第35話 どうなっても構わない!!

文字数 5,903文字


 公園の出口近く。夕方になるとさすがに肌寒いなー。コタローの自転車がわたしのちょっと前に出る。公園出たらスピード上げるつもりだな。
 あ。向こうの芝生の広場で小さな子がブランコに乗ってる。兄妹かな?座ってブランコに乗る幼稚園くらいの女の子の背中を、小学校中学年くらいの男の子が押してる。「おにーちゃん、もっとスピード出してー」って女の子がねだってる。ベンチに座ってるのはお母さんだね、きっと。
 なんか、絵に描いたようなささやかな幸福、ってあんな感じのことをいうんだろうな。ああ、わたしまで幸せな気分になってきた。多田くんのことも、金谷くんの中学校でのいじめのことも、コタローのお母さんの病気のことも、吉野 陽子さんの‘自転車に乗るわたし’のことも、全部、あの兄妹の姿を見てると救われていくような気がする。それにしても、お兄ちゃん、張り切るなー。ブランコ、結構な勢いだよ。

ドッ!

「あ!」

 ガシャン!

 わたしが叫ぶのと、コタローが自転車を乗り捨てて倒れたお兄ちゃんの所にダッシュするのとほとんど同時だった。コタローもあの兄妹を見てたんだ。そして、女の子が乗るブランコの勢いが付きすぎて戻って来るブランコが押そうとするお兄ちゃんの胸を直撃したのも。
 わたしも急いでトゥーストラップを外して自転車を乗り捨てる。コタローの後を追ってダッシュすると、わたしの自転車もガシャンと倒れる音がした。
『ごめん、相棒』
 大切にしてきた自転車をぞんざいに扱ったのはこれが初めて。でも、しょうがない。相棒、あなたもあのお兄ちゃんのために手伝って。
 コタローは自転車も歩くのも速いけど、走るのも尋常なく速かった。この足を取られやすい芝生の上を50Mほど走り、もう倒れている男の子の近くまでたどり着いてる。
 お母さんは、ぐったりして動かなくなっている男の子を抱えてその子の名前を叫び続けてる。
「カズキ!カズキ!カズキ!」
 でも、それは、カズキくんを助けようというよりは、他にどうすればいいか分からないから名前を呼ぶしかない、という風にも見える。
「カズキ!カズキ!カズキ!カズキ!」
「お母さんですか?」
 後ろからコタローがお母さんに話しかけるけど、反応しない。ただ、カズキくんの名前を呼び続けるだけ。妹はその様子を見て、大泣きしている。
「すんません、どいて!」
 コタローが強引にお母さんをどけてカズキくんを芝生に寝かせ、口の所に耳を当てる。
「まずいな」
 ようやくわたしがコタローの後ろに着いた時、コタローはカズキくんの胸の上に左手を開いて当て、その上から右掌で心臓マッサージを始めた。うわ、胸がへこんでる、っていうくらいに強く、リズミカルに。
「シズル!」
 後ろも振り返らずにコタローがわたしに怒鳴りつける。
「救急車!」
 はっとして、気付いた。自転車と一緒に荷物も放り出してきた。電話はその中だ。
 多分、このお母さんも電話持ってるだろうけど、妹の方を抱き締めて泣いているだけだ。とても頼ることはできない。取りに戻ろうか。
「時間が無い!あいつを呼べ!」
 わたしが自転車の所に戻ろうと立ち上がった時、マッサージを続けたままでコタローが大声を出す。見ると、少し離れてるけど、向こうに電話しながら歩いてる男の人がいる。こっちの騒ぎに気付いてないみたい。確かに、あの人が来る方が自転車まで戻るより早そう。
「すいませーん!」
 大きな声を出したつもりだけど、やっぱりちょっと恥ずかしさが残ってたのかな。男の人はちょっとだけ反応するけど、やっぱり気が付かない。
「シズル!真面目にやれ!」
 ああ、もう!すーっ、
「そこの電話している方!!こっちに来てください!!」
 息を吸い込んでから大声出した。あ、こっち向いた。何か言って電話を切った。歩いて来る。
「急がせろ!」
 コタローがわたしにせっつく。わかったよ!
「急いでください!走って!!!」
 わたしが怒鳴ると、その男の人は大きな体に似合わず、ものすごい俊敏な動きでこちらにダッシュして来てくれた。ああ・・・でも、近づいて来た姿を見て、後悔した。
 プロレスラーみたいな体格に、ダークスーツにノーネクタイ。襟足だけ長く伸ばした髪型。それに、尋常じゃなく鋭い目つき。コタロー、この人、絶対、普通の人じゃないよ。
「どうした、事故か!?」
「救急車、呼んでください!」
 振り絞って裏返りそうになったわたしの声に、素直に瞬時に反応し、119に電話してくれる。
「ええ、場所は親水公園、遊具のある広場です。・・・他に伝えることは?」
「マッサージ開始から2分経過!」
 コタローの声を聞いて、男の人は冷静に的確に状況説明をしてる。この人、何者?
 でも、コタロー、2分、って測ってたのかい?あんたも何者?
「AED!」
「え!?」
 コタローの発した単語にわたしと男の人が同時に声を出す。最近では常識となった機械。心房細動を起こした心臓を電流で一旦止め、マッサージで正常な動きを再開させるための装置。
「ここは県の施設だから、必ずどっかに置いてある」
 男の人と2人で走り出そうとすると、またコタローに静止された。
「あなたはここにいてください。救急車が来たらここまで誘導してください。シズルも、横で手伝って欲しいからここに居てくれ」
 わかった。さっきみたいに誰か呼べってことだね。えーと・・・いた!
 あれは中学生かな?学生服を来た男の子たち3人が一緒にマンガ読みながら歩いてる。
「そこの本を読んでる方!」
 この言い方では反応なし。コタローに言われる前にちゃんとしないと。
「そこの中学生3人組!!」
 あ、振り向いた・・・けど、自分たちは関係ない、みたいにあちこちきょろきょろしてる。
「こっちに来て!!走って!!!」
 結構気迫あったのかな。3人とも、びっくりしてこっちに走ってくる。
 近づいてきて、ちょっと不安になった。大人しそうな子達・・・というより、はっきり言って頼り無さそう。
 AED取って来て、と10秒で説明した。でも、3人は一緒の方向に走り出そうとする。しかも、重い荷物を背負ったまま。
「みんな、バラけて!!!リュックは置いて!!!走って!!!」
 あまりの状況認識の無さに、わたしの「!」が三重になる。
「あの子ら、大丈夫かな・・・」
 男の人も心配そうに呟くし。
 でも、全く予想外に、3人の内の1人があっという間に手提げになったAEDの箱を持って帰って来た。ただ、なぜか右手の甲から血が出てるけど。
「サンキュ」
 コタローは中学生に声をかける。そして、わたしをぎろっと睨む。
「シズル、マッサージ代わってくれ」
「え?わたし!?」
「見ててやり方分かったろ。俺がAEDセットするからその間、代われ!」
 うー・・・わたしがやるってことは、この子の命がわたしの手に掛かってくる、ってことだよね。どうしよう、もしわたしが失敗してこの子に何かあったら・・・
「馬鹿、躊躇するな!早くやれ!」
 えーい!もう、どうでもいい。どうなっても、構わない!!
「ふっ、ふっ、ふっ」
 わたしはコタローがやっていたのとそっくり同じに、両掌で和樹くんの胸を押す。胸のへこみ具合も同じくらいに。
「胸の・・骨が・・折れそうだよ・・・」
「折れてもいい!死ぬよりいい!」
 確かに、コタローの言う通りだ。もしカズキくんが生き残れたら、骨は後でくっつく。仮にくっつかなくったって、死ぬよりまし。でも、もし、死んじゃったら・・・えーい、考えるな!わたしのせいだなんて、考えるな!わたしごときが人の生き死にを左右できる訳ないじゃん!この子は助かるかもしれないし、助からないかもしれない。それしかないじゃん!
「よし、一回どけ」
 コタローはキットの中のハサミでカズキくんのシャツを切り裂き、胸をはだける。AEDの電極をセットした。後は、機械の音声案内に従うだけ。
「電流を流します。離れてください」
 皆、しんとして、覗き込む。あ、今、流したみたい。
「マッサージを始めてください」
 コタローがマッサージを始める。さっき自分もやってみて分かったけど、相当な重労働だ。コタローの額にあっという間に汗が浮き上がる。
 救急車、早く来てください。この子も死んじゃうの?みんな、死んじゃうの?ああ、多田くん!
「来た!」
 男の人がサイレン音の方にダッシュする。手を挙げて誘導し、すぐに救急車が車体を表した。
 救急隊員の人たちの行動は見てて惚れ惚れするくらい、迅速で冷静で、そして美しかった。
 コタローは救急隊員の質問事項に答えている。パニックになっていたお母さんと妹は隊員に支えられて、担架で運ばれるカズキくんの後に続いて救急車に乗り込む。
 AEDを探しに行ってた残り2人もサイレンの音を聞いて戻って来た。死にもの狂いで探してくれてたんだろう、滝のような汗をかいている。ありがとう。
 ん?なんかざわざわしてるな。あ、いつの間にこんなに人がいたんだろ。現場には20人くらいの野次馬が集まってる。
 コタローが舌打ちした。
「こいつら、一体今までどこにいたんだよ」
 コタローは野次馬に腹を立てているようだ。でも、わたしはこの野次馬を責めることはできない。だって、泣き叫ぶ母親と妹の傍で高校生が倒れた男の子の心臓マッサージしてるなんて、どう考えたって異常事態だもん。関わりたくないって思うもん。むしろ、真面目な人の方が、自分なんかが手を出してかえって悪い結果になったら申し訳ない、って考えるかもしれないもん。
 わたしは、コタローの怒鳴り声に押されてやっただけ。しかも、結局は、「どうなっても構わない」っていう、自分の適当さ、っていうか、死んでもわたしのせいじゃない、って極端に割り切らないと、大声出せなかったし、手が動かなかったもん。
 あれ?っていうことは、いい加減とか適当って、いざって時には大事なこと?
 救急車が発車する。野次馬たちに向かって「どけ!」とでも言うようにサイレンをかき鳴らし始めた。

「おい、君は大丈夫なのか?」
 男の人がAEDを持って来た子に声をかけている。あ、そうだ、何でだか分からないけど、手から血を流してたんだった。
「ちょっと、そこに座って」
 わたしはその子を芝生に座らせてハンカチで血の流れている所の少し上をきつく縛って止血を試みる。あれ、この子、わたしが触ろうとすると、すごい、体を固くしてるみたい。緊張してるのかな。まあ、一応わたしも女子高生だからね。
「ほんとあっという間にAED見つけてくれたよね。びっくりしたよ。でも、なんで怪我したの?」
 男の人がその人なりに最大限優しい顔で質問すると、その子は恥ずかしそうに答える。
「いや、管理室みたいな建物の窓からAEDが見えてたんですけど、入り口が分からなくて。あの、その女の人が‘急いで!’って言ってたら急がなくちゃって思って窓ガラスを石で割って。そしたらガラスで切っちゃったんです」
「ほう!凄いな、君は!勇気あるな!」
「え・・・でも、大丈夫ですかね」
「何が?」
「だって、こういうの、器物損壊、って言うんじゃないんですか?学校に言われたらどうなるんですかね」
 ああ、素直だし、真面目だ。頼り無さそうなんて思ったけど、別にそれでも構わない。それがこの子の行動力の源泉になるのなら。
「もう一台、呼ぶよ」
 男の人は救急車の追加を電話してくれた。

「あー、疲れたなー」
 コタローが珍しく、自転車に乗る力も無くなった、なんて押して歩いてる。わたしはまだ乗る余力があるんだけど、コタローに付き合って一緒に押して歩く。
「あいつ、シズルに惚れたな」
 わたしは反論せずに、ふっ、と素直に笑う。
 カズキくんを救うために立ち上がった我ら6人は、名誉の負傷をした子の救急車が来るのを待って解散した。友達2人に付き添われて救急車に乗る時、あの子は何度もわたしの方を振り返ってチラ見してた。多分、女の子とあんなに近い距離で向き合ったことが無いんだろう。当然、女の子に触れられたことも。ただ、それだけなんだろうけど、こんな地味なわたしでも一応女子高生と認識して、意識してくれたんなら、そりゃあ、素直に嬉しい。
「カズキくん、助かるかな」
 わたしは一応コタローに訊いてみた。予想通りの答えが返ってきた。
「分かんない」
 でも、いつもならここで終わりだけど、コタローは更に続きを言ってくれた。
「分かんない・・・けど、やるだけのことはできたんじゃないか。後は、俺らが手を出せない世界だよ」
「うん・・・救急隊の人、カッコ良かったね」
「ああ。でも、俺はあの中学生3人組もカッコいい、って思ったぞ」
「うん、確かに。怪我した子も、走り回って汗かいて探し続けてくれた2人も、カッコ良かったな。でも、あの男の人は何者かな?」
「さあ」
 男の人はコタローとわたしと別れるとき、「じゃ、また」と言って去って行った。
 できればあのいかついキャラと繁華街なんかでばったり再会はしたくないんだけど。
 夕陽も沈みかかって、暗くなり始めた。沈みかけの夕陽の向かい側に月が見える。月ってきれいだな。夕陽もきれい。愛おしい毎日を大切に、って、こんな風景を積み重ねることができたら、本当に素晴らしいな。
 それと。コタローも、凄くカッコよかったよ。
「ところで、コタローはどうしてあんなにてきぱき対応できるの?」
「ん?学校でAEDの研修受けたからな」
「へー、北星って、そんなのあるんだ」
「最近はやる学校、増えてるぞ。業者の人が練習用のキットを持って来て実際にやりながら教えてくれるんだ。それにさ、AEDがあれば助かったかもしれない事例の紹介もあるんだけど、とても切ないんだ」
「どんなの?」
「運動部員が部活やってる時に心房細動を起こすケースが増えてるんだけど、例えば、野球部のピッチャーが練習中に打球を胸に受けてな」
「うん」
「硬球だからな、半端ないダメージなんだよ。それで心房細動を起こしたらしいんだけど、まだAEDが設置されてなくってな。ご両親はAED普及のための運動をしてるらしい」
「そうなんだ・・・・」
「カズキって子の胸をブランコが直撃したのを見て、あ、硬球とおんなじだって直感したんだ」
「そうだったんだ・・・でも、その研修って生徒全員受けるの?」
「いや」
「じゃ、誰が受けるの?コタローは何で受けたの?」
「一応、運動部の部長が受けることになってるんだ」
「え!コタロー、部活入ってたの!?しかも、部長!?」
「うーん、まあ、一応、そうかな」
「何部?」
「自転車帰宅部」
 やっぱり、どこまでが適当でどこからが真面目なのか、全然分からない。
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