上げずに返事が返って来る。これじゃ、会話が成立しないな。もう少し踏み込んでみるか。
「じゃあ、バイト先でそのまま働くって、何の仕事?」
 ん?コタローが突然顔を上げてニヤニヤと笑っている。
「聞きたい?」
 うん、うん。とわたしは強く頷く。
「サイクルショップの店員」
「え、そうなの!?」
「うん。スポーツラボって、でっかいスポーツ用品の店あるだろ。あの中に入ってるサイクルショップ。今んところ週三でバイトしてるんだけど、俺の自転車の知識とかメンテの仕事の丁寧さを認めてくれてさ。っていうか、そもそも自転車が好きでしょうがない、ってところをまずは見込んでくれてるみたいでさ」
「え、でも・・・・」
「ん?何?」
 どうしよう。もう少し踏み込んでも大丈夫かな。その辺の距離の取り方が分かんない。でも、そもそもコタローなら多少ぞんざいに接しても大丈夫なような気がする。心が広い、というのとは違うような気はするけど、無頓着なんじゃないかな。よし、訊こう。ああ、自分ながらこんな葛藤を瞬時に心の中でしてることが面倒臭くなってきた。
「コタローのご両親は、許してくれたの?だって、北星って、凄い進学校じゃない」
「??それって、サイクルショップに就職することを許すか、ってこと?それとも大学に行かないことを許すか、ってこと?」
「・・・両方」
「シズルって、見かけによらず常識持ってるんだな」
「常識、って・・・」
 コタローはわたしが訊いてることが世間の‘常識’だっていう認識はあるんだ。なんだかわたし、悪いことしてるみたいな気分になってきた。訊かない方がよかったかな。
「シズル、安心しろ。両方とも許して貰ってるよ」
「え、ほんとに!?」
「うん。ほんとだよ。でも、シズルの疑問は当然だよな。俺の場合はちょっとだけ特殊な事情があるからな。俺の兄貴って東大行ってるんだ」
「え、凄い!」
「東大が凄いかどうかは分かんないけど、俺の兄貴は凄いよ。薬学やってるんだけど、就職活動用の成績証明書をこっそり見たらさ、一年からずっと全優だよ。コノミチ製薬って会社知ってる?」
 わたしは頷く。コノミチ製薬ってわたしたちの県にある薬のメーカーだ。一部上場企業ではあるけれど、全国区で言えば地方都市にある中堅の地味な企業といったところだ。
「兄貴はコノミチの内定貰って、4月から本社の研究室に入るんだ」
「え・・・でも」
 あ、お兄さんの就職先についてわたしが消化不良なのを見透かしてるな。コタローのニヤニヤが露骨になる。
「いいよ、シズル。お前って素直だよ。訊きたいこと、なんでも言えよ」
「うん・・・東大で全優なのに、なんでコノミチ製薬なのかな?って・・・」
 あ。コタローの眼が凄く真剣な感じだ。わたしが本屋でコタローを初めて見た時に感じた雰囲気だ。
「それは、兄貴が本当のものの道理を分かってるからだよ」
「ものの道理?」
「人生の目的にできるだけ合致するような働き方が一番合理的、ってことだよ」
「人生の、目的・・・」
「お前も俺も、4月から社会人だ。言わば、もう、大人だ。シズルが人生でなすべきことって何だ」
 うわー。コタローって、こんなカッコいい顔もできるんだ。
「子供だったら‘やりたいことは何だ’って訊くけど、大人だからな。‘なすべきことは何か’だぞ」
「そんな風に考えたこと、無かった」
「そりゃ、そうだよな。俺も考えたこと無かった。兄貴の選択を見るまではな。兄貴はさ、母さんの介護を俺と一緒にやってくれるつもりなんだよ」
「コタローのお母さん?病気なの?コタローが介護してるの?」
 コタローが静かに頷いてる。なんだろ。コタローの顔がやけに凛々しく見えて来た。
「パーキンソン病、って言ってさ。難病指定されててほんとは高齢者が罹る病気なんだけど。脳内のドーパミンの分泌が鈍ることで、手足が震えるようになるんだ。母さんはもう大分進行してしまってて歩けないし自分で箸も持てない」
 わたし、何て言っていいか、分かんない。
「認知症もかなり進んでるし、幻覚も見る。そういう病気なんだ。脳とか神経の病気だよ。介護保険も受けてて、昼間はヘルパーさんが入ってくれてる。学校が終わった後は俺がヘルパーさんから引き継ぎを受けるんだ」
「じゃあ、コタローは勉強どころじゃないんだね」
「いやいや。それはそれ、これはこれ。俺、勉強はちゃんとしてたよ。まあ、介護しながらのながら勉強だけどさ」
「お兄さんの選択って?」
「兄貴が大学に入学した年に母さんの症状が進行して、パーキンソン病だって分かったんだよ。兄貴は父さんと俺に、4年間は学業に専念させてくれって言った。大学1年の時に、兄貴は就職先も心に決めてたんだ。実家に戻るのが大前提。そして、県内で自分の学業の成果を最大限発揮できるのはコノミチ製薬。ならば、コノミチ製薬のために、学業に打ち込もう。そして、コノミチに入るためには自分を知って貰わなくっちゃなんない。だから夏休みには必ず帰省してインターンでコノミチの研究室に通ってた」
「凄いね」
「うん」
 コタロー、お兄さんのことを褒められて嬉しそう。
「兄貴は、シズルと似てる」
「え、どこが!?」
「人生観が」
 わたしがびっくりした顔をしているのを見て、コタローは「ふ」と微笑してる。
「兄貴に、親孝行は長男の義務だから地元で就職するのかって訊いたら、違う、ってかなり強く言われた」
「じゃあ、何で?自分の夢とか我慢してるんじゃないの?」
「親孝行とか自分の夢を犠牲にするとかじゃないって言い切ってた。理由はない、それが自分のなすべきことだと判断しただけだ、って。兄貴のことずっと勉強だけのヤツだって思ってたけど違った。すげえ弱々しい外見なのに、俺なんかよりよっぽど男らしい」
「じゃあ、コタローのなすべきことは?」
「まずは仕事で早く一人前になって、経済力もつけることだな。俺がずっとぶら下がってたら兄貴は結婚もできない」
「お母さんのことは?」
「もちろん、俺の仕事場は鷹井市内だから、仮に家を出たとしてもできる限りサポートはする。でも、これは最終的には兄貴が責任者だし、それが兄貴のなすべきことだから、任せるつもり。俺はあくまでも手足にしかなれない」
「そっか・・・・」
「おい、何寂しそうな顔してんだよ。俺はお前の方が俺なんかよりずっと凄いと思ってるんだぜ」
「え、何で?わたしなんてただ、家族に守られて学校の勉強や自分のやりたいバイトをしてきただけ」
「それが凄いんだよ。俺は結構やらしい奴だからな。もしかしたら大学に行く可能性もあるかも、って、北星を選んで受験用の勉強もこそこそとしてきたし。それに比べたらシズルはちゃんと血肉となる勉強をやってきてるじゃないか。そのお蔭で内定も貰えて、いっぱしに働き始めるんだろ?しかも佐原事務はとても堅実で誠実な、いい会社だと思うぞ」
「わー・・・」
「何だよ?」
「いや、何でだろ。コタローにそんなこと言われると凄く嬉しい」
「そうか?」
「うん、多分、絶対に人を褒めそうにないタイプだからギャップにやられたんだと思う」
「嫌なこと言う奴だな」
「コタローがサイクルショップに勤めるのは分かったけど、乗る方はどうするの?」
「もちろん続ける。仕事柄もっと自転車の知識を体に叩きこまないとな。でも、もともと遠距離自転車通学を始めたのは母さんの介護があるからだったんだけどな。電車通学だと電車の時間に合わせなきゃなんないだろ?介護って、朝とか結構大変なんだよな。父さんもやってくれてるけど、会社に遅刻する訳にもいかないし。自転車なら行こうか、って思った時が発車時刻だからな。乗り遅れる、っていう概念がない」
「わたし一回、自転車に乗り遅れたことあるよ」
「なんじゃ、そりゃ?」
「中学の時にさ、お父さんが会社に遅刻しそうだから駅までわたしのママチャリ貸してくれって、朝突然言われてさ」
「何、それ」
「その代わり、わたしを後ろに乗っけて学校まで送ってから駅に行くって。なのに、わたしが顔洗ってる間に‘もう待てん!すまん!’って1人で乗って行っちゃった」
「お前の父さん、小学生か」
「お父さんの運転する自転車に乗り遅れた」
「お前はどうなったんだ?」
「遅刻した」
「先生には何て言ったんだ」
「ありのまま言った。お父さんの犠牲になりました、って言った」
「シズルの家族って面白そうだな。今度、遊びに行っていいか?」
「え、いいよ、別に」
 まあ、その内にそんな日もあるかもしれない。
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