第16話 もうひとつの、金の斧  其の三

文字数 1,634文字

「これでございます、佐吉どん。これが当店にある、一番高価で一番切れ味の鋭い、当店自慢の斧でございます」
 ほどなく、店のあるじが姿を現した。
 さながら、仏前に香華を供えるような、うやうやしい手つきで、一本の斧をたずさえて店のあるじが、佐吉の元に戻ってきたのである
「おお!! こ、これは……」
 その斧を見て、思わず佐吉は目を瞠った。
「なんともいえず神々しい、ついぞ見|たことのない斧だ!!」
 かくも、佐吉が驚くのも無理はない。
 あるじがたずさえていたのは、きらびやかに金色《こんじき》に輝く、名状しがたい見事な斧であったからだ。
 たぶんこれなら、と佐吉はほくそ笑む。
 おなごの花嫁衣装を購った上に、そうとうな蓄えもできそうだぞ、そう思って。だが――。
 ほころんでいた佐吉の頬が、たちどころに、こわばる。どうしたというのだろう――。
 もっとも、その所以は、さして首をひねらなくても、すぐにそれと知れるのである。
 さっきの銀の斧が、三十両。そうだとすれば、はたして、この金色の斧は?
 その額が、とっさに頭をよぎったので、佐吉の頬がこわばったのである。
 倍の、六十両か? 
 いやいや、もっとするかもしれないぞ。ひょっとすると、百両――なんて、べらぼうな価格だったりして……。
 考えれば考えるほど、眉間の皺が深くなっていくのが、佐吉は自分でもよくわかった。
 いくらなんでも、そんなべらぼうな値段では、とてもじゃないが、手が出ない。
 なにしろ、佐吉の手元にある銭はいま、どんなにかき集めたところで、せいぜい七十両ちょっというところだからだ。
 
「あ、あのう……」
「あのう……」
 くしくも、二人の声が、同時に重なった。
 どうぞ、というふうに、店のあるじが、佐吉に、ことばを先にゆずる。
 では、おことばに甘えて、という感じで、佐吉が、先に口を開く。
「ぶ、ぶっちゃけ訊くのですが……この金色の斧は、かなり値がはるんでしょうね?」
 いくらだとしたら、彼は、支払うことができるか――方や、あるじも内心、そのように値踏みしている。
 さしずめ、二人が意図するところは、同様であった。
 何にせよ、ここが肝心ですよ、とあるじは自分にこうささやきかける。
 どのようにカマをかけたらいいか、というふうに。
 彼は商売人だけに、買い手の心理が、どうしても、気になるのである。
 そればかりではない。
 あるじは、こうも自分にささやきかける。
 うかつなことは言えませんよ。下手を打つと、身も蓋もない顛末を迎えてしまいますからね、とも。
 では、落としどころは? 
 というのが、もちろん、ここでは肝腎要。
 そこであるじはふと、思い出す。
 銀の斧を見ているとき、彼は、やけに余裕があった、ということを。
 とすれば、とあるじは確信する。
 佐吉どんは、間違いなく、三十両は所持しているのにちがいないな、と。
 そう確信したあるじは、尚も、考える。
 問題は、どれだけふっかけられるだろうか、と、いささか品のない笑みを浮かべて。
 
 そして佐吉の方も、固唾をのんで、あるじのくちびるを見守っている。
 どのような金額が、彼のくちびるからこぼれ落ちてくるのか。
 それを、ハラハラドキドキしながら、彼は見守っているのである。
 ややあって、あるじのくちびるが、おもむろに動く。
「周知の通り、折しも金の相場がずいぶんと高騰しております。そのようなご時世でございますし、まして、これだけの金を使用しております」
 と、ということは?
「さすれば……」
 さ、さすれば?
 身を乗り出すようにして、佐吉は、あるじの顔を覗き込む。
 一瞬、沈黙。
 わずかの間のあとで、その沈黙を破り、あるじが、鷹揚に、口を開く。
「これくらいが相場かと思われます……」
 さあ、いったい、いくらだというんだ。
 じらすように、たっぷり間をおいて、あるじが言う。
「大、大特価の、七十両ということで」
「な、七十両……」
 オウム返しでそう言った佐吉は一瞬、複雑な表情を浮かべていた。


つづく
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